三神会合 その8

 それからはミレイユが目を光らせた事で、可もなく不可もない、当たり障りのない内容の親書が完成した。

 丁度良いタイミングでやって来たナトリアに持たせ、インギェムの権能で送り届けられる。


 単に来訪日時を報せるだけならば、親書だけを送り届けて、それで済ませても良い。

 しかし、礼節を重んじるならば、そこに使者を立てるべきで、更に言うならミレイユの神使が伺うべきでもあった。


 だが、そこにナトリアを用いたのは、ルヴァイルもまたこの件に関与している、と思わせたかったからだ。

 大神レジスクラディスとルヴァイルは、元より親しい関係と良く知られているが、今回の件においても傍観せず積極的に関わる、と示唆した事になる。


 それはつまり、大神レジスクラディスを襲撃した件に立腹している、と表明した事にもなるのだ。

 ハイカプィが余程の間抜けでない限り、こうした意図は読み取れる。


 だから、ナトリアを呼び出し使者として立て、わざわざ親書を持たせた。

 ミレイユはインギェムが作り出した『孔』の中へ、親書を携え消えて行くナトリアを見つめた。


 渡すだけの仕事なので、程なく帰って来るだろう。

 ようやく一仕事終えたと、肩や首を回しながら、ミレイユは息を吐いた。


「……ともあれ、これで牽制は済んだ。余計な事に気を回す余裕もなくなったろうし、今日一晩くらい、ゆっくりする時間は取れる……事になるんだろうな」


「今頃は、親書の中身を確認して、突然の訪問勧告に、上へ下への大騒ぎでしょうよ。それを想像すると、ちょっと胸がすく思いするけど」


 ユミルが口の端を持ち上げて笑うと、これにルヴァイルも同意する。


「精々、肝を冷やしておくと良いでしょう。実際に、弑し奉る腹積もりがあったかどうかなど、問題ではありません。その事態に直面させた、その事件こそが問題なのです」


「結果として、こちら有利で事を進められるんだから、その勇み足に今は感謝しておくさ。さて……」


 肩をグルグルと回していたミレイユは、椅子から立ち上がると、大きく伸びをする。


「ゆっくりすると決めたからには、行きたい場所がある」


「何よ。まだアレに執着してんの……?」


「あれ、とは……?」


 ユミルがげんなりした表情を見せると、ルヴァイルは小首を傾げて尋ねた。

 尋ねられたユミルに答えるつもりはなく、ただ息を吐くばかりだ。

 それでルチアが、苦笑交じりに説明した。


「蒸し風呂ですよ。こちらの大陸に足を踏み入れてすぐ、泊まった宿で試してみたら、存外お気に入りになってしまった様で……」


「そうなのですか……。それは、まぁ……北方大陸では浴場よりも、一般的な娯楽ですしね」


「というより、今更感の方が強いけどな」


 そう言って、インギェムがどう形容すべきか分からない、皮肉げな笑みを浮かべた。


「今まで、幾らでも試す機会はあったろうに、昨日初めて入ったのか?」


「いや……、別に初めての経験じゃない。遥か昔に試した事があるんだが、こう……吸う空気すら熱いあの感覚が好きじゃなかった」


「だが、今は違うって?」


「まだ人間だった頃の話だしな。けれど、こういう身体になって、そうした部分が気にならなくなると、今度はゆっくりと蒸される感覚が得も言われぬというか……」


 神の肉体は強固で、堅固でもあった。

 ただ鋭いだけの刃で肉は切れず、炎で炙られたとしても火傷など起きない。


 炎の塊である火の精霊を腕に抱いても、一切の痛痒を感じない程で、神になる前ならば、火耐性の魔術を使用せずに同じことは出来なかった。


 神の肉体は、痛みから縁遠い存在となり、ともすれば痛覚すら忘れる。

