鍵と穴 その8
「ご丁寧に正面から滅ぼしてやる、と言われる方が簡単だ。そして実際、そのようにも見えた。だが、実際は真逆だ。……今から、全ての地域で淵魔が出現したら……?」
「そんなもの、どうしようもない……」
レヴィンは愕然とした気持ちで、言葉を吐露する。
アクスルの切羽詰まった表情は最高潮に達しており、顎から汗が滴る有り様だった。
「君もここまで旅した中で、知ったかもしれない。淵魔は恐ろしい存在と認知されていない。それどころか、もう終わった存在だ。魔物よりも低級なものと思われている……」
「はい、確かに……そうした話を、実際に……」
「かつては押し込めたかもしれない。でも、……今は? ここから新たに淵魔戦争が始まったとして、かつてのように上手く押し込めるだろうか?」
レヴィンと言わず、誰の顔にも苦渋が滲む。
冒険者は傲慢だった。そして、それはあの街だけが特別だった訳ではない。
この大陸中、今も淵魔と直接対決している辺境以外、全てがその反応だったとしたら、かつてのようにはいかないだろう。
「敵は賢い。それに狡猾だ。それは間違いない。分かり易い力押しではなく、欺く方法を選んだ。勝利の余韻の最中、背中をナイフで刺す。……その方が、よほど簡単だろう?」
「では、今までの淵魔は、捨て駒でしかなかったと……そう言うんですか? 惜しむことのない少数を、ただ無駄にしてきたと……!?」
「無駄ではないだろう。実際、上手くいき掛けてるじゃないか。淵魔の脅威が退けられ、そして脅威など微々たるものだった、と見下す民衆……。そして、頼みの討滅士は大陸の端にしか存在しない」
その指摘された事実に、レヴィンは愕然とした。
どこの神殿にでも淵魔が潜むというのなら、これまでの陣取りゲームは全くの茶番でしかなかった。
追い詰めたつもりが、その最大戦力を端の端まで移動させられただけ……。
中央にも討滅士がいる、という話は聞いたことがない。
ならば、
「各地で起きる惨事へ、討滅士が応援に駆け付けるなど、到底不可能だよ。君たちを押さえ付ける戦力も、当然投入されるだろう。仮にそれらを退け、駆け付けられる段までいったとしても、その時には淵魔も多くを喰らい、強大化しているのは間違いない」
「中央には、その戦力がないのだから、当然……そういうことになってしまう」
「――だが、まだ始まっていない」
暗澹たる絶望を突き付けたアクスルだったが、その表情は決して諦観で満たされていなかった。
焦りの表情はそのままに、しかし目だけはギラギラと輝いている。
「始まっていないなら、まだ猶予はあるはずだ。機は熟した、と見るには、何か一押しが足りないんだろう。その足りない間に、こちら側から打って出られる」
「何か、一つ……?」
「いや、持って回った言い方はよそう。――アイナだ」
その一言で、全員の視線が集中する。
見つめられたアイナは、その熱意溢れた視線に気圧され、一歩下がった。
沈黙が続く中、レヴィンがポツリと、呟くように言葉を落とす。
「……アイナが狙われる推測は、既に上がっていた。……つまり、そういうことか?」
「それは……若。つまり、奴らは龍穴を開放して、更なる自由な行き来をしようとしてるって話か?」
「神殿の建立自体が欺瞞なら、本当は移動できてしまうんじゃないか? だが、だとしたら……! くそっ!」
苛立たしく石畳を蹴って、レヴィンは悪態を隠さず顔を顰める。
神殿に対して、そして大神に対して、強く変わらぬ信仰をつい先程まで持っていたのだ。
そして、今現在も間違いなく持っている。
深く染み付いた信仰は、おいそれと簡単に消えてはくれない。
この段階にあっても、レヴィンを始めとした三人は、大神を思う気持ちを捨て切れていなかった。
「奴らは『鍵』を欲してる。それは龍穴の開放からだと思ってた。間違いじゃないんだろうし、各地への移動がスムーズになるのは戦略上、意味あることだろう。だが……」
「とても、それだけだとは思えない……」
ヨエルが難しそうな顔をして腕を組んだ。
そうして視線を、アイナから神殿へと移して睨むように見据える。
「何しろ、既に各神殿で潜んでいるんだろ? そこから一斉に湧き出れば、それだけで済んでしまう話だ」
「あぁ……。移動が可能になることは、即ち予備戦力の投入などにも使えるだろうから、確かに意味はあるんだろう」
「しかし、討滅士は大陸の端にしかいない……だろ? そこを考えると、戦力の追加投入に、それ程意味があるとも思えねぇ」
だから、とそこでアクスルが口を挟んだ。
今こそ少し冷静になり、焦りの表情は随分大人しくなった。
しかし、そこには隠し切れない動揺が見え隠れしている。
「そうじゃない。アイナという……龍穴に正しく封を出来る存在が邪魔なんだ。彼女の持つ『鍵』は、開くだけでなく、閉じることも出来る。奴らはそれを未然に防ぎたい……そういう事なんだろう」
「それがつまり、先生の言う一押しってことですか?」
「そう思ってる」
アクスルは深く頷いて続けた。
