鍵と穴 その3
――神器。
それは何かといえば、神が自らの手で作り上げた品を指す。
武具であったり、または手の中に納まる装飾品であったり、あるいは他に類似する品が見当たらない特別な道具だったりした。
魔術秘具を人が作り出した、魔術を再現する道具とするなら、神器は魔術とは全く違う原理で奇跡を体現する道具だった。
一般に、その存在を多く知られている訳ではないが、時として神が人に下賜する物として知られている。
どういった神器であれ、その効果は凄まじく、人の手では再現不可能とされてきた。
そして当然、おいそれと見掛けられる物ではなく、現存する物だけでも神殿などに安置されているべきものだ。
一個人が持つには強力過ぎる為、そうした措置が取られ、また持つべきでないと思われている。
それを今、アイナが所持していると言う。
レヴィンが懐疑的視線を向けるのは当然で、他の二人からも真意を問う視線を向けるのは当然だった。
それを見て取って、アイナは懐から一つの物を取り出す。
「……これです」
出て来た物は『鍵』の形をしているように見えた。
ただし、家の鍵や牢の鍵など、一般的な形状からは懸け離れている。
持ち手部分は幅広く、摘むというより握る様な形をしていた。
錠前へ差し込む鍵山の部分は、上へ下へ、また左右へと張り出していて、如何なる鍵穴とも合致しないと分かる。
謂わばイミテーション的役割で、実際の使用を想定した作りになっていなかった。
アイナの手の中で納めるには少々大きく、鍵山部分が爪先から飛び出てしまっている。
それをレヴィンがまじまじと見つめから、視線をアイナへ戻した。
「これが、その神器……?」
「確かに、特殊なものを感じるな」
「形状ばかりに目が奪われがちですが、特別な力が秘められている気もします」
それぞれがしげしげと眺めては感想を口にし、それから改めてレヴィンが問う。
「しかし、何だってこれをアイナが……? 先生が盗んだかも、なんて話もしたけど……」
「違うと思います。それに、分からないんです。この世界へやって来た時、既にこれを持っていたと……。気絶していた所を先生に見つけられ、その時にはもう握っていたと聞かされました」
「じゃあ、異世界からこっちに来た時、神に会った……とか?」
「どうなんでしょう……。神器は盗んだんじゃなければ、神から直接下賜されるものだと聞いていました。でも、あたしにはそういった記憶、全然なくて……」
そして、アイナが盗みを働いたとは思えなかった。
大体、欲しいと思って盗み出せるものでもない。
右も左も分からない状態だったアイナに出来たとも思えないし、アクスルがこっそり握らせたのでなければ、下賜されたと考える方が自然だった。
とはいえ、意識がない間にそっと手の中に忍ばせる意味も、まったく理解不能だ。
それを神が行うことなら、何か使命を託されるものではないだろうか。
そういうことなら、まだしも理解できる。
しかし、アイナの表情を見る限り困惑ばかりで、そうした何かもありそうになかった。
「最初は勿論、これが何かも分かってなくて……。実は捨てようとしたんです……」
「は……? これを?」
「気味が悪く感じて……、重要な物とも思えなかったので……。でも、先生が気付いて、慌てて持ってるようにって……」
「そりゃあ、神器と分かれば捨て置けやしないだろうが……」
ヨエルがアイナを上から下へ見渡し、困惑を更に深めながら口にする。
そんな彼を無視して、アイナは悔やむように神器を握りしめた。
「誰もが持てる物じゃないから、大事に仕舞っておけと言われました」
「……先生は、自分が預かるとか言わなかったのか?」
「はい……。それは託された者が持っているべき物だから、と……。必要になる時まで仕舞って、隠しておくべきって……」
奔放な性格をしているアクスルにしては、珍しいことだった。
彼の性格ならば、気が済むまで撫でまわし、使ってみようとしそうなものだ。
しかし、物が神器となれば、流石にそうした奔放も息を潜めるのだろうか。
「先生らしくねぇって気はするけど……」
「むしろ、自分が管理するって言い出さないのが、疑問なくらいだ」
アイナはそれを不思議と思っていないようだが、むしろレヴィン達は新しい玩具を手に入れた、とはしゃぐアクスルの姿が鮮明に映し出されている。
誰にも渡さない、と興味の赴くまま、弄り倒していても、全く不思議ではない。
「それで、ですね……」
アイナは気を取り直し、改めて『鍵』を見せ、それから慎重に言葉を選んで説明を始めた。
「これ……、見た目は鍵なんですけど……」
「鍵……かぁ? そうは言っても、どんな鍵穴にだって入りそうにねぇけどな」
ヨエルが揶揄する様に言うと、アイナは苦笑しながら頷く。
「ちょっと特殊すぎる形状ですものね。でも、違うんです。これはどんな扉も『開く』鍵なんです」
「どんな……? どんなものでも? 家の扉だけじゃなく、どんな厳重な宝物庫でも、関係なく開けてしまうのか?」
「はい。――あ、勿論、あたしはこれまで犯罪に手を染めてないですよ!?」
「大丈夫、そこは分かってる」
本人の性格的に、そんなことしそうには思えない。それだけでなく、これまでずっとアクスルと共に居た彼女だ。
安易な犯罪に手を染めたとは考え辛かった。
しかし、とレヴィンが首を傾げながら、再び問う。
「試しもせずに、どうして万能の鍵だと分かったんだ?」