 熱湯を被っても熱いと思わないし、冷水を浴びても震える事はない。


 だから、身体を身綺麗にしようとして、沐浴で簡単に済ませる事が慣例になり、いつしかミレイユは湯に身体を沈めることすらしなくなった。

 しかし、蒸し風呂によって長時間、ゆっくりと熱せられると、しっかりと熱を感じ取れるというのは発見だった。


 この湯よりも高温で、かつ火傷するまでいかない部分が、うまい具合に影響を及ぼしているのだろう。

 普通の人間より長時間、蒸し風呂に浸からなければならないが、それだけの時間、滞在しただけに見合う快感を与えてくれる。


 そして、その後ゆっくりと熱を放出していく過程が、ミレイユに開放感と爽快感を味あわせてくれたのだ。


「お前たちも、知ってるなら教えてくれれば良かったのに……」


「いや、教えるも何も、そういうのに興味ある様には見えなかったじゃないか……」


「日本の娯楽にしか興味ないと思ってましたよ、妾は……」


 二柱の意見も、そう間違ったものではなかった。

 むしろ、ミレイユが積極的に風呂に入る姿勢など、想像できなかったろう。


「ですが、蒸し風呂を好ましく思っているのは、目出度きこと。すぐに準備させましょう」


「ここにもあるのか?」


「えぇ、勿論。女官などは身を清めるのに使っておりますし、北方大陸の者なら大抵の者は好ましく思うものです」


「……何やら、含みを感じる言い方だな。もしかして、お前は余り好きじゃないのか?」


 ルヴァイルは一度視線を逸らしてから、躊躇う様に頷いた。


「妾は沐浴の方が好みです。ミレイユが好ましいと言った手前、大変言いづらいのですが……」


「いや、好みはそれぞれだ。それにケチ付けようとは思わない」


 ミレイユは笑って手を振り、次にインギェムへ目を向けた。


「お前はどうだ?」


「己も別に好きじゃねぇな。嫌いって訳でもねぇが、どちらか一方を選ぶなら、普通に沐浴の方……かな」


「やはり、そういうものか……」


 ミレイユは頷きつつも、これを機会に、と二柱を誘う。

 しかし、いまいち難色を示し、すぐには頷かない。

 そこへユミルが、悪戯混じりの笑顔で口を挟んだ。


「まぁ、気乗りしないなら、無理に入る必要ないかもよ。この子ったら、どんどん火を焚べて熱量上げるから。我慢強い人間でも逃げ出すだろうし、下手すりゃ蒸気で火傷するぐらいなんだから」


「そこまで温度は上げてない」


 ミレイユがむっつりと否定するが、ユミルは変わらぬ笑顔で否定する。


「さて、どうかしら……。アタシでさえ早々に音を上げて、逃げ出したぐらいだけどね。アヴェリンですら顔を真っ赤にして我慢寸前、と言えば、どの程度か察しが付くってもんでしょ」


「それは……、なるほど。半端な覚悟で、望むものではないようですね……」


 ルヴァイルがごくり、と喉を鳴らして、視線を逸らす。

 まだ入ってすらいないのに、話を聞くだけで、既に汗を掻きそうな顔をしていた。


「そういう事であれば、むしろ話を聞けて良かったかもしれません。女官にはよくよく申し付け、蒸し風呂を用意させると致しましょう」


「うん、頼む」


「石を焼くのと、蒸気を充満させるには、今暫く時間が掛かります。それまで、軽く食事でもどうですか?」


「そっちは準備出来ているのか?」


 ルヴァイルは事もなく頷いて、笑みを浮かべた。


「そちらはインギェムが来てる時点で、料理を色々用意させてましたから。突然ミレイユが来た事に驚きはしたでしょうが、妾の臣ならば、人数に合わせて量を調整するなど、しかと心得ているでしょう」


