喪失 その6

 客室へと案内されたレヴィン達は、思い思いの格好でベッドの上に身を投げ出した。

 四人で一部屋の客間には、ベッドの他に小さなテーブルと椅子しかない。

 来賓に充てがう部屋ではなく、その付添人や侍従などが使う部屋だと分かる。


 急遽の来客だとしても、本来ならレヴィンだけでも別室を用意する所だろう。

 だが、敢えて一纏めにしたところに、ハスマルクからの扱いが透けて見えた。


 同胞はらから、という言葉に偽りはない。

 しかし、厄介事とも思っている。

 早く出ていけ、と湾曲的に伝えられているのだと、最後に聞いた言葉からも、それは明らかだった。


 レヴィンがベッドの上に寝転んで、深い溜め息をつく。

 隣のベッドに座るヨエルから、やはり疲れにも似た表情で、労る声が届いた。


「……あんまり気にしたって、しょうがないぜ。言葉を尽くしても伝わらないってこたぁ、山程あるもんさ。それに、信仰っていう土台は、どうしたってデカい」


「そうだな……」


「逆の立場だったらよ、俺だって信じない。バカを言うなって一喝して終わりだったろうな。この目で見て来た今でさえ……」


 そこまで言って固く目を瞑り、しばらく動きを止めてから息を吐いた。


「夢であったら、と思うよな。何もかも嘘だったら……。そうすりゃ、俺も信仰のままに、武器を振るってれば済んだのによ……」


「ですが、いつまでも現実を見ずにはいられないでしょう」


 そう言って、淀みそうになる空気を、ロヴィーサは一閃して斬り捨てた。


「南方領の協力を得られたら……、それは間違いなく大きな味方を得られました。もしかすると、先生はそれを見越して山中を通っていたのかもしれません」


「そうだな。淵魔をどうにかするにしろ、手が足りないって話をしてたんだから……」


「ですから、若様。このまま説得を続けるか、それとも諦め自領に戻るか、その選択が必要かと思います」


領都テルティアに戻る、か……」


 レヴィンが独白するように呟くと、ベッドに姿勢良く腰掛けたロヴィーサは、やはり姿勢正しく頷く。


「若様の言葉に嘘はないと、ハスマルク様も感じ取られていたと思います。でも、その言葉は信仰を揺らがせる程ではありませんでした。……無理もない、と思いますが」


「そうだな……。討滅士として生きて来た者こそ、その信仰は強い。同胞の言葉と神への信奉、どちらを取るかなど決まってる……」


 何しろ、淵魔が神殿に蔓延っている所など見ていないのだ。

 その逆に、神殿の建立によって、淵魔が出現しなくなる所は目にしている。

 その恩恵を存分に受け、そして戦ってきたのが討滅士だ。


 神は淵魔との戦いに人間任せなわけでもなく、むしろ大いに関心を寄せ、一度問題が発生しそうな場合には竜を遣わす。

 上空から放たれる火炎の息は、成す術なく淵魔を焼き尽くしたものだ。


 竜に助けられた逸話は数知れない。

 だから、討滅士は神に見守られていると強く実感し、見守られていると思うからこそ、強い心をもって淵魔へと立ち向かって来られた。


「その何もかも欺瞞だったなどと、一体、誰が信じられる……? 地に淵魔が溢れるその時まで、誰も信じようとはしないだろう」


「では、エーヴェルト様たちも、お味方してくれるとは限りませんか……」


「信仰は誇りだ。自分だけでなく、長く父祖の代から受け継いできた自負でもある。ハスマルク様より聞く耳は持ってくれるだろうが、説得には時間が掛かるし……、その上で確実とも言えない」


 エーヴェルトはレヴィンを大層可愛がり、その才覚に惚れ込んでいた。

 大抵のことには味方してくれると期待出来るが、そうであっても神への信仰に勝る思いを向けてくれるか……。


 それは分の悪い賭けになるに違いなかった。

 彼自身、竜の援護で救われた経験の持ち主だから、尚のこと孫の言葉とどちらを重きに置くか、悩ましく思うだろう。


「では、どうされます? これまで同様、隠伏して私達だけで襲撃しますか?」


「……迷ってる。先の襲撃でも、五件目にして既に限界が見えていた。だから、その目を誤魔化す意味も込めて、山中を通ることにしただろう? それなのに、これをいつまで続けられるかは分からない」


「そして、実際……捕まるのも時間の問題でしょう。手をこまねいている間に、全神殿へお触れが出るのではないでしょうか」


 加えて、問題の本質は別にあるのだ。

 距離と移動に掛かる時間だけ考えても、全ての神殿を回るには、何年あっても時間が足りない。

 元より、アイナの『鍵』頼りである以上、数を揃えて複数箇所を同時に攻める意味も薄かった。


「それに、封印数が増えていけば、相手側も最悪を回避しようとするだろう。その時点で、全ての淵魔は開放される。片手落ちだろうと、それでも十分致命的だ。そこから盛り返せる手段があるとは思えない」


