アキラ達の帰還 その1

「いやぁ、長旅だったねぇ……!」


 船のタラップを降りながら、晴れ晴れとした表情で闊達に言ったのは、笑顔を満開にさせたスメラータだった。

 無造作に伸びた赤髪を、簡素な革紐を使い後頭部で一纏めにして、日焼けした肌を惜しげもなく晒している。


 普段は革鎧に身を包む彼女も、海上の照り付ける日差しでは音を上げて、早々に脱ぎ去っていた。

 今は下着同然の姿だが、誰も気にした様子はない。


 それもそのはず、船上で厚着している者などいない。

 水夫は上半身、裸であるのが普通だし、乗客も薄布一枚だったりするものだ。


 女性の場合はもう少し着衣に気を使うが、大なり小なり仲間は全員、身軽で通気性の良い格好をしている。

 特に蒸れ易い鎧は、身に付けるだけで苦痛だし、汗疹にもなり易い。


 普段は厳格な七生もまた、スメラータより着込んでいるものの、やはりシャツ一枚の格好だった。

 黒髪を肩ほどの長さで切り揃えている彼女は、何かと奔放になりがちなチームを諌める事が多い。


「スメラータ、貴女いい加減、服を着てちょうだい。あまり肌を晒すのは、みっともないわよ」


 今も苦言を呈した彼女は、パーティの財政と物資補給の担当をしている。

 それというのも、他にやらせると杜撰過ぎる、というのが理由だ。


 ただし、後方で控える縁の下の力持ちタイプではなく、しっかり前衛で戦える。

 刀を使う剣術は、力と剛を以って制すスメラータとは真逆の、技と柔を以って成すタイプで、魔術に対する研鑽も深い。


 自己強化に特化しているので、他人を支援したりは出来ないものの、理論立てた魔力制御から繰り出される力は、他の仲間とも見劣りしない。

 煩がられるが、頼りにもされる、一風変わった立ち位置だった。


 そして、七生に続いて船から降りてきたのは、チームに置いて一目置かれるイルヴィだ。

 姉御肌な所があり、面倒見が良く、誰に対しても基本、さっぱりとした性格だった。


「ほらほら、着いた早々、口喧嘩なんて止しておくれよ。船の出入り口で騒ぐのはナシだよ」


 短い銀髪を靡かせてタラップを踏む彼女は、他の者と違って鎧を身に着けている。

 金属と皮革ひかくを組み合わせた鎧は、重量と防御を比較してバランスが良く、両太腿を晒して刻印を見せているのも、彼女のスタイルだ。


 常在戦場を旨としているイルヴィだから、幾ら暑かろうと脱いだりしない。

 見ている方が暑苦しい、とスメラータから苦言を言われても、頑なに脱がなかった彼女だ。


 戦士としての気構え、とイルヴィは笑ったが、汗疹で苦しんでスメラータに治癒刻印を無心していたのでは本末転倒である。

 そうして、パーティの最後にタラップを降りたのは、リーダーでもあるアキラだった。


 短い黒髪をした青年で、昔は女顔と言われた顔付きも、今では精悍さの方が増している。

 線の細かった身体にも厚みが出来、しっかりと逞しい筋肉が付いていた。


 優しげな風貌も相まって、女性に人気の出そうな顔付きなのだが、本人は全くの無自覚だった。

 酒場の店員など、色目を使って来そうなものだが、最低限の接客だけで逃げる様に去って行く。


 全てはチーム内の女性陣が敵意を放つからなのだが、そこも自覚していないので、外見的魅力は皆無だと思っていた。

 そんな彼女らは、アキラに心酔するだけでなく、異性として快く思っていて、何かと男女の仲を匂わせる。


 特にイルヴィの言動は群を抜いていて、直接的に肉体関係を口にして憚らない。

 アキラの戦士としての力量を認めつつ、情熱的なまでのアプローチをしているので、それがアキラを悩ませる事になっていた。


 ただし、それはイルヴィだけの話ではなく、他の二人も同様だ。

 女三人に男一人という、バランスの悪いチームになっているのも、一重に誰もがアキラを思うが故だ。


 しかし、彼にとって女性に想いを寄せられるのは初めてのことで、それが三人同時という形で重なってしまった。

 女性との適切な付き合い方も知らない内に、婚姻を迫られたりしたりで、どう接して良いのか、ほとほと参っているのが現状だった。


「……ともかく、無事に帰って来られて良かった。一番の敵は船旅だったな……」


 何しろ、移動中は基本的にやる事がない。

 船員が忙しくない時は、甲板に出て風や海を楽しむ事も出来る。

 だが、何もない海、何も起きない海を見ていても、基本的に飽きるのだ。


 女性陣は何かと話す話題に事欠かないらしいが、アキラは話下手もあって、そうではない。

 結果として、未知の大陸の大冒険より、船旅が一番の苦労となってしまった。


「アキラ、何トロトロしてんのさ。水だって食糧だって、節約する必要ないんだよ? 今日はパーッと食べないと!」


 スメラータが爛漫に言った。

 船旅は急な悪天候など、突発的なアクシデントが起きやすい。

 だから、馬車などより余程上手く行程が運ばない。


 その上、現在は新たな航路が開かれたばかりだ。

 それは新たに通商が開かれた、という意味でもあり、多くの品が飛ぶように売れる。

 当然、船には荷を大量に詰め込むだけ詰め込まれ、食糧は切り詰められる事になっていた。


 船代だけで供される食事は、一日に一食だけ。

 だから、日に三食欲しければ、自分たちで食糧を買い込まなければならない。

 そして、渡航日数に予測が付けられても、大幅にずれる見込みがあるので、どうしても切り詰める必要があったのだ。


 七生は十分な食糧を用意していたものの、天候ばかりは読み取れない。

 天気が良くても風が吹かない日や、ごく弱い日などもあり、帰港日は遅れに遅れた。

 お金はあったが、船内で新たに買い付けるのを、彼女は許さなかった。

 