「そういう事なら、ありがたく頂戴するとしようか」


「えぇ、伴に食事を楽しみましょう」



  ※※※



 ルヴァイルが言った通り、料理は万端の準備を以って用意された。

 ミレイユと神使達の分だけでなく、しっかりレヴィン達の分まである。

 同席こそしていないものの、彼らは彼らで、別室にて食事を楽しんでいる筈だった。


 そして、食事が済めばミレイユお待ちかねの蒸し風呂である。

 ルヴァイルやインギェムは、最初から一緒に入るのを拒否しており、アヴェリンでさえ、蒸し風呂小屋の前で護衛に徹する構えだ。


 そうしてミレイユは、蒸浴の後、外気浴で身体を冷やし、再び入るを繰り返した。

 約二時間が経過した頃、身体からホクホクと湯気を上げたミレイユが、上機嫌で帰って来ては長椅子へ横になる。


 そうして見せる姿は、今にも溶けて落ちてしまいそうな程、だらけ切っていた。

 アヴェリンに扇で風を送らせながら、心地良さそうに四肢を伸ばしている。

 それを見たルヴァイルは、得も言われぬ表情で凝視してから、顔を綻ばせた。


「これはまた、なんとも……。ミレイユのこんな姿を拝めるだなんて、想像もしていませんでした」


「何とでも言えぇ……。冷水風呂があれば、なお良かったけどなぁ……」


「蒸し風呂は冬の風物詩、みたいな認識だったりしますから。そうすると、雪面に身体を投げ出したりして、冷水代わりに活用したりするそうですよ」


「……ルチア、氷結魔術で、いい感じに……」


 ミレイユは目を閉じたまま、ふらふらと手を伸ばしては求める。

 しかし、魔術に誇りを持つエルフたる、ルチアの反応は冷たかった。


「なに言ってるんですか。そんな馬鹿なことに使えませんよ。ご自分でなされたら良いのでは?」


「面倒くさぁい……」


 そのだらけ切った……あるいは、蕩け切った態度に、誰もが苦笑を禁じ得ない。

 ルヴァイルは役得と思っている顔だが、神使の三人はそうも言ってられなかった。


「信徒には見せられない光景ですね」


「あるいは、エルフなら諸手を上げて、絵画に残そうとするかもしれないけど」


 ルチアとユミルから散々な言い様にも、ミレイユは反応を返さない。

 緩やかに送られる風に、火照った身体を冷まされるままにしていた。


 そこにルヴァイルが近寄って、長椅子の端に腰を下ろす。

 服が捲れて出ていたお腹を隠し、だらしなく投げ出された手の位置も正そうとした。


 ミレイユの手首辺りを握った所で、今度はミレイユの方からその手を握り返され、そのまま動きが止まってしまう。


「あの……?」


「お前、体温低めなんだな」


「そう……かもしれませんが、今はミレイユが特別熱くなってるからですよ」


 その言葉が終わるか終わらないか……。

 そのタイミングで、手を強く引っ張り、ルヴァイルを胸の中に掻き抱いた。


「み、ミレイユ!? ど、どどど、どうしたのです?」


「お前の身体は……、冷たいなぁ……」


「あぁ……、そんな……。妾の肢体が、ミレイユに求められている……!」


「言い方ね。単に水の入った革袋を、求めてるのと変わらないでしょ」


 ユミルが指差して言う指摘も、今のルヴァイルの耳には入らない。


「うん……。気持ち良い、心地良い……」


「ミレイユが妾を抱いて、快楽を感じている……!」


「――言い方ね、言い方。アンタじゃなくても、誰でも同じコト言うからね」


 しかし、やはりユミルの指摘はルヴァイルの耳には入っていなかった。

 まるで夢心地の様子で、ミレイユに抱かれるままとなっていた。


 そして、これが約五分の間ずっと続いた。

 しかし、ミレイユの熱が伝わり、すっかり水枕の役割を果たさなくなると、暑苦しいと言われ投げ出される。

 邪険に捨てられた時の得も言われぬ表情は、誰の記憶にも深く刻まれた。

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