未知との遭遇 その8

「……む、躱したか。捉えたと思ったが……」


 見れば、魔力の奔流に巻き込まれた男は、その右半身を抉り取られながらも、しっかりと生きていた。

 本来いた場所から僅かに逸れた場所で、苦々しい表情で睨みつけている。


 元より襤褸切れだった服は千切れ飛び、その体格も顕になった。

 中背中肉の体付きで、戦士の経験はないようだ。

 魔術士タイプは身体を鍛えなくて良い、という事は決してないが、怠る者は実に多い。


 そして、肩口から脇腹にかけて、その肉体が失われているというのに、痛がる素振りを見せていなかった。

 血の一滴も流れず、傷口からは泥ともつかない不気味な物体が、蠕動を見せている。


 男は悔しげな表情をしながら距離を取る。

 そうしている間に、傷口はみるみる内に塞がっていき、失った腕も生えて元通りの姿を取り戻した。


「……うん、特徴は淵魔そのものだな。不健康な肌色をしていること以外は、殆ど見分けが付かない。また面倒なモノを作ったものだ……」


「神を征する為に造られたのだ。それを……!」


「神を、ねぇ……」


 ミレイユは冷徹な眼差しで男を睨み、それから忌々しく息を吐いた。


「アルケス程度を基準にしたとしたら、選んだ神を間違えたな。……アイツを取り逃す前に、おまえを始末する」


 ミレイユは魔力を練り上げ、次なる魔術を制御する。

 広範囲に炎弾を落とす、『炎天』という名の上級魔術だ。


「躱せる範囲は極小、落ちる場所はランダムで、間断なく攻め立てる。さて、コイツはどうする?」


 男は全力で地を蹴りつけ、接近しようとした。

 ミレイユが魔術を放つ前に妨害したいのだろうが、ミレイユの制御術はそれこそ瞬きの間だ。


 三歩目を踏み出す前に魔術は放たれ、そして男は回避に全力を傾けるしかなくなった。

 ミレイユは宙に浮かんで腕を組み、睥睨しながら観察する。


 炎弾は間断なく降り注ぎ、男の逃げ場所を奪いながら攻め立てた。

 しかし、ランダム性があるから、どこかで躱せる余地は生まれる。


 それを利用するのは当然として、そこから反撃の糸口を見つけ出すのは順当でしかない。

 しかし、長時間続く責め苦は、いつしか考える余裕を失くしていくのだ。


 『炎天』の効果時間は長く、またその威力は術者の魔力に比例する。

 だから、ミレイユが使うとなれば、威力一つ一つが致命傷になり得る。


 避ける方も必死だ。

 掠っただけで、その部分が炭となって落ちる。

 魔術か、あるいは何かしら淵魔由来の能力があるなら、それを駆使しなかれば凌ぎ切れない威力だった。


 そして――。


「ほぅ……?」


 男は瞬間移動としか思えないものを駆使して、降り注ぐ炎弾を躱した。

 しかし、連続的に使うことはしない。

 それはまだ躱す余裕があるから、ではなく、明らかに次までの発動に時間が掛かるからだと分かった。


 また、移動距離も決して長くない。

 ミレイユはこの魔術を、対象を中心として展開している。

 だから、どこまで逃げても魔術の効果範囲から脱せられず、いつまでも『炎天』の中心近くで避け続けなければならなかった。


「しかし、妙だな……? ヤツが時々、二人いる気がする……」


 避けるのに用いている手段は、魔術ではない。

 それは魔力の運用や、その制御から判断できる。

 その上、この者には転移という高度な魔術を、使用できるだけの魔力を持っていなかった。


 淵魔由来の能力であるのは、疑いようがない。

 しかし、これを単なる転移として見た場合、おかしな点がどうしても目に付いた。


「変だな……。やはり奴は、瞬間的に二人存在している……」


 単なる転移であるなら、有り得ない現象だった。

 淵魔由来の力で行う移動術だとしても、あまりにも不可解だ。


「自分をコピーしているのか? いや、しかし……」


 全く同一の自分を造り出すことが可能なのか、そこからして疑問だ。

 何より、コピーする所までは良いとして、消えてしまう理由が分からない。


 わざわざ消してしまう理由などないのだ。

 分身として作り出したコピーならば、それは十分戦力となり得る。

 囮として活用する方が効果的で、そして反撃する際には、数を用意すれば力となってくれるだろう。


「ならば、そうではないのか……。転移……あるいは、時空間転移……?」


 より遠い過去に飛ぶのには、何かの様な動作が必要なのかもしれない。

 間断なく炎弾が降り注ぐから集中できず、だから短距離の短時間しか、時空間転移できないのかもしれなかった。


「これは拙い……」


 淵魔が時を渡る手段を得たなど、考えたくもない事態だ。

 だが、今は恐らく最悪の状況にまでは至っていない。

 一年や二年、あるいはそれ以上の転移が既に可能ならば、もっと上手く活用できる筈だ。


 それこそ、アルケスの失敗を悟った時点で、転移してやり直しても良かった。

 あるいは、ミレイユが二体の仲間を瞬時に葬った時点で、やり直しを図っても良かっただろう。


「それをしてない、という事は……。つまり、まだ出来ないんだな」


 その推測が正しいなら、まだ救いはある。

