中央大陸デイアート その7
「貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございます!」
レヴィンは丁寧に腰を折って礼を言った。
ヨエルとロヴィーサもこれに倣って頭を下げたが、ミレイユはそれらに対して特に反応を示さない。
そこへ、周囲を警戒していたアヴェリンから、小声で諭すように進言が入った。
「今はそれより、移動してしまうのが先決では……。位置的に都市の外周近く、人通りはそれほど多くありませんが、あまり長話に適している場所でもありません」
「……その通りだな。こんな場所で、目を皿のようにして私を捜してる者なんぞいないだろうが、何にしろ移動した方が安心だ」
「手っ取り早く、転移してしまいますか?」
そう言って、杖を取り出したのはルチアだった。
ミレイユは頷こうとして、動きを止める。
周囲を睥睨するよう見渡してから、やや迷って、結局首を横に振った。
「逃げ出してしまえば、そう簡単に足取りは掴めないと思う。……が、やはり都市内で魔術を使ったと……、それも神処近くで使われたとなれば、騒ぎ出す連中もいる。一切の痕跡を残さず立ち去るには、原始的な方法が一番だ」
「つまり、徒歩で都市から抜けるってワケね。ま、確かにエルフ連中が無駄に騒ぎ出しそう」
ユミルからの追随もあれば、ルチアも独断で勝手をやろうとはしない。
ただ、杖をしまいながらも、その顔はどこか憮然としていた。
「追跡されるようなヘマしませんよ」
「それは信頼しているさ」
ミレイユは不貞腐れたかのように言うルチアに、笑って見せる。
「だが、むしろ追跡できないだけの、腕前がある方こそ問題だ。それほどの技量を持つ魔術士が、一体どれだけいると思う? そして、そんな奴が神処近くで、何かをしていたと推測されるんだ。単に転移して去っただけとは考え難い。ならば何をした、といった具合に、勝手に問題を大きくされる」
「あぁ……」
「実際は、ただ立ち去っただけだ。だが、確証がない以上、徹底的に調べ上げられるし、一切足取りが掴めないとなれば、エルフの威信に掛けて探り出そうとする。痕跡を残さないどころの話じゃなくなってしまう」
「……ですね。申し訳ありません、そこまで考えが至りませんでした。エルフの考えは良く理解しているつもりでしたのに、自分が疑われる立場になるとは、頭から完全に抜けていて……」
ルチアは殊勝に頭を下げて謝罪した。
そこへユミルが揶揄するように笑い、肩を竦める。
「これ、ひょっとすると簡単じゃないかもね。認識が甘いっていうより、認識の外っていうべきなのかしら。アタシ達の常識が、そもそも追われるとか、逃げるとかって部分と噛み合わないのよ」
「……かもしれません。油断なんか、してたつもりないんですけど……。ユミルさんの言う通り、意識の外でした。痕跡を残さないことが、痕跡になるなんて……」
「反省も対策も、後でいいさ。ユミルの幻術が有効な内に、さっさと森から出てしまおう」
ミレイユの提案に反対する者はいなかった。
現在は円形都市の最北に位置していて、熱心な信奉者にしろ、都市部に住む人間にしろ、空白地点になっている。
内円に沿って神殿へ近付くほど活気が増し、また出入り口となる南側へ進むほど、やはり人通りが増えていく。
レヴィン達は外周に沿って移動し、都市の出口へと向かって行った。
そうして、ミレイユ達の後を追う形で足を勧めつつも、物珍しさに周囲の建物へ目を向ける。
建物は多くの場合が三階建て以上で、平屋というものが殆ど見受けられなかった。
周囲に豊富な森林素材があるので、建築自体は木造だ。
しかし、高い剛性と柔軟性を持った用材だからか、あるいは建築技術の賜物か、高い建物が多い。
もしかしたら、安易に横へ街の規模を広げられない為、縦に伸びているのかもしれなかった。
ちょっとした発見をした気分になって、レヴィンは上機嫌に都市を観察する。
そうすると、屋根には必ず畑が作られているのを発見した。
農場というより、家庭菜園の規模だが、それでも畑は畑だ。
場所の有効活用が徹底されている様に感じ、自らの憶測を裏付ける発見の様に思えた。
道行く人々は、レヴィンの目と常識をもってしても、異常に映る。
人間とは違う――肌や髪の色以外に、明らかな違いを持つ種族と、共に暮らすとはどういう心境なのだろう。
その内心を自覚して、こういう事か、と気持ちを新たにする。
どちらが正しいかは別にして、違いがハッキリと大きい相手には、違和感を覚えずにいられない。
その違和と抵抗が、安易に傍へ置くことを躊躇わせる。
それこそが、ミレイユの言う差別に繋がり、そして確実に起こること、と断言させるのだろう。
人と人の間でも、上下は生まれる。
それや領主と領民の間に生まれる隔たりだけではなく、農民同士でも生まれるものだ。
畑面積が大きい、収穫高が大きい、その優劣が人間的優劣へ繋がる場合もある。
では、それは全く異なる種族ならば――?
単なる優劣だけで決まるだろうか。
より多くの種族数を持つ方が勝る方が、戦闘能力で勝る方が優れるのだろうか。
それとも、どうあれ勝った者が優れるだろうか。
「……分からない。分からない、が……」
向かいから来る異種族達の横を通り過ぎ様、レヴィンは彼らを盗み見る。
一人が小柄な獣人、もう一人がエルフ、後の一人が巨漢の人間だった。
彼らは互いに笑顔で、良き友人の様に見えた。
「……どうした、若?」
「いや、初めて見る種族に、ちょっと困惑していただけだ。……やっぱり、この目で見てもまだ信じられないな」
「あ、やっぱりレヴィンさんでも、そう思うんですか」
アイナから驚く調子で聞かれて、それはそうだ、と苦笑する。
「言ったろ? おとぎ話の類だと、今の今まで思ってたのさ。遥か昔に存在してたとか、今もどこか遠くで暮らしているとか聞いただけで、見たことはなかった。そこはアイナと全く変わらない」
そこまで言って、もしや、とレヴィンは身体ごと顔を向ける。
「俺が知らないだけで、日本には獣人がいたのか?」
「いえいえ、勿論こちらにだっていませんでしたよ。それこそ、ファンタジーの話です」
「前にも言ってたな。そのふぁんたじいってのは、現実的には有り得ないって意味だったか」
「まぁ、概ねは……」
アイナは一時、詳しく説明しようと言葉を探したが、結局それをすると逆に分かり難くなると判断して、無難な返事で止めにした。
そうして、レヴィンがそうしているのと同じく、興味深そうに周囲へ首を巡らす。
「多種多様な人々が、あんなに楽しく……。平和そうで、誰もがそれを享受していて……。まるで楽園みたいです」
「そうだな、平和そうだ……」
レヴィンにも感じていたことだ。
外敵の脅威がないからだろうか。
ここにはレヴィンの領都が発する、危機への備えらしきものが見えない。
街中を警備する警らの姿や、行き交う馬車を整理する交通員の姿はあっても、魔物は勿論、淵魔に対する警戒はないように見える。
そして、それは事実でもあるのだろう。
魔物が大神のお膝元へ、獲物を求めて襲い掛かるとは思えず、淵魔も龍脈を抑えているなら出現できない。
もしかしたら、世界で一番安全かもしれず、だから争いの種に火が付かず、誰もが望むだけ平穏を得られるのかもしれなかった。
そこにはレヴィンならずとも、羨望を覚えてしまう。
そうして、ふと一つの疑問が湧いて出た。
本来ならば不敬の極み、まず訊けない問題だ。
しかし、淵魔の討滅、その存在一欠片すら残さないと宣言するミレイユだから、訊かずにはいられない衝動が生まれる。
しかし、訊けば神の力や、その限界を指弾する事になるかもしれず、レヴィンは一人悶々とする。
それを見かねたからではないだろうが、ミレイユの方から問い掛けてきた。
「どうした、さっきから変な顔をさせて。都市の何かが気になるのか?」
「いえ、そういう事ではなく……」
「では、何だ?」
「いえ、ミレイユ様への不敬になるかもしませんので、憚られます……」
「いいから、言ってみろ」
重ねて何だと問われれば、それ以上、口に蓋してもいられない。
何より、レヴィンは訊いてみたくて仕方がなかった。
「それでは、お訊きするんですけど……。どうして、魔物がいるのでしょう?」
「なに……?」
その疑問一つで、ミレイユの機嫌が急降下する。
やはり訊いてはいけない問題だったか、とレヴィンは遅まきながらに後悔した。
「お前、彼ら獣人を見て、魔物と思ったか?」
「――え? あ、いや、違います! そういうのじゃありません! 全然、全く彼らを侮辱する意図はなく……!」
レヴィンは必死に否定すると、ミレイユの機嫌も即座に治った。
彼女自身、早とちりだと気付いたからだろう。
「そもそも全く別の所から来た発想でして……。ミレイユ様は淵魔を完全討滅するおつもりです。その為に様々な苦労もされて、海には海流なんてものまで作り出しておられます」
「そうだな」
「でも、だとしたら、なぜ魔物はいるのだろう、と……。人間を喰らっても奴らは強化されますし、それは動物でも同様です。しかし、魔物を喰らえばこれらの比ではありません」
「海流を好きに変えられるぐらいだ。魔物だって好きに変えてしまえば良いって? 餌があるから強くなる。ならば、その餌を消してしまえ、と……。そう言うわけか?」
ミレイユの目は正面を向いていて、レヴィンを見てはいない。
しかし、そこには怒りや失望にも似た気配が感じられた。
どちらにしても、ミレイユの機嫌を損なわせてしまったのだと、レヴィンは改めて後悔した。
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