毒花黒樹 その4

 ただ一人で飛び回っている様に見えた戦闘も、近付いて行くにつれ、そうではなかったのだと、ようやく分かった。


 敵らしき姿が見えなかったのも当然で、モルディが戦っていたのは、樹木そのものだった。


 そうは言っても相手は巨大で、しかも手足が付いている訳でもない。


 だが、枝に絡まった蔓や頭上から落ちる葉、そして時折射出される樹液らしき液体など、樹木なりの攻撃を仕掛けていた。


 しかし、それらが一切、モルディに通用していない所を見ても、特別優れた撃退法でないのは明らかだ。


 むしろ苦肉の策とでも言うべきで、追い払えず苦戦している様にも見える。

 だが、それはモルディにも同じ事が言えた。


 飛び回っている最中に、彼女も隙を見つけては攻撃を仕掛けている。

 モルディは巨大な槍のような物を投げ付け、その度に大量の赤い閃光が生じて樹肌を焼いた。


 その閃光は熱と衝撃を伴い、直撃した部分は木っ端微塵に弾けたが、さりとてダメージと呼ぶには余りに小さかった。


 それは巨樹に対して、ほんの些細な傷に過ぎず、表面の樹皮を僅か削っただけに過ぎないものなのだ。


 互いに決め手を持たない戦闘――。

 それが今の状況を見て、ミレイユが抱いた感想だった。


 しかしそれも、ミレイユが到着した事で事態は急変する。

 接近には気付いていたモルディも、ミレイユの到来を察して安堵の笑みを見せた。


「ミレイユ……っ!」


 モルディは『守護』の神器を用いて半円形の防御膜を形成すると、近付いたミレイユをその中へと引き込む。


 肩が触れ合う程の近距離まで詰めると、半円形だった膜は完全な円形を作り出し、二柱をその中に閉じ込めた。


 一切の動きを止めた事にもなるので、蔓や葉、樹液などが次々と襲ってくる。

 しかし、オミカゲ様の権能を模しただけあって、全てを完全に無効化していた。


 枝から伸びる蔓だけでなく、巨大な枝葉そのものが張り手の様に振り下ろされた時も、防御膜は完全に防ぎ切り、小揺るぎもしない。


 安全性を確保した事を確認して、モルディはまず再会の抱擁を交わした。


「遅かったですよ、ミレイユ!」


「すまなかった……。こっちでも色々と問題があってな……」


「一体、何が……?」


 ミレイユはモルディの疑問に、神殿内で起きた変貌について詳しく話した。


 そして、黒粉の影響は既に広範囲まで及んでおり、大陸を越えて拡がるパンデミックに繋がる可能性も、同様に説明した。


「そんな事が……」


 モルディは不快感も露わに巨樹を睨み付ける。


 そして今も叩き付けるように振り下ろされる枝へと、自身の権能を叩き付けた。

 防御膜が一部開いて、視線だけが通る穴から正確に枝葉を撃ち抜く。


 普段から垂れ流されるだけの『災禍』は、その意志を乗せて指向性を持たせれば、何倍にも増したモノを対象に与えられる。


 枝葉はみるみる内に萎れ始め、葉は枯れて落ちていくが、その影響が巨樹に届くより早く勝手に千切れて落ちていく。


 落下途中で完全に枯れ、朽ちて行く様に見えたが、その末路を確認する前に視界から完全に消え去ってしまった。


 ミレイユは一部始終を見送ってから、一つ頷く。


「なるほど……」


「分かって貰えた? 汎ゆる攻撃が、有効打にはならないの。大きいとは言っても、所詮は樹木……腐らせ枯らせば倒せるか、と思ったのだけれど……」


「腐食が進むより早く、あぁして切り捨てられる訳か」


 モルディは悔しそうに顔を歪めて頷く。


「勿論、他にも色々試してみたわ。樹木なら、根を攻撃する方が有効かも、と思ったりもした」


「しかし、それこそ根は無数に伸びている。一つを腐食させた程度では……」


「えぇ、トカゲの尻尾切りが、大層お得意みたい……。一つと言わず、複数を相手取っても結果は同じ。だから、『核』を見つけ出すのが一番の近道、と思ったのだけれど……」


 それはミレイユも考えていた事だ。

 この巨樹その物が本体ではなく、この巨樹を鎧として『核』が地上に姿を現した、と予想していた。


 巨樹の根を全て断ち切るとか、この巨樹その物を切断するのは、凡そ現実的ではない。

 それならば、巨樹の何処か――たとえば中心などに要る『核』を、貫く方がまだ簡単ではある。


「最初はわたくしの攻撃も無視されていたのよ。それどころか、存在自体に気付いていなかったのかも。でも、巨樹の半分を過ぎ……枝が迫り出す様になって来た辺りで抵抗が増えたの」


「それが……さっき見せていた抵抗か?」


「……そう。でも、最初はもっと緩やかだったわ。大抵の攻撃は私の『危難』を受けて、勝手に逸れるぐらいだった。でも、攻撃の手数が増えるにつれて、その影響も少なく……」


