喪失 その4

 ヨエルの声に、アイナが肩をビクリと跳ねさせ、動きを固めたまま、視線だけを周囲に巡らせた。

 しかし、森の中は薄暗く、焚き火の明かりだけでは、薄らぼんやりとしか判別できない。

 風もなく、木の葉も揺れないので、周囲には音が全くなかった。


 ただ、焚き火の中で跳ねる火の粉が、時折音を立てていた。

 何がいるのか、また何が来るのか分からず、恐怖がいたずらに刺激され、堪らずアイナは声を掛けた。


「……何がいるんですか? 魔物が――」


「黙って」


 ロヴィーサから鋭く短い声が発せられ、アイナの声を強制的に遮断した。

 腰から引き抜いた武器を逆手に持って、胸の前に構え、油断なく周囲へ目を這わる。

 レヴィンやヨエルも同様で、既に武器を抜いて万全の構えをしていた。

 それと同時に、その顔には不安と緊張も浮かんでいた。


 痛い程の沈黙が、尚も続く。

 周囲で立つ音は一切ないのに、その沈黙は何よりも雄弁に危機を告げていた。


 ――いったい、いつまで。

 一切見せない動きと沈黙に、しびれを来たし始めた時だった。

 唐突に、厳かな女の声が、何処からともなく誰何した。


「何者か。ここは我らが治めるギベナの森。如何な理由があろうとも、集落の外で火を焚くことは、固く禁じられている」


 声の方へ顔を向けると、そこには高い位置で髪を結った長髪の女性が、感情を感じさせない視線を向けていた。

 焚き火の光で薄っすらと浮かび上がった姿は、戦士として鍛え上げられたもので、立ち姿からも、その力量が伺い知れる。


 武器を佩いているが、抜いてはいない。

 防具を身に着けていないのは、森を動くのに軽装である方が好ましいからだろう。


 その彼女が、片手を肩の高さまで上げると、暗闇から多くの男女が姿を現した。

 完全に包囲されており、その手には全員弓を持ち、矢を番えている。

 そこへ先程の女性が、重ねて問い掛けてきた。


「何者か。沈黙を貫くなら、このままここで死んでもらう」


「いや、失礼した」


 レヴィンは声を上げて、武器を仕舞わぬまま一歩前に出る。

 ヨエルとロヴィーサから、同時に咎める声が上がるも、それを無視して言葉を重ねた。


「我が名はレヴィン・ユーカード。事情も知らず、禁を破ったなど、こちらとしても大変不本意なこと。どうか、平にご容赦いただきたい」


「……ユーカード?」


 その名を口にした女は、暗闇に浮かぶ顔を怪訝に顰めた。


「東の雄、ユーカード家の者か。しかし何故、こんな所に……?」


「話せば長くなる」


「……いや、待て。我らを騙ろうとしているのではあるまいな。その名を持ち出せば、黙らせられると思ったか」


「父祖の誇りにかけて! 嘘の名など騙っていない!」


 レヴィンが誇りを以て宣言すると、女は更に腕を高く上げた。

 周りの兵はそれで一気に殺気立ち、弓を引く力も更に増す。

 弓弦を引き絞る音が、ギリギリと音を立て、まるで獣が威嚇しているかのようだ。


「討滅士……、東のユーカードよ。こちらもまた、同じく淵魔と相対する者。南方領までやって来て、秘密裏に森を侵すとはどういう了見か。下手な諍いなど、両者にとって全く益がない」


