海難救助 その1

 それから、三日の内は何事もなく、順風満帆に航海が進んだ。

 外海に出るとは言っても、特別魔物の分布が激しい場所を選んでいる訳でもないので、遭遇があろうとも散発的なものだ。


 そして、散発的であるのなら、魔物から逃げ出すのはそう難しい事ではなかった。

 何しろ、船にいるのは海の荒事に慣れている者ばかりだ。


 単体で寄って来る魔物ならば、目眩ましなど用いた刻印で怯ませられるし、その間に逃げ果せることも出来る。

 その際、縁の下の力持ちとして活躍したのは、意外にもルチアだった。


 レヴィンなどは、神使を積極的に働かせるのは如何なものかと、難色を示していたのだが、その発案はユミルだった。

 ミレイユが許可した事とはいえ、他に何かなかったのかと思うものだが、当の本人が了承している。


「別に良いですけどね、このぐらいは……」


 帆船は風が無くては進まない。

 完全に風が凪いだ状態では、広い海で完全に孤立してしまう。

 それを見越して、水夫は送風の刻印を宿しているものだった。


 だから、その水夫にやらせれば良いと思うのだが、刻印とは、緊急用として用意しているものでもある。

 そもそもとして、刻印は誰でも魔術が使える画期的発明であると同時に、個人の才覚に左右される技術でもあった。


 刻印は人々から魔術を身近なものへと変えたが、同時に万全に使いこなす者がごく少数、というものでもある。

 早い話が、使える回数、効果共に、水準を大きく落としているのだ。


 魔術士として訓練したり、刻印を万全に活かす剣士のように、勝手気ままに使えたりしない。

 しかし、そこは数で補えるので、一般的な航海で不足する事はかった。

 その数を揃えられる事こそ、刻印の強みだ。


 風が少し弱まったくらいで使う事を想定していないので、現状のままで問題なかった、とも言える。

 ルチアの様に、別にこのくらい、で使える者など、この世界において極少数なのだった。


「何だい、あんたら。ユミルにくっ付いているだけあって、やっぱり普通じゃねぇな。そんなにホイホイ刻印使って、大丈夫なんかね?」


 魔術を使うのなら刻印だろう、という常識があるから、船長の言葉はむしろ真っ当な発言だった。

 しかし、詳しい説明をする気のないルチアは、これには肩を竦めただけで返答しない。


 風を送るのに丁度良い為、ルチアは船尾の最後部にて、杖を突き立てた格好で魔術を使用していた。

 レヴィン達も含め、他の面々も同席しており、特にやる事もないので潮風を楽しんでいる。


 何しろ、船の速度は並の倍で利かない速度が出ていた。

 マストが悲鳴を上げない、ギリギリの調整で、自然の風に方向を合わせて調整するルチアの制御術は、外から見ているレヴィンが舌を巻くほどだ。


 船長は舵を緩やかに切り、特に激しく戻しながら、波の間を切って進ませる。

 馬車よりも余程速く移動しているというのに、陸地は未だに見えて来なかった。


 最近、まともに甲板を歩ける様になったレヴィンが、操舵輪近くを行ったり来たりしながら尋ねる。


「北方大陸ってのは、こんなに遠いものだったのか? 俺はてっきり、半日とか一日で辿り着くものだと思ってた」


「そんなに近くちゃ、荷運びの仕事としては儲けになんねぇよ。それに、北方大陸が遠いってのとは、またちょっと違うしな?」


「……というと?」


「その地を踏むだけが目的だったら、それこそ五時間程度で到着できたろうよ。けど、ユミルが言うにゃ、目的地はもっと別の所にあるんだろ?」


 船長が首をユミルに向けると、両肘を柵に預けていた彼女は大きく頷いた。


「そうよぉ。北方大陸の最南端から、あの場所まで歩くなんて、面倒くさくてやってられないわ。馬を使っても半月近くは掛かるのよ。だったら、海路で近くまで行くのが、賢い選択ってモンでしょうよ」