 恐らく、良くて数秒の時空間転移が限界で、物事の根本からひっくり返す様な真似は出来ないのだ。


 戦闘中に使うなら実に有効だろうが、それだけなら怖くない。

 しかし、もし淵魔同様、何かを喰らいその力を増大させることが出来るなら……。


「自信満々に神を征する、などと言っていたことを考えれば……。もしかすると、神の一部でも喰らえば、その力を増大させることが出来るかもしれない」


 そして、それこそがミレイユを狙う理由かもしれなかった。

 自分達の能力ならばミレイユを手玉に取れると思い、そして喰らうと同時にその力を完成させるつもりだとしたら、敢えて登場した理由も見えてくる。


「恐らくは……、最初に三人揃っていた時点で、上手く身動きを封じるなり、無力化する方法を持っていたんだろうな……」


 ミレイユは睨む視線を強くして、身体のあちこちが炭化した男を見つめる。

 時空間転移の使い手など、絶対に敵の手にあってはならない。

 元より逃がすつもりなどなかったが、ここで必ず仕留めるのは、決定事項となった。


「あるいは、ユミルを待って情報を抜き取るか……」


 いや、とミレイユは考え直す。

 余裕を見せて取り逃す方が問題だ。


 倒せる時に倒しておくべきだった。

 そして今なら、圧倒的優位の状態で勝てる。


「お前の時空間転移、未来には行けないのか。逃げる先が過去ばかりだな?」


「――ッ!?」


 男の反応は劇的だった。

 ミレイユを睨み付け、なぜ分かった、と言っているかのようでもある。

 しかし、ミレイユに挑発の意図があったのは確かだが、ここまで強く反応するというのも予想外だった。


「お前が一瞬だけ二人に見えるのも、つまりそういう事だろう? コンマ何秒かの過去に逃げてるんだ。遠く離れた位置まで転移してないのは、精度の問題か? 遠いと失敗し易いとか」


 男から反応はない。

 肩や腕、指先など、既に炭化している箇所の方が多いくらいだった。


 しかし、一定のダメージを負ったところで、傷は次々と癒えていく。

 新たな肉が盛り上がり、元通りに再生していくのだが、その度に身体が痩せ衰えていった。


「淵魔は命を食らった分だけしぶといものだが、お前も似た様なものらしいな。だが、そのままではジリ貧だぞ。……そら、どうする」


 それは男も理解していた事だろう。

 躱し続けながら、打開策を考えていたに違いない。


 そして、ミレイユの挑発に顔を上げ、遂に突貫を開始した。

 魔術の有効範囲に、ミレイユも巻き込もうというのだ。


「死なば諸共、か……? 考えの浅い奴に、ありがちな傾向だな」


 ミレイユはそれに対応した動きを見せようとせず、ただ睥睨して宙に浮いたままだ。

 手の届く範囲に浮いているわけではないので、攻撃方法が他にないなら、何か危険に備える必要もない。


 そして、男は魔術範囲にミレイユを巻き込んだだけで、会心の笑みを浮かべた。


「その程度で勝ち誇るな」


 魔術は自分が放ったものでも、しっかりとダメージを負う。

 跳ね返される事があれば、やはりこれに防御を講じる必要があった。


 しかし、この男は神の頑丈さを舐めている。

 その上、ミレイユは他と隔絶する強い魔力耐性を備えているのだ。


 仲間の治癒術さえ弾いてしまう、強力すぎる防膜だ。

 それを自然と宿しているミレイユに、傷を付けるのは上級魔術とて容易ではない。


 実際に、頭上から落ちた炎弾が、ミレイユの頭へ命中する。

 しかし、火の粉が散って砕けるのみで、ダメージはない。

 ミレイユは頭頂部で燻る火の粉を手で払い、それで、と視線を下に向けた。


「それで? ここからどうする?」


「こ、の……! インチキ野郎が……ッ!」


「つまり、もう手はないわけか。時空間転移はどうした? 私が火除けになってる間に出来ないのか?」


 近付く程に、男の相貌が落ち窪んでいると分かる。

 頬は痩け、首筋は細く、肩までが小さい。

 身体の修復に力を使い、その結果、もはや命を繋ぐことしか出来なくなっている。


「なるほど、限界か。魔力ではなく、食らった命をエネルギーにしているせいか? ならばもう、知りたい事はない」


 ミレイユは手を翳して魔力を放つ。

 単なる衝撃を発する低級魔術に過ぎないが、男にとってはそれが十分致命的だった。


「ぐ、ぐぉ……! チ、ク、ショ……! 化け……物が……!」


 身体が弾け、吹き飛んだ所へ炎弾が落ちる。

 態勢を崩した男に、これを躱す余力は、もう残されていなかった。


 次々と炎に焼かれ、悲鳴も虚しく燃え上がり、そして身体全体が炭化すると、泥のように溶けて消えていった。

 それを確認すると、ミレイユは『炎天』を解除する。


「アルケスを追わなければ。だが、その前に……」


 この戦闘を遠くから眺めていた信徒達、そして面白そうに見つめてくるドーワへと目を向けた。

 ドーワには説明が必要だろうし、信徒達にもまた別種の、今後の対応について説明が必要だった。


 ミレイユは緩やかな速度でドーワの頭に降り立つと、そこを玉座として座り、平伏した信徒達へ語り掛けた。

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