中央大陸デイアート その8

「不遜な言い様だったのは、理解しております」


 レヴィンは殊勝に、そして慈悲を乞う様に頭を下げた。


「ですが、あちらの――日本の姿を見て、ある種の疑問を抱く様になりました。……日本に魔物はおらず、またそこから得られる資源を、利用しているようにも見えませんでした。それどころか、必要な物は高い技術力で、現実にさせていたように思います。魔物こそ、おとぎ話の存在としてのみ知られている……」


「そうだな」


「一番、分かり易いのは馬です。我々の移動や物流に、馬こそ欠かすことは出来ませんが、日本人はそれさえ必要としていない……。我々は魔物や淵魔と対抗する必要があるからこそ、それらを素材とする武器や防具が必要不可欠です。しかし、真の平和は……」


 レヴィンは遠くに目を向け、日本で暮らしていた短い時間を思い返す。

 そこはあって当然の平和が、誰の元にも照らされ、そして享受していた。


 薄着で街中を歩けるのは、万が一にも魔物や魔獣が、入り込まないと知っているからだ。

 何かを切っ掛けに、その平和が突然崩れ去るなど、誰も考えていない。


 レヴィンは、武力で制さず得られる平和など、存在しないと考えていた。

 淵魔を押し留め、そして押し込み、壁の奥へ行かせない。

 その一方で、淵魔の餌に成り得る――人を害し得る魔物の討伐を愚かにしなかった。


 それらの奮闘あって、成し得ていた平和だと、レヴィンは理解している。

 その上で、神々は天上から人々の営みを、ただ見つめている訳ではないと知った。


 淵魔という見過ごせないだけの脅威があり、これを討滅する為に、御自ら足を運び、事の解決に奔走するのを厭わなかった。

 レヴィンは改めて、都市の様子を見つめる。


 そこには多種多様な人種が混在し、そして共生する平和な姿がある。

 日本には髪や肌の色が違うだけで、大きく隔たる人種の壁は存在していなかった。


 しかし、この都市と日本には、何物にも侵されない平和の空気が漂っており、その部分だけは共通している。

 それは神のお膝元だから蔓延する空気かもしれないが、ミレイユがその気になれば、この平和を世の隅々まで行き渡らせることも可能だと思えるのだ。


 日本を深く知るミレイユだからこそ、――文明レベルはさて置いて――日本と同じ平和を作り、世の平定が可能ではないかと思った。

 その為には、まず魔物の存在が不要だ。


 そしてミレイユならば、その解決も容易ではないかと想像した。

 レヴィンが滔々と語っている間、ミレイユは途中で声を挟むことなく、興味深そうに話を聞いていた。

 そして、息を切らすように話が終わると、数度頷いてから、ユミルへと笑い掛けた。


「……だとさ。どう思う?」


「考え方としては、まぁ普通……っていうか、順当って言うべき? 特に日本を知ったコトのカルチャーショックは大きいでしょ。ユーカードは常に身体を張って来た武門の一族、考え方が寄りになるのも頷けるしね」


「そうだな……。常に他者から勝利を望まれ、そして自らは平和を渇望して来た。その決着に対し、少々ズレた考えになるのは仕方ない。過激と思える発言も、今は許してやるべきだ」


 ミレイユは泰然とした物言いで言葉を吐き出すと、それからレヴィンの方へ顔を向ける。

 しかし、その視線はレヴィンを見ていない。

 それより後方、建物や町並みへと向けられていた。


「常に戦いへ身を置き、誰より戦ってきたお前だから出た言葉だろう。しかし、まず間違いを訂正しておかねばならない」


「……間違い、ですか?」


「思い込み、と言い換えても良いだろう。私は大神なんて呼ばれているし、小神より上等な存在と思われがちだ。実際に万物の再創造を成したかもしれないが、全知全能というわけじゃない」


 改めて、釘を刺す様に言われ、レヴィンは確かにそうだ、と考えを改めた。

 大神を奉る神殿においても、そうした信仰はされていない。


 だが、数ある神々を統率する神であり、最も偉大な神としての立場は変わらない。

 その一方、最も偉大な神、という部分が独り歩きしていた部分も否めなかった。

 誰より偉大な神ならば、誰より優れていて当然、誰より成し得る幅が広くて当然、と思い込んでいた。


「その万物の再創造、という部分についても、少し違う。私はあるべき姿に戻しただけで、独力でやった事でもなかった。私以外に出来ないことであるのは事実だが、数多の犠牲の上に成り立つ奇跡だ。……この時点で、神としては随分、頼りなく思えるだろう?」


「いえ、決して……! その様なことは!」


 レヴィンは誠意を込めて否定したが、その言葉はミレイユに届かなかった。

 どこか寂し気に、あるいは悲し気に目を細め、それから小さく頷く。


「卑下して言ってるんじゃないんだ。『神』とは、そうしたものだ。只人より上位の存在であるのは間違いないし、不変不老の存在でもあるが、不死ではない。長く生きるせいなのか、多くは傲慢で独りよがりだ。性格に難がある、とも言い換えられるな」


「そんな……、ことは……」


「そこは素直にうん、と頷いておけ。……と言いたいが、私の前では無理か」


 ミレイユは今度こそ、レヴィンに目を向けて小さく笑い、そしてすぐに視線を外へ向ける。


「私が言いたいのは、『神』とは超然とした存在じゃないし、人間の不安を取り除いたり、幸福を与えたりする、便利な奇跡の体現者じゃないってことだ」


「ですが、大神レジスクラディス様は、現に……!」


「直近の行動だけ見れば、そう見えるかもしれないな。……だが、違う。私が大神としての神座かむくらを受け入れ、他の小神を統率するに辺り、一つ定めたことがある」


「神にも従うべき法を……律令を定めた、というアレですか?」


 ミレイユは満足気な笑みを浮かべたが、続いて小さく首を横に振った。


「もっと根本的なことだ。神々に、自らの何たるかを再定義し直した。『神』とは何か、『神』とは何をする者か、その定義だ」


「人々を見守り、助ける……とか、ではないんでしょうか?」


「それも、その一つだな。『神』とか管理者だ。自らに与えられた領域を、適切に管理する。勝手気ままに生物を殺さず、『世界』にとって最も好ましい形を維持する。それこそ、『神』が行うべき最優先事項だ。その為に定めた律令に過ぎない」


「では……、『世界』にとって好ましい形、とは何なのでしょう? 人が繁栄し過ぎたら、滅せられたりするのでしょうか? 意に沿わぬ政治形態の王朝は、壊滅させられたりするのでしょうか?」


 レヴィンの口から、恐る恐る絞り出された質問は、いとも簡単にミレイユが笑い飛ばした。

 もしかして、を考えずにいられなかったレヴィンにとって、その質問は訊くも恐ろしいものだった。


 そうだ、と首肯されたら、レヴィンは訊いたことを必ず後悔していただろう。

 しかし、そうはならなかった。

 その事にとりあえず安堵して、レヴィンは真意を窺う視線を向けた。


「そん事はしない」


「じゃあ、人々は特に制限されて生きている訳ではないのですね?」


「そうだな。むしろ、増長したり強権を振るい、民を虐殺などし始めた時、それで初めて神々は介入できる。国同士が戦争する時も、神々は仲裁などしないが、一線を越えた虐殺となれば、制裁を加える。そうした管理基準は存在しているな」


「人を神々の傀儡に、なんて……。それこそ、旧世界のやり方そのものじゃない。神々の横暴を打ち崩して今があるのに、ウチの子がそんなの許すワケないでしょ?」


 でしょ、と言われても、レヴィンには全く未知の出来事だった。

 旧世界しかり、神々の横暴しかり、伝説にすら残らない消えた歴史だ。

 レヴィンが困り顔をミレイユへ向けていると、ユミルに同意した彼女が、やはり首肯して続きを口にする。


「そして、世界を管理する最大の理由と目的は、この世界が不完全だからに他ならない。この世界は本来の姿として、マナは必須ではないんだ」


「必須では、ない……? しかし、それではどうやって魔術を使うんです? 人々の生活に限らず、動植物の中にはマナを糧に生きています。魔物にだって……」


「つまり、後から追加されたものだから、必須ではないという訳だな。しかし、今の世界において、マナが喪失すれば立ち行かない。もしも消えてしまえば、最初に植物からやられていくだろう。次に虫、動物、魔獣、魔物の順だな。当然、人々もこの連鎖に巻き込まれていく事になる」


 レヴィンにとって、マナはあって当然、水と同等に必要なもの、という認識だ。

 マナのない世界など想像すら出来ないが、消えてしまえば立ち行かない、という確信は持てる。


 だが一方、日本でマナはごく限られた一部にしか存在せず、ともすれば一般社会には全く存在しないと言って良かった。

 それはマナがなくとも、世界は問題なく運行する、という証明でもある。


 恐ろしい事実に気付いた気がした。

 レヴィンは青い顔をさせながら、ミレイユを窺う様に見つめた。


「まさか……、魔物を失くせないのではなく……。失くしたら立ち行かない、のですか?」


「そうだ。魔物もまた、今や生態系の一部として組み込まれている。恐ろしく長生きするモノもいたり、強大な魔物もいるが、数が増え過ぎると困る魔獣の、ストッパー役にもなっている。また、それら素材は人類が魔物に対抗する為の素材として、必要不可欠なだけでなく、討ち倒すことでマナが世界に循環する役目も担っている」


「強大な魔物ってのは、それだけ強い魔力を帯びていて、死ぬとマナへと変換される。……まぁ、腐葉土みたいなものよ。生物が死して大地に還元され、貢献するのと同じ理屈ね」


 ならば、魔物の完全な根絶など、決してやってはならない、という事になる。

 では、淵魔対策として、これまで散々やって来たことは、神の意に反するという意味になりはしないか。


 改めて問うのは怖い。

 しかし、問わぬままいるのも怖かった。

 だからレヴィンは、生唾を飲み込み、意を決して問い掛けた。

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