「あぁ、私にも覚えがあるな……。権能の影響下における数には限界がある。それが使い捨ての葉であったり樹液だったりすれば、権能からすり抜ける攻撃も出て来ただろうな」


 そして、それが正に、モルディが動き回っていた理由だった。

 本来ならば、ただ立っているだけで、危険の方から彼女を避ける。


 同士討ちの様な真似だって始まる筈だ。

 だが、それらの犠牲を考慮に入れない攻撃を続ければ、先に参るのはモルディの方だった……という事だろう。


「それで、思ったのです。上空へ行く程に抵抗が増える。ならば、『核』の元へ近付いているのではないか、と……」


「本来、樹木の最大の弱点と言えるのは、その根だものな……。葉も同じだけ重要だとは思うが、状況を考えれば……」


 いや、とミレイユは思い直す。

 上空へ行くのを嫌がる理由は、他にもある。


 巨樹の頂点には、巨大な花が咲いているのだ。

 それも、人を変貌させる黒粉を吐き出す、醜悪な花だ。


 全ての人間を変貌させようと黒粉を吐き出している現在、これを破壊されるのは『核』を探されるのと同じくらい嫌な事だろう。


「いや、『核』だけを警戒して……とは言えないか。その両方を防ぐ為に妨害していた、とも言えるから、確かなことは言えないが……」


「そう……、そうですね」


「だが何れにしても、巨樹の頂上を目指すのは決定事項だ。既に被害は莫大なものだが、これ以上拡大させない為にも、あの花は必ず滅してやらなければならない」


「私も行くわ」


 いや、とミレイユは首を横に振る。

 モルディは見たところ傷こそ負っていないが、長く続く戦闘で疲弊している様子だ。


 そして、それはその表情にも表れている。


「いや、もう十分過ぎる程、よく働いてくれた。一端、休め」


「でも……! 私は全然、役に立っていない! やっと恩を返せる機会なのよ! 貴女の為になることがしたいの! 行かせてちょうだい!」


 狭い防膜内での事で、二柱は既に密着しているような状態だったが、それでもモルディは更に詰め寄り、思いの丈をぶつけた。


 そして、それがモルディの誠意であり、本音である事もよく分かっていたが、ミレイユはそれに頷かなかった。


 その肩に手を置き、柔らかく押し出して互いの目を合わせる。


「役に立ってないなど、とんでもない。お前は十分、価値のある情報を届けてくれた」


「いいえ、いいえ……! そんな筈ないわ……!」


「それがあるんだ。『核』は根本付近にないかもしれず、そして奴の攻撃手段は乏しい。……が同時に、枝葉をどれほど落とそうと痛手ではなく、樹皮は分厚く正面からの攻撃は得策じゃない」


 それらは全て、モルディの会話とその戦闘を見たから分かった事だ。


「これが重要な情報でなく、何だと言うんだ? 樹皮の固さは一度攻撃すれば分かった事かもしれない。しかし、少しでも余力を残して置きたい今は、それだけの情報がどれだけ価値あるものか……」


「そう、かもしれないけれど……」


 ミレイユの熱弁に押されて、その反対にモルディは勢いを失う。

 気不味そうに顔を逸らし、何か言葉を探していた。


「ここからは、私だって少しでも力を温存していたいし、それは他の仲間も同様だ。只でさえ、ここまで連戦続きだった。疲弊しているのは誰も変わらず……そして、淵魔との決着を付ける、これが最初で最後の機会かもしれない」


「だったら、尚のこと……!」


「分かってる。お前の気持ちは何より嬉しい。役立ちたいと思ってくれる、その心根が嬉しい」


 しかし、神一柱の喪失は、兵十万の損失とさえ割に合わない。

 国王であってさえその損失は大きいが、決して替えの利かないポストという訳ではないだろう。


 そして神とは、如何なる意味においても、代用の利かない存在なのだ。

 本来は、戦場になど出すべきではない。


 今回ばかりはそうも言ってられないので総動員を掛けたが、世界の安寧を思えば、後方で待機して兵を鼓舞するぐらいが丁度良い。


「お前はその権能があって、集団行動が取れないからな……」


「えぇ、分かります。……分かっています」


「疎ましいから退けよう、と言うんじゃないんだ。どうか、聞き分けてくれ……。十分な功を上げてくれたから……そして、お前を失いたくないから、そう言うんだ」


 引き際を弁えるのは難しい。

 それは、戦闘の多くを経験していないモルディだから、やはり同じ事が言えた。


 かつて神威を示すべく、一方的な攻撃はしたことがあったろう。

 しかし、それは戦闘とは程遠い、死の危険のないものだった。


 ――だが、今は違う。


 そして、単騎でしか戦えないモルディに、淵魔の大本で置いておくのは怖くて仕方がなかった。


 その思いが通じてか、ミレイユの真っ直ぐな視線を受け取って、モルディはようやく首を縦に振った。

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