女神ハイカプィ その2
石造りの宮殿は宗教色が強く、内部に入れば、それがより顕著だった。
女神ハイカプィを称える宗教画には、片手を差し出す姿と、そこにひれ伏す角が生えた人間、そして枯れた大地が緑に覆われていく場面が描かれている。
それに気付いたレヴィンは、おや、と首を傾げた。
「ここに描かれている人間は、どれも角が生えてますね。これは……」
「大陸によって、住んでいる種族が違うと言ったろう? ここは頭に角を持つ、鬼族の国だ」
「鬼族……」
そうは呟いても、レヴィンは全くピンと来ていなかった。
おとぎ話においても、獣人は良く知られた存在だが、鬼族というのは見掛けない。
ミレイユはレヴィンの顔色を見て、小さく笑いながら解説を始めた。
「まぁ、そちらの大陸では、余り有名ではないだろう。それに、角を隠せば大柄な人間と変わらない。種族として、体格が大きくなり易い傾向はあるものの、全てがそうという訳でもなし。市井に紛れると分からなくなる者もいる」
「中央大陸には、それなりに居たわよ。アンタらが気付いてなかっただけで」
「そう……、だったのですか?」
レヴィンの疑いの眼に、ユミルは大真面目で頷く。
「体格の大小があるように、角にも大小があるからね。年齢によって角も成長するから、場合によっては髪で隠れてしまうコトもあるぐらいよ」
「へぇ……」
「力が強いから粗暴に見られがちだし、実際かつては争いが絶えなかった。食糧自給率が低かったことに加え、勝ち取って奪えば良いという考えが、鬼族の根底にあったからね」
「それはまた、随分と野蛮な……、とでも申しますか……」
レヴィンは一応、言葉を選んで言ったつもりだったが、その感想はどうしても好意的なものにはならなかった。
ユミルはそれに理解を示しつつも、首を横に振って続ける。
「まぁ、ご尤もではあるんだけど、種族ごとに常識ってやつは違うから。人間がそう思うのは当然だから、鬼族も当然そうあるべき、って考えは止した方が良いわね」
「なるほど……。そういう部分が、前に聞いた融和までは難しい、という話に繋がるわけですか」
「――そうだ」
ミレイユが会話に入り、悩ましげに頷いた。
「常識とは、時にそれが種族の誇りになったりする。私が気に入らないから、その常識をこれから捨てろ、という話には出来ない。尊厳に関わる話だからな」
「それは……、分かる気がします」
「だから、北東大陸では争いが絶えなかった。欲すれば、奪い取るのが流儀……喧嘩は華、って考えなんだな。暴力までが一足飛びで早い」
「それは、また……。粗暴と言われるのも分かる気がします」
ミレイユはゆっくりと首を縦に振る。
それからいっそ、闊達に笑った。
「喧嘩っ早いのは