鍵と穴 その4
続く沈黙は長かった。
だが、それは同時に、双方にとって考えを整理する時間でもあった。
レヴィンは口元から手を離し、神妙に頷きながら口を開く。
「……なるほど、先生が過剰とも思える護衛を、アイナに付けたがった訳だ。確かにそれなら、領兵から適当に、とはいかない」
「道中での襲撃も、予想されていたのかね?」
「さて……。だが、そこに確信があったなら、隠したりしなかったと思う。それで臆する俺達でもないしな。むしろ、しっかり釘を差していただろう」
「確かに……。道中、間違いなく襲撃がある、と言われた所で、ならば迎え討つって返していただろうな」
そのことについては全員、確信に近い想像が出来た。
アイナ以外の三人には、理解を示す表情がある。
そこへ、ロヴィーサがアイナと神器を見つめながら、嘯く様に言った。
「先の淵魔の様に、本来出現しない場所にも出て来ると予測したなら、何処に隠そうとも安全とはいかなかったでしょう」
「……それこそ唯一安全と思えたのは、アイナが暮らしていた元の世界くらいしかないかもな……」
レヴィンが言葉を引き継ぐと、ロヴィーサは無言で首肯する。
「実際、奴らの手に渡るのは、最たる悪夢だ。先祖代々、何百年と続けてきた淵魔との戦いを、盤面からひっくり返される。アイナには無事、自分の世界に帰って貰わねばならない」
「アイナさんの為にも、そして何より……我々の為に、ですね」
ロヴィーサが決然と言って締める。
今まで何処か気楽な旅と思えていた甘さが、これで完全に消えた。
全員が危機意識を共有し、事の重大さを再認識している。
誰の目にも、淵魔の好きにさせない、という決意に満ちていた。
「でもよ、それならそれで、最初から言っておいて欲しいよな。狙いはアイナだ、異世界人だって言われなくても、きっと俺達は護送してたぜ?」
「それは……先生を責めないで下さい。神器の存在は、秘匿しておくことに意味がある、という考えだったんです」
「分からない話じゃないな」
レヴィンが頷き、それから苦い顔で呟く様に言う。
「どこから情報が洩れるか分かるもんじゃないし。それに、万能鍵なんて、誰もが奪おうと考える代物さ。犯罪者なら尚更な。それこそ手段を選ばず、何をしてきたって不思議じゃない」
「それもそうだな……。隠すと決めたら、別の理由をでっち上げてでも隠そうとするか……」
ヨエルが納得して頷き、それから興味深そうにアイナへと目配せした。
「ところで訊きたいんだが、さっき……才能の扉を開ける、とか言ってたよな? それって、俺にも有効だったりするのか?」
「そうですね……」
アイナは考え込みながら頷く。
「可能だと思います。でも、よく考えてから使わないと……」
「そうだろうな。努力の放棄は、これまでの自分を裏切る行為だ。近道全てが悪いと思わねぇが、自尊心の問題にもなるからな」
「いえ、そういう事ではなく……」
鍛え上げてきた武人として、それまでの軌跡には誇りもある。
その武人にも得意不得意があり、得意の中にも人と差がある。
自分はこれまで、あいつには敵わない、と思わせた壁が、それで取り払えるとなれば縋りたくなる者もいるだろう。
しかし、アイナはそうした意識レベルの問題と、全く別の問題を持ち出した。
「神器を使うと、多分……淵魔に場所が知られます。あたしが先生と逃げ出した時も、それでいきなり淵魔が活性化したんです」
「南に居た時、異常な行動を目撃したとかいう……、その時か」
アイナは物悲しい顔付きで頷く。
己の浅慮と短慮を、責めているかのような顔付きだった。
「それで慌てて逃げ出して、ある程度距離を取れば、沈静化することにも気付けたってわけか。そしてどうやら、近付くことでも刺激するものであるらしいな」
「東方の辺境領で起きた事態を考えれば、そういうことだろう。だが、そうか……。さっき言ってた、淵魔にどうやって知られたか、思う所があるって、そういう意味だったか」
「はい、まさかそんなことになるとは露知らず……」
「まぁ、それはそうだろうな……。むしろ、神器の使用を目敏く検知する意味の方が分からん」
ヨエルが鼻の頭に皴を寄せ、ムッツリと不機嫌そうに口元を引き絞った。
レヴィンもまた不条理に対する理解と見せると共に、ある種の期待に落胆も見せた。
「理屈のことはさて置いて、そういうことなら仕方ない。才能の話が本当なら、俺にも使って欲しいところだった。今は火急の時だ、そしてその火に背中を炙られてる。迎え討つ可能性が高まると思えば、試してみたかったんだけどな……」
「ですが、若様。それはあくまで、可能性が生じるだけに過ぎないのでは? 才能の扉が一つ開いたからといって、必ず勝てることを意味しないでしょう」
「それもそうだけどな……」
そもそもの力量差が歴然としている。
そして、才能の差だけでなく、人数差の問題もあった。
一体に対して拮抗できるだけの実力を手に出来たとしても、やはり数の前には圧殺されてしまうだろう。
「それに、距離の問題もあるでしょう? 今は大きく距離を離したとも言えない状況です。『鍵』の使用は、こちらの位置を明確に、報せてしまう危険を意味しませんか」
「あたしがよく考えて使う方が……って言ったのも、そういうことです。別に使用回数の制限とかはないので、必要とあらば、皆さんの『扉』を開きます。でも、それで敵を呼び寄せたら……」
レヴィンは元より、ヨエルも大きく納得して、何度も頷いた。
傍に居たヨエルは、鍵を握りしめたままのアイナの手に、自らの手を重ねて労る様に撫でる。
それからアイナの手を、懐へ戻すように誘導した。
