旅路 その1
旅慣れているとは言えないレヴィン達だが、さりとて行軍経験は豊富だ。
規模が違えば勝手も違うものの、やるべき事に大きな差はない。
だから、道中も気楽なものだった。
本来、移動中は周囲にも警戒せねばならぬものだが、領内の治安はすこぶる良い。
それも領兵が訓練と称して魔物を狩るお陰で、他領によくあるギルドは、この地域に存在しなかった。
何しろ、魔物や魔獣退治を代表する仕事は、頼まずとも勝手にやる。
山賊、野盗と言った無法者は、これ幸いと狩り出し、兵に加える。
暴れる元気があるなら、その力を淵魔と戦うのに使えるだろう、という寸法だった。
当然、単に連れて来ただけの野盗が、即戦力になる訳もない。
しかし、それについても慣れたもので、尊厳を破壊する地獄の訓練を経て、多くは従順になった。
適応できなければ、そのまま死ぬ。
元より法の庇護下から自ら外れた無法者なので、扱いも酷いものだ。
しかし、見事兵として認められれば、それは敬意を得た一人の人間として扱われる。
自分もかつてはそうだった、と言う者を見れば、それならばと奮起する者も少なくなかった。
淵魔との戦いは過酷だ。
それ故に、いつだって兵役は苦しく、死を間近に感じるから十分な休暇を与えなければならない。
常に犠牲を出さずに済む訳もなく、だから徴兵せずに補充できる相手は常に欲していた。
「まぁ、訓練では苦労させられるがな。反発する奴が大抵だから、志願兵より余程やり辛い。けど、流れの敗残兵が混じってたりすると、これが結構良い拾い物だったりするんだよ」
「へぇ……」
「訓練する方も腕の見せ所さ。それで一人前の兵に育てられる奴が、その元無法者だったりするからな。同族嫌悪って言葉もあるけど、同族だから分かるってのもある訳だ」
「ははぁ……」
移動中で何事もなしとなれば暇なもので、ヨエルが率先して口を開いていた。
まだこの世界の常識に疎いアイナに、あれこれ教えてやろうとするのは良いとして、非常に局所的な知識を披露するのは如何なものだった。
彼女も彼女で律儀に返事だけはしているが、内容にまで興味はないらしい。
ともあれ、一本真っ直ぐ通る道を馬の背に乗っているだけは飽きてしまう。
周囲は草原、疎らに木々が生え、離れた所に林、その奥に山々が連なる風景は、この大陸にはありふれた光景だ。
この一年、何くれと移動が多かったというアイナも、風景を楽しむ気持ちなど早々に潰えていた。
ヨエルの話し好きは渡りに船だったかもしれないが、それでも時折苦笑めいたものを浮かべている。
一応は急ぎの旅であるものの、その行程に掛かる時間は、短いものだ。
馬の脚も
急ぐとは言え、先に馬を疲労させては、いざ本当に逃げ出したい時逃げ切れないので、基本的にはゆったりしたものだった。
周囲の警戒も程々に、まだ乗馬に慣れていないアイナには、ロヴィーサと交代させて手綱を握らせ、馬の扱いに慣れさせたりもした。
そうやって、実に
食べる物は基本的に保存食や干し肉だ。運良く動物が狩れる日があれば、その日は新鮮な肉が食べられる。
旅の道中では嬉しいごちそうだった。
領内の移動はスムーズで、それは同時に人の往来が少ないことを意味した。
特に、最東端へ自ら赴く物好きは少ない。
商魂たくましい商人は別として、基本的には専属契約している商人以外、訪れないものだ。
武勇を求める冒険者などは、淵魔よりも魔獣や魔物を狩りたがる。
名誉こそを求める者ほど、討伐困難な魔獣や魔物へ挑み、それが誉れとなるらしい。
食事を取りながらもヨエルが、そうした内容を飽きる事なく口にする。
それを聞いたアイナは不思議そうに首を傾げた。
「先生からも聞きましたけど、淵魔の方が恐ろしいんですよね? そっちを狩った方が誉れがありそうに思えるんですけど……。何故、そちらには行かないんです?」
「住み分け、みたいなものかねぇ……。そもそも、討伐の賞金が出るから狩りに行くのが冒険者だ。淵魔にそんなモンないし、そもそも外には出ない」
「そういう話は……はい、聞いています」
アイナが曖昧に頷くと、ヨエルもそれを見て首肯した。
遠くを見つめながら、どこかつまらなそうに息を吐く。
「昔はどうだったか知らないが、今は辺境に押し込んでるんだ。こいつらを狩るのが俺達の使命で、絶対外へ逃さない。何か喰って強化された個体でも同じことさ」
「先生も、強い魔物や魔獣より、よほど恐ろしいのが淵魔と言ってました」
「そうだな、奴らは際限なく強くなる。……なるって言われてる」
深刻な表情を見せたヨエルに、アイナは思わず息を呑んだ。
「だから、必ず内部で仕留める。外部に漏らさないから、外部に頼ることもない」
「それで住み分け、ですか。そして、魔物退治は冒険者がやるものだと……」
「そうだな、お互いの領分は侵さない。俺達は討滅士、淵魔を残さず滅ぼすのが目的だ。奴らは冒険者、金や名誉を得るのが目的だ。遊び半分の奴らとは、心構えからして違うのさ」
それは随分と乱暴な言いようで、アイナは困惑してしまう。
敵意すら混じって感じるのは、決して邪推ではないだろう。
レヴィンの方へ顔を移すと、こちらは敵意とまで言わずとも、やはり面白くなさそうな顔付きをしていた。
「何か……あまり良いイメージ、ないみたいですね」
「……奴らは俺達を下に見るから」
「下……。格下って意味ですか?」
