第四章

その後に備えて その1

 レヴィン達の洗脳を解き、事のあらましを説明してからというもの、幾日か経った。

 今ミレイユは、最近のお気に入りとなり始めている縁側で、フラットロを枕に日光浴を楽しんでいた。


 温かでまだ強くない日差しと、柔らかに撫でる風は心地よく、何をするでもない時間が愛おしく思える。

 フラットロの甘えたがりに任せて、頭を撫でたり、櫛代わりの指で首筋を搔いたりしていると、部屋の外がにわかに騒がしくなり始めた。


 室内に居るのは傍に侍るアヴェリンのみで、他には世話係の女官が数名のみだった。

 ユミルやルチアは部屋に居ないことも多く、今日も気の向くまま、知的好奇心を満たしているようだ。

 そして、その二人が帰って来たとするには、今回少々勝手が違った。


 現在、ミレイユの居がある一画は、広い奥御殿の中に於いても、より格式高い神処殿と呼ばれる場所だ。

 教育の行き届いた女官は、その廊下を歩く時、話し声はおろか足音を立てないよう、細心の注意を心掛けている。


 神が住まう神聖な空間であり、静謐は神が最も好むものだ。

 常に拭き清められている場所でもあり、その清掃中であろうと、物音を立てないよう最小限に注意するものだった。


 しかし、今はそうしたものとは別の、騒音とも呼べる物音が立っている。

 騒がしい事をするとしたら、真っ先に思いつくのはユミルの顔だ。


 またぞろ、下らない事でも始めたのだろう、とミレイユは空を眺めていると、アヴェリンが部屋の外を気にしながら、呟くように言った。


「そういえば、本日からでしたか。少々の耳障り、どうぞご寛恕を」


「……あー、何の話だ? ユミルが今日、何か悪戯でもすると、犯罪予告してたのか?」


「いえ、そういう事ではなく……」


 アヴェリンが苦笑して首を振ると、フラットロはミレイユを掻き抱くように身体を丸めた。

 時折、フスフスと首筋辺りに鼻面を突っ込んで、匂いを嗅いでは安心し、また元に戻る。


 精霊である筈なのに、妙な所で犬っぽい。

 アヴェリンはいつまでも慣れない、そして納得しがたい視線を、フラットロに向けつつ話を続けた。


「……ゴホン。どうやら、祭りとよく似た催しが行われているようです。過日、側仕えの咲桜からも、その旨伝えられておりましたでしょう?」


「そうだったかな……」


「確かに、朝食の席で。ミレイ様は関心がおありではなかったので、そのままお忘れになったのでしょうが……」


「あぁ……、オミカゲ様の奴から参加するかどうか、確認されていたんだったか。興味ないから無視していたが」


 それでミレイユは思い出した。

 それがどういったものであれ、オミカゲ様に関連した神事であるなら、自分には無関係と無視していた。


 遷宮に関わる何かとまで聞いていて、小難しい話へ進みそうな所で強制的にシャットアウトした。

 場所が場所だけに重機も持ち込めず、全て昔ながらの人力で行われるので、やはりそれなりに騒がしくなってしまうようだ。


 耳を澄ますと、祭囃子の様なものまで聞こえている。

 これが本当に建て直しに関するものなのか、ミレイユは疑わしく思えて、今も近くで控える咲桜へと尋ねた。


「神前にてやる事なのか、あれが? それとも、こういう祭りというだけか?」


「然様でございますね。長い工程の神事でもありますので、全てにおいて、こうした騒がしさを持つわけでもございませんが……」


 側仕えとして、いつ何時でも要求に応えられる様、咲桜もまたアヴェリンと同じように侍っている。

 その彼女が苦笑交じりに解説してきた。


「遷宮は非常に格式高く神聖なもので、オミカゲ様に新宮へお移り頂く大切な儀式です。足掛け十年、今その長く続く祭事の最終段階とも言えるところまで来てますので、皆さま奮っておられるのです」


「十年……? そんなに長く掛かるものなのか?」


 少々の驚きを見せながら、ここでようやくミレイユは咲桜へと顔を向けた。

 縁側付近の室内にて、畳の上で背筋美しく正座する彼女は、誇り高く頷いて続けた。


「この儀式は二十年に一度の神事でございますが、なにしろ樹を切り出す所から始まりますから。そちらでも神職の方々が何日も掛けてお祀りして、遷宮の為だけに育てた樹を切り倒します」


「その為だけに……、育てている樹があるのか」


「オミカゲ様が鎮座まします御神処の御用材となれば、それらの木々も特別であるのは当然の事でございます」


「なるほど、もっともだ」


 これにはアヴェリンがしたり顔で頷いた。

 そのうえ、しきりに感心した様子を見せ、そして改めて室内や縁側に使われている木々へ視線を向ける。

 ミレイユもフラットロから手を離し、何の変哲もない縁側の床板を撫でた。


「つまり、これらもそうして用意されたものか」


「然様でございます。またそれら木々もまた、御霊の宿る神聖なものとして、丁重に扱われるのです。全て人力で川曳きにより運ばれ、最終的に陸曳きによって神宮へと運び入れられます」