「相場の十倍なんて、とても出せたものじゃないわ。そんな足元見た商売なんて、買う方が負けよ」


「金はあるんだから、出しゃ良かったのにねぇ」


「そういう問題じゃないわ。お金だって無限じゃないんだから、切り詰めるべき所は切り詰めるべきなの。それに、あの商人の目……思い出すだけで怖気が走る!」


「ま、確かに金を求めてたってより、出せない金額提示して、別のモンで払わせようって魂胆だったろうさ」


 イルヴィの顔にも、些か剣呑な表情が浮かんでいる。

 そこへアキラが、悪くなりかけた空気を払拭しようと、皆を先導して港の外――多くの宿や商店が並ぶ通りを示した。


「それならやっぱり、まずは打ち上げしよう。浴びるほど飲むのも良し、腹が裂けるほど食べるも良しだ」


「今更あの時を思い出すより、よほど建設的って感じだね。いい加減、固パンと干し肉以外のモンを食いたいよ」


 それは全員の総意に違いなかった。

 何処にするか詳しく吟味する事もなく、目についた飯屋へ入り込む。

 今は昼を過ぎたばかりで、食堂の多くは賑わっていたが、アキラ達は何とか席を確保する事が出来た。


 食堂にはメニューが豊富な方こそ珍しい。

 昼時は特に、決まった物しか出ないのが普通だった。

 品数が多いのは夜の食堂で、こちらは酒に合う料理も良く提供される。


 しかし何事も、多くは金で解決したりするものだ。

 イルヴィが高らかに叫んで、店主に革袋ごと銀貨を放ると、横柄にも見える程度で注文する。


「まずはエールだ! それから焼いた新鮮な肉! 後は適当に持って来い!」


 店主は一瞬、萎縮した様子を見せたが、革袋には十分過ぎる程の金額が入っていた。

 稼ぎにして一週間程の銀貨が入っているので、これに文句を言える筈もなかった。


 それに、冒険者が横柄なのは今に始まった事ではないし、実力者と分かる相手に逆らったりしないものだ。

 強者の風格を漂わせるイルヴィには、誰も文句を言わせない圧力があった。


 席に座って幾らもしない内に、エールだけが運ばれてくる。

 樽をそのまま小型にした形のジョッキが、それぞれの前に乱雑な手付きで置かれた。


 しかし、これは接客態度が悪いとか、先程の態度を悪く思って取られた行動ではない。

 昼時ともなれば、店は火の車と言って良い忙しさだ。

 効率優先で、丁寧さなど気に掛けない方が普通だった。


 それを良く知るアキラ達は、殊更目くじら立てたりしない。

 こちらの生活に慣れつつある七生だけが、唯一コメカミに力を入れただけだ。


 それに、声を上げて抗議しようともしていない。

 彼女が異世界へやって来た初期と比べれば、随分険が取れて丸くなった方だった。

 全員がジョッキを持ったのを確認すると、アキラが声を上げる。


「それじゃ、何はともあれ、まずは乾杯だ!」


「無事の生還に!」


「我々の冒険に!」


「明日への感謝に!」


 思い思いの感情を声にして、突き出したジョッキをぶつけ合う。


『――乾杯!』


 中身が跳ねて飛び散るが、それを気にする者などいなかった。

 服に付くから嫌だと、最初は難所を示していた七生も、今では慣れたものだ。

 しかし、エールの味に慣れないところは、いつまでも変わらなかった。


 喉を鳴らして腹へ収めていくイルヴィとスメラータとは対照的に、二口だけ飲んで直ぐに杯を降ろした。

 アキラはそれより更に二口多く飲んだものの、やはり直ぐに降ろしてしまう。


 イルヴィとスメラータは、結局全て飲み干すまで杯を離さなかった。

 飲み切った彼女達は、叩き付けるように杯を降ろすと、そのままおかわりを注文する。

 これもまた見慣れた光景なので、仲間は何も言わない。


 新たにエールが運ばれて来たタイミングで、串焼き肉も運ばれて来て、取り合う様に肉へ齧り付いた。

 満足そうに頬を膨らませながら、スメラータは笑う。


「やっぱ肉は新鮮なのが良いよね! 干し肉ばっかで飽きるったら!」


「肉ってのは、豪快に齧り付いてこその肉だろうねぇ!」


 イルヴィもこれには賛成して、串に刺さった肉へ歯を立て、大きく噛み千切って口へ入れる。

 そのまま口内で大いに咀嚼しながら、満足気に笑った。


 そして七生は、イルヴィの様子を困ったように見つめている。

 昔は下品だと口煩く言っていた彼女も、遂にはそうした表情一つで済ませる様になった。


 軟化したと見るべきか、諦めの境地に至ったと見るべきか、複雑なところだ。

 その七生も、以前はわざわざ皿へ移してフォークで食べる、という事を止め、そのまま齧り付く様になっている。


「……さて。それじゃあ、今回の北東大陸について、改めて思った所を言い合いましょうか」

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