鍵と穴 その5

「――馬鹿な!」


 レヴィンは声を荒らげて、大袈裟な身振りで否定した。

 ヨエルやロヴィーサにしても同様で、悪意ある暴言と切って捨てている。


「酷い侮辱、許せない侮蔑だ。それを本当に、先生が言ったというのか!」


「はい……でも、悪気があって言ったんじゃないと思うんです……!」


「悪気なしに、そんなことが言えるか!」


 取り付く島もないとは、このことだ。

 レヴィンは真っ向から否定し、一切の言葉に耳を貸そうとしない。

 しかし、アイナはそれを当然と受け入れた上で、首肯した。


「分かります。あたしだって、自分の信仰する神が、実は邪神だなんて言われて、平静でいられる自信ありませんから。……でも、だからこそ、なのかなって……」


「……言わなかった、理由か……」


「淵魔討滅の基礎を作り、そして今も尚、その力をもって世界を保護してくれている神様。誰だって感謝するし、悪意ある言葉を口にしたら、それこそ八つ裂きにしたくなりますよね」


「当たり前だ。我らユーカード家は……しかも初代様が直々に、討滅の指示を受ける栄誉を得た。誰からの言葉であろうと、俺だけでなく、誰もが許しはしなかったろう」


 その言葉が真実と告げるように、ヨエルとロヴィーサからも、強い視線がアイナに向かう。

 それを当然と受け取りながら、アイナは重々しく頷いた。


「先生がどこから着想を得て、そういう発言をしたのか分かりません。でも、本当に故なしだとしたら、淵魔はどうして出現したのでしょう?」


「む……ぅ」


「そして、実際根拠ある発想だったとして、皆さんに言える筈がない。だって、そうでしょう? あたしにでさえ、今の今まで口にするのを躊躇っていたぐらいです」


「俺達の前では尚更、先生が言えたはずない、か……」


 それはレヴィン達にも、一定の理解が出来た。

 アイナが無言で肯定する様を――青ざめた顔で首肯する様を見ると、それが真実だと分かってくる。


「先生が、単なる悪意で言ったわけないです。それに、現状を考えると、本当に故なしとは思えないんです。――だって、淵魔の存在そのものが、証明みたいなものじゃないですか」


「……そう、かもしれないな」


 レヴィンは大きく息を吐くと、猛る様な怒りを徐々に静めた。

 そして、小さく頭を下げて謝罪する。


「済まない、頭に血が上った。確かに、アイナの言うことは一理あった」


「いえ、謝って貰うことじゃ……! それに、先生は言っていたんです。あたしこそが鍵かもしれないと……」


「どういう意味だ? アイナの神器と、何か関係あるのか?」


 『鍵』という単語から、つい連想されたことではある。

 しかし、それはあながち間違いでなかったと、アイナの首肯から分かった。


「あたしの神器は文字通りの『鍵』です。汎ゆる扉を開く……。でも同時に、それは扉に鍵を掛けられることも意味します。だから……」


「――もしもの話だ」


 レヴィンが言葉を遮り、より一層、強い語調で自分に言い聞かせるよう、口に出す。


「先生の懸念が、当たっていたとしよう。それが神殿の所為だとしたら……、アイナの力で封じられるのか?」


「先生は、そのように考えていたみたいです」


「でも、それは本当に神殿が、本来の役割をしていなかった場合の話でしょう?」


 ロヴィーサが反論すると、ヨエルもそれに頷いて持論を述べる。


「考えておくべきだとは思うぜ。でも、全てを悪様あしざまに考えるのはどうだろうな。神殿から淵魔が出て来たとしても、それは例えば……封印していたものが漏れ出しただけ、とは考えられねぇか」


