鍵と穴 その7

 神殿内は静謐に満ちていて、篝火に下から照らされる様相は、荘厳で満ちていた。

 淵魔の気配は微塵もなく、ただ神殿としてあるべき姿を保っているように見える。

 階段を一歩登る度、その厳かな佇まいが圧倒して来そうでもあった。


「アイナ……、大丈夫だ。きっと無事に終わる。ただ、粗相のないように。神官様が……多分、取り次いでくれる」


「その……そういう人が、送還してくれるんですか?」


「そういう訳じゃないと思う。ただ……」


 レヴィンは言葉を探して首をひねり、それから後ろへ振り返って続けた。


「いずれにしても、上手くやって下さるだろう。相手は魔族なんだ。行儀よくしてろ」


「……魔族?」


 アイナは胡乱な視線をして、レヴィンを見返す。

 そこには明らか猜疑と不安が見え隠れていた。


「……その、大丈夫なんですか? 信用できる相手なんでしょうか?」


「どうして、そんなことを聞く?」


 レヴィンが立ち止まり、数歩先を行く階段上からアイナを見下ろす。

 そこには僅かばかりの怒気と、隠された不快感が浮かんでいた。

 アイナも自分が不用心な発言をしたと、今更ながらに気付く。


 悔やんだ表情で足を止めると、他二人からも似た視線を向けられ、それで身振りを加えて必至の弁明を開始した。


「あの、違うんです……! こっちの――あたしの世界では、魔族って悪い意味で捉えられていて……! 善良じゃないとか、人類の敵とか、そういう意味合いを持ってるんです。それで……!」


「あぁ、そうか……」


 レヴィンも自分の早とちりと分かり、表情を和らげて小さく謝罪した。


「互いの認識に、まだまだ齟齬があると、よく分かってた筈なのにな……。悪かった」


「いえ、そんな……! でも、それじゃあ……こっちじゃ悪い意味で見られたりとか、しないものなんですか? その、魔族を……」


「そうだな。むしろ神官職に多い一族だから、尊崇される立場だ。それに――」


 レヴィンは一度言葉を切って、神殿を仰ぎ見る。

 見ているのは建築物としての神殿ではなく、その奥に見える信仰そのものだ。


「神に、とりわけレジスクラディス様に愛される一族でもある。刻印なしに魔術を扱う一族でもあるな。一流と呼べる魔族は、刻印と遜色ない速度で魔術を行使すると聞く」


「凄いんですね……」


「そうとも。でも、単に刻印を使わないから、凄いって意味でもない」


「長寿だからな」


 ヨエルが笑みを浮かべつつ話を継ぎ、レヴィンの背を軽く押して歩みを再開させた。


「それだけって意味でもないが。長く生きていれば、それだけ神のご意思に添える機会も多いんだ。接触の回数も、それ相応に多くなる。人間じゃ一生に一度、あるいは二度……。そんなもんだからな」