「人力……。今ならトラックを使うとか、もっと楽も出来るだろうに」


「伝統ですから。何百人、何千人もの手によって、何日掛かろうと成し遂げます。昔ながらの方法が維持されているのです」


「それは、また……」


 切り出された木々は、当然一本ではない。

 そして、たとえ一本であろうと、その重量は大きな負担だろう。

 だからこそ、何千人も携わらずには運び入れられない、という理屈だと察した。


「長縄を用い、一度に何百人も連なって御用材を引っ張ります。人の列の方が遥かに長く、笛と掛け声が交互に聞こえる様は、風物詩と言っても良いでしょう」


「それは……見応えがありそうだな」


「最終的な縄引きを受け取るのは、御由緒家の方々です。その時は、それまでの速さとは雲泥の差で、凄まじい迫力はとても人気があります。その時を待ち焦がれて、いざ始まった時には歓声が上がる程です」


「なんだか、分かる気がする。目に浮かぶようだな……」


 嬉しそうに語る咲桜の言葉から想像して、ミレイユはくすりと笑った。

 一般人と理力を扱える人間の差は、赤子と大人以上の開きがある。

 それこそ、牽引車を使っていると錯覚する程に、歴然の差となって現れるだろう。


「じゃあ、今日騒がしいのは、その御用材が運び入れられたから、なのか?」


「然様でございます。また木造始祭も合わせて行われますので、その準備もあって少々御神処が騒がしくなっているのです」


「神職の者達にとっては、色々と忙しい日、という訳だな」


「御子神様におかれまして、大変ご迷惑、ご不便おかけし申し訳ございません」


 深々と頭を下げた咲桜に、ミレイユは笑って手を横に振る。


「お前が謝ることじゃないだろう。今は居候の身、みたいなものだしな。そういう事情なら、むしろ私が我慢すべきだろうな」


「オミカゲ様はどうしておられる?」


 アヴェリンが問うと、咲桜は至極当然、と言わんばかりに頷いた。


「それは勿論、この祭事にて祀られる祭神でございますから、ご参加されておりますよ」


「……ミレイ様、どうされます?」


「どうする、と言われてもな……。参加しないからと、臍を曲げるわけでもないだろう。むしろ、いない前提で行う予定だったんだろうしな。唐突に心変わりして顔を出しても、逆に迷惑じゃないか」


「そう、かもしれません……。一度は打診され、断った話でありますから。進行にも色々と、予定があるでしょう」


 オミカゲ様が強制しなかったのも、それが理由だろう、とミレイユは思っている。

 もしも、本当に参加する予定があったなら、無理にでも連れ出そうとしたに違いない。


 それがないという事は、無理して都合を付ける程ではなかった、と推察できた。

 大方、待ち時間の暇つぶし、話し相手に出来ると期待して声を掛けた程度だろう。


 ミレイユは更に大きくなった笛の音や、それに合わせた掛け声を外に聞きながら、手首を何度か上下させる。

 起き上がらせてくれ、という合図だった。


 それを素早く察知したフラットロが、三叉の尾を上手く使って、背中を押し上げるように立たせてくれる。

 しかし、そこから普段とは様子が違った。

 フラットロはミレイユの周りを回って、期待を込めた瞳で見つめて来ていた。


「どうした、何したい?」


 ミレイユはその頬を優しく擦って、それから音の出どころへと顔を向ける。

 フラットロが気にしているものが何か、それで見当が付いたからだ。


「少し覗いてみよう。どうせユミル達も、隠れて見ているんだろうしな」


「行くか? 飛んでくか?」


「それじゃ目立ち過ぎる。主役はオミカゲ様なんだろうし……いや、今だけは御神木の方か? まぁ、ともかく隠れながら、見つからないように行ってみよう」


 フラットロは素直に頷いて頭を下に、後ろ足を立てて、警戒歩行の姿勢を取る。

 敵陣への潜入ではないので、そこまであからさまな警戒は必要ないのだが、好きなようにさせようと、ミレイユは笑うだけで済ませた。


 フラットロの肩高は成人男性と変わらないほど大きいうえ、白い毛並みはそれだけで目立つ。

 御影神宮を守護する神狼・八房と、その容姿から混同される事もあり、隠れるにはよほど向かない姿をしていた。


 とはいえ、神宮の奥御殿はとりわけ入り組んでいる場所も多く、隠れて見る場所には困らない。

 そして奥御殿に精通している咲桜ならば、そうした格好の場所を見つけ出してくれると思っていた。


「そういうわけだから……咲桜、案内頼めるか」


「畏まりました。どうぞこちらへ、絶好の場所へご案内させて頂きます」

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