「大事に仕舞っとけ。『その時』が来たら使って貰う。昨晩の様に、逃げ切れないと分かった時に使えば、見つかるも何もないだろ? 戦うしかない状況ともなれば尚更だ」
「……ですね。その時には……あたしも絶対、躊躇しません。そちらの指示に従って使います」
「おう、任せた」
ヨエルはニッカリと笑って、その頭を撫でた。
アイナもくすぐったそうに身を捩り、その顔にも笑顔が戻る。
それを微笑ましく見ていたレヴィンとロヴィーサは、互いに目を合わせて笑い合う。
「今すぐ追い付かれそうな気配はない。食事を取って、まずは疲れた身体を休めるとしよう」
「はい、すぐに準備を始めます」
ここまでお茶しか飲んでいないので、誰もがすっかり空腹だった。
早く食にありつく為、そして気分を変える為、全員で食事の準備に取り掛かった。
※※※
食事が済み、交代で見張りを立てながら、レヴィン達は睡眠を取った。
追われている立場だから、長い時間、熟睡とはいかない。
殆ど夜明けと変わらない時間に眠り、そして昼前にも再び食事を取ると、尻を叩かれる様に出発の準備も終わらせた。
「とりあえず、行き先は良しとして、そこを目指すルートも重要だと思う。俺達は龍脈の位置など分からない。でも、神殿同士はそこを繋ぐ形で置かれているよな……」
「大体の位置が分かれば、そこを辿るのは難しくねぇかもしれないが……」
「……こんなこと言うと、とても失礼とは思うんですけど……」
そう前置きして、アイナが眉間にシワを寄せながら言う。
「神殿は……本当に信用できるんですか? だって、正常に機能してるなら、辺境領から淵魔は出て来られない筈なんですよね?」
「それは、……そうなんだが」
「自分の領が逃したとは思えない、という気持ちは分かります。でも、あたしの目には、南方の防備も東方と変わらない様に見えました。しっかりと防壁の役割を果たしていたと思うんです」
実際に南方から逃げてきた彼女が言うと、その言葉には説得力があった。
ユーカード領が淵魔の脅威を正しく認識し、その為の防備を疎かにしていないのは自明の理だ。
そして同じだけ、南方もその防備を正しく機能させているだろう。
何より、十年程前にはエーヴェルトが援軍として駆け付けねばならない程、大きな失態を犯している。
その教訓を忘れているとは思えなかった。
「そこは確かに、アイナが言う通りだろうな。俺が東から淵魔が逃れて来たと思えないのと同様に、南方からも逃れて来たとは思えない」
「じゃあ、どこから来たのか、って話になるわけだ? 実は自領が全滅してた、なんて考えたくもない。……なら、奴らはどこから湧いて出た?」
「そこだよな……」
話し合いながらも、出発の準備は疎かにしない。
馬具を点検し、鞍の状況を確かめつつ、レヴィンは首を捻りながら返答した。
「本当に全滅してたら、あんな数じゃ済まされない。俺達の知らない、何か特別な理由がある筈だ……」
「でも、その……少数だけが、目を逃れて……ってことはないんですか?」
「――ない。そもそも四重の壁がそれを許さないし、ネズミほど小さな淵魔だからと、見逃すような訓練を受けてない。それについては余程、自信がある」
三百年も淵魔と戦ってきた一族だ。
そうした小さな見落としすらないよう、徹底した訓練を課せられ、そして実際これまでの長い間、見逃して来なかった実績がある。
レヴィンの揺るぎない自信も、そこから来ていた。
「じゃあ……、やっぱり……」
アイナが表情を曇らせて俯くと、レヴィンは作業の手を止めて振り向く。
「何だ……、何か知ってるのか?」
「いえ、知っているのとは違います。ただ、先生が言ってたんです」
「先生が……? でも、それなら俺達が知らないとも思えないけどな」
何しろ、淵魔に関することだ。
常に淵魔と対峙して来た一族だから、今更知り得ない情報など早々ない。
それに、この様な状況の懸念があったなら、一言くらい口にしてあっても良さそうなものだった。
「……多分、不遜になるから言えなかっただけじゃないかと……。先生は、神殿こそが怪しい、みたいなことを言ってましたし……」
「馬鹿な……! 神殿こそが前提だ。淵魔を撃退し、大陸の大部分から駆逐できたのは、神殿が龍穴を抑えているからだ!」
「分かります。そういう話ですよね。でも、淵魔の出ない前提が崩れているなら、そもそもの大前提から崩れているのかも、なんて……」
アイナが尻すぼみに言葉を濁した。
それに対して反応も様々だったが、共通しているのは、それを否定したいという表情だ。
「それに……先生は言っていたんです。レジスクラディス神こそ、真の敵だと。許されざる者なのだと……」
「馬鹿な! 何をもって、そんな不遜を! たとえ冗談でも口にすることじゃない!」
「はい、すみません。分かります。強く信仰してるからこそ、ですよね。あたしも故郷の神様を悪く言われたら、絶対そういう反応になります。……でも、だからこそ、先生は言えなかったんじゃないでしょうか」
アイナの表情は本当に申し訳なさそうにしていて、それが言葉ばかりの謝罪でないことが分かる。
アイナは手を止めた皆に向かって、一度頭を下げてから言葉を続けた。
「レジスクラディス様、もっとも偉大な神の一柱。先生は、そこからが違うと言ってました。信仰を受け、神力を使って龍脈を抑え、世界を良くしている様に見えるけれども、実は真逆なのだと……」
「なに……?」
「淵魔が蔓延る原因を作っているのは、レジスクラディス様だと……、そう言っていました」
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