「でも、会えることは会えるんですね……」


「神様は気紛れなものさ。熱心な信者であれば、それだけ接してくださるってモノでもない。声を聞けても姿は見えず、そういうパターンも多い」


 ヨエルはアイナへ振り返り、カラリとした笑みを浮かべる。


「お前は最初で最後の一回を、そこで使えばいい。三回出逢えば長寿の約束なんて言ったりするが、そんなの必要ないだろうしな」


「……ですね。上がったら直ぐなんでしょうか?」


「いや、どうだかな。どうして?」


「別れの挨拶をしておいた方がいいのかと……」


 アイナが顔を俯かせ、自分の爪先を見つめながら言うと、ヨエルは元より他の二人からも笑いが起きた。


「そんな深刻そうな顔して言うなよ。今生の別れだろうが、帰るべき所に帰れるんだ。簡潔にさよなら、だけで十分さ」


「そう……なんでしょうか。それでは余りに、不義理な気がして……」


「感動的な別れが出来るほど、長い付き合いって訳でもないしなぁ」


 レヴィンが気軽過ぎる口調で言うと、ロヴィーサとヨエルから咎める視線を向けられる。


「それでは少々、言葉が過ぎるように思います」


「少し淡白すぎないか。七日程度の旅とはいえ、それだけ親密に思ってくれたってことなんだから」


「……いや、すまん。迂闊な一言ってのは、肝心な時ほど出るものらしい」


 レヴィンが苦い笑みを浮かべると、それを見たアイナも似た笑みを浮かべた。

 階段は神殿へ一直線に繋がっている訳でなく、一度直角折れて長い踊り場を歩き、また直角に階段を上がる仕組みになっている。


 長い階段なので、途中で足を休めるベンチも設置してあって、そこにも篝火が焚かれていた。

 人の気配もなく、緊張感も抜けていたところで、レヴィンが唐突に歩みを止める。


 篝火があるとはいえ、遠くまで見通せるほど強い光ではない。

 だが、そこに人影があるとだけは、はっきりと分かった。


 ベンチの隅には、身体を上から下まで薄汚れたローブで覆う、一つの影がある。

 背を丸めた姿は酷く不健康に見え、見ている方を不安にさせる迫力があった。


 レヴィンが武器に手を掛け、ヨエルも同じく背中に手を回した時だった。

 人影が顔を上げ、こちらへ注視して来る。

 ローブによって隠された顔は、その奥を全く見通せない。

 その筈なのに、何故かその目だけはハッキリと見て取れた。


「レヴィンさん……」


「いいから、下がってろ」


 レヴィンが油断なく対象を見据え、鞘からカタナを抜こうとした時だった。

 微動だにしなかった影が動き出し、うっそりと立ち上がる。

 二歩、気軽に見える歩調で近付くと、ローブの中から腕を取り出し持ち上げた。


「やぁ、レヴィン。おっかない顔しないでくれよ。武器を収めてくれないか」


「――先生!?」


 更に二歩、影が近付いて来ると、篝火に照らされて、その顔が明らかになる。

 声の時点でそうと気付いていたが、そこにいたのは間違いなくアクスルその人だった。


 彼の飄々とした仕草まで見せられては、もう偽者と疑えもしない。

 レヴィンは武器を収め、ヨエルは柄から手を離し、アクスルへと小走りに近寄る。


「でも、何故……? 神殿には行けないって……!」


「そう、確かに言った。だが、緊急時となれば話は別だ。たとえこの身が引き裂かれようと、伝えねばならない事もある」


「先生は、俺達だけでアイナを神殿へ送ることに、意味を持たせていたと思っていました。もしかすると、そこにある危機を見つめさせる目的があったかも、なんて思ったりして……」


 考える程に思ったことだ。

 何故、レヴィン達でなければならなかったのか。

 護衛というのはあくまで建て前で、むしろこれは偽装に近い。

 深淵の追跡を予想していた様にも取れ、敢えてその渦中に投じさせたようにも見えた。


「そうした意図が全く無かったとは言わないし、申し訳なくも思ったが、何しろ実情を知って貰うには必要なことだった。……けど、これは予測していたものより、遥かに悪い」


「何を知ってるんですか? ……もしかして、調べると言っていた、あの件ですか?」


 そう、と重々しく頷いたアクスルは、階段の奥にある神殿へ、何度もチラ見しながら口を開いた。


「拙いことが判明した。――二つだ」


「二つ? 悪い知らせと、もっと悪い知らせ、ですか」


「そうなる。……一つは、神殿には裏の目的があって作られていた、ということ。もう一つは、淵魔に明らかな変化が生まれたこと」


「変化があったことなど、今更なのでは……?」


 実際、その変化の兆しを生んだ一つの理由として、アイナの存在がある。

 アイナ……というより『鍵』、それを欲した淵魔が、起死回生の手段として欲した。

 異常な行動は、それで説明つくはずだった。


「……そうだね。でも、本質を捉えてはいない。奴らは今まで、数を着実に減らしていた。君たち討滅士の奮闘あっての成果だ。神殿を建立し、奴らの逃げ道や攻め筋を封じて来た」


「だから、それを覆したくてアイナが狙われたのでしょう?」


「それも間違いじゃない。だが、違うんだ。あれば早まるという話であって、なくても困らないんだ」


 言っている意味が分からず、困惑ばかりが先立つ。

 夜風が吹いて、篝火の炎を揺らした。影がチラ付き、アクスルの表情もそれで顕になる。

 そこには常にある余裕は消え、焦りが浮かんでいるようだった。


「人類は勝利の為に、神殿を建立していた。奴らを封じる為だ。――違う。それら全ては、まやかしだった」


「馬鹿な……! 何の根拠があって……!?」


「怒りは理解できる。大神に対する不遜、不敬……決して、許されることじゃない」


 思わず激昂しかけたレヴィンを、アクスルは落ち着かせようと上下へ手を振る。

 それで詰めかかった足を、レヴィンは止めた。


「神殿建立、その初期案について記す本を見つけた。そこにあった。全ては欺瞞だ。そもそも、龍穴龍脈を支配する前提がまやかしで、淵魔を滅する目的でもない」


「でも、レジスクラディス様の為さることです。まさか、そんな……」


「否定したい気持ちは分かる。だが、違った。そもそも、淵魔を封じる目的で作られていない。それどころか、いつでも放出できるよう、奴らを内側に囲っている」


「馬鹿な……! あり得ない!」


「――声を鎮めろ」


 ヨエルが口を挟んで、上方へ目を向けた。

 神殿は未だ静謐に満たされ、周囲には人の気配もなく、音すらもない。

 だが、それ故に大きな声は神殿へ届いた可能性がある。

 本当に注意すべきかは置いといて、警戒は必要だった。


 レヴィンはヨエルへ悔しげな視線を向け、それから無言で頷く。

 ユーカード家は、とりわけ大神信仰の篤い一族だ。

 だからこそ、それを否定されて、黙っていられなかった。

 しかし、ここで話しを続けるのなら、せめて声量だけは制御する必要があった。


「神殿で淵魔を封じていたか? それは事実だ。しかし、それはいつでも好きな時に取り出せるよう、保管の意味合いが強かった。封じているのは事実だから、善きことをしているように見えるんだ。だが……」


「でも、何故です……! 何故、そんなことを……!?」


「理由までは分からない。だが、本気なのは間違いないだろう」


 そう言って、一層焦りを表情に表したアクスルは続ける。


「考えてもみたまえ。淵魔を滅せず、残しておく理由がどこにある? 君たち討滅士には、そうせよ、と命じていた訳だろう。何故、自分だけは殺さず囲っておく必要があるんだ?」


「分かりません。……あるとは思えません」


「そうだね、普通はそうだ」


 まるで、普通じゃない理由でなら納得できる、という言い方だった。

 ことの重大さがようやく飲み込めてきたロヴィーサやアイナは、顔を青くさせて話に聞き入っている。


「世界を滅ぼすつもりだからさ。この世の命を、一度全て消すつもりだからだ」


「あり得ない……ッ!」


 レヴィンは押し殺した悲鳴を上げつつ、アクスルを睨みつけた。

 身体を近づけ、互いの息が届く距離まで顔を寄せる。


「レジスクラディス様の、侮辱は……! 先生と言えど……!」


「分かってる。僕も覚悟をもって言葉を口にしてる。この場で斬り伏せられても文句を言えない。だから、その覚悟に免じて、まずは聞くだけ聞いてくれ」


 そうまで言われたら、最後まで聞こうという気持ちにもなる。

 レヴィンは荒くなりそうな呼吸を必死に抑え、話してみろ、というつもりで顎を動かした。


「……もしも相手が賢くて、本気で滅ぼそうと考えていたら、真っ向からぶつかると思うかい? ……あぁ、淵魔はそうしているように見える。考え知らずで本能のままに特攻……そして、負けそうだ。だが、それがまったくの欺瞞だとしたら?」


「これまでの、全てが?」


「……人類は勝ち越し、その道すべてを封じて来た。陣取りゲームに勝利を重ねた。しかし、勝ち取ったはずの大地から……それら神殿全てから、再び淵魔が出現したら……?」


「そんな……、はずは……!」


 否定したくとも、即座に否定できなかった。

 喉元まで出掛かった言葉が、どうしても止まる。


 これまで出現しないと思われた地域に、実際、淵魔は現れていた。

 どこから現れたか、という話もした。


 東と南、どちらの防備も厚く、決して数体の淵魔が漏れたとも思えない。

 さりとて、辺境領が壊滅したとも思えなかった。


 ならば、淵魔は一体どこからやって来たのか。

 神殿そのものから、淵魔がやってくる、としたら……。


 ――前提からして間違っている。

 そういう話もした。

 その時の言葉が、今になってレヴィンの脳裏に響いていた。


 アクスルの発言を、ただの妄言と切り捨てるのは、今となってはもう不可能だった。

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