「先生が教えてくれました。神器であることすら、あたしは最初知らなかったんです。でも、先生が言うことですから。こんなことで嘘を言うとも思えませんし……」
「それは……、そうだな」
形状の部分だけで考えても、言われて初めて鍵と理解できるものだ。
そもそも、どの鍵穴にも入らない時点で、鍵ではなく別の用途を想像する。
そして、結局何に使える道具かも分からず、途方に暮れていただろう。
「それで、ですね……。好奇心を抑えきれず、一度試してみたんです」
「その神器を?」
「はい。宿に泊まった時、自分の部屋の扉で。閉まっているのを確認してから、本当に使えるのかどうか……」
「……そして、その顔を見るに、どうやら間違いなかったんだな」
アイナの顔には気不味いものが浮かんでいて、手の中に納まる『鍵』を見つめては転がす。
「鍵は問題なく開きました。そして、再び閉めるところまで確認してます」
「どこまで厳重な扉なら行けるかはともかく……、一応見知らぬ扉で通用したのは間違いない、と……」
「はい、そのことは先生にも報告しました。そして、悪用しないよう注意を……」
「注意は当然として、悪用も何も……。悪用しか使い途のない神器に見えるが……」
無論、鍵を落とした、失くした者の代わりに開けてやる、という用途はある。
しかし、どんな扉も開く鍵を渡しておいて、悪用するなとは矛盾している。
「淵魔が狙うのは、この鍵を使いたいからじゃないでしょうか……。あたしじゃなく、『鍵』を欲して狙ってる。それが理由じゃないかと思ってます」
「それが確かなら、頷ける話だ。けど、分からないこともあるぞ」
レヴィンが鋭く質問を投げかければ、アイナもその意図を理解して頷く。
「そうですね、淵魔がどうやって、それを知ったのか……。実は思う所はあるんですけど……。でも重要なのは、そこまでして何の扉を開けたいか、ですよね」
「そもそも淵魔は、知恵ある生物って訳でもないしな……。扉を開けたいなんて、そんなこと思う知能だってないはずだ」
「筈だった、というべきではないでしょうか?」
ロヴィーサが口を挟んで、いま来たばかりの方角へ顔を向けた。
「本来、同じ種類の淵魔が出現するのは稀です。でも、街を襲撃した淵魔と、同一と見られる個体が複数現れました。突如として、辺境領へ大規模な襲撃を仕掛けた事といい、余りにも前例にない行動が目立っています」
「確かにそうだ……」
レヴィンは口元を覆い、眉間にシワを寄せて考え込んだ。
「同じ個体については、例えば牧場を襲ったと考えれば、よく似た個体が生まれたと考えることも出来る。偶然と考えるには偏り過ぎてるが、あり得ない話じゃない」
「でも、淵魔の意識に変革が生まれたのは確かです。それは一度、全員を交えたあの場で納得したことの筈……」
アイナと初めて引き合わされた時のことだ。
どうして淵魔が大挙して押し寄せてきたか、その擦り合わせした時、確かに淵魔に異変が起きているとは認めていた。
「単に一個人を――アイナを狙うだけの話ではなく、もっと別の何かが起きているのか……」
「そうだと思われます。そこで、先程アイナさんが言っていた、扉の件です。――淵魔が開きたがる扉とは、一体何なのか?」
全員の視線がアイナに集中する。
まるで視線に圧力があるかのように、彼女は身体を逸らした。
そして実際、アイナが感じた重圧は、それに近しいものだったろう。
彼女は口にカップを付けて乾いた口中を潤すと、難しい顔をさせながら発言する。
「先程、あたしは『扉を開く』って言いました。でも、違うんです。宿の扉を開けた時、これの本当の意味するところを知りました」
「本質は、別にあるって……?」
アイナは手の中の『鍵』を握り締め、しばらくそうしていたかと思うと、そっと力を抜く。
「はい、物理的な扉を開くのは、その一側面でしかなかったと分かったんです。これは、概念的扉すら開きます」
「つまり……、どういうことだ? 物理的じゃない扉なんて、この世にあるか?」
「例えば……剣の修業とかしますよね。努力の先、修練の先、厳しい自己鍛錬の末……新たな扉が開いた、とか言うじゃないですか。才能持つ者が、更なる力を得る時の表現として……」
「――待て。もしかして、そういう意味の扉も開けてしまえるのか!?」
驚愕の視線が三者から向けられ、アイナは重々しく頷く。
それに、と重々しい口調で言葉を続けた。
「そういう訳ですので、これは封印された龍穴すら開けてしまえるそうなんです。今は多くの神殿が、その封の役割をしていると聞きました。でも、きっと『鍵』を使えば、それを強制的にこじ開けられる……」
「だから、それを知った淵魔が、『鍵』を欲して……?」
レヴィンは自分で言った台詞が、到底信じられないようだった。
口元に当てていた手を、そのまま強く当て口に封してしまった。
「けど、アイナの懸念は真っ当だと思うぜ。連中が躍起になって狙うには、十分な理由だ」
「奴らは大陸の大部分から締め出され、今や風前の灯火。全ての龍穴を抑えられる日は近い。だが、起死回生のチャンスがあると分かれば……」
「あれ程の異常行動も……理解、出来てしまいますね……」
三者三様の視線を向けられ、アイナは申し訳なさそうに肩を窄める。
誰も次の一言を発せられず、焚き火の爆ぜる乾いた音だけが聞こえていた。
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