ロシュに降り掛かる悪夢 その5
「……これで勝利ですか?」
「こうまで粉微塵にされれば、復活も何もあるまい」
ルチアの不安そうな声音とは反対に、アヴェリンの態度は自信に満ちている。
ミレイユもこれに賛同したい所だったが、そうではないだろう、と予想していた。
「……まだ終わりじゃないな」
「何故、とお訊きしても?」
氷雪が降り注ぐような光景の中、ルチアに結界を張らせ、三人の頭にそれらが落ちて来ないよう準備を整えてから、改めて口を開いた。
「さっきの予想だ。生命のストック……あるいは身代わり、それを潰すまで終わらないだろう、というアレだ」
「であれば、今ので全て潰したのでは?」
「私の予想では違う。あの黒い身体は寄り代だ。その身体を潰すことそのものに意味はないのだと思う。あれを動かしているのは、胸の中にあった複数の心臓だろう」
そして、その心臓が一身にダメージを引き受け、許容量を超えた時、切り離せば復活する。
というより、別の心臓が新たに肉体を生み、主導権を握るのだろう。
「そこに溜め込んだ生命力で身体を再構築するから、無傷に戻った様に見えただけだ」
「確かに、その様にも見えましたが……」
「まだある。ヤツは先程、未来視を使わなかった。心臓を一つ失ったからだ」
「そう……なのでしょうか? 使った場面を、それと分かり易く見えていた訳でもありませんでしたが……」
いや、とこれにはアヴェリンが否定した。
「未来視が使えていたなら、あれほど無様な攻撃や回避はしていない。これまでと違い、明らかに回避が下手だった。攻撃こそ激しかったが……、そこに注力するしかなかっただけとも言える」
「先ほど主導権、と言ったではないですか? それで性格も代わり、戦闘技法に違いが出た可能性は?」
「なかったとは言えない。しかし、視えていたなら、回避先をミレイ様の直線上などにするか。あるいは仕方なかったと目を瞑るにしても、ルチアが使った魔術の意図が視えてなさ過ぎる。あそこは絶対、受けてはならない所だった」
魔術耐性を得た身体なら、敢えて受けても大丈夫、と思ったことだろう。
しかし、先の魔術の本質は、魔術攻撃そのものではなく、体表面を氷結させて動きを封じることだ。
「そのうえ、敢えて指示をアイツに聞かせたんだぞ。何をするつもりか、未来が視えるなら、視ずにはいられないだろう。しかし、それを怠ったわけだ」
「……ですね。そこが如何にも不自然です」
「だから、心臓に一つの能力が宿っているのではないか、と思った。完成した“新人類”から心臓だけを抜き取り、それらを一つの個体に集中させたのかもしれない」
そして、だからこそ、心臓一つを失ったことで、能力も一つ失った。
それが未来視だったのではないか、とミレイユは予想した。
「……なるほど、考えられますね。そして、そこから類推できる結果は……。今も降り注ぐ氷の礫は、消滅してくれはしない、と……」
「必ず、元の姿に戻るだろう」
それが正解だと示すかの様に、地面に降り積もった礫から黒い泥が這い出て、一箇所に集まろうとしていた。
集合する黒い粒は、次第に元の姿を取り戻し、足元には潰れた心臓が残される。
身体を完全に取り戻すと、それと引き換えに心臓も溶けて消えていった。
ミレイユは目を細めてそれを見届けてから、カトルへ言葉を投げる。
「……さて、四つの心臓があってさえ敵わなかったのに、今さら続けて勝てるのか?」
「今度は何の能力を手放したんでしょうね? 魔力耐性なら出番が増えて嬉しいんですけど」
「残っていると思しきものは、コンマ何秒かの過去転移と、光線攻撃、触手変化か? いや、触手能力は淵魔由来として、弾いておくべきかな……」
「悩ましいところです、ミレイ様。個人的には光線能力を失っていて欲しいところですが……」
三人の中には、小口を叩ける余裕すら生まれている。
全てが全て、推測通りだとは限らない。
しかし、余力が生まれたのは明白で、そして攻撃が限定的になったのも間違いなかった。
カトルは攻撃を仕掛けてこようとはしない。
これまでにない、積極性のなさだ。
それこそが、ミレイユの推測を後押ししている様にしか見えなかった。
「く……っ!」
カトルはコウモリとよく似た翼を広げ、また距離を取ろうとしている。
しかし、それより早くルチアが魔術を制御する。
恐ろしい速度で完成したのは、新たにゼロから始めるのではなく、既にあった結界を調整したからだ。
「空中戦は、もうさせません」
その言葉通り、結界の規模そのものが縮小される。
上方向に十分距離があったのは、最初にカトルを結界内へ、閉じ込める為に必要だったからだ。
それさえ終わったのなら、元々の大きさを維持しておく必要がない。
突然、天井が落ちるように狭まり、飛び出していたカトルは結界にぶつかって、その反動で地面へと押し戻された。
空を飛ぶには低すぎ、しかし地上戦をするには十分な高さだ。
これで遠くに逃げての飽和攻撃も、カトルには出来なくなった。
