腹の奥から湧き出す悪意 その4
ミレイユはしばらくの間、黙考していた。
しかし、二柱のみならず、他の全員からも結論を促す視線が飛んで来て、長く考える時間は与えられなかった。
「……よし、インギェムはロシュ大神殿に。ここから先、戦闘が出来ない者は邪魔になる。彼らを元気づけてやってくれ。信者でなくとも、神がそこにいるとなれば、奮起してくれるだろう」
「そりゃそうかもしれんが、……奮起? 黒粉はもう消えたろ? 黒樹だって、遠くからでも爆発したのが見えたろうさ。今頃、喝采でも上げてるんじゃねぇかな?」
「私は別の可能性を考えてる。――神殿が襲われる事だ」
「今更か?」
インギェムは不機嫌そうに、顔を顰めて問う。
今さら神殿を襲う利は少なく、そして淵魔が各地から這い出した報告も聞かない。
もしあれば、それはドーワに伝わり、そしてドーワは必ずそれを報告した筈だ。
「……まるで、まだ淵魔が潜んでいる様な口振りだな」
「まるでじゃなくて、今も現に潜んでいる。変貌した人々は、変貌しなかった者を実際に襲ったんだ。そして、今やロシュ大神殿は変貌してない人々の砦になっている」
「だから、そこを目指して押し寄せる……確かにそう言ってたけどよ。でも『核』だって、自分に危機が迫っていると分かってるだろ……? 自分を守る方が先じゃねぇ?」
「……可能性の話だ。それに、またもロシュが襲わせれば、その分だけ戦力を引き剥がせる……、とも考えておかしくない」
東端や南端から、変貌した兵を集めるには時間が掛かるだろう。
しかし、付近にも村や町があり、そこから呼び寄せる事も出来るのだ。
単なる村人だけでなく、冒険者の類いも変貌してしまったかもしれない。
そうした者たちを、一箇所に戦力を集中させられてしまったら……。
彼らの抵抗も虚しく、突破される可能性はあった。
襲って来るのは淵魔ではなく、黒粉の被害に遭った者達だ。
これらを斬り捨てられないのは、先の神殿内の様子を見れば分かる。
「持ち堪えるにしろ、逃げ出すにしろ、その為に指揮する者が必要だ。そして、私の言葉を覆して指示できる者がいるとすれば、同じ神しかあり得ない」
「まぁ、そうか……そうだな。そしてもし逃がすんなら、己の権能が一番だ」
「そういう事だ。頼めるか」
「頼まれてやるよ。しかしだ……」
インギェムは腕を小さく振って『孔』を作り出しつつ、ニヒルに笑う。
「負けんじゃねぇぞ。己の分まで、あのクソ野郎をしこたま殴り倒してやってくれ」
「あぁ、約束しよう」
ミレイユが力強く頷くと、インギェムは眉の上を擦る様に指を振って、ドラゴンに乗ったまま孔の中へと消えて行った。
それを見届けると、ミレイユはいよいよ意識を眼下へ向ける。
切り株というには幹が長く、中途半端に裁断された様にも見える、巨大な黒樹――。
ミレイユがそこへ近付いて行くと、ドーワとハイカプィを乗せたドラゴンもその後に付いて行った。
幹の上へ降り立っても、未だに何の反応もない。
焼き切れた樹の上は、未だに炎が燻っていたが、樹の上をチロチロと炎が舐めているだけで、延焼する様子もなかった。
「何も無いな……。そして、ここに降り立っても尚、反応らしきものが感じられない」
「樹液らしきものとか飛ばしたり、以前はそりゃあ、抵抗激しかったもんだけどね……」
「あれってやっぱり、頂上に行くのを防ぎたかっただけなんですかね? つまり、幹の中央付近に潜んでいるかも、という憶測は、憶測のまま終わったと……」
ユミル、ルチアの順でドーワから降り立ち、その後にアヴェリンとレヴィン組が幹の上に着地した。
ハイカプィもドラゴンから降りこそしたが、足をつけようとはしない。
全体を俯瞰できる位置に、座るような仕草で浮いていた。
「ドーワ、ハイカプィの神使を乗せた竜は何処だ?」
「正面付近で囮役をやってたからね。爆風に煽られて、三人とも気絶してしまっている。単なる気絶だが、これまでの連戦の疲れもある。少し休ませようって感じみたいだね」
「あぁ、だからハイカプィは、やけに怒っていたのか……」
「――そうよ! あたくしの信徒が、他ならぬ貴女の手で落とされる所だったんですからね! それを……」
自分の身に起こった事でも十分怒りに値するが、信徒の事となれば尚、怒るものだ。
何かと自分の信徒を悪く言うハイカプィだが、実際にはそれなり以上の愛情を注いでいる。
しかし、今はそれを馬鹿正直に聞く気もなく、手を横に振ってハイカプィを止めた。
「まぁ、小言は後で纏めて聞くさ。じゃあ、今のところ追加戦力はない、と考えて良いな……」
「まぁ……、必須戦力というワケじゃないでしょ。そもそも、必要とするかすら怪しいもの」
「敵が『核』一体だけなら、確かに戦力過多と言えるかもな」
ミレイユは強気の発言を口にしたが、実のところ余裕があるとは言えなかった。
何しろ、その実力が未知数の相手だ。
それどころか、どういう強さを持ち、身体を持つのかすら分からない。
未知というのは、それだけで一つの武器だ。
しかし、ミレイユ達はその武器を、これまで相手に多く曝してしまった。
そして、敵はそれを元に、自由な戦略を練られる。
その時点で、ミレイユ達と敵の間には、大きな戦力の差があった。
しかし、同時にここにいる全員を合わせて、なお負けるイメージが、ミレイユには沸かない。
ここまでも順調に敵戦力を削っている。
押し切れば勝ちだ。
数百年に及ぶ淵魔との戦いに、ようやく決着がつけられるのだ。
「とりあえず、この幹に穴でも開けてみるか。……本当に隠れていないのか、それを暴かない限り、次の行動に移れない」
実は壮大な囮である可能性も、未だ残されている。
だが、どこか遠くで新たな動きが見えたりしていない以上、まずは一番目立つこの黒樹を攻撃するのは妥当でしかなかった。
ミレイユがドーワに期待の視線を向けた時、唐突に視界が陰る。
頭上の何かが月光を遮ったのだと悟ると同時、巨大な何かが落下して来た。
「――何だ!?」
それは本当に、唐突な出現だった。
一切の知覚に引っ掛からず、全くの無音での出現だ。
転移とも似ていたが、何かが違う。
それはミレイユの直感と感覚が告げていた。
そして、出現した何者か、である。
それは巨大でかつ、蜘蛛と人を歪に掛け合わせた様な存在だった。
身長は見上げる程に大きく、成人男性を縦に二人積むより尚、大きい。
腕の太さは丸太の様に太く、背中から蜘蛛の足が生え、全身は泥とヘドロによって覆われていた。
耳や鼻といったパーツは無く、頭と思しき部分の先端には円い膨らみがあった。
眼孔は蜘蛛が如く複眼であり、そこから赤い光が怪しく輝いている。
「こいつは……、この淵魔は……」
ミレイユが驚きにも似た声を漏らしたのは、何もその姿を恐ろしく思ったからではない。
淵魔として見るなら、むしろ有り得る造形の範疇だ。
これまで見せた、淵魔の進化系と思しき“新人類”を、投入しなかった方が驚きと言える。
だが、それより脅威に思えたのは、その隠し切れない実力についてだ。
これまでと完全に一線を画す実力を、この淵魔は隠すことなく曝している。
そして同時に、隠す必要はないだろう、とも思った。
それだけの力があるなら、むしろ戦意喪失を狙える。
「だからこそ、か……。それが狙いか?」
弱者ならば、そのまま膝から崩れてもおかしくない。
それ程までに、目の前の淵魔の実力は突出していた。
しかし、不意打ち気味に登場したというのに、この淵魔に攻撃の意志は感じられない。
それこそが不思議でならなかった。
「何だ、コイツ……」
「何だって……。アンタ、気付かないの?」
ユミルの警戒を顕にした声が漏れる。
いつもの飄々とした雰囲気は鳴りを潜め、敵意を剥き出しにしながら、淵魔の一挙手一投足を見逃すまいとしていた。
「お前こそ、何を知ってる……?」
「自分じゃ気付けないものかしら……。コイツからはね、色濃くアンタの気配がする……!」
「私の……?」
自分の体臭には気付けないのと同じ様に、発する気配がミレイユのものだとは、ミレイユ自身気付けなかった。
しかし、アヴェリンやルチアに目だけ向けても、誰もそれを否定しようとしない。
つまり、それが答えなのだろう。
ならば、考えられるのは一つだけだ。
「ルヴァイルの力を一部奪われていたように、私の力もまた、気付かぬ内に奪われていた……そういう事か?」
「アタシも一瞬、そう思ったりしたけど……。でも、これは違うでしょう。余りに色濃い。何か一部とか、そういうレベルじゃないわよ……」
淵魔は喰らった体積によって、獲得できる能力に違いが出る。
ルヴァイルの場合、その力が余りに弱々しかったので、ともすれば気付けぬ程だった。
それはアヴェリンが直接、ルヴァイルが聞き取った話だ。
しかし、目の前の淵魔からは、それとも違う色濃い気配が漏れ出していた。
「プゥ……、ル……ゥ、ププ……」
聞いた事もない、謎の鳴き声が淵魔から漏れる。
ミレイユは構えを取りながら、怪訝に眉を顰めた。
「色々と異色な存在なのは間違いないな。淵魔の鳴き声など、ガラスを引っ掻いた様な不快な音、というのが相場だったが……」
「何から何まで異例……いや、異常? ……どうするの?」
ユミルからの問いに、ミレイユは簡潔に答える。
「聞くまでもないだろう。淵魔は一体たりとも残しておけない。――無論、討滅する」
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