ロシュに降り掛かる悪夢 その4

 炎で念入りに炙ろうとも、それほど意味はないだろう、と予想はしていた。

 しかし、カトルは瀕死のダメージを受けた筈で、その状態ならば消し炭に出来る可能性はあった。


 ――打って損のない手は打つに限る。

 ただし、これであっさりと決着が付いて終わると、ミレイユも楽観していなかった。


 ミレイユ達がクレーターの縁まで来た時、既に炎も消えていて、内部の様子も確認できた。

 大きく抉れたクレーターと言えども、カトルがどこに居るかは一目で分かる。


 その中心では四肢が完全に損壊し、胸に大きな穴を空けた状態で、ぴくりともせず横たわる姿が見えた。


「全く……。あれだけの攻撃を受けて、まだ死なないのか。頑丈さだけは、これまでの淵魔から逸脱してるな」


「しぶとさも、強さの指針の一つではありますから」


 アヴェリンも同意する台詞を言ったが、その口調は不本意さを如実に表していた。

 ミレイユはそれ以上近付くことなく、魔力を制御して次に魔術の準備に入る。


 そうしていると、カトルが僅かな動きを見せた。

 魔術が完成するまで警戒している内に、その体は徐々に元の状態へと戻り始めている。


 どうやら完全に元の姿へ戻るには、まだ時間が掛かる様だが、それでも再生が再開した事に変わりはなかった。


「再生が終わるまで、待ってやる義理はないですよね。ミレイさん、私も攻撃をし掛けますか?」


「……そうしてくれ」


 ルチアの問いに、ミレイユは短く答える。

 魔術攻撃は有効打とならないかもしれないが、喰らいつかずとも、触手を伸ばして力を奪えるのは学習済みだ。


 耐性を得ているとはいえ、完全無効化まではしていない。

 だから接近するリスクを鑑み、ミレイユは再び爆炎球の魔術を淵魔に向けて放った。


 ルチアもそれに合わせて、氷結魔術をぶつける。

 炎と氷が入り乱れ、極限の温度差が交互にカトルの身体をなぶった。


 全てが効果的でないにしろ、何かしらダメージを負うだろうし――あわよくば、今度こそ消滅するとミレイユは考えていたのだが……。


 結果は同じだった。

 もう何度目になるか分からない爆発が収まった後、そこには攻撃前と変わらず、再生を続けているカトルの姿がある。


「面倒な……」


「全くの無駄撃ちかは分かりませんけど……。次々と耐性を得る、もしくは耐性が上がっていくなら、下手に使うのはやっぱり悪手ですね」


 ルチアの推測に、ミレイユも頷く。


「そして、新たな魔術を披露する毎に、こちらの手札が一枚減っていく訳か」


「しかしミレイ様、打撃や斬撃に対して、耐性を得る様子はありませんが……」


 汎ゆる攻撃に対して得られるなら、ミレイユの斬撃が効いた理由もない。

 アヴェリンからの進言に、これもまたミレイユは頷くと、一歩足を踏み出した。


「ならば結局、接近戦しかないか。近付くリスクは、なるべく負いたくなかったが……」


「そうも参りませんね」


 アヴェリンがミレイユの数歩前へ飛び出して、メイスと盾を構えて先を行く。

 ルチアは二人の後ろで、いつでも援護できるよう、身の丈程の杖を横に構えて付いて来ていた。


「ルチア、アイツを更に細かく砕くから、そうしたら結界内に封じてくれ。自身の生命力を消費して再生するなら、色々と限界に来ているだろう」


「ですね。最初のように、力ずくで脱出は難しいでしょう。……準備しておきます」


 その会話が終わると同時、アヴェリンが盾を顎先に構えて肉薄する。

 まだ両手両足が再生し切っていない所へ、振り被ったメイスが叩き付けた。


 衝撃の余波で、再生し掛かっていた腕は千切れ飛び、カトルもまた吹き飛ばされる。

 しかし、そうしながらも、腕の一部を触手に変化させ、アヴェリンへと伸ばした。


 ただし、これは吸収する為の行動ではない。

 足首辺りを掴み取ると、メイスで殴り飛ばされた方向とは反対へと投げ飛ばした。


「ぐっ……!」


 地面に投げ出されたアヴェリンは、すぐに体勢を立て直し、再び殴り付けようと地を蹴る。

 だが、カトルはその隙に、ルチアの居る方向へ触手を伸ばしていた。


「……そうはいかない」


 それに気付いたミレイユが、触手を召喚剣で断ち切る。

 しかし、それこそが狙いだと、その直後に気付いた。


 切断された触手は地面に落ちることなく、急角度で飛んで、ミレイユの腹に突き刺さる。

 内側へ抉り込もうとする動きに怖気が走り、召喚剣を手放し両手で触手を握った。


 そのまま力任せに引き抜き、念動力で空中に固定すると、万力で引き絞るように力を加えていく。

 しばらく圧力に耐えていたが、決壊も早く、あっという間に潰れて消えた。


「くそ……!」


 まだ腹に何か残っている気がして、傷口をわざと広げて出血を促す。

 抉られた肉は深くまで達しておらず、筋肉を突き破ってはいない。

