三神会合 その7

「――では、即座に行動すべきですか?」


 ルチアが視線厳しく、ミレイユに問うた。


「先に行動されると、面倒な事になりますよ。この時間軸の貴女に、全く別の地点で発見されたなんて知られると、それだけで齟齬が生まれます」


「そうだな……、私はそうした報告を受けた記憶がない。先を越される前に、釘を刺しに行く必要がある」


 ミレイユが同意し、他の神使も頷いて、椅子から腰を浮かそうとする。

 しかし、それに待ったを掛けたのは、ルヴァイルだった。


「ちょっと……、ちょっとお待ちを。先程は、一日くらい泊まっても良いと、言ったばかりじゃありませんか」


「それはさっきまでの話だ。そして、事情が変わった。……分かるだろう?」


「でも、一日ぐらい……!」


「その一日で、取り返しの付かない事態になりかねないんだ。何かが起こってからでは遅い」


 そう言われても、ルヴァイルは即座に納得する素振りを見せなかった。

 鎮痛な面持ちを浮かべ、右手首を握った腕を、掻き抱く様に胸へ寄せる。


 インギェムからも納得を催促の手が差し伸べられた時、俯き加減だったその顔を上げた。


「――それならば! 先に話しておけば……そう! 先触れとて必要な筈です! 本来、それなくしておとなうものではないのですし……! えぇ、大神より話があるから待機、と言い含めておけば、現在どこに居るかなど、調べる意味もないのでは!」


「それは……まぁ、そうかもね?」


 ユミルは一瞬だけ考える仕草を見せ、それから不承不承に頷いた。


「咄嗟の思い付きにしては、中々スジが通ってるわ。ルヴァイルに対しては、その面識の深さから問題にはならなかったけど、先触れなく訪れるものじゃないってのは確かだし……」


「事が事だから、この場合は納得させられるだろう。事情を話せば、本来は不躾な訪問も許さざるを得ないだろうし……」


 ミレイユが顎先に手を置いて言うと、ルチアからも同意の声が上がる。


「ルヴァイルやインギェムの場合は特殊だとしても、何故の理由を聞かされれば、納得するのは間違いないでしょう」


「それに今回の場合はだ、ハイカプィ側には明確な落ち度があろう。当然、知らぬ存ぜぬを貫くだろうが、海での一件を無かった事には出来ない。多少の負い目もあるのではないか?」


 アヴェリンからも追随があり、そこにルヴァイルは光明を見出した。

 瞳を輝かせて、更に饒舌になった口を開く。


「そうです、その負い目です。なればこそ、先触れがあり、大神がこれから赴くとあらば、これに備えて待つ必要があるでしょう。認識の擦り合せなども必要になるでしょうし、どう対応するかの会議も始まる筈です! 居場所がどうの、と言っている暇はありませんよ……っ!」


「それもまた、一理あるかもねぇ……? 翌日行くわよ、なんて言われたら、それこそ対応についてアレコレ騒ぎ立てるコトになるんでしょうし……。普通、先触れって一週間は前に出すモンでしょ?」


「それでも早いくらいだ」


 むっつりと不機嫌を顔に出して、アヴェリンは更に詳しく解説を始めた。


「普通はそれより多く、ゆとりを持つ。だというのに、突然訪問を言い出されたら、確かに混乱の坩堝るつぼだろうな。負い目があるなら尚更だ」


「ならばやはり、今日一日くらいは、逗留するのも可能という事ですね……!」


 ルヴァイルが喜色満面に言い放つと、ミレイユはとりあえず同意して見せる。

 しかし、あくまでとりあえずであり、その表情は決して歓迎しているものではなかった。


「あくまで可能というだけの話で、即座に動いた方が確実で、問題を小さく出来るのは間違いない。私達は絶対に失敗できないのだから――」


 全てを言い終える前に、ルヴァイルは卓上に置かれた鈴を持ち上げ、手首を返して小さく鳴らす。

 優美な装飾と文様の刻まれたガラス製の鈴は、耳に心地よい音を届けた。


 扉の前で控えていた女官は、寸分違わず聞き届けるなり入室し、礼儀に則り一礼してから、緊張した面持ちを上げた。


「御用でしょうか、ルヴァイル様」


「えぇ、書式を一式、持ってきて頂戴。神へ親書をしたためるので、それに見合った上質紙を。――急ぎで。お願いね」


「畏まりました」


 ミレイユが口を挟む間もなくやり取りが終わり、女官が一礼して去ってから、慌ててルヴァイルを呼び止めた。


「おい、急ぐに越した事はない、と言ったばかりだろう」


「牽制は必要ですよ。それに、重要なのは実時間のミレイユに知られないこと……そして、その齟齬を知られないことでしょう? 手紙一筆持たせただけで、それが叶うのです。ならば、問題ないではありませんか」


「そうとも言えるが、確実性は……」


「いえ、まだあります」


 ルヴァイルは待て、の態勢で手を伸ばし、ミレイユの言葉を遮る。


「大体、ハイカプィが管理する北東大陸には、どうやって行くおつもりで? 一日の滞在より早く行くには、インギェムの権能に頼るしかなかった訳でしょう? それならば、妾は必死に止めますからね」