「時間は有限ですしね」


 ルチアも同意しながら言うと、ユミルの隣で腕組していたミレイユが、やるせない溜め息を吐き出しながら言った。


「なにかと一年、という時間には縁があるものだ。……まぁ、余程の問題が起きたりしない限り、時間の余裕はあるだろうが……」


「全ての大陸に渡る必要がある事を考えたら、悠長にしている時間はないと思いますけどね」


 ルチアが冗談めかして言うと、これに船長は大きな反応を示した。


「おいおい、そんな話、聞いてねぇぞ。北方大陸の東端まで送れば良い、って話じゃなかったか? 流石に世界横断まで付き合っちゃられんぜ!」


「大丈夫よ。そこまでして貰おうとは考えてないから。最初言った通りよ。東端まで運んでくれたら、それで良いから」


「おぉ……、何だ、そうかよ。しかし、もの好きだねぇ。何だって、そんなあっちこっち行きたがるんだ」


「世界の危機を救うのよ」


 あっけらかんと言い放ったユミルに、船長の動きが一瞬止まる。

 レヴィン組から全員、刺すような視線が彼女に送られた。


 言っても良いのか、という無言の抗議だった。

 しかし、直後見せた船長の高笑いが、全て杞憂だと教えてくれた。


「はぁーっはっは! 世界を救うってかい。そりゃあ良い! 是非とも救って貰いたいね。俺の尻に付いてる火も、ついでに消してくれると助かるんだが!」


「そっちはちょっと専門外ねぇ」


「だぁーはっはっは! 専門外なら仕方ねぇか!」


 船長は気前よく笑う。

 最初に受けた印象とは裏腹に、よく笑い、よく気が付き、よく慕われる男だった。

 凶相ばかりが目に付き、粗野な言動をするから、余計に勘違いされ易いのだ。


 しかし、三日も共にしていると、水夫は良く言うことを聞き、精力的に仕事をしていると伝わって来る。

 理不尽に暴力や罰を敷いて、無理やり言うことを聞かせるタイプではないようだ。


 レヴィンが、それをある時、訊いた事がある。

 水夫にはならず者が多い、という印象があったからだった。


「そりゃあお前ぇ、実際そうした罰で以って、統率する船ってのは珍しくねぇよ」


「でも、ここは違うんだな。みんな、活き活きして働いている様に見える」


「そうとも。そういうのが嫌で逃げた奴を拾った、っていう経緯もあるんでね。海軍なんて酷ぇもんだぜ。環境は劣悪、給料は極少。食糧だってそうさ。古いモンしか買わないせいで、水夫の半分は病気に罹ってるのが当然だからな!」


「古い物を選んで買うのか? なぜ……? 保存技術が優れてるのか?」


 そうじゃねぇ、と船長は大仰に首を横に振る。


「差額を着服する為だよ。古い食べ物ほど安い。一般兵にはそれで十分、ってのが横行してるんだな」


「何だ、それ……。それで良く兵が働くと思うな。逃げ出すだけじゃないか」


「脱走兵は死罪と決まってるから、嫌々応じているってのはある。しかしだ、そもそも船ってのは、大海に浮かぶ牢獄みたいなもんだ。逃げようがねぇ」


 指摘されてようやく気づき、レヴィンは唖然とする。

 自らも兵を率い、兵を預かる者だから、兵を慈しむものと教育されてきた。


 淵魔という難敵に挑むのだから、そこには強固な信頼関係が必要不可欠だ。

 敵前逃亡などさせない為、普段から厳しい訓練を課すものの、理不尽な暴力を振るう事はない。


 それどころか、強いストレスを与える代わりに、上等な食事や寝床など、可能な限り優遇措置を取る。

 高い給料は当然のことで、兵役で死亡した場合には、遺族年金などの支払いもある。


 自分が死んでも領主が家族を守ってくれると信じているから、彼らはユーカードの旗の元、死力を尽くして戦ってくれるのだ。

 そして、その旗の元で行われる戦闘には、必ず領主一族がいる。


 それだけの覚悟と保障があるから、兵は一丸となって戦ってくれていた。

 船という牢獄に放り込み、言うことを聞かざるを得ない状況へ、強制的に落とし込むなど、レヴィンには想像もしてないことだった。


「まぁ、だから海軍は常に人手不足だって聞くな」


「そりゃあ、そうでしょう……。そんな話が広まっていて、好き好んで入隊しようとする筈がない」


「まぁ、だから拉致まがいの方法で、徴兵されるってわけだ。浮浪者や老人まで、引き摺って入隊させるって言うぜ」


「そんなの船に持ってきて、使い物になるんですか……?」


 健康な成人男性とて、普段の良い食事なしに、過酷な訓練は乗り越えられない。

 浮浪者などしていれば、その日を食い繋ぐだけで精一杯、ろくに力など出せまい。


 老人に至っては言わずもがな。

 時に田舎暮らしや、漁師などをしている老人は、下手な若者より余程屈強だったりするものだが、拉致して引っ張ってくる者ならその勘定には入らないだろう。


「だから、半数は海で死ぬ。死ぬ前提で水夫を詰め込むのさ。だから酷ぇもんだぜ、寝るにしても、足の踏み場もねぇ程さ。ベッドなんて使わせて貰えねぇ。隙間という隙間に押し込まれて眠るんだからな。病気もあっという間に広まる。飯も悪いから全然、回復しねぇ。……牢獄というより、地獄だろうさ」


「酷いな……、本末転倒じゃないか。戦と別の所で兵を死なせるのは恥だ。そうじゃないのか」


「どうにか安く使うことばかり考えてるのが、軍ってもんだからなぁ」


 それは一面の事実ではある。

 軍費は抑えられるなら、抑えた方が良いだろう。


 懐が寒ければ、いざという時に動けない。

 しかし、それで暖を取る方法が、人の命を薪にして燃やすことなら、レヴィンとしては断じて受け入れられないことだった。

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