海難救助 その6
軍船の上は、阿鼻叫喚の様相だった。
元より練度の足りない水兵ばかりなのは、外から見ていて分かっていたことではある。
最初から初期練兵のつもりで連れて来たのだろうから、仕方ない部分でもあったろう。
新兵未満の者達を、今日初めて外海へ連れて来たのかもしれず、そうであれば緊急時の対応が疎かなのは、むしろ当然ですらあった。
魔物への対処は、主に水夫たちが大立ち回りをしていて、これに参加している水兵はごく僅かだ。
本来、指揮を執るべき上級士官の姿が見えないのは、一人安全地帯へにげたかもしれなかった。
それを思えばよく動けている方かもしれないが、傷を受け、倒れている水兵の数が多いのは、全く無関係ではあるまい。
水兵の中には年齢がまだ幼い少年や、逆に年嵩のいった男性など、その層は幅広い。
しかし、年を取っている者が、必ずしも軍歴を持った有能な人材であるとは限らないようだ。
「ひ、ひぃぃっ!」
手には武器を持っていても、威嚇して振り回すのが精々で、斬り込もうとは決してしない。
腰も引けて、完全に恐怖で錯乱してしまっていた。
レヴィンはそこへ一足飛びに近付き、抜刀と共に両断した。
魚の頭を持つ人型の魔物は、その一太刀で絶命する。
「あ、あんたら……」
両断された死体が崩れ落ち、鮮血が舞う中、男は茫然として尻もちをついた。
レヴィンはそれに舌打ちして、次なる魔物へ視線を向ける。
「戦えないんなら、さっさと何処かへ隠れてろ! お前の上官みたいにな!」
「で、出来るんなら、とっくにやってる! でも、鍵が掛けられるのは船長しつくらいだ! それもアイツが閉じ籠ったせいで……!」
「どこまでも……!」
レヴィンはそれ以上、軍船の船員たちに期待するのを止めた。
ここからは、どれだけ早く魔物を駆逐できるかに懸かっている。
幸い、軍船の水兵と違い、水夫たちの実力は確かだった。
小さな手傷を負う事と引き換えに、魔物の数を減らしている。
時間こそが肝要だと、彼らも良く分かっているのだ。
だから、傷を負わない安全な戦いより、無理して倒すことを優先している。
「行くぞ、皆! アイナも今すぐ治療に駆け付けたいかもしれないが、今は傍を離れるな!」
「は、はい! 分かりました!」
互いの呼吸が良く分かっているレヴィン達は、そこから獅子奮迅の活躍を見せた。
乱戦の中、最も気を付けるべきは、敵と味方を素早く識別することだ。
そして、一方を相手している間に、背後からの攻撃を警戒することも大事だった。
その上で、味方の邪魔にならないよう、立ち振る舞いを考える必要がある。
場合によっては、敵の背中を斬り付け、仲間を守らねばならない。
「そらっ! ヨエル!」
「あいよ、任せろ! ――ロヴィーサは後ろ!」
「えぇ!」
三人はそれぞれ、立ち位置を変えつつ、絶妙にフォローし合いながら、次々と魔物を斬り裂いた。
それはさながら、船上に現れた一つの暴風だった。
一体、また一体と、次々に魔物を屍へと変える。
これには程遠い所から見ていた船長も、声高に笑い声を上げた。
「こりゃスゲェ! タダモンじゃねぇとは思ってたが、流石ユミルと一緒にいるだけはあらぁな!」
最初こそ絶望に顔を歪ませていた水兵たちも、魔物の数を物ともせず、なます切りにする姿を見て励まされた。
生きる希望が湧いた時の人間は、異常な粘り強さを見せるものだ。
それで彼らもやる気になり、せめてレヴィン達を襲う魔物の壁になれれば、と武器を構える。
一方的に殺到する魔物の数が減り、それで幾分かやり易くなった。
「でりゃぁああ!」
ヨエルの繰り出す大振りの一撃が、鮫とも人ともつかない魔物を斬り倒す。
だが、大振り故に隙だらけの所へ、同型の魔物が大口を開いて襲い掛かった。
そこへすかさず、レヴィンが割って入る。
「おっと、それは通用しない」
レヴィンは刻印を発動させ、左手一本でそれを受け止めた。
右手に握ったカタナを突き刺し、腹を抉る。しかし、その一撃だけで魔物は絶命しなかった。
むしろ、更に凶暴性を増し、口を開閉させて食らい付こうとして来る。
そこへロヴィーサが割って入り、両手にそれぞれ持った短剣で、複数斬り付けた。
外から見ていた者には、片手ずつ一度動かした様にしか見えなかったろう。
しかし、ロヴィーサが過ぎ去った後には、一瞬に幾つもの傷跡が生まれ、鮮血が飛び散った。
それでようやく身動き出来なくなり、魔物は崩れ落ちて息絶えた。
血の海が広がる前に、また別の魔物へ狙いを付け、息の合った連携で止めを刺す。
多くの魔物は一合以上の剣撃を必要としなかった。
一足飛びに近寄ると、魔物が一体、船上に沈む。
目前の敵を蹴散らすと、次は水夫の間を縫うように走り抜け、更に魔物を刈り取っていく。
彼らが過ぎ去った後には、然したる抵抗も出来ず、魔物の死体が積み重なるだけだった。
そうして、一方的な戦いは、すぐに終わりを迎える。
船長の水夫たちは勿論、軍船の水兵たちも、最後には立ち尽くして見ているしかなかった。
