不条理の打開 その3
「なるほど……」
ミレイユが厳しい表情のまま、顎の下を撫でながらユミルを見つめる。
未来と過去、原因と結果……。因果の流れに熟慮を重ね、それから重々しく頷いた。
「実に忌々しいし、普通ならやりたいとも思わないが、どうやら解決可能と思えり問題らしいな。己の才覚のみで綱渡りを強要されるあげく、何一つ失敗も、見落としも許されない、という事実に目を背ければな」
「でもどうやら、実際にやり切った、と見る事が出来そうなんですよね」
ルチアが何処か挑戦的な笑みを見せると、ユミルからも似た様な笑みが向けられる。
「何と言うか……、隙間越しに成功を見せられたって感じ? こっちはやれたんだから、お前にもやれるだろ、のキラーパスって言うか。それを投げたのがアンタってのが、また笑えるポイントなんだけど」
「今までは、大体他人が投げて来た無茶を受け止めるか、打ち返すものだったが……。今回は自分じゃあな……」
ミレイユが重々しい溜め息をつくと、一時の沈黙が支配する。
それまで空気を読んで黙っていたオミカゲ様は、どうやら話が纏まったと見やって首を傾けて尋ねた。
「つまり、どういう事であろうか? 万事滞りなく、反攻作戦の目途が通りそうなのか?」
「全く万事ではなく、最初から最後まで綱渡りになるのは間違いない。だが、目途だけは立った。……そういうべきなんだろうな」
「では、喜ばしいの」
「アルケスも……」
ミレイユは一度、陽光の照らす中庭へと目を向けてから、声のトーンを落として言う。
「万難を排するつもりで大きく、また多く手を広げ、駒を配置し策を練った。だからこそ、今度はそれを利用される事にもなった訳だ」
「まぁ、実際良くやった方ではあるんでしょうけど……。これからやろうとしてるのは、想定してなくて当然、殆ど反則みたいなものじゃない」
ユミルが苦笑じみた笑顔でそう言うと、ルチアもまた同意して頷く。
「っていうか、反則ですよ。因果の逆転、時空の捻れ、これ……下手したら本当に、とんでもない事になってた可能性がありますからね」
「既に成功、みたいな雰囲気で言ってるが、大変なのはここからだからな」
「分かってますよ、勿論。……むしろ、過去の出来事を自覚してしまっているのが、拙いかもしれません。歴史になぞろうとするのに拘り過ぎて失敗するとか、実に有り得そうじゃないですか」
「――されど、そなたらならば、上手くやるであろう。汎ゆる困難も、如何なる艱難も、そなたらならば乗り越えられる。また、そうあるべきとも思うておる」
冗談めかした台詞なのに、その目はどこまでも真剣だった。
ミレイユはその目に冷めた表情で見つめ返して、嘯くように呟く。
「勝手を言う……」
「勝手気儘は神の特権故な」
「最近、ようやくスマホを持てた神の癖に」
「これ、そういう事を言うでない」
オミカゲ様は袂で口を隠して、優雅に笑った。
仕草その物もそうだが、物腰柔らかに笑う姿を見て、ミレイユは思う。
オミカゲ様は変わった。
良いか悪いかは判別つかない事だが、ミレイユの知るオミカゲ様とは、常に表情を崩さない冷徹な姿だった。
また、厳かな佇まいを崩さず、神の威厳を体現したかのような存在でもあった。
それは実際、オミカゲ様が努力して築き上げたメッキであった訳だが、それが剥がれてしまった今、女官たちの心中は如何ほどだろう。
ミレイユがそれとなく女官長へ目を向けると、そこにはオミカゲ様を孫のような視線で見つめる姿があった。
外出への許可を、条件付きで認める事といい、どうやら歓迎できる事態なのは間違いないようだ。
微笑ましいとは思うが、本題からいつまでも逸れている訳にもいかなかった。
ミレイユは咳払いを一つしてから、改めて口を開く。
「こちらの世界にある限り、然程の危険はないと放置していたが……。『鍵』の確保は済ませておくべきだろうな」
「まぁ、より安全な場所に置こうと思えば、この四人の誰かが持つのが妥当ってコトになるでしょ。せっかく帰って来られたんだし、今頃、家族団らん過ごしている頃だろうけどさ。あの子には出仕……の言い方であってる? ともかく、来てもらう必要あるんじゃない?」
「ふむ……? 報告は受けておる」
オミカゲ様も真面目な話に戻ったと察し、表情を改めて首を小さく傾げた。
「阿由葉家の分家に当たる、
「文字通りの意味での鍵でもあるんだが、つまり『神器』だ。私への攻撃手段としても使われた」
その言葉を聞いた瞬間、部屋の空気が一変する。
オミカゲ様からは驚愕と呆れ、女官からは明らかな敵意が漏れていた。
鶴子などは明らかに怒気を顕にしていて、尋常ではない雰囲気だ。
「即座に御前へ、お連れ致します。どのような沙汰も御随意に……」
「いや、そういう物騒な話じゃないんだ。何より彼女は被害者で、洗脳されていたからこその攻撃だった。大袈裟な事にはしないでやってくれ」
「御子神様が、そう仰るのであれば……」
