女神ハイカプィ その1

 その翌日、一同は貴賓室にて集合していた。

 そこはミレイユと神使組が寝泊まりに使っていた部屋でもあり、そこにレヴィン組が後から合流、という形だ。

 そして、ルヴァイルとインギェムもまた、それより後から入室してきた。


 ミレイユの機嫌は端から見るだけでも、大変宜しいものだった。

 心身共にリラックス出来た、と公言している通り、よく休めたようだ。

 だが、その逆にルヴァイルの表情は、どこまでも暗い。


 レヴィン達は昨日、別室にて待機していたので、三柱の間でどういう遣り取りが行われていたのか知らない。

 あくまで大雑把に、そのあらましをユミルから聞いただけだった。


「……何か、非常に空気が重たいような……。ミレイユ様だけ、ご機嫌麗しいのも、ちょっと変じゃないですか?」


「そこは大して気にする必要ないわよ。ちょっとしたじゃれ合い……というか、スキンシップの成れの果て、みたいなね……」


「はぁ……」


 聞いただけは何があったのか、全く理解不能だった。

 そして、詳しく説明する気がないとなれば、詳しく知る立場にない、という事でもある。


 いつまでも空気が重いまま、そして、ミレイユが一切気にする素振りを見せないまま、時が流れる。

 そうして遂に、インギェムが控えめに声を上げた。


 この空気に耐えられなくなったのは、その表情を見れば明らかだ。

 そして、ミレイユを追い出す事で、この事態を解決するつもりのようでもあった。


「……じゃ、これからハイカプィの神処に送るぞ。先触れに持たせた親書には、昼前におとなうと記してあった筈だが、少しくらい早まっても問題ない。むしろ、どれだけ待たせるんだと、圧力かけてやれ」


「余り良い趣味じゃないが、それもまた……色々な意味で有効かもな」


 ミレイユは表情を変えないまま頷くと、顎を動かして権能の使用を求める。


「それじゃあ、始めてくれ。面倒な事をさっさと終わらせないと、ろくな目に遭わないって、散々脅されているからな」


「それは妾のことを言ってるんですか……」


 ぼそり、と呟かれた声には、明らかに棘がある。

 しかし、それにすらミレイユは無反応だった。

 インギェムへ目を向けて、早くしろ、と視線で催促するだけだ。


「いや、ちょっと待てよ……。送ろうと思った矢先だが、やっぱダメだ。この空気の淀みをどうにかしてから行けよ。ちょいとは慮って、ケアしてから行こうって気はないのかよ?」