「有り得る話だと思う。実際……」


 一度アイナへ目を向け、悪意とは違う、懐疑の視線を向けながら続ける。


「先生が、どうしてそう思ったのかが疑問だ」


「そもそもとして、神殿を建立することで、淵魔を退けてきた事実があるわけだからな」


「その広く知られた事実が嘘なら、どうして今まで淵魔は辺境領外に出なかったんだ?」


 誰にも返答できず、ただ沈黙が下りる。

 何かを言える筈もなかった。

 ここで簡単に答えが出るようなら、そもそも困惑などしていない。


「神殿は安全だと思っていた。何より淵魔が近付けない聖域だと。でも、そうじゃないとしたら……。そうじゃないという、確認こそが必要だ」


「……だな。先生の言葉だ、無視もできねぇ。不遜だし、疑いたくもないが、そんな言葉で振り回されるのも馬鹿らしい」


「自分の目で見てみれば良いんだ。それが事実かどうか、確かめるのは簡単だ。信仰の拠り所を、こんなことで汚したくない」


 誰の顔にも賛同の色が浮かぶ。

 神殿は自由な参拝が許されているものの、龍穴を封じる最奥の間には、誰もが自由に行けるものではない。


 行き先がユーカード領の神殿なら、頼むことで苦も無く入れるだろう。

 しかし、他領の顔どこから名前すら知られているか疑問の場所で勝手は出来ない。


「急いで行こう、と言いたいが……。淵魔から逃げるつもりで、自ら危険に近付いてるなんて思いたくないな」


「そうだな……、了解だ」


 ヨエルが返事して、それまで手を止めていた準備を再開した。

 荷物を鞍に括り付け、落ちないように確かめていたところで、ロヴィーサからポツリとした声が落ちる。


「もしかして、ここまで見越していたんでしょうか……」


「何がだ?」


 点検も済んで、馬の首筋を叩きながら、その機嫌を窺っていたヨエルが振り向いた。


「最初はアイナさんを帰すつもりで、神殿へ送り届けるだけの話でした。でも、色々と見えてなかったピースが揃うにつれ、どうもそれだけとは思えなくなりました」


「神殿そのものが危険地帯だったら、確かに送り帰すどころじゃねぇ。それどころか、本当に帰れるかどうか……」


 ロヴィーサは深刻な表情をさせて頷き、次いでアイナへと目を向けた。


「アイナさんの持つ『鍵』に期待し、本来の目的を隠して送り込む……。先生が隠した意図は、それだけとも思えないのです」


「たとえ、神殿到着まで何事もなかったとして……。神殿に淵魔が潜んでいたなら、これと戦わない、という選択肢は取れないだろう」


 レヴィンがある種の推定を口にし、空の向こう――神殿を睨むように見つめた。

 それから、鋭い視線そのままに、アイナへと目を移す。


「そしてもし、その時点でアイナから『鍵』について知らされなかったとしても……。先生から聞かされていた話を元に、『鍵』と封印について切り出していた可能性はある……」


「そう……そう、かもしれません」


 アイナが曖昧に頷くと、それに気を良くした訳でもないだろうが、深く頷きながらレヴィンは続けた。


「神殿が安全ではないと、先生が最初から疑っていたなら……送還なんて、最初から考えてなかった? そういうことに……なるのか?」


「大体、何の為に? 本当に神殿が危険な事態となってるなら、その解決に領として協力は惜しまんだろう。それは不遜だ不敬だとかと、全く別の問題だ」


「仮に逆鱗に触れると思ったにしろ、先生自らが動けば良いだけでしょう。こちらに投げる話ではありません」


 考えを整理する程に、矛盾が溢れて来るかのようだった。

 あるいは、道理が合わない、と言い換えられるかもしれない。


「神殿勢力とは、少し問題があった……とか言っていたよな? アイナ、何か知っているか?」


「いえ、あたしは何も……! 拾われてからこちら、そうした施設には足を向けてません」


「じゃあ、それより前の話か……。だとしても……」


 結局、納得できる答えは出てこない。

 いつでも出発できる準備こそ整ったものの、どうしたら良いか迷うことになった。


「ロヴィーサの言葉を借りるなら、ピースが足りないってことなのかもな。幾つか揃ったのは確かでも、全てじゃない。それで返って、混乱してしまっているのかも……」


「……そうかもしれません。いえ、きっとそうなのでしょう。先生にも深い考えあって、そうせざるを得なかっただけの可能性も……」


「あくまで推測の域を出ないって話かもしれない。俺達みたいに領の狭い範囲じゃなく、大陸中を移動する人だ。見えてる物も、相応に違うだろう」


 単なる懸念程度に収まるなら、わざわざ敵意を剥き出しにされる台詞を吐く理由もない。

 あくまでも懸念なのであって、実は言うほど危険はない、と考えていた可能性もある。


「……考え過ぎるのも良くないだろうな。自分の目で確かめよう、そう決めたばかりだ。実際には何事もなく、アイナを帰還させてやれるかもしれないんだから」


「そうだな……!」


 ヨエルも頷いて、殊更明るい声音で同意する。

 アイナに顔を向けて、分かり易い励ましの笑顔を向けた。


「不安要素が、顔を出したのは確かかもな。でも、無事に送り届けて、それで帰れるのが一番じゃねぇか。見えない、分からないものを怖がってちゃ世話ねぇよ」


「はい……。あたしも、変な発言してすみませんでした」


「謝るな、別に変とは思ってねぇよ。それに、目の前の不安全てを、見なかったことにしろって話でもねぇしな」


「……実際、淵魔に付け狙われて、尻に火が付いているのは事実だ」


 レヴィンが言って、鞍の上へと体重を感じさせない動作で乗り込む。

 それを見て、他の三人も続けて騎乗した。

 レヴィンが全員の準備を確認して、これまで来た道を睥睨する。


 左手には雲と突き抜ける山陵、周囲には疎らに群生する木々。右手には川が流れ、チロチロと奏でる水面には、木の葉が緩やかに撫でていた。


「今のところ、追い付かれてはなさそうだ。でも、相手は疲れ知らずの淵魔だ。どこまで悠長して良いか、分かったもんじゃない」


「神殿も……本来なら安全と思えた神殿も、奴らにとって遠退く理由になるもんだか……」


「今はそこに期待するかないでしょう。永遠に追い掛けっこは出来ません」


「そうだな。――今は急ごう」


 レヴィンが宣言すると馬首を巡らせ、馬の腹を蹴った。

 最初は緩やか、しかし直ぐ駈歩かけあしとなって、馬のスピードを上げる。

 その後を同じく二人の馬が追う。

 後にはただ、草原になびく土煙だけが残された。

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