そう、とレヴィンは皮肉げな笑みを浮かべつつ頷いた。
「討滅士の戦いは、『弱い内に叩く』が鉄則だ。強化される前に滅する。でも、奴らは強い敵を倒すことこそ、真の英雄って観念だから。相容れない」
「……そう言われてみると、確かに冒険者ってそんなイメージです。ドラゴン退治を夢見る冒険者……それって鉄板ですもんね」
アイナの一言で、場の空気が一変する。
レヴィンだけでなくヨエルも鋭い視線を向け、ロヴィーサもアイナの後ろで似たものを向けた。
そこには怒りと同時に呆れも混ざり、強い敵意も感じられた。
しかし、アイナに悪意がないと、一瞬後に理解して霧散する。
アイナもまた自分が酷い失言をしたのだと気付いて、平謝りした。
「す、すみません……っ! あたしったら、余計な事を……!」
「いや、いいんだ。まだこっちの常識をよく知らないって、俺達も理解してたはずだった。……発言内容には驚いたけど」
「……だな。アイナん所じゃ、ドラゴンは悪さでもしてたのかね? 退治したいと思えるなんて、よっぽどだろ」
次にはヨエルから同情めいた視線が送られ、アイナは顔を大袈裟なほど左右に振った。
「いえいえ……! こちらではドラゴンなんていなかったんです。ただ、勝手なイメージの話で!」
「へぇ……? ドラゴンのいない世界ってのも、いまいちピンと来ないな。不安に思ったりしないのか?」
「いや、そんな風に思ったことないです。むしろ、いた方が不安に感じると思います」
「……そういうモンかね?」
しかし、この世界に住まう者にとって、ヨエルの反応の方が一般的だ。
ドラゴンとは守護聖獣であり、人を見守ってくれている存在でもある。
これは冒険者にも共通した考えで、だからドラゴンを狩ろうという不届き者はいない。
レヴィンも彼の意見に同意して、幾分意気込みながら話に入る。
「そもそも、ドラゴンは神が騎乗する神聖な存在なんだ。傷付けることは、即ち神の所有物を損なう意味になる。とても害そうなんて思えないよ」
「悪竜とかいないんですか? 人や町を襲ったり……」
「いないね。むしろ、淵魔からは積極的に守ってくれる。だから、守護聖獣と呼ばれるのさ」
「ははぁ……。でも、淵魔から? 魔物からは守ってくれないんですか?」
さて、とレヴィンは首を傾げて空を見つめる。
しばし考え込んでから、首を下に戻して否定した。
「そうだな……。基本的に魔物の被害からは守ってくれないと思う。だから、冒険者なんて稼業が存在していられる気がする」
「助ける対象は選ぶって事ですか?」
「……というより、淵魔が世界にとって毒だと理解してるからじゃないか? それとも、神からの指示があるからか……。多分、そんな所だと思うけど」
レヴィンが思案しながらそう答えると、アイナは小刻みに頷いてから、顎を上げて視線を空に向けた。
「そうですよね、神様が見守って下さっているんですものね。その神様が、応援としてドラゴンを派遣して下さるなら、心強いでしょうね」
「そもそも我がユーカード家の興りは、その神から直接、淵魔と対峙・討滅すべし、と任を受けたからだと伝わってる。だから竜の庇護も篤い。我が家の誇りだ」
そう宣言した通り、レヴィンの表情は澄み渡る空の様に晴れやかだった。
家系を誇り、自らに課せられた使命を重荷ではなく、受け入れて当然のものと思っている。
そして、それはこれまで連綿と受け継がれてきた戦いの歴史に、敬意を払っていることから生まれるものでもあった。
「これから向かう神殿っていうのも、その神様を祀る神殿なんですか?」
「いや、アルケス神はまた違うな」
「……そういえば、先生とよく似た名前ですよね」
「神の名前に肖って子供に名付けるのは、別に珍しくないからな。俺の名前だってそうだ。レジスクラディス様から、最初の一文字を頂いた」
言っている事に理解を示しつつも、具体的にどうなのか、までは理解していないらしい。
そもそも、アイナは神の名前すら知らない可能性があった。
「もしかして、先生から習ってない範囲か?」
「いえ、聞きはしたんですけど、全然覚えられなくて……。馴染みもないので、どうにも右から左と申しますか……」
不甲斐ないと感じたのか、肩を窄めて小さくなる。
自分の前で情けない声を出すアイナを不憫に感じたのか、ロヴィーサからもフォローが来た。
「……一度に聞いて、覚えられるものでもないでしょう。でも、曜日の名前にもなっているので、そちらと関連付ければ覚えやすいのでは?」
「それも聞きはしたんですけどね……。七柱の神、七つの曜日、それぞれしっかり……。でも、移動ばかりだと曜日を気にする必要もなく、全然使わないものですから……」
それは確かに、そういうものかもしれない。
曜日を気にする生活は、町の中でこそ活きるものだ。
旅生活で、次の曜日までに移動を終えよう、という考え方はしない。
縁遠い概念だし、使わずにいたら覚える機会もないだろう。
「そういう事なら、シンプルに一つだけ覚えておけばいい」
レヴィンが指を一本立てて、諭す様に言った。
「大神レジスクラディス様が最も偉大な神様だ。一週間の最後、休日でもある七日目に位置し、終わりと次なる始まりを司る。そして、最も信奉篤い神様でもあるな」
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