「そう言われてもな……」


 ミレイユは肩を竦め、やれやれと息を吐く。


「そもそも、どうして機嫌が悪いのか、それすら知らない訳で……。理由を知らなければ、何をすれば良いのか分かりようがない」


「嘘だろ、本気で言ってんのか……」


 インギェムは半眼で呻きながら、非難する口振りで続ける。


「どう考えても、昨夜のアレ以外に原因がないだろ。ちゃんと謝れ」


「昨夜……? 何かあったか?」


「すっかり夢見心地で、何があったかなんて夢の彼方みたいね……」


 ユミルがそう言って締め括ると、ルヴァイルの機嫌は更に急降下した。

 それを見たインギェムは、ミレイユに詰め寄って肩を寄せる。

 顔を近付け、小声で何事かを囁き始めた。


「お前が悪いってのはもう決まってんだから、謝っておけば良いんだよ。それで、また来るとか何とか言っとけば、アイツだって機嫌治すから」


「いや、だから私はルヴァイルに何をしたんだ」


「本気で覚えてないのか? 酒も入ってない身体で、よくもまぁ、そこまで記憶があやふやでいられるもんだ……」


「いや、火照った身体を冷ます間に、丁度良い水袋を胸に抱いた記憶はあるんだが……」


「それだよ、馬鹿……ッ!」


 インギェムはあくまで小声のまま怒鳴り付ける、という特技を披露して、ミレイユの肩を強く叩く。


「とにかく、その時お前は、ルヴァイルを傷付けたんだ。分かるな? 分かったら、謝れ。このあと己まで逃げ出したら、ルヴァイルが可哀想だと思わないのか……!」


「だったら逃げずにフォローすれば良いだろ……」


「お前の下らない馬鹿の為に、尻拭いなんてするか……っ!」


 インギェムが顔を近付けて話しているせいで、ルヴァイルの機嫌は更に怪しいものになっていく。

 それを即座に感じ取ったインギェムは、しっかりやれ、と胸を叩いて傍を離れた。


 ミレイユは一人にされた後も、いかにも嫌そうな顔は崩さなかった。

 その上、まるで動き出す気配もない。

 業を煮やしたインギェムに、表情だけで更に催促されると、ミレイユは遂に根負けして、ルヴァイルの傍まで近寄った。


「あー……。その、なんだ……。私が……、悪かった……みたいなものだから、謝っておく」


「それだけですか……?」


 ルヴァイルは顔を背けたままで、ミレイユの方を見ようともしない。

 どうしたらいい、と無言でインギェムに助けを求め、そしてインギェムはとにかく謝れ、とジェスチャーする。


「うん、まぁ……、何と言うか……。私にも悪い所があったと思うし……」


「それだけ、ですか……?」


「何だこいつ、面倒臭いな……」


「――馬鹿!」


 思わず零れ出たミレイユの本音に、インギェムから叱責が飛ぶ。

 ルヴァイルが表情を暗くさせて背を向けた時、インギェムの方から抱き着け、というジェスチャーが飛んだ。


 ミレイユは殊更嫌そうな顔をさせたものの、これ以上拗れた方が面倒、という事もまた理解していた。

 また、移動についてはインギェムの権能に頼らなければならない。


 だから、こちらの機嫌も損なう訳にはいかなかった。

 それで仕方なく、インギェムの指示通り、離れて行こうとするルヴァイルを引き留め、背中から抱き締めた。


「はぅっ! み、ミレイユ……! これは……っ」


「悪かった。また来るから。その時までに、機嫌を直せ」


 それだけ言うと、ミレイユは身体を離す。

 その時点でルヴァイルは相好を崩し、それまで見せていた不機嫌など、すっかり吹き飛んでいた。


「――インギェム、早く『孔』を用意しろ」


「あいよ」


 ルヴァイルの表情を見て、とりあえず納得したインギェムは、言われるままに権能を使用する。

 気軽な声と同時に、部屋の中央に『孔』が生まれた。


「……それじゃ、行く。向こうで面倒が起きないよう、祈っていてくれ」


「すぐ……、すぐ帰って来るのですか……?」


「分からないが、多分そうだ」


 困り笑顔を浮かべ、ミレイユは一歩踏み出す。

 しかし、それより前に動いていたアヴェリンが、断りを入れて、最初に『孔』へ身を投じた。


 いつ、どんな時だろうと、その先陣を切るのは彼女の役目だ。

 向こうは敵地でないものの、油断できない状況ではある。

 だから、それについて、誰も何かを言い挟まない。


 アヴェリンの後はユミル、そしてルチアの番だ。

 その後がミレイユで、殿にレヴィン組が続く。


 一度、身を投じれば、到着までは異常に早い。

 長いトンネルを抜ける必要はなく、あっという間に到着した。

 目的地への距離が近いほど孔での移動時間も短くなり、大陸間移動程度であれば、それこそ瞬きの間だ。


「これが……!」


 そして、レヴィンは到着した神処を見回して、感嘆の声を上げた。

 ルヴァイルの神処は小高い山の上にあったが、ハイカプィの神処は平原の真ん中に作られていた。


 青々と茂った草は、よく刈り取られていて、一定の高さを保っている。

 その中央を貫く床は、総大理石製となっていて、煌めく紋様までが美しい。


 そして続く道の間には、馬や牛といった、動物の像が対となって立っており、道行く者を圧倒していた。

 動物像の先には、荘厳な宮殿が建立されていて、神の偉大さを雄弁に物語っている。


「すごいな……!」


 レヴィン達の感嘆も余所に、ミレイユ達は勝手に歩を進めて行く。

 歩くほどに、神処の様々な部分が見えてきて、目が眩む思いだった。


 道の左右に広がる庭園は広く、様々な植物が目を楽しませてくれるし、その広さと規模は他の何かと比較すら出来ない。

 温暖な気候の助けがあってか、どの蕾も大きなものだった。

 もしかすると、『豊穣』の権能が、こうしたものを形作っているのかもしれない。


 そして、前方にはレヴィンが知る、エネエンの王城すら霞んで見える宮殿、である。

 円形の池によって囲まれたその宮殿には、砂岩によって作られた三重の門があり、そこを潜らねば入れない仕組みだ。


 宮殿は勿論のことだが、その門まで見事な彫刻が施されており、そこにも豊作を祈念する稲や動物が刻まれていた。


 ミレイユの来訪を知っていた衛兵は、『孔』が出現した時より、こちらを注視していて、正面に立つなり敬礼と共に門扉を開く。

 一つの扉が開けば、後の扉まで次々と開いた。


 歓迎の意は伝わるものの、物々しい気配も同時に伝わる。

 レヴィンは思わず、生唾を飲み込んで、すぐ手前にいるユミルへ話し掛けた。


「どう捉えるべきか、迷うところですね。ひどく緊張した雰囲気も伝わって来ますし……」


「そりゃ、大神レジスクラディスが来訪するとなれば、それなりに緊張もするでしょうよ。ただ、これはその緊張とは少し意味合いが違うのかもしれないけど」


「どういう意味ですか? また何か、やらかすつもりなんですか」


「やらかしたのは向こうの方でしょう。……って、あぁ……アンタら話は聞いてないんだっけ……」


「え、あの……何の事です? 何もない……筈ですよね?」


 焦りに満ちたレヴィンとは裏腹に、ユミルはどこまでも鷹揚で、差し迫ったものがない。

 しかし、騙すことに賭けて、右に出る者がいないユミルだ。

 余裕の態度をそのまま信じ込むのは、恐ろしいものがある。


「そう気にするコトはないわよ。あちらが従順なら、それだけで終わる話だわ」


「やっぱり何かあるんじゃないですか……!」


 レヴィンの押し殺した悲鳴が、静謐な空気の中に溶けて消える。

 その間にもミレイユ達は、ずんずんと前に進んで行く。

 分かってはいた事だが、成り行きに身を任せるしかないのだと、この時レヴィンは改めて悟った。

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