それは空からやってくる その10

 ミレイユは大きく頷くと、アキラの肩から手を離す。

 そうして宙へ身を翻すと共に、叩き付ける様な声を傍らへと向けた。


「――ヴァルデマル」


「ハッ!」


「お前に我が一翼を託す。丁重に遇し、淵魔討滅の任に際し、最大限支援しろ」


「畏まりました。寛大な仰せに、感謝致します」


 ミレイユはこれに小さく頷くと、竜の頭に戻ろうとし……しかし、途中で動きを止めた。


「戦力は追って連れて来る。現状、どうあっても、アキラだけで対処不可能だからな」


「ハッ、事前に人数を教えて下されば、その受け入れ準備、住む為の家屋など、用意すると約束致します」


 ミレイユはそれを聞くと、今度こそ竜の頭へ戻って行った。

 ふわりと着地するなり、横座りになって肩を上げる。


 その丁度出来た隙間に、白い毛並みの狼が顔を出し、ミレイユのすぐ横で伏せをした。

 頭の場所が丁度肘掛けに良い高さで、ミレイユはそちらに体重を掛け、神獣の額を撫でた。

 そうして泰然と見下ろす光景は、神としての威厳に満ちている。


 アキラはその光景を惚れ惚れと見つめていたが、直ぐにハッとなって後ろを振り返った。

 そこにはチームメンバーの皆が、困った様な笑みを浮かべていた。


「ごめん、相談もなく決めてしまって……」


「いいよ、アキラがそういう人だって、前から知ってたからさ……」


 スメラータが更に困り顔を深めて言うと、七生もまたそれに追従する。


「それに、御子神様の仰せとあってはね……。事の重大性を認識できるなら、断る選択肢なんて生まれないし……」


「そうは言ってもアキラ、一言くらい……いや、目配せくらい寄越してくれても良かったじゃないか?」


「それについては、素直に申し訳なく思ってるよ。今更だけど……自分の気持ちはどうあれ、皆の気持ちを蔑ろにするべきじゃなかった」


 そう言って、アキラは三人へ素直に頭を下げた。

 精一杯の誠意が伝わって来るから、三人もそれ以上、文句を言えない。

 互いに顔を見合わせ笑みを浮かべた所へ、顔を上げたヴァルデマル王は、アキラを見据えて言った。


「何れにせよ、我がエネエン王国は深い歓迎の意を捧げると共に、貴殿らの活躍に期待する」


「はい、しかと勤めを果たします」


「うむ! 正式な歓迎式典、そして叙任式を迎えた後になるが、まず伯爵位をと考えている。初叙任でこの爵位を与えられる例は、これまでなかった事であろうよ!」


「それは……また、過分な……」


 アキラが固辞する仕草を見せると、ヴァルデマル王は大袈裟に否定する。


「過分などと、己を卑下する事はない! 神の御使いを我が国に迎えられたことは、この上ない名誉である! 未だ領地を持たない貴族ではあるが、それについては淵魔討滅に際し、どこを割り当てるべきか、あるいは切り取るべきかを考えるべきであろうな!」