それ程の速度で駆逐されていくから、誰もが下手に手出しを出来ない。
最後に静寂が訪れた時、水兵たちから歓声が上がる。
水夫たちも、それに合わせて勝鬨を上げて、その喜びを分かち合った。
「生きてる、俺たち生きてるぞ……!」
「全く、大した奴だ、アイツらは!」
生き残った喜びを露わにするのは、勝者の権利だ。
しかし、いつまでも喜んでいるわけにもいかなかった。
「怪我人の治療をします! 重症度の高い人から順に診ますので、レヴィンさんたちはその識別をお願いします!」
「おう、任された!」
手の届く近くには、胸を大きく斬り裂かれ、意識を失っている水兵がいた。
アイナは素早く傍らに膝を付くと、その傷口に手を伸ばし、理術の光を当てる。
彼女の治癒能力は確かなもので、道場で稽古傷を癒しながら、更に実力を上げていた。
水兵の傷はみるみるうちに塞がり、苦渋に顔を顰めていた表情も和らいでいく。
それを見せられた者たちは、我先にとアイナの元へ駆け寄って来た。
「俺も、俺も診てくれ!」
「腕から血が止まらないんだ!」
「順番です! 重傷の方から先に診ます! 意識を失っている人、自分で動けない人、そうした人から順に!」
「俺だって酷い怪我なんだ! 痛くて堪らねぇんだよ! 今すぐ診てくれ!」
アイナの説明を聞いても、即座に納得しない怪我人もいる。
しかし、そうした者には船長が歩み寄って一喝した。
「嬢ちゃんが言ってるだろうが! 重傷者から先だ! 痛いだ何だと叫ぶ奴は、重傷じゃねぇ! 声すら上げられない奴を先に診るって言ってんだ! 引っ込んでろ!」
「何だ、てめぇ……!? 大体――!」
頭に血の昇った水兵が、更に声を荒らげようとした、その時だった。
横からパンパン、と手を叩く音が聞こえて、騒然としていた場が沈静する。
見てみれば、そこには上等な身なりと帽子を被った、金髪の年若い青年が立っていた。
「いや、実に見事。治癒の刻印で、そこまでの重傷者を癒せるのは見たことがない。どれ、私の傷も診てくれたまえ」
「誰だ、てめぇ……?」
「見て分からんのか。一等航海士官、メロベティ大尉だ。低俗な水夫百人より価値がある。私を優先しろ」
実に高圧的な男だった。
わざとらしい態度で帽子を脱ぎ、綺麗に整って後ろに流した金髪を撫でつける。
高い鼻と若干の垂れ目で、甘いマスクを持つこの男を、好む女性は多かろう。
そして、メロベティはそれを自覚している節がある。
頬には小さな切り傷が見えるが、目立った外傷と言えば、それぐらいだった。
着ている服にも血の滲んだ箇所がない。
それでも自分の要求が断られるとは、微塵も思っていないようだ。
自信ありげな態度とは裏腹に、しかしアイナの態度はにべもなかった。
「重傷者の方が先です」
ぴしゃりと言い放って、目の前の治癒が終わり次第、立ち上がる。
レヴィンの呼び声に従って駆け寄ろうとしたその肩へ、メロベティは黙って行かせようとはしなかった。
メロベティの手がアイナの肩へ伸びる。
だが、それより先に、船長がその手を横から掴んだ。
「何の真似だね?」
「そりゃあ、こっちの台詞だぜ。戦闘中、姿を隠して逃げた奴が、今更ノコノコ出て来てどういうつもりだ? たかが顔の小さな傷程度、ツバでも付けてりゃいいんだよ!」
メロベティは大袈裟に溜め息をついて、船長の手を振り払う。
「お前の様な低俗な人間には分からぬだろうよ。戦闘中であろうとなかろうと、何より私の生命と安全が優先される。その為に水兵が戦うのは当然のことだ」
「そりゃ間違いだな。お前は魔物の襲撃に、兵を指揮して戦わなきゃならんかった。我が身惜しさに敵前逃亡して良い、なんて軍法はねぇぜ」
「なかろうとも、ここは海の上だ。この船の上では私が最も偉く、また尊ばれる存在なのだ。私の言葉が何より正しい」
「おいおい、こりゃ参ったな……」
船長は思い切り顔を顰め、凶相を大いに歪めた。
これは無論、言葉通りに降参したわけではない。
しかし、メロベティはそう受け取らなかったようだ。
「分かったら、早くあの娘を呼んで来い。窮地に駆け付けた、その行いに免じて許してやる。……あぁ、お前の水夫は使える奴らが多そうだ。死んだ奴らの代わりに、補充要員として貰ってやる」
「あぁ? なに言ってる?」
「お前の無礼に対する罰に決まっておろう。それと、許可なく接弦した件についても追及してやる。お前が今後、海で商売できると思わんことだ」
船長の凶相が、怒りでみるみるうちに赤く染まる。
手に力が入り込み、サーベルの収まった鞘を持つ手が細かく震えた。
今にも怒り狂いそうな船長と、それを露とも思っていないメロベティは、余りに対照的だった。
外から見守る水夫たちは、今にも一触即発の雰囲気に、どうしたものか顔を見合わせている。
そこへ空気を読まない、余りに場違いな、明るい声音が闖入した。
「……ほぅら、やっぱり面倒事になったでしょ?」
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