「おい、そんな幼稚な……」


「だって、ミレイユは滅多に来ないではありませんか! こちらからは何度も伺い、その度に今度は妾の神処へと誘っても、僅かに数える程しか来たことなかったのに!」


 遂に、ルヴァイルはインギェムの肩を借りて、おいおいと泣き始めてしまった。

 非常に居た堪れない空気が蔓延り、ミレイユ達は互いに顔を見合わせた。

 誰も口に出せないまま、時間が数秒経った頃、ユミルが溜め息混じりに呟く。


「……まぁ、今まで色々、蔑ろにして来たツケかもね。幾ら互いに『虫食い』の件があったとしても、一切の時間が作れなかったワケじゃないし……」


「己だって、合間を縫ってこうして会いに来てた訳だしな」


 インギェムはルヴァイルの背中を撫でながら、突き放す様に言う。


「そのクセ、モルディの所には行ってたんだろ? そりゃあ、ルヴァイルは面白くないわな」


「理由があっての事だった。モルディは色々不安定なんだ、知ってるだろう? 優先するのは仕方がなかった……」


「だとしても、少しは気遣ってやれよ。ルヴァイルはお前と仲良くしたいんだよ。お前だって、大神と小神の関係じゃなく、もっと近しい関係で良いって言ってたじゃないか?」


「まぁ、そうだ……。そうなんだが……」


 ミレイユがどうにも歯切れの悪い言葉を返し、次の言葉を探している最中に、インギェムから追撃が入る。


「吐いた言葉には責任を持てよな。神の言葉って重いんだ、そうだろ?」


「……そうだな、分かった……」


 とうとう堪り兼ねて、ミレイユは白旗を上げた。

 大いに溜め息を吐き出しながら、インギェムに同意する。


「どの道、お前はルヴァイルの味方だしな。神器を使って強行しようにも、お前は絶対介入して止めるだろうし」


「そりゃそうだろ。こんな状態のルヴァイルを置いて、逃げるような真似させるかよ」


 権能と、その権能を模した神器――。

 どちらが強力で、どちらがより応用が利くかなど、言うまでもない。

 インギェムがその気になるだけで、開いた『孔』を強制的に閉める事も、出口を入口のすぐ傍へ繋げる事も可能だろう。


 そして、権能を使わず移動するなら、北東大陸にあるハイカプィの神処まで、半年は掛かる計算だった。

 彼女の同意を得られないなら、そもそも最初から詰みの状態だ。


「分かった、一日だけの話だしな……。牽制として先触れも送るという話だし、そこまで悲観しなくても良いか……」


「そうですかっ!」


 その一言で、それまで泣き崩れていたルヴァイルに元気が戻る。

 戻る……というより、最初から泣いてなどいなかった。

 顔に涙で濡れた形跡がない。


 つまり、最初から彼女の演技に、まんまと騙されていたわけだ。

 けろりと機嫌を治したのと同時に、扉がノックと共に開かれる。


 先程の女官が、書式一式を持って帰って来ていた。

 しずしずと、ルヴァイルの元へと近寄ると、順にそれらを用意立てて行く。


「こちらで宜しかったでしょうか?」


「問題ないわ。……あぁ、そうそう。ナトリアを呼んで頂戴。これを書き終わったら届けて貰うから」


「承知致しました」


 女官は一礼すると、足音を立てずに去って行く。

 ミレイユが白い目を向けていることなど気にせず、ルヴァイルは鼻歌交じりに親書を書き上げていった。


「では、明日の昼頃、そちらに訪うと書き付けておきましょうか。次節の挨拶以外に、何か書いておきましょうか? 貴様の首は、柱に括り付けられるのがお似合いだ、とか……」


「何でそんな、無駄に物騒な文言を付けなきゃならないんだ。私が殴り込みに行くと思われるだろ……! 戦争するんじゃないんだから」


「少し脅し付けるくらいが、丁度良いと思うんですけどね……」


「だが、それは下手すると宣戦布告と変わらない。却下だ」


「仕方ありませんね……」


 何故か非常に残念そうな顔をさせ、ルヴァイルは書面を完成させた。

 一通り見直して、満足そうに頷くと、反転させてミレイユへと差し出す。


「では、最終確認と、最後にミレイユの一筆を」


「あぁ……」


 受け取りながら、つらつらと文章に目を通す。

 そこには通り一遍の時候の挨拶から始まり、翌日の日付の昼頃、大神レジスクラディスが神処を訪う内容が書かれていた。


 そして、最後まで目を通した時、見過ごせない文章が書き連ねている事に気付いた。

 気付いた……というより、気付かぬ筈がない。

 ミレイユが署名する、そのすぐ上に、その文言は載っていた。


 ――余はあらゆる神と国との、平和的共存を望んでおる。

 これには少し違和感があった。ミレイユはこれまで、そこまで尊大な一人称を使っていない。しかし、これは無視できる部分でもあった。

 しかし、続く一文は流石に無視できず、思わず目を剝いた。


 ――例え貴様のような、取るに足らぬ神でもな。

 ミレイユは堪り兼ねて目頭を揉んで、改めて文章を読み直した。

 しかし、書かれている文は、読み違いでも何でもなかった。


「おい、ルヴァイル……。これは何だ? やめろって言ったよな?」


「はい、ですから……よりマイルドな物に差し替えました。死を示唆する台詞ではないので、これで十分……」


「――却下だ、書き直せ!」


 当然、その様な言い訳はミレイユに通用せず、ビリビリに破り捨てられる事になった。

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