それは空からやってくる その11

 イルヴィと七生の間で火花が散る。

 睨み合いがしばらく続いた後、イルヴィの方から一歩踏み出して、七生に顔を近づけた。


「これから淵魔とやり合おうって言うんだ。当然、一番強い女がその隣に立つのが、正しい姿ってもんだろう?」


「それはどうかしら? 単に腕力勝負で勝利を誇られてもね……。といっても私は別に、正面からの斬り合いで負けるつもりもないけれど」


「じゃあ、勝負して勝った方が第一夫人。……それで異論ないね?」


「そうしたい、というなら。……でも、もっとよく考えて発言した方がよろしくてよ?」


 イルヴィの挑戦をさらりと躱し、七生は代わりに挑発的な笑みで応じる。


「第一夫人の意味、分かってる? 貴族ともなれば、様々な場で社交を求められるの。私達は淵魔討滅が第一になるだろうから、常に華やかな夜会に出席する……ともいかないでしょう。でも、功を上げれば登城の機会もあるでしょうし、パーテイがあるとなれば、パートナーとの出席は義務よ。……貴女にマナーとか学べるの?」


「う、ぐぅ……!?」


「勿論、私の知るマナーと、こちらのマナーには違いがあるでしょう。でも、元々の基礎や知識は、決して無駄にならない。それに私は厳しい躾を受けて育った身だから、そうしたことの耐性もあるしね。……貴女にそれがあるの?」


「そ、それは……。それは……っ!」


 畳み掛ける七生の猛攻に、イルヴィは二の句を告げない。

 額に汗を乗せ、口を開閉させはするものの、言葉までは出ていなかった。

 七生はそれを見ると、瞳の端をキラリ光らせ、更に言葉を重ねた。


「言っておくけど、正式なパートナーとして出席したなら、その人の失態は夫であるアキラ君の失態にもなるからね。自分だけの恥では済まされない。それでも尚、自分の方が相応しいっていうなら、譲ってあげても良いわ。これから行われるだろう教養の訓練や教育に対して、協力も惜しまない」


「う……っ、いや……、そういう堅苦しいのは……。そう、妻は複数居るんだから、適材適所で得意な奴が行けば……!」


「急病だったり怪我の治療を優先する場合なら、それも許されるでしょう。けれど、毎回とはいかないの。正式なパートナー、第一夫人の同伴っていうのは、とても大事なことだから。務めを果たせない夫人を娶ったというなら、それはやっぱり侮られる。貴女は当然、そしてアキラ君までもね」


「ぐ、ぐぐ、ぐぐぐぅ……!?」


 矢継ぎ早に放たれる七生の正論に、イルヴィは返す言葉を持たなかった。

 しばらく唸っていたものの、遂に現実と折り合いを付け、苦渋の決断を口にした。


「し、仕方ない……。アキラに恥をかかせるのは、あたしだって嫌だからね……。それじゃあ、第二夫人で負けといて――」


「ところが、そうはいかないんだなぁ〜! アタシが既にそのポジション、貰ってるからね!」


「おま……っ、スメラータ! 最初から分かって……! 矢面は避けて、陰から美味しいとこ持ってくなんざ……っ! アンタそういう女だったかい!?」


「目先の欲に囚われて、気付けない方が悪いんじゃん。貴族の正室なんて、絶対面倒事が付いて回るし。いっそ第三なら、何も期待されない分、気楽で良いんじゃん?」


 挑発を滲ませながらのスメラータの発言に、イルヴィは我慢の限界を迎えた。


「だったら代わりな! 馬鹿なお前にゃ、それぐらいが丁度良いだろ!」


「いやだよー! アキラの二番目は、アタイのもんなの!」


「……いや、ちょっと待って。僕抜きで、勝手に話を進めないで貰えるかな……」


 アキラが額に手を当てたまま、大きく溜め息をつくと、ヴァルデマル王は面白がって声を上げた。


「不服なのかね?」


「王様こそ宜しいのですか? うちの者が言うには、僕に嫁がせたい人とかいるのでは?」


「競争相手が手強そうなのでね。……なに、縁を作るのは、子の代、孫の代でも構わんよ」


 流石は王族と言うべきか。 

 割り切り方と、先々を見据える目は、アキラの及ぶところではなかった。


「叙任式については、なるべく急がせる。国を預かる王としては歯痒いが……どうか、この国と民とを、よろしく頼むぞ。エィキラー・ユーカード殿」


「いや、あの……アキラ・ユキカドです」


「……そう、言ったろう?」


 不思議そうに見返され、アキラは言葉を返す気力もない。

 スメラータとイルヴィは、未だ何事かを言い合っており、七生が早くも女主人の風を吹かせて収めようとしていた。


 周囲には兵と村民がおり、長らく続いた緊張も解け、その様子を面白おかしく見守っている。

 ミレイユもまたその様子を見て、遂に声を上げて笑った。



  ※※※



 こうして、ミレイユが語るアキラの物語、その大部分が終わった。

 日をまたぎ、数日に渡って続けられた話も、とうとう終わりが見えてきた。


 時刻は夕方、今はもう日が沈むところで、橙色の空に藍色の幕が垂れ落ちようとしている。

 皆で一様にソファーに座り、その視線は全てミレイユへと集中していた。


 彼女の横顔が暖炉の火で照らされ、柔らかい光は揺らめき、美しく彩っている。

 そして、遠くを見ていたミレイユの視線は、ここでレヴィン達へと向けられた。


「そういう訳で、アキラは叙任されると共に婚約も発表した。正室となったのは七生で、互いに大陸では珍しい黒髪だった。お前の一族で黒髪が尊ばれるのは、そういう所から来ている」


