喪失 その7

「……あたし、聞いてて思ったんですけど……」


 そう言って、アイナは周囲の顔色を窺いながら手を上げる。

 レヴィンが続きを促すと、彼女は自信無さげに、その続きを話し始めた。


「助力を請おうとして、まず冒険者を挙げてましたけど、先に国家を頼る方が先じゃないですかね……? 手が足りないとか、全ての神殿に対して働き掛けるとか、その辺考えると、やっぱりそれが一番って思うんですけど……」


「あー……、それな……」


 ヨエルは曖昧に頷き、一応の賛意を示す。

 しかし、それも一瞬のことで、曖昧に視線を逸らした。


「またあたし、変なこと言っちゃいましたかね……」


「いや、そういうんじゃないけどな」


 ヨエルは咄嗟に否定したが、やはりその態度は芳しいものでなかった。

 レヴィンと顔を見合わせて、互いに苦い笑みを浮かべている。


「淵魔の脅威は共有共通……、確かそう言ってましたよね。これまでは辺境だけで済んでた話でも、今はもう違います。これって、国家のいち大事じゃないでしょうか」


「いや、アイナの言うことは一つも間違ってない。辺境外で出現したんだ、もう何処に出てきても――中央で出現したとしもおかしくない」


「だったら、やっぱり国が主導で、この事態を治めるべきではないですか? いち地方のいち領主が、解決する話じゃないですよ」


 アイナの熱弁には驚きをもって迎えられ、そして一瞬呆けた後に、ヨエルから拍手を送られる。

 それは冷やかしではなく、誠意から向けられた拍手だった。


「いや、その通り。全くもって、その通りだと思うぜ。ことは異常事態だ。いち地方で抑えられていた時点ならともかく、今はそうも言ってられないよな」


「じゃあ……!」


「ところが、そう上手くはいかないのさ」


 レヴィンが困った笑みを浮かべ、何と言ったらいいか、と前置きしてから続ける。


「淵魔ってのは忌み嫌われる。存在自体が禁忌って考えもあって、国にとっても不浄だなんだと、目や耳に入れたがらない。辺境領にこれ幸いと押し付けて、鼻を摘んで手を払ってるのが現状さ」


「直接、戦ってくれる人に、そんな態度……!」


「別に俺は、気にすらしてなかった。して、なかったんだけどな……」


 そう言って、レヴィンは表情を消して黙り込む。

 ユーカード家にとって、大事なのは国より神だった。

 レジスクラディスより直接、宣下あって任命され、淵魔との戦いに身を投じてきた。


 それは紛れもない誇りであり、国家からの後ろ指など、毛にも感じぬものだった。

 しかし、淵魔の存在こそ、神が用意したものならば……。

 それは神が仕掛けた、低劣な茶番に違いなかった。


 レヴィンは鼻の頭にシワを寄せ、息をひとつ吐いてから、改めてアイナに向き直る。


「まぁ、中央からすれば、鼻摘まみ者の言い分など、知ったことじゃないだろうな。淵魔が辺境外に出たのなら、それは即ち辺境領の失態と取る。助力の要請は難しい」


「そんなことって……」


 アイナは怒りに震えていた。

 国への失望からではなく、今も淵魔と戦う者たちを思ってこその怒りだった。

 しかし、既に半ば諦めているレヴィン達と違って、アイナは尚も熱弁する。

 胸の前で両拳を握って、上下へブンブンと揺らした。


「直接脅威と戦う人達に、そんな無礼な真似するなんて……! 今こそ、一丸となって戦うべきなんです! 目を逸らしたって、淵魔は待ってくれませんよ!」


「直接襲われるまで、幾ら声を上げても無駄だろうさ。これは例えるなら……、火事と同じだ。火はまだ熾っていないんだ。見えてない火に危機なんて覚えないだろう。火はいつか熾る、と叫んだ所で、臆病者として誹りを受けるだろうな」