「ならばせめて、アイナさんが到着するまで、湧き出る淵魔を封殺する勢力が必要です」


「じゃあその為には、各地の討滅士から、助力を受ける必要があるな」


 もしくは、とヨエルがそこに口を添える。


「……冒険者とか。討滅士が駄目なら、次に頼れるのはあいつらだろう」


「戦慣れしてるからな……。討滅士の信仰心が枷となってるなら、それを持たない彼らを使うのは、むしろ良い案か……」


「全く持たないって奴は、むしろ少数だろうけどな。討滅士ほど強く信奉はしてないだろうって話で……。とはいえ、だ……」


「でも、冒険者は淵魔を軽く見過ぎます。魔物より格下、取るに足らないものと見てました。それで足元掬われて、淵魔の糧とされる方が厄介です」


「そこなんだよな……」


 レヴィン悩ましげに息を吐き、両手で顔を覆った。

 何故そんな話が広がっているのか不明だが、ともかく冒険者はそれを強く信じていた。

 ――あるいは。


 戦闘を生業とする職業同士、自分達の方が上だと誇示したかったからもしれない。

 もしくは、そう思わせたい勢力が、わざと流布させた可能性もある。


「実情を知られないことに意味がある……。討滅士には信仰で、冒険者には自尊心で布を被せたか……。シルアリーの街では、『銀朱の炎』ギキールの義侠心が勝った。でも、他でも同じように行くとは……」


「思わない方が良いんだろうな。あれは淵魔の脅威を目の前で見たから、ってのも大きかった。……結局さ、自分の目で見るまでは、何を言おうと意味は薄いんだよな」


「だったら、冒険者も望み薄か……」


 それこそ、初めてギキールと出会った時を、思い出してみれば早い。

 討滅士であると知れば笑い、淵魔を弱いもの、雑魚狩りだと揶揄されていた。

 他の街でも同様に、淵魔へ対抗したい旨を正直に打ち明けたら、きっと同じ様に笑い者にされるだけだろう。


「それに、冒険者で思い出したことがある。……あの、ルミとリン。淵魔について詳しかったのも、あれらがの側の人間だからだろう」


「そう考えると、納得出来ちまう部分があるな。冒険者としての身分は偽装だとして、仕事に熱心じゃなさそうなのも、そう考えると辻褄が合うしな」


「あるいは、その身分でギルド間を移動して、欺瞞を振りまくのも仕事かもしれない」


 本来、淵魔の脅威は外へと伝わっているはずなのだ。

 辺境領と呼ばれ、実際僻地にあるとはいえ、情報の断絶が起きているわけでもなかった。

 旅人の数こそ少ないが、それでも商人は行き来しているし、淵魔について箝口令が敷かれてもいない。


「ある程度、大袈裟に伝わっていても不思議じゃないくらいだ。だが、実際はその真逆……。情報操作が、されていたのかもしれない」


「そうだよな……、淵魔の脅威は他人事じゃないんだ。辺境領が矢面に立ってこそはいるが、それだって中央には関係ないって話にはならねぇ。少しは危機感持ってても良いようなもんだ」


「……いや、分かりませんよ」


 それまでずっと、部屋の置物に徹していたアイナが、困った様な笑いを浮かべていた。

 全員から注目されて、それで初めて自分の発言に思い至ったらしく、慌てて口を抑えて俯いてしまう。

 レヴィン達は顔を見合わせ、それから優しく誘うように問い掛けた。


「別に口を封する必要はないぞ。アイナだって、もう十分俺達の仲間なんだ。言いたいことがあるなら、好きに言ってくれたらいい」


「いえ、よくよく考えると、世界が違うのに、あたしの価値観で言っても仕方ないので……」


「ま、いいじゃねぇか。俺達も辺境領で暮らしてて、外とは常識が違うって良く聞いてたもんさ。門外漢なのは、案外一緒かもしれねぇよ」


 ヨエルが笑うと、その笑顔に誘われて、アイナもおずおずと口に出し始めた。


「あたしの故郷も……えぇと、長らく平和な時代が続いてまして」


「良いことじゃねぇか」


「はい、それは大変良いことなんですけど、人を襲う獣にさえ、慈悲を掛けろという声が上がる程だったんですよ」


「魔獣にか?」


 ヨエルの素朴な質問には、大袈裟に首を振って、身振りも加えて否定された。


「いえいえ、そこまで厄介じゃないです……! でも、人を喰うこともある獣で、それでも殺すのは可哀想だと……。かつては、追い立てて殺すのが当然とされていました。でも、平和が長く続いたせいで、そうした判断が狂い出してもいたんです」


「辺境領に淵魔を押し込んでから、確かに外へ被害は出したことはなかったな……」


「本当は恐ろしいものと、分かってるはずなんですけどね……。でも、脅威から遠ざかり続けていると、脅威そのものが別の物で隠されて見なくなってしまうのかも……。こちらでも、同じような感じかもしれない、と思って……」


 異なる世界の、異なる常識から来たアイナの言葉だ。

 全面的に信じることは出来なくとも、そこには一定の信頼が置けた。

 言っている内容も荒唐無稽ではなく、ある程度納得できる部分がある。


「まぁ、そうかもなぁ……。目に見えない、遠くにある脅威なんてものは、案外そんなものかもしれない。だったら尚更、そこに少しの流布を流すだけで、簡単に信じてしまえるんじゃないか……?」


「かもしれません。そして、そうであるなら、現状は完全に不利です。汎ゆる面で先回りされ、打つ手がないように見えます」


 ロヴィーサが硬い口調で断言した。

 だが、言葉とは裏腹に、その目は簡単に諦めない、と告げている。

 それはレヴィンも同様で、ベッドの上から起き上がると、力強く頷いた。


「けど、こんなことで諦めていたら、託して死んでいった先生に申し訳が立たない。

何が出来るか、何なら出来るか、いま一度よく考えてみよう」


 その言葉に誰もが頷く。

 先行きは見えない。暗闇のまま、明かりも持たずに立ち尽くしているような状態だ。

 それでも、誰の目にも諦観は浮かんでいなかった。


 神の悪しき策略を挫く。

 それがここにいる、そして四人しかいない反抗の総意だった。

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