「領地……、領地か……。民を守るだけじゃなくて、食わせる為にも色々考えないといけなんだろうな……」


「大丈夫、その辺は私も協力するから。御由緒家のノウハウも、それなりに役立つと思う。それだけじゃなく、現代農業の応用とか、活かせる部分はあると思うし……」


「いや、助かるよ。そういうの僕、てんで駄目だろうし……」


 アキラが頭を掻きながら頭を下げると、七生は実に自慢げな表情を、スメラータとイルヴィに向けた。


「いいのよ、アキラ君。私は貴方を支えるって決めてるし……、貴方も私を支えてくれるでしょう?」


「それは……、勿論だよ。助けが必要な時は、必ず助けるって言ったからね」


 七生は嬉しそうに微笑む。

 ただ嬉しいだけではなく、一人の女性として、好いた男に頼られる喜びを感じる笑みだった。


 そこへ、事態を見守っていたミレイユから、何気ない声が降ってくる。

 しかし、その何気ない声そのものが、特大の爆弾になった。


「ふぅん……? アキラはその女に決めたのか」


「へ? 決めた、というのは……?」


「自分の伴侶に」


「――え!?」


 素っ頓狂な声は、アキラだけではなく、スメラータとイルヴィからのものだ。

 ただ七生だけが、ミレイユに対し身体を向け、最高礼の角度で腰を曲げた。


「仰るとおりです、御子神様。正に今、そのように決めて下さいました」


「――どさくさ紛れに、何てこと言うのよ!? 自分に都合よく解釈すんの止めなさいよね!」


「まったく、油断も隙もあったもんじゃないね。これだから、悪知恵だけは働くって言われるんだよ」


「さて、何のことかしら……?」


 アキラや国王、ミレイユさえも置いて、三人は喧々諤々と言い合いを始めた。

 アキラは頭を抱え、ヴァルデマル王は笑い、ミレイユは面倒臭そうに頭を振る。

 そうして、竜の頭から無遠慮な言葉を落とした。


「アキラ、あれだけ時間があって、誰にも決めてなかったのか?」


「……いや、決める……と申しますか、自分には誰もが勿体ない、と申しますか……」


「関係あるか。お前を好いているなど、誰が見ても明らかだ。時間も機会も十分にあったろうに、これまでに定めなかったお前が悪い」


「は……、返す言葉もございません……」


 アキラが殊勝に頭を下げると、ミレイユは神獣へと更に体重を預け、その毛並みを撫でる。

 それからつまらなそうに言い合いしている女三人を見やり、投げ遣りにも見える態度で言い放った。


「アキラ、お前はここで相手を決めろ。爵位を受ければ、婚姻は切っても切り離せない。どこの馬の骨とも知れない奴より、互いに好意を抱いている相手の方が良いだろう」


「ちょっと待ってください。婚姻はともかく、どこの誰とも知れない相手と、結婚させられたりするんですか? 無理やり?」


「――アキラ君。それは当然、あると考えるべき所でしょう」


 さも当然と言わんばかりに頷いた七生に、アキラは食って掛かるように近付く。


「ど、どうして? 貴族は恋愛結婚できないとか言うけど、でも、この国の人間って訳でもないのに……!」


「これからなるわ。そして、国王肝煎きもいりの新興貴族として列せられる。商人が金で買った爵位じゃなくて、王から直々に請われて授けられた爵位なのよ。その意味合いも、価値も大いに違う。家同士、繋がりを持ちたいと思う貴族は、当然出て来るでしょう」


「いや、だとしても……」


「そもそも、ヴァルデマル王自身、王家と結び付けようと考えてるはずよ。大神レジスクラディス様と直接的繋がりを持ち、それを目の前で直々に見せられたのよ。王家の血に取り入れたい、って思うのは当然じゃない」


「そうなの……!?」


 そうなの、と七生は断言する。

 そして、生粋の貴族として――日本では五家しかない貴族として、生きた知識を以って言われると、アキラもそうなのだろう、としか思えなくなる。


「ど、どうしたら……?」


「アキラ君、結婚はイヤ……?」


「そういう訳じゃ……。いつかするだろう、とは思ってたけど、それはあと十年は先の話かと……」


「こちらの常識くらい、アキラ君も知ってるでしょう。二十歳で子どもを持つのでさえ、遅いとされる時代よ。貴族なら、持っていて当然と見做される。アキラ君は年頃なんだから、未婚となれば見合いが殺到するわ」


 アキラは青い顔をさせて首を左右に振る。

 ――それは困る。御免被りたい。

 言葉こそなかったが、誰が見ても誤解なく、そう思っているのは明白だった。


 そこへ、それまでにこやかに事態を見守っていたヴァルデマル王は、やはりにこやかな顔のまま言う。


「エィキルァ殿……。言っておくが、今更爵位を受け取らない……という話は通らぬぞ」


「やっぱり、そうですか……?」


「そうなろう」


 ヴァルデマル王はゆっくりと、そして見せつけるように何度も頷く。

 アキラの顔は泣きそうに歪んでいたが、それでもこの場で誰かに決めよう、と言い出さない。

 そもそも、その程度の後押しで即断できるなら、とっくの昔に告白の一つはしていた。


 ミレイユは呆れた息を吐いて、神獣の毛並みを指先を弄びながら言う。


「面倒だから、お前はもう……三人全員、娶れ」


「え、全員……!? そんなの許されるんですか!?」


「貴族なんだ。当然、許される。正室が必ず、子を設けるとは限らないんだからな。継承問題に発展し易いから得策ではないが、次善の策として許容されなくては、血が絶たれる。――ヴァルデマル、そうだろう?」


「えぇ、確かにおっしゃる通りでございます。国法では、男爵以上の爵位を持つ男は、三人まで妻を娶れる、とありますな」


 それを聞いたスメラータは、喜色を前面にして声を上げた。


「え、それいいじゃん! 誰か一人選ぶって言うから揉めるんだよ! 三人全員貰ってくれるって言うなら、アタイも文句ないし!」


「そうだねぇ。あたしにとって、アキラは一生に一度の男だ。他を考えてないんだから……まぁ、次善の策ってヤツに乗っても良いかね」


「じゃ、アタイ第二夫人!」


 手を挙げて宣言したスメラータに、七生は意外そうに目を見開いた。


「驚いた……。案外、欲がないのね」


「さぁ、どうだろうね〜?」


 スメラータは腕を頭の後ろで組んで、闊達な笑みを浮かべる。

 そうとなれば、正室の座は二人の間で、熾烈に争われることになった。

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