「でも、国家は水を用意しておくものでしょう? 常にその時を想定して、万が一を考え用意しておくものです……!」


「もう用意されてある。――それが、俺達だ」


 その一言で、アイナは虚を突かれた様な顔をした。

 言葉の意味を理解するにつれ、悲しげに顔を歪ませ、それから力なく拳を下ろす。


「じゃあ……、援軍はアテに出来ないってことですか……? どこからも……」


「説得を初めから諦めるものじゃないが、ハスマルク様だって信じてはくれなかった」


「何より淵魔に近いからこその否定……、だったかもしれねぇけど」


 ヨエルの指摘に、レヴィンは素直に頷く。


「それもまた確かだ。より淵魔に近しく、詳しいからこそ否定された。……じゃあ、遠く離れ、知識に乏しい王は、理解を示してくれるのか?」


「そもそも淵魔を知らない中央が、どこまで歩み寄ってくれるっつーんだよ……」


「孤軍奮闘……するしかない、ってことですか」


 アイナの零した一言こそが、真実の近いところを突いていた。

 淵魔が辺境外に出現することは、前提としてあり得ないという認識でいる。


 それは決してあり得ないことではなかったが、そうと思えるほど長きに渡って淵魔を辺境外へ押しやっていた。

 今では、その実績と常識こそが、敵だった。


「でも、レヴィンさんが自分の領に帰れば、きっと皆は助けてくれますよね?」


「どこよりも耳を傾けてくれるのは、目違いないだろう。お祖父様も信奉篤い方だから、説得には時間が掛かる。だけど、全く不可能とは思わない。しかし……」


「しかし……?」


 言葉を窮して黙り込んでしまったレヴィンは、腕を組んで床を見つめる。

 喉奥で唸りを上げて、それから眉間にシワを寄せたまま顔を上げた。


「問題は兵だ。信奉篤いのは、何も我が一族だけじゃない。領民にとっても同様で、派兵しても言うこと聞くかって問題がある」


「そうだよな……。淵魔が湧き出た神殿を襲うのに躊躇はなくとも、未然に防ぐ為だと言われて襲えるか? 反発だけならまだしも……」


 ――最悪、反旗を翻される。

 血迷った領主をお止めしろ、と全くの善意で止めてくる可能性もあった。

 体の芯まで染み渡った信仰は、それ程までに根深く、そして強い。


「じゃあ、やっぱり無理ですか……」


「考える程に、先生の取った行動が最適って気がする。秘密裏にやるのが、一番面倒が少なく、かつ確実だ」


「――ですが、それだと結局、時間が掛かり過ぎる問題を解決できません」


 ロヴィーサが放った一言で、またも室内に沈黙が降りる。

 結局、長く話し合ったところで、問題は最初に戻ってしまった。


 一つを攻める分には確実でも、時間を掛ければ襲撃は周知される。

 そうすれば、神々は計画を前倒しにするかもしれなかった。


「それに、問題は他にもあります。襲撃が神殿内で共有されるだけならまだしも、私達を特定されて、広く指名手配されては厄介です。どこにも顔を出せなくなりますし、食料の補充さえままなりません」


「賞金首ともなれば、冒険者は味方どころか、敵に回るな……」


「それに……」


 ロヴィーサは果たして言うべきか、迷う素振りをさせて口を閉じる。

 レヴィンが続きを促すと、やはり迷いながらも口を開いた。


「国か、あるいは領を味方に、とお考えでしたけど……。それは神の一声で覆ります。神託や啓示……形は様々でしょうけど、いざとなれば、若様の説得を根本から引っくり返すのは、実に簡単だろうと……」


「……そうだな。あぁ、そうだ……」


 レヴィンは頭痛を堪えるような顔で表情を歪め、部屋に唯一ある窓から外を眺めた。

 窓は小さな四角形で、見える範囲もそれに合わせて限定されている。

 空は狭く、雲の動きすら満足に見えない。


 神々の思慮は深く、計算高く用意された舞台は、踊ることさえ許されていないように思えた。

 レヴィンの抵抗など、全くの無意味かもしれない。

 足掻くほどに身動き取れなくなり、進む先全てに壁が用意されているように思えた。


「しかし、諦めることだけはしない。――そうとも、声高に叫んだところで、狂人と思われるのがオチだ。敵は強大で、我らは弱小。……そうだとしても」


「若様の志はご立派です。どこまでもお供します。けれど、現実的な面にも目を向けてくださりませんと」


「……水を差すなよ、いいところだったのに」


「熱くなり過ぎるところを、諌めるのが私の役目です」


 ロヴィーサはいつでも物事を一歩、引いて見ている。

 しかし、それは情熱がないからではなく、レヴィンの助言役として力になりたい、と思えばこそだった。


 レヴィンもまた、熱くなりやすい自分を理解しており、彼女の諫言には良く助けられて来た自覚がある。

 ロヴィーサに頭の上がらないレヴィンは、弱り顔のまま笑みを浮かべた。


「まぁ、そうだな。窮地の時こそ冷静に……その通りだ。そのまま突っ走っても、大抵ロクなことにならない」


「……では、どうされますか?」


「どうしたものだか……」


 レヴィンは既に、万策尽きた思いでいる。

 何をすれば現状を覆せるのか、そのビジョンが全く浮かんでいない。

 足がかりすら見えていなかった。


「でもとりあえず、ここから急いで離れるのは決定事項か……。アイナが悪いわけじゃないけど、足踏みしている間に淵魔が押し寄せてきたら、それこそ申し訳ない」


「ここは位置付け的に、東の領都テルティアみたいな所なのでしょうか?」


「前線に近いのは間違いないだろう。どれほど離れているかはともかく、淵魔の刺激にはなる距離だとは思う」


 レヴィンが断言すると、そういえば、とアイナが声を上げた。


「レヴィンさん、あの場であたしのこと口にしませんでしたね」


「淵魔を呼び寄せる個人の存在なんて、言ったら処刑されるかもしれないんだ。お祖父様の時は止められたが、ここじゃどうなるか分からない。黙っているのが、賢い選択ってもんだろうさ」


「それもまた、信じるかどうかの問題でしょうけど」


 アイナとアクスルは、以前この近辺にいた時、その異常事態を誘発させてしまっている。

 即座に逃げ出したから事なきを得たとは言え、現場の混乱は相当なものだったろう。


 それは実際に、その現場を体験したレヴィン達だからこそ、良く理解できた。

 淵魔との戦いは、常に手傷を負わないことを前提に組み上げる。

 そして、その戦術と運用は、単純な動きしか見せない、本能だけで動く存在だから通用するものでもあった。


 そこに異常行動を見せられると、根本的な兵士の運用が変わってしまう。

 アイナの存在を知れば、決して看過されず、強行的な排除を目論むだろう。


「とりあえず、朝一番でここから出て行く。それからは、歩く道々、考えよう」

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