「南方領……? ここは既に辺境領内なのか……。そんな所に通じていたなんて……」


「お前達、そもそもどうやってここまで入った。山の方が騒がしかったが、まさかあちらから……?」


 女の視線は懐疑的で、更に嫌疑が増したかのようだった。

 この場で処断する気持ちが強まったようにも見え、レヴィンはそれを撤回できないか、気合を込めた声で宣言する。


「誇りあるユーカード家の者として、また一人の討滅士として、一つ許しを賜りたい! 南の雄、ユダニア家の者との対面を! 顔を見れば分かって貰える!」


「……森へ迷い込んだ言い訳にしては、大層なものを持ち出したな。だが、見知らぬ者を簡単に対面させては、沽券に関わる」


 女は腕を下げず、油断も見せぬまま、目を細めてレヴィンの両手へ視線を送った。


「東の雄の話は、こちらにも伝わっている。ユーカード家には、代々伝わる刻印があったろう。それを見せて貰おうか」


「是非もない」


 言うなり、レヴィンは持っていた武器を収めて、代わりに両手の甲を頭上に掲げる。

 そうして刻印を発動させると、淡い光と共にその刻印が浮かび上がった。


 右手に『年輪の外皮』、左手に『追い風の祝福』が刻まれているのを見て、女は感嘆の息を吐くと共に満足げな首肯を見せた。

 刻印はその身に宿すに、限界となる個数が存在する。


 自らの力量や戦術、仲間との連携など、それらを加味して厳密に考え刻むものだから、酔狂で選ぶことはまずないものだ。

 そして、レヴィンの宿す刻印は、酔狂で選ぶことをしない、まず優遇されない刻印でもあった。


 それでも、ユーカード家の人間は、誇りを以てこの刻印を宿す。

 初代の偉業、代々の誇りを受け継ぐから、という理由は勿論のこと。

 その刻印を使いこなしてこそ、本物の討滅士という自負あればこそだった。


 そして、それは遠く離れた南方領でも伝わる、少しは知られた逸話でもある。

 女の満足そうな吐息からも、それが窺えた。


「しかと確認した。エーヴェルト様はご健勝か?」


「今も前線で、その辣腕を奮っておられます」


「実にらしい。……かの御仁には大層、世話になった。五年ほど前には、その刻印を直に見せて頂いたこともある。貴殿に継承される前の話しだな。――皆、武器を下ろせ」


 その一言で、全員が整然と弓弦か矢を離し、腕も下ろした。

 殺意は幕を下ろしたように消え去り、今は敵意の代わりに好奇心が向けられている。

 女からもまた好意の笑みが向けられつつ、その腕を背面の森へと向けた。


「我らが主、ハスマルク様の所へご案内しよう。主もきっと、長くなる話とやらに興味を持つはずだ」



 ※※※



 火の始末をしてから奥へと進み、先導されるがままに付いていくと、ある一点から急に木々がなくなった。

 木製の櫓や壁が聳え立ち、趣は違っても淵魔に対しての備えだと分かる。

 石材も用いて壁を堅固に補強してあるが、やはり周囲に無尽とも思える木材があるので、そちらを主に使う形のようだった。


 門扉が開き、その中を通っていくと、門前からは考えられない程のあでやかさが見えて唖然とする。

 家々は木材を建材として用いているのは当然として、それを洗練された建築術で見事な住宅を作り上げていた。


 多くは平屋だが、その屋根は船艇をひっくり返したかのようで、そこに文化の違いが大きく表れている。

 壁や塀にも細かな文様が刻まれていて、木の葉や蔓を模したもの、剣や盾を模したものと、家屋によって違う特色が見えて面白かった。


 道もしっかりと締め固められた後に補強されたと見て、平坦な道は歩きやすく、無駄に足元を取られない。

 歩く道すがら、柵の内側に植えられた木や花が見えて美しく、そこに住まう者たちにも不満が見えない。

 このような地にあって、皆幸福に暮らしていると分かった。


 そうして足を進めると、もっとも奥まった、もっとも大きな屋敷へ辿り着く。

 外観は他の家屋を巨大にしただけに見えるが、内装は実に豪華で、どこを取って見ても草木や花、そしてその意匠があって目に飽きない。


 特に木彫りの飾り文様は、技工のすいを集めた見事なものだった。

 枝に止まる小鳥を描いた文様は、いつ羽ばたいて飛び出すか、と期待してしまう程の出来栄えだ。


 そうした物珍しさで目を奪われていると、先導していた女は取り次ぎを頼み、案内されるがまま客間へと通された。

 突然の訪問なので、追い返され後日、といった可能性は十分にあった。

 しかし、即座に応じてくれたところに、相手からの誠実さが感じ取れた。


 一応の名目で監視を置かれ、小一時間ほど待った後……。

 呼び声が掛かって応接間まで足を運ぶと、上座には大柄な体躯を椅子に押し込めた、威厳高そうな女性が待っていた。


 歳の頃は三十を過ぎ、長い髪を耳の両サイドで三つ編みにし、それを後ろに流している。

 好戦的で挑発的な目は、どこか野蛮な印象を抱かせた。

 しかし、その目には知性が宿る。

 また彼女はそれ以上に、好意的な表情を持って迎えてくれた。


「おぉ、おぉ……! 間違いない! ユーカードのレヴィンだ! 前に会った時よりも、なお逞しくなったではないか!」


「お久しぶりでございます、ハスマルク様。援軍の礼として、我が家をお訪ね頂いたとき以来ですね」


「その節は大層、世話になった! ささ、まずは座られよ。お付の者たちも同様にな」


 言われるまま、そして給仕の者たちがそれぞれの席に案内するまま座り、お茶と茶菓子を用意されると、ハスマルクが口を付けるのを待ってレヴィンも一口啜る。

 あくまで啄む程度に留めると、レヴィンは改めて頭を下げた。


「この度のご厚情、ありがたく思います。森で火を用いたこと、そして急な訪問にもかかわらず、こうして対面して頂けたこと、まことに感謝いたします」


「何を言う……!」


 ハスマルクは大袈裟に首を振ると、親愛の感情を大いに表現して破顔する。


「我ら討滅士として、同じ思いを一つにする同胞はらからではないか! 助け合うのが我らの務め! 大神レジスクラディス様の意志の元、協力するのは当然のことよ!」


「は……」


 真実の一端を知ったレヴィンとしては、その言葉に即座に応じられない部分がある。

 特に大神の下りは、受け入れられななかった。

 それを見透かされたからではないだろうが、ハスマルクは怪訝そうな顔をして見つめてきた。


「どうにも歯切れが悪いが、どうなされた。それに、レヴィン殿が少数の手勢で森にいた、というのも解せん話だ。ユーカードのある辺境領から考えても、方向は真逆……。事情は説明してくれるのであろうな?」


「勿論です。信じ難い話でしょうし、受け止めきれない話でもあるでしょう。ですが、討滅士として知って貰わねばなりません」


 レヴィンが決意を込めた視線を向けると、ハスマルクは大いに頷き、そして手の平を向けて続きを促した。

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