「彼女が狙われる理由は、正にそこだ。神殿を正しく封印できる存在が邪魔だ。そして、だからこそ、彼女を元の世界へ帰す訳にはいかなくなった……!」
「え、あ……あぁ! そうか……!」
そう、とアクスルは更に熱意を上げて頷く。
「彼女と『鍵』が無くなれば、奴らの憂いは取り払われる。それを機に、本格的な侵攻が開始されるだろう。だから、アイナ……申し訳ないが、今は諦めて貰うしかない」
「それは……それは、分かりました。でも、でもだったらあたし……、一体どうしたら……!」
アイナは顔を俯けて、両手で覆ってしまった。
直前まで帰還の目処が立っていただけに、その落胆は重い。
そして何より、その身に降って掛かった重圧が、何より重かった。
アクスルは痛ましいものを見る目で、アイナを見つめる。
「辛いだろうが、今は堪えて欲しい」
「酷だぜ、先生……。世界の命運を、いきなり握らされたようなもんだ。堪えろなんて言葉ひとつで、頷けるタマしてねぇんだよ……」
「それは分かってる。君たちより付き合いは長いんだ。しかし、堪えて貰わねば、生きとし生きる命が、不当に喪われる」
それもまた事実だと、ヨエルの歪めた表情が物語っていた。
淵魔は人だけでなく、何でも喰らう。
家畜、魔獣、魔物でさえ、奴らからすると捕食対象だ。
そして、目に付くものを喰らった結果、人類では手に負えない未曾有の厄災となって襲い掛かって来るだろう。
その結果は、言うまでもない。
「……何とかならねぇのか。どうしたらいい? 大神の正体が、実は悪神だった……? それでどうやって、対抗するってんだ。詰みまで一歩手前の状態で、俺達だけで何が出来る……!?」
「混乱は尤もだよ。僕もこの事実を知った時は、まず自分の頭を疑った」
深刻な顔をして同意するアクスルに、レヴィンが悔やむ表情で問い掛ける。
「……諸悪の根源と言えるのは、レジスクラディス様……いや、大神だけなんでしょうか。他の神々から助力を願うことは出来ませんか」
「酷なことを言うようだが、難しいと思う。どこからどこまで繋がっているか、見当もつかない。全ての神々が敵なのか、それとも神々すら欺かれているのか……」
レヴィンは顎の下に握り拳を添え、眉間に強く皴を寄せながら、独白するように言った。
「もしも全ての神が敵であれば、みすみす勘付いた事実を報せることになりますか……」
「それだけならまだしも、上手く乗せられた末に謀殺も有り得るよ。神々の頂点が敵なんだ。その下の小神全て……と、考えた方が自然だ」
「それもそうか……」
レヴィンとヨエル、二人から納得する呻き声が上がる。
しかし、そこにロヴィーサが初めて口を挟んだ。
深刻そうな表情は誰とも同じだが、そこにはアクスルに対して試す様な視線を向けている。
「聞いていて、一つ気になったことが」
「何だろう。遠慮せずに聞いて欲しい」
「先生は、それを本で知ったと? 何故、秘すべきものを記し、しかも残してあったのでしょうか」
「その疑問には答えられない。僕にだって分からないからね。でも、神とは傲慢なものさ。気付かれないと思ったか、気付かれたところで意味はないと思ったか、気付いた者を弄ぶものだったか……」
そう言って、アクスルはフードの奥から皮肉な笑みを浮かべた。
「盤石に築いた信仰は大きなものだ。読んだ者が告発した所で、揺らぎはしないと高を括ったのかもね」
「それは……しかし、レジスクラディス様に限って……」
「そうした考えを持たせることこそ、狙いだったんじゃないかと思うんだよ、僕は」
皮肉げに上げた口の端を、アクスルは更に歪ませる。
「君たちと僕は旧知の仲だから、話だけは聞いてくれた。そして、一定の理解を示しつつある。けれども、これを何処か街の中心で言ってみたまえよ。大神信仰は盤石だ。石を投げられ、磔にされて処刑されてたろう」
「それは……確かに、十分有り得ます」
「大神はそんな様子を高みから見て、せせら笑うつもりだったかもしれない。敢えて本を残した理由なんて、そんなものだと思うよ」
ロヴィーサの顔が歪み、眉根に深いシワが刻まれた。
これまで信仰して来た神を悪様に言われ、納得できずに反発しようとしている。
「でも先生、それでも尚、あなたの言うことに証拠がありません。私達は事実として、領外で淵魔に襲われました。出現する筈のない淵魔に。……でも、理由がないではありませんか! 何故レジスクラディス様が人類を――あらゆる命を滅したいんです? わざと淵魔が負ける演出をしてまで!?」
「……そうだね。確かに分からないことは、まだある。動機か……、確かに重要だ。でもね――」
アクスルが良い掛けた、その時だった。
階段上の神殿が、けたたましい轟音と共に、土煙で満たされる。
柱にヒビが入り、そのうち何本かは折れて倒れた。
「一体、何が……!?」
『ギィィィィィ!!』
見上げてみれば、そこには無数の淵魔が出現していた。
まだ何も喰らっていない、無垢の淵魔だ。
そして、奴らの出現こそが、何よりも雄弁にアクスルの持論を肯定していた。
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