腹の奥から湧き出す悪意 その3
魔術の使用者だからといって、その爆発の影響を受けない、とはならない。
そもそも『禁忌の太陽』などという魔術は、これほど近距離で使うものではないのだ。
遠く山を挟んで使うくらいが丁度良く、強固な防壁で周囲への影響を最小限に食い止められないのなら、使うべきでない。
しかし、今のミレイユに、周囲を慮る余裕などなかった。
空中という逃げ場も遮蔽物もない中で、自分自身を守る余力しかない。
ミレイユは爆発から身を守る為、全力で防御膜を展開した。
「我ながら……、馬鹿げた……ッ!」
ほぼ爆心地に近い場所でその攻撃を耐えるのは、相当な難事だった。
上下左右、全てからエネルギーの奔流をぶつけられる。
その最中にも、ひたすら爆心地から逃げようとしていたが、自分でも何処を飛んでいるか全く分からなかった。
ようやく爆発の衝撃に、一応の収まりが見え始めた頃になって、ミレイユはようやく目を開けられるようになる。
そして、見た。
巨花があった場所は綺麗に蒸発して消え去っており、樹冠も枝葉も全て無くなっている。
樹上から一本の光の柱が煌々と聳え立っており、夜を打ち消して周囲を明るく照らしていた。
「皆はどうなった……。無事か……?」
ドーワには正確にミレイユの目論見は伝わっていたし、ルチアがいるから、そう大きな問題にはならないだろう。
しかし、他のドラゴンや神々は別だ。
ドーワと違って距離を離していたとはいえ、減衰する威力にも限りがある。
何の魔術を使うかも、彼女らは理解していない筈で、下手をすると被害は甚大だ。
しかし、そこまで無理してまで、近くの空域に残っていない筈でもあった。
遠距離から挑発するように動いていたのなら、爆発を察知して逃げられたと思う。
……そうは思っても、不安は拭えない。
ミレイユ自身、この魔術は過去二回しか使っていないので、威力の程を正確に理解していなかった。
ミレイユでさえ魔術ボケしていたのだから、あの二柱も同様に“そうは言っても”と思っていた可能性はあった。
――ともあれ、巨花は完全に消滅した。
それに合わせて蔓も同時に消し飛んでいて、雲上には一本すらその姿を確認できない。
ミレイユは防膜を解除して、重い息を吐いた。
「魔力も相当量、消費してしまった……。殆どガス欠みたいなものだ……。クソッ、だから使いたくなかった」
ミレイユは、あの巨花が『核』とは思っていない。
だから、この後で、その対決が控えていると覚悟していた。
頼りになる仲間がいて、そして頼みに出来るだけの仲間だと信頼しているが、戦力が大幅に低下したのは否めない。
そして、周到な用意をしてきた『核』が、弱いままだなどと、ミレイユは考えてもいなかった。
「……奴はかつて、それで辛酸を嘗めた。樹木の鎧といい、同じ轍は踏まない意志を感じさせる。必ず何か、用意している筈だ」
ミレイユが独白している間に、背後から急速に近付いてくる気配を感じた。
振り返ると、そこには外殻や鱗を焦がしたドーワがいる。
ミレイユにその鼻先を押し付ける形で止まると、恨みがましい目で見つめて来た。
「……何を言いたいかは分かってる」
「そうだろうとも。酷い目に遭ったもんさ」
「当然、アタシ達もね」
背中に乗るユミルからも似た視線を向けられ、ミレイユは苦笑して手を振った。
「悪かったって……。しかし、分かってた事だろ?」
「大体はね。でも、それはそれとして、文句の一つも出ようってモンでしょ」
ユミルも本気で愚痴を言いたい訳ではない。
いつものじゃれ合いみたいなものだった。
しかし、立ち昇る光の柱を見て、未だに信じられない視線を向けている者達がいる。
レヴィンとヨエルは、畏怖の感情そのままに気持ちを吐露した。
「あれが本当に魔術、なのか……?」
「神の力ってのは……、こんなに凄まじいのかよ……」
「この目で見なければ、到底信じられない光景です……」
三者三様の乾燥が漏れるなか、ユミルが呆れにも似た表情で笑う。
「まぁ、単体で使えるのなんて、ウチのカミサマくらいしか無理だろうけどね」
「そう……なんですか? しかし、単体とは?」
「いや、あぁいう大規模魔術を超えた極大魔術ってのは、一人で行使できる範疇にないから。数を揃えて魔力を同期させて、大人数で負担を分担して使うのよ。それを補助する魔法陣とか敷いてさ。だから、使える条件のみならず、場所まで限定されてくるんだけど……」
「そもそも、地上でしっかり準備を整えて使うものであると……。バリスタや投石機みたいに」
しかし、ミレイユは単騎で……しかも空中からそれが行える。
そのアドバンテージは言うまでもない。
ミレイユは他の神々から、神殺しの権能があるから恐れられると思われがちだ。
しかし、むしろ単体戦力においても抜きん出ているからこそ、大いに恐れられているのだ。
「ともあれ、もうすぐ術も終了する。それで黒樹がどうなったか、見届けてやろうじゃないか」
ミレイユの言葉通り、光の柱は収束し、消えていこうとしていた。
黒樹の頭頂部は既に見るも無惨な姿となっているから良いとして、問題は樹木その物の方だ。
巨花同様、無事では済まされないと思うが、最後まで見届けてみなければ分からない事もある。
そうして光が消え去ったあと、爆煙が風に流され見えて来たのは、枝葉の全てが吹き飛ばされ、幹の中央から下半分が残された姿だった。
周囲の雲も綺麗に吹き飛んでいて、ドーナツ型の穴が出来ている。
そこから地上すら見渡せて、だから黒樹の姿もはっきりと見えた。
月光に照らされる黒樹には、葉の一枚、枝の一本すらも残っていない。
当然、蔓の一本も残っておらず、丸裸の状態だった。
幹は抉れて断面が見え、爛れた樹肌を曝している。
「……どうやら、即座に再生する様でもない様だな」
「さもありなん、って感じでしょ」
ユミルは愉悦混じりの笑みを向けながら、その断面を視線でなぞった。
その時、空の遠くから、二つの影が近づいて来るのが見えた。
月光に照らされる姿は二つのドラゴンで、そしてその上には人影もある。
竜の背に乗れる人影となれば、それはもう決まったようなものだ。
距離が近付くにつれ、その表情まで読み取れる様になり、二柱の神は明らかに怒りも顕にしているのだった。
接近するや否や、開口一番にインギェムが文句を言う。
「おい、お前! あんだけの規模になるんなら、もっと注意を促しとけ!」
「……しただろ」
「馬鹿、全然足りねぇよ! こっちは死ぬ思いで逃げたんだぞ! ハイカプィなんて実際、己が『孔』を繋げねぇと、どうなるか分かったもんじゃなかったんだ」
「そうよ! 貴女はちょっと真面目に謝罪すべきだわ!」
二柱から責められ、ミレイユは渋い顔をしながら指を下に向ける。
「文句だったら後で聞くから……。今はとにかく、あっちの対処を済ませてしまおう」
「大体ね……! ……いや、まぁ、そうよね。文句は後でしっかり、じっくり言わせて貰うから!」
未だ憤懣やる方ない、とその表情は物語っていて、乱れて焦げた髪や肌を擦って、ミレイユを威嚇する様な目で見ていた。
しかし、いつまでも文句を言える状況ではない、とハイカプィの冷静な部分が判断したらしく、ミレイユの指示を待っている。
「それで、どうするの?」
「……何か動きを見せる、と思ったんだが……」
ミレイユは上空に留まったまま、眼下の剥き出しになった黒樹の断面を見やる。
「巨花を焼かれ、巨樹の上半分を吹き飛ばされたんだ。引き籠もっている状況じゃないだろう。――今、追い詰められているのは、アイツの方だ」
「そうよね」
「しかし、向こうは静かなものだ。根の方も依然として、動きが見られない。せめて再生しようと足掻くものだと思っていたが……」
「その場合はどうするつもりだったの?」
ハイカプィの素朴な疑問に、ミレイユは事も無げに言い放つ。
「その時は、当然頭上から根を焼き切るだけだ。奴は防御……というか、反撃の手段を全て樹木由来のものに限定していた。頭上を取られたら反撃のしようがない」
「チマチマと魔術で? あれだけの数を?」
巨大な黒樹に対して、四方八方に伸びる根の数は異常に多い。
本来の木に倣って考えても、異常な多さだった。
だからこそ、それを再生に使っていると思ったのだが、今ではそれを見せる動きすらない。
「まさか、もう諦めた訳でもないだろう。何かをしてくるなら、それを見てから対応しようと思ったが……」
「第二射が怖いのかしらね。だから防御に徹しているとか?」
「しかし、勝ち逃げを狙っているにしろ、現状のまま殻に籠もるのは悪手だろう。それが分からぬ筈もないだろうに……」
奴の侵食を世界に広げる……広げ続けるのが目的であろうと、それを奪った。
黒粉の広がりも大陸規模に収まり、このまま座視しようと全世界を覆うのは、もはや不可能と言って良いはずだ。
「いずれにせよ、動きがないというなら、こちらから攻め込むまでだ。どうせ奴は幹の中にいるんだ。引き摺りだしてやる」
「あたくし達にはどうして欲しい?」
「……お前が持って来た戦力はどうなった?」
「東方の鬼族は神使以外全て、変貌させられたわ。あたくしの手を離れて、あの醜悪な存在に作り変えられたのよ……! 絶対、許すもんですか……ッ!」
神にとって、信徒は子そのものだ。
血は繋がっておらずとも、向ける愛情は非常に近しいものとなる。
ハイカプィの怒りは当然と言えた。
ミレイユは次に、インギェムへと顔を向ける。
「変貌しない者がいたら、ロシュに連れて行け、と言ったがあれは……?」
「回収は殆ど無理だった。それこそ、力ある者……というか魔力かね。それがないと、変貌しちまうんだと思う。東と南じゃ、それぞれ指揮官クラスしか残っていなかった」
「――では、お祖父様は……!」
レヴィンが声を上げると、インギェムは悲しげに眉を下げて頷く。
「あぁ、無事だぜ。東じゃそいつと、他に数人しか無理だった。南も似たようなもんさ。他は全員……」
「いえ、誰か一人だけでも助かったなら何よりです。お礼申し上げます……」
「だから、ロシュの護りに当たるよう命じて来たが、それきりさ。己はどうしたら良い? もう移動させる何かすら、必要ないように思えるが……」
そうだな、とミレイユは気のない返事を返す。
今なお動きを見せない黒樹を視界に納めながら、次にどうするべきか頭を悩ませていた。
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