 疼きの様なものが痛みで洗い流されるのを感じながら、ルチアに首肯を見せると、即座に治癒魔術が飛んできた。


 傷口が綺麗に塞がったのを確認すると、次にカトルへ視線を移す。

 すると、その時には再びアヴェリンが肉薄しており、今まさにメイスを振り下ろした所だった。


「貴様、よくもッ!」


 アヴェリンの一撃がカトルの身体を貫通し、大地を揺らす。

 その直後にミレイユが、魔力で周囲の土を岩盤ごと持ち上げ、投げつける。


 勿論、それはアヴェリンが避けると信頼しての行動だ。

 アヴェリンの回避と同時に巨大な質量が落ちて来て、逃げ切れなかったカトルを圧殺した。


 ――した、かに見えた。


 その直後、岩盤に罅が入り、次第に亀裂も大きくなると、そこから触手が飛び出して来た。

 カトルの顔は焦燥していて、余裕など欠片もないが……しかし、それでも生きている。


「はぁ、はぁ……」


 カトルは荒く息を吐くと、自らの胸に腕を突き刺した。

 そして、顔を苦渋に歪めて何かを引っ張り出す。


 それは触手に包まれた、心臓に似た何かだった。

 抜き取られたそれが地面に落ちると、泥となって溶けて消える。


「何のつもりだ……?」


 その独白は、全員の総意だったろう。

 しかし、応えられる何者も存在せず、そして次に起きた変化は劇的だった。


 四肢の代わりに伸びていた触手が姿を変え、本来の手足を取り戻し、胸に空いた穴も塞がる。

 汗塗れで息を乱していた表情も、今は綺麗に余裕を取り戻していた。


「何だ、あれは……? 生命のストック……、あるいは身代わりにした?」


「身体から抜き取ることで、回復したように見えましたし……肩代わり、の様なものだろうと思いますが……」


「そしてどうやら、あと三つの心臓があるらしいぞ」


 カトルの黒々とした胸元には、脈動する僅かな灯りが透過して見えている。

 本来心臓がある位置とは別に、右胸に二個、そして左胸にも一つあった。


 それら全てを滅しない限り、この戦闘が終わらないとなれば、厄介な事この上なかった。

 ミレイユは不愉快そう眉を潜め、それから堂々と宣言する。


「何にしても、必要があるならやるまでだ。――あれを全て潰す」


 その宣言と共に、ミレイユは駆け出す。

 カトルもそれを迎え撃つ様に、触手を生やした腕を振りかぶった。


「ルチア、アヴェリン!」


「はい!」


「承知しました」


 ミレイユが指示するまでもなく、二人は既に動いていた。

 ルチアは氷柱を雨霰あめあられの如くに降り注がせ、その影でアヴェリンが鋭く跳び出す。


 カトルは魔術攻撃を完全に無視し、二人のうち手近なアヴェリンの方に、触手を伸ばして突き出した。

 鞭の様に長く速く伸びた触手が、大地を打つと共に斬り裂き、氷柱の幾つかを撃ち落とす。


 アヴェリンにそのうち一本が襲い掛かり、メイスを叩きつけて割り砕いた。

 今度は棍棒の様に振るわれた触手の腕を、アヴェリンはこれもメイスで打ち据える。


 しかし、その腕が鞭のように伸びて一閃し、アヴェリンの脇腹を打ちのめした。

 躱し切れずに喰らったアヴェリンは顔を顰めるが、それでも構わず突進を断行した。


 そうして頭を叩き割る一撃を叩き込むも、これは転移によって躱されてしまう。

 ミレイユはその一連の動きを追っていた。


 逃げた場所はミレイユの直線上、退避先としては余りにつたない。

 妙だと思いつつ、目を細めた。


「ルチア!  氷結魔術で凍らせられるか?」


 カトルが追撃するより早く、ミレイユがルチアに指示を飛ばす。

 ルチアは杖を地面に突き刺して、そこに魔力を流し込んだ。


「やってはみますけど……。しっかり耐性は持ってますよ!?」


「構わん。やれ!」


「はい! 『氷雪の抱擁』……!」


 カトルの足元から、冷気と共に氷が這い上がる。

 それは瞬く間に全身を覆い尽くし、その全身を凍り付かせた。


 しかし、その表面が僅かに白んだだけで、上半身を覆った氷は既に罅が入っている。

 あと何秒も保ちそうになかった。


「動きを止めてくれれば、それで十分だ……!」


 そして、ミレイユの疑念が確信に変わる。

 手に石槌を召喚し、頭部分が身の丈程もある巨大なハンマーを振りかざす。


 腰を捻って一回転、遠心力を用い、高く掲げて一歩を踏み込んだ。

 その重さで地面が落ち窪み、その慣性を利用するまま叩き付ける。


 地を割る様な衝撃と共に、カトルの全身が砕かれた。

 凍り付いていたせいで衝撃を逃がせず、全身に広がった破壊力は、カトルを粉微塵と砕いた。


 上空へも散らばった氷の礫が、細かな粒子となって綺羅星の様に落ちる。

 シャラシャラと音を立てながら積み重なる氷を見つつ、ミレイユは召喚した槌を手から消した。

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