「あぁ、やっぱりそうなんですね……。確かな事とは伝わっていませんが、初代様にあやかりたいのだとは思っていました」


 ミレイユはこれに頷き、次にロヴィーサとヨエルへ、順に顔を向けた。


「この時、第二、第三夫人から生まれた子が、新たに本家を支える分家を作った。淵魔へと対抗するには強い結束が必要で……、また家督争いから遠ざける為のものでもあったようだな」


「話を聞いていると……、必要な事だった気がします。淵魔と戦うより前に、身内争いが勃発しては本末転倒ですし……」


 ロヴィーサの推測に、ミレイユは薄く笑って応える。


「本人達の口喧嘩は結婚し、子供をもうけた後も変わらなかったようだ。それは結束と親愛の裏返しでもあったのだが、誰の子供が優秀かという、非常にありがちな家督問題にも繋がりそうだった」


「先程のお話を聞いていると、実にありそうな話です。……ですが、新たに分家を立たせ、本家の家督から切り離すのも、ひと悶着あったのではありませんか?」


「皆無ではなかったが、そこはすんなりと話が進んだらしい。あの女達は確かに我が強いが、アキラを支え共に生きる、という部分に関して一貫していた。そこを冒されない限り、大した問題ではなかったのだろう」


「そこまで愛して貰えるのは、ちょっと羨ましいですね」


「……若様?」


 レヴィンの迂闊な発言に、ロヴィーサの眉がぴくり、と動く。

 その視線には、余りに寒々しい色が乗っていた。


「よもや初代様と同じように、三人目が欲しい、とは言わないでしょうね? 複数の妻を娶るのは国法上問題ありませんけれど、平等に愛する必要もあるのですよ?」


「いや、待ってくれ……! ただ、そこまで愛されるのは、男として冥利に尽きるって話であって、別に俺は二人目も三人目も欲しいと思ってない!」


「それでは――!」


 ロヴィーサは激昂する様に声を張り上げ、しかし、全員の視線が集中しているのに気付いて言葉を止める。

 それから恥じ入るように押し黙り、頭を下げ、視線を地面へと向けた。


 アイナはそれを不思議そうに見つめ、慰める様に肩を撫でた。

 それを見ていたミレイユは、その様子を見て、くつくつと笑う。


「クールそうに見えても、熱くなるとすぐ直情的になるのは、血筋のせいか? これはレヴィンにも言えるが……、どちらかと言えば母親側なのかもな」


「そういや……、俺ってどっちが先祖になるんですかね?」


 そう言って、ヨエルは自分の顎先を指差しながら、首を傾げた。


「分家の初代様の名前は伝わってるんですが、その母親ってなると分からないんで……」


「お前はイルヴィの方だ。あれの子孫なら、てっきり槍術を磨いていると思ったが、どうやら違うようだな。大剣はスメラータの方だろうに……」


「どうも大剣こっちの方が性に合ってるもんで……。親父からは何度も矯正しようと、しごかれましたがね」


 ヨエルは恥ずかしそうに頭を搔き、苦笑いを浮かべる。

 なるほど、とミレイユは楽しそうに頷いた。


「まぁ、何だかんだと、三百年近く続いている家系だ。そういう事もあるんだろうさ。それを言うと、ロヴィーサは伝統からは逸脱してるしな」


「は……、恐縮です」


 この時ばかりは、ロヴィーサも地面から視線を外し、ミレイユを一瞥してから頭を下げた。

 どこまでも固い仕草だが、順応しているレヴィンやヨエルが異常とも言える。


「さて、私もいよいよ話し疲れてしまった。少し早いが、今日はもう休め」


「はい、そうしますが……。そろそろ夕食の時間で、食堂も混む時間ですよ……?」


「いいや、今日はこちらで取る。……少し、こうしていたい」


「は……、そういう事でしたら……」


 レヴィンは粛々と礼をして、仲間達を引き連れ、部屋の外へと出て行った。

 後に残ったのは、気心の知れるミレイユの仲間だけだ。

 そこにユミルが、優しい言葉遣いで話しかける。


「途中で話、止めちゃったのね」


「……別に。あそこまでで十分だろう」


「そうねぇ。流石に、半生に渡る戦いの歴史を、最後まで語ってたら話も終わらないし」


「……うん」


 ミレイユの反応は、どこまでも鈍い。

 そして、その鈍さについて、ユミルが感づかない訳もなかった。

 隣に下ろしていた腰を更に近付け、その肩を抱く。


「昔を思い出して、寂しくなっちゃった? アンタももう、常に置いていかれる側になったのよ。覚悟は済んでいたハズでしょう?」


「――ミレイ様。ミレイ様には常に我々が……、このアヴェリンがおります。決して、置いていかれるばかりではありません」


「あぁ、そうだな……」


 ユミルに負けじと顔を近付けるアヴェリンに、ミレイユは儚く見える笑みを見せる。

 そして、その言葉を疑っての態度ではなかった。


 ただ、親しい者、慕わしい者の多くは、必ず別れの日がやって来る。

 それを再認識して、寂しさを抑え切れなくなっただけだった。


 ミレイユは彼女達から視線を外し、それから窓から見える景色へと移し、儚い笑みを作った。

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