「……というか、それが出来るなら最初にやってくれ、と思うわけだが……」
「いえ、すみません……。その時は目の前の敵ばかり見ていたもので……」
ルチアの苦笑混じりの返答に、ミレイユもまた小さく笑う。
しかし、それ以上に苦々しい表情を、カトルが浮かべている。
「お、おのれ……!」
今や地に落ち、無防備になった状態で、カトルは目に見えて怯んだ。
先程までの余裕ならば、こうした姿は決して見せない。
そして、それは未来視を始めとした、強力な能力を備えていたからに違いなかった。
そんなカトルに、ミレイユが言葉を投げる。
「どうした? さっきまでは、あんなにも威勢が良かったのに」
「く……っ」
「では、そろそろ終わろう」
ミレイユは、カトルの返事を待つことなく最後の攻撃に移る。
「ルチア、結界の準備を怠るな。それから、私の魔力に指向性を与えろ」
「え……。あ、はい」
「ヤツは未だに、魔力耐性を切り捨てていないと思う。だが、魔術に変換しない……何の属性にも変換されていない、純魔力の圧力は有効な筈だ。アヴェリンは、それを目眩ましに突撃しろ。ヤツがどちらを避けたいかの問題だが……、チャンスがあればそのまま潰せ」
「御意のままに」
最後の指示を飛ばし、ミレイユは前傾姿勢になって、頭の前で両腕を交差させる。
全身全霊を使って制御するのは、純粋なるマナの強制変換だ。
本来のプロセスとしては、内部に溜め込んだマナを、魔力へと変換し、その魔力を用いて魔術を使う。
だが、これを魔術ではなく、魔力のまま体外へと放出するのだ。
魔術とは、この魔力を別の現象として置き換えるものだが、その際に放出や指向性など、多岐に渡って計算されたものが含まれる。
それを飛ばして使うことになるので、何処に飛んで行くか、完全に御することは出来ない。
しかも、大抵の人間ならただ魔力を塊として放出しただけでは、威力のある弾として扱えない物でもある。
離れれば離れる程、か細く小さくなるので、身体の周りに留めるだけで済ませるのが一般的だ。
それを防膜と呼び、防御に転用しているのが魔術士という存在だった。
ミレイユの魔力が塊となって、次々と射出される。
扇形に広がった弾幕は、あらぬ方向に飛びそうになり、ミレイユはその内半数へと指向性を与えた。
「――ルチア」
その掛け声で、思わず見入っていたルチアが我に返る。
アヴェリンも既に駆け出しており、残りの魔力塊に指向性を与えてカトルにぶつけた。
次々と降り注ぐ魔力弾は、それぞれの射線がランダムなので、躱すに躱せない。
苦労の末、直撃は免れていたものの、それも魔力弾を掻い潜ったアヴェリンに肉薄を許した。
「ハァァァアアア!」
裂帛の気合と共に、アヴェリンがメイスを叩きつける。
直撃した一撃それ一つでは終わらず、幾度と繰り出される打撃は苛烈だった。
カトルもやられるばかりではなく、攻撃を受け止めようとしたが、ろくな反撃もできず、右肩の付け根が千切れ飛んだ。
「この、凡愚どもがああぁあっ!」
激しい苦痛と怒りに叫ぶ声は、大地の底から響いて来たかの様に、おどろおどろしいものがあった。
それでもアヴェリンは怯むことなく左手の盾を振り回すと、カトルもようやく身体を捻って躱す。
しかし、そこに魔力弾の集中豪雨が炸裂した。
ミレイユは威力に集中するだけで良いので、気分的に非常に楽だ。
次々と着弾しては、その身体が抉れていくのを見ているだけで良かった。
カトルの身体に無数の穴が空く。
顔の上半分など、殆どなかった。
鼻と口だけが残されており、身体の全ては穴がないところを探すのが困難なくらいだ。
生命の灯火は、もはや尽きようとしているのは明白だった。
しかし、カトルは胸に手を突き刺し、心臓を投げ捨て跳躍した。
瞬時に新たな身体を取り戻したカトルは、怨嗟の声を上げて落下する。
「ミレイユッ! 貴様だけは、道連れだッ!」
「――そうはいきません」
直後、ルチアから放たれた言葉と同時に、その身体が空中で固定される。
ミレイユから指示されていた通り、彼女はしっかり結界を準備していた。
四角い半透明の中に囚われ、カトルは脱出しようと光線を乱射したが、結界には傷一つ付かない。
多くの力を手放したことで、そもそもの出力が落ちているのだ。
カトルは怨嗟の瞳をミレイユに向け、地の底から這い出る様な声を上げる。
「これは敗北ではない。我らこそが勝利者だ。既に勝利は手の中よ……! その力も……、覚えたぞ!」
単なる負け犬の戯言、と切って捨てるには不穏な台詞だった。
そして、その言葉を無視して、結界は徐々に縮小していく。
カトルも四肢を突っぱねて抵抗していたが、結界を破壊するだけの力は既に残っておらず……。
最後には、掌に収まるサイズまで縮小されたことで、圧迫されて死んだ。
後には、黒く染まった四角形だけが残される。
それも完全に縮小させ、点となって消えると、ようやくカトルとの戦いに決着が付いたのだった。
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