隠された神殿 その1

 淵魔の数は多かった。

 しかし、見える範囲には十体程度。これならば、普段から倒している数から考えても、レヴィン達の敵ではない。

 まだ十分、対処できる範疇に収まっていた。


「奴らの侵攻が始まったのか!?」


「いや、アイナを見つけた反応かもしれねぇ! だが、いずれにしろ……!」


 レヴィンとヨエルが顔を見合わせ、武器を抜き放つ。


「あぁ、逃げるわけにはいかない。神の思惑がどうであるにしろ、あの淵魔を放置すれば、被害がどこまで拡大するか見当もつかない!」


「――先生、アイナを頼みます」


「いや、彼女も行く。無論、僕もだ」


 そう言ったアクスルは、アイナの肩を叩く。

 顎を上げて、神殿を恐々と見据えていた彼女は、その声と接触に驚いて、アクスルを凝視した。


「あ、あたしも……ですか!?」


「うん、行った方がいいだろう。見せ掛けだけの封印を、今度こそしっかり封ずる必要があるからね。奴らがこれ以上出てこないよう、龍穴を閉じられるのは君しかいない」


「そう……、そうですね」


 アイナも意を決して頷いた。

 その瞳には間違いなく恐怖が滲んでいる。

 しかし、同時に皆の期待に応えたいという、その気概にも溢れていた。

 アイナの様子を見ながら、レヴィンはロヴィーサを傍に寄せ、自分を先頭にした陣形を組む。


「神が計画を本格化させた時、湧き出る淵魔の数は、今の比じゃないだろう」


「そして、いま見えている数が全てとも思えねぇ……。神殿の最奥で潜んでいたんだか、龍穴の中に籠もっていただかした数が、あれっぽっちな筈ねぇしな」


「喰らう数次第で、加速度的に強大化することを思えば、あるいは十分とも思えるが……」


 いずれにしても、とレヴィンはアイナへ振り返る。

 そして武器を手にしながら、右足を階段の一段目に掛けた。


「封じてしまえばカタが付く。……どうかアイナ、お願いだ。しばらく、その力を貸して欲しい」


「も、勿論です! あたしは回復も出来ます! 今まで助けられてきたんですから、少しでもここで恩を返したいです…!」


「少しだなんて、とんでもない。謙遜でもなく、君は世界を救うだろうね」


 アクスルが傍らに立ちながら言うと、アイナは生唾を飲み込んで拳を握った。

 そこには既に、彼女のみが扱える『神器』が、指の間から顔を出していた。


「俺達が斬り込み、道を作りつつ淵魔を滅します。状況次第でしょうが……先生、封印の優先をお願いします」


「任された。彼女の護衛は、しっかり努めよう。倒したところで次々出て来るかもしれないことを考えると、封印はまずもって優先すべき目標だ」


「最奥までの道はこちらで。後はこちらで盾となり、壁となります。その間に済ませてください」


「了解だ」


 アクスルの返事が合図となった。

 レヴィンは二人を伴い、一気に階段を駆け上がる。

 その間にも三人に気付いていた淵魔が、不協和音を口から吐き出しながら、飛び掛かって来た。


「――ハァッ!」


 それを鬼気迫る勢いで両断し、空中で二分割された淵魔は、石畳の上に落ちると同時に溶けて消える。

 それで次々とレヴィン達に気付いた淵魔が、我先にと襲ってくる。


「倒すのはまだ後回しでいい! 上がっちまえ!」


 ヨエルが武器を振り回し、接近しようとした淵魔を薙ぎ倒す。

 致命傷にはならなかったが、それで一気に三体の淵魔が吹き飛び、強引に通過できる道が出来上がった。


「急げッ!」


 レヴィンが真っ先に斬り込み、神殿入口まで到着した。

 そこには既に三十を超える淵魔がひしめいており、全てが一斉にレヴィンへ顔を向けた。


 彼ら個体は、それぞれ形が違う。

 獣の様でもあり、虫の様にも見え、どれ一つとして同じ個体はない。

 それらが威嚇して声を上げると、やはり一斉に飛び掛かってくる。


 淵魔に計算高さなど持ち合わせていない。

 そこに生命あるならば、喰らいつく本能しかないものだ。


「こっちで引き付ける! 先に行け!」


 高らかに宣言すると、左手で神殿を指差し、レヴィンは入口前を通過して横へ逸れる。

 淵魔の目の前を通過するように動いたので、それに釣られて奴らも動いた。


 一瞬の空白地帯へ、アイナを連れたアクスルが駆け、それを確認したレヴィンは反転して跳躍すると、神殿入口前に立ち塞がる。

 そうして、淵魔が集団で襲い掛かってくる中、レヴィンは左手の刻印へ魔力を流した。


「刻印発動・『年輪の外皮リングスキン』!」


 魔力を刻印へ流すと共に、淡い光がレヴィンを包んだ。

 強引に喰らいつこうとしていた淵魔は、しかし歯を立てようとしても、その光に阻まれて全く思う通りにいっていない。


 その間にレヴィンは敵を引き付け、あるいは攻撃して敵の数を減らし、ヨエルやロヴィーサの攻撃で、更にその数を減らした。


「緊急時とは言え、若様を餌に使うとは……!」


「今は飲み込め! 数が飽和したら、それこそ言ってる場合じゃなくなる!」


 レヴィン本人にそう言われては、ロヴィーサも口を閉じるしかない。

 それに、実際レヴィンの刻印は大したものだった。

 完全に身を包む鎧として作用する刻印は、レヴィンに一切の傷を付けていない。


 それでも敵の数に圧され、あるいは隙を突かれ攻撃を許せば、無理が祟る。

 ヒビ割れ、砕かれてしまうのだが、それだけで終わらないのも、この刻印の特徴だった。


 まだ幾重にも、同じ防御膜が依然として存在していた。

 たった一枚の鎧ではないからこそ、年輪と名付けられる。


 術者によって作られる層に違いはあるものの、この層全てを破壊するまで、術者本人には傷一つ付かない。

 それがこの刻印の強みだった。


「神官様は……神官は、中にいるのか!?」


「さぁて……いや。既に喰われた後か……!」


 ヨエルが見据えた先には、明らかに他と違う淵魔がいる。

 それまで四つん這いで紛れていたから、即座に気付けなかった。

 ゆらり、と筋肉や骨格の存在を忘れさせる動きで、立ち上がった淵魔がいた。


 不気味でかつ、どの動物とも類似しない、生命への冒涜としか思えない造形が溢れる中で、完璧な人型を保つ淵魔がそこにいる。

 頭から泥を被った形をしているのは、どの淵魔とも共通する部分で、顔形は定かでない。


 だが、何重にも泥が重なる姿は、まるで複数の布を垂らしているようにも見えた。

 口を開け、歯や舌もない空洞を見せると、怨嗟の籠もった不協和音が響かせる。


「ギイィィィィ!!」


 その叫び声が、開戦の狼煙であるかのようだった。一斉に淵魔が飛び掛かって来た。

 しかし、それを意に介さず、レヴィン達は次々と斬って捨てる。

 レヴィンが持っている強さは、捨て身の強さだ。


 本来、武技とは攻撃する手段以上に、防御を念頭に置く。

 多くの武術は、最初に習う技が受け身であることを考えているものだ。

 それは怪我を未然に防ぐだけでなく、武技に置ける防御の重要さを示していた。


 元よりレヴィンは、その基礎を疎かにしていない。

 しかし、刻印を頼りとする時に限り、その防御を捨てて完全に攻撃のみ、意識を集中できる。


 それは間違いなく、敵の数を減らしたい状況で有利な戦法だった。

 そして、今の状況では、もう一つ意味ある行動にもなる。


「打ち崩せ! 相手は何も喰らってない無垢の淵魔だ! 暴れる程に奴らの注意を引き付けられる!」


「壁役としちゃ、奴らを一匹でも自由にさせてやる理由がねぇもんな!」


 ヨエルも荒々しく口にしながら、その厳つい大剣を振り回した。

 何も喰らっていない淵魔は脆い。


 レヴィンを囮に使っていれば、その群衆を纏めて斬り付けるのは容易い。一度に多くの淵魔を薙ぎ倒した。

 ロヴィーサはレヴィンが対応し切れない、死角側に回った淵魔を、その短いリーチの武器で適切に補佐し、討滅している。


 その多くは一撃を与える前に処理され、レヴィンもわざわざ死角へ逃げた淵魔を追わない。

 その信頼から、任せるに足ると十分理解していた。


「こいつらは、大して面倒でもないが……!」


「あぁ、奥にいるアイツだな。神官がどれほど魔術を習得していたか、にも寄るが……」


「不幸中の幸いは、奥まった神殿で、捕食できるものが殆どなかったことでしょう。参拝者の溢れる神殿や、時間帯だったらと思うと……」


 それこそ悪夢だ。

 そして、世にある多くの大神神殿は、その参拝者で溢れている。


 徒歩で来る者ばかりでなく、馬車を使う人も決して珍しいものではないから、そうした馬もまた、捕食対象になってしまう。

 そこでハタ、とレヴィンの動きが止まった。


「つまり、そういう事か……? やけに同じ淵魔しかいないと思ったが、参拝者とその馬ばかりが喰われた結果……」


「……かもしれねぇ。だが、予想は予想でしかねぇぜ、若」


「まずは目の前に集中するのが良いでしょう。本当に他の神殿からも溢れていたとしたら、騒ぎはもっと大きくて良いはずです」


 だから、まだ本当に深刻な状態ではないかもしれない。

 ロヴィーサの主張は希望的観測ではあったが、今はそれに縋るしかないのも事実だった。


「確かに……近隣の神殿から溢れようものなら、ここまで暢気にいられた筈もない……か。あの街が襲われたことを考えても、その近くの神殿からやって来たはずだ」


「ロヴィーサ、お前……そんなこと言うってことは、何か疑ってんのか?」


「えぇ……。何か、非常に都合良すぎる気がして……」


 歯の奥に何か詰まったような物言いだった。

 だが、それをヨエルは淵魔をまた一体、消し飛ばしながら一蹴する。


「現実を見ろよ! 実際に、場所で淵魔が溢れてるんだぞ! 何を疑う必要がある!?」


「憤りも疑いも、今は隅に置いておけ! いよいよアイツに、武器が届く!」


 それまで淵魔の後ろで指示出ししていた人型の淵魔には、何重にも他の淵魔がいて近付けなかった。

 しかし、今では随分数を減らして、無理やりにでも接近できる程になっている。


 残る数は十体に満たない。

 無理して通るには少し怖い数だった。


 ここまで堅実とはいかない強引な間引きだったので、ここからは実直に数を削ることを選んだ。

 そうして残る数が三体まで減った時、人型淵魔の両手から、魔術の炎が解き放たれた。

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