ミレイユが優しく諭せば、それでようやく鶴子も怒気を収めてくれた。
オミカゲ様の実子とされ、またその神格を正式に認められるミレイユだから、そこへの攻撃となれば、即ち神宮への攻撃とも見做される。
表面上は矛を収めた形だろうし、表沙汰には何もしないだろうが、水面下では何かやりそうな不安があった。
しかし、それより問題なのは、むしろオミカゲ様だった。
今も信じ難いものを見る表情で、ミレイユの事を凝視している。
喘ぐように口を動かしてから、オミカゲ様は恐る恐る問いかけた。
「そなた……、神器を……、無防備に放置していたのか?」
「そうだが」
「これまで? 幾度も回収の機会を持ちながら?」
「そう……なん、だが」
「この……、この……ッ!」
それまで安穏としていたオミカゲ様の雰囲気が一変し、その身体は怒りで震えていた。
顔を紅潮させて拳を握り、それを振り上げようとした所で、隣のルチアが手を添える。
勢いよく顔を向け、しかしルチアの困った顔を見ると、動きを止めた。
大きく溜め息をつくと、そのまま怒りも沈静化し、また腰を下ろす。
流石にバツが悪くなって、ミレイユも頬を指先で掻きながら弁明を始めた。
「いや、まぁ……、確かに放置は良くなかったが……」
「良くなかった、ではなかろう。最悪と言って良い。その神器の効果を詳しく知る訳でないが、神器とは例外なく強力な秘具ではないか。人の手に預けるなど、狂気の沙汰であろうよ」
「正確には、お前が知る様な神器は、もはや地上にはないんだが……。使い道次第であるいは、という物があるのも確かだ。しかし、それを身に着ければ一国と戦争できる、みたいな無茶苦茶なモノは許してないからな」
「その使い方次第とやらで、してやられたのが、そなたではなかったか?
「それは……盲点だったな」
ミレイユ自身、まったく考慮してない部分を指摘され、言葉を失う。
ユミルとルチアへ順に目を向けると、呆れた視線が帰って来て、何故気付かなかったのか、と非難するかのようだ。
「言わせて貰うがな、他人事みたいなフリしてるんじゃない。お前らだって、そのこと指摘しなかったろうが!」
「いや、そりゃそうだけどさぁ……」
「隠密とか幻術とか、そういうのは、お前の領分だろう? 洗脳について、今尚継続中か?」
「知らないわよ、そんなもん」
「そんなもん……!?」
ミレイユが表情を崩して見返しても、ユミルは悪びれる様子もなく、あっけらかんと返した。
「いや、だってアイナの役目って、アンタをここに追い落とす鍵の役割とだと思ってたしさぁ。それ以上の予定なんて無かったハズなのよ。だから全くノーマーク。今も何かしら隠された指令を実行中、なんて完全に頭からなかったわ」
「そして実際、最大の使い所って、まさにそこだった訳でしょう?」
ユミルに味方するつもりではないものの、ルチアも彼女に乗っかって、自らの推測を開陳する。
「最後の言動を考えるなら、ミレイさん共々、こちらに帰すつもりはあったみたいですけど、『鍵』まで一緒になるのは想定外だったという推論も間違ってないと思います。こちらへ渡った後で、悪用するとは思えないんですけどね」
「……それはそうだな」
「でも、『鍵』を使わず、暗躍する可能性は残されています」
その一言に、再び空気の凍る気配がした。
アヴェリンなどは露骨に、怒気にも似た気配を発していた。
「洗脳は基本的に、一つの命令だけを課すものです。より短く、より簡潔に、という法則が、強固な強制力を生むので。だからと油断してましたが、色々と策を弄してくれた相手ですからね。何があっても驚かない、という程度には、警戒が必要かと」
「ならば、即座に確認しなければ! 今日まで安穏としていた間に、何やら準備を進めていた可能性も……!」
アヴェリンの言葉に、頷かない訳にはいかなかった。
ただし、それはアイナに向けての考えではなかった。
「私への攻撃を失敗させない為にも、複数の命令があったとは考えられない。強制的な命令を、強制的に発動させるには、たった一つの強力な命令である方が望ましい」
「ですが……」
「無論、それは全くの放置を許すという意味じゃない。確認は必要だし、未だ洗脳中であるなら、私を見るなり攻撃して来るだろうが……」
アヴェリンが剣呑な雰囲気で重々しく頷くと、ミレイユは声に重さを乗せて発する。
「命令は一人に一つで良いんだ。確実に遂行して貰おうとするならな。だからアイナは裏で暗躍しないだろうが……、つまり他にも用意しておけば良い、という話にもなる」
ミレイユはオミカゲ様へと視線を向けると、即座に得心して鶴子へと命ずる。
「即座に所在を確認。見つけ次第、拘束せよ。洗脳の有無を確認し、しかる後に連行。報告、急げ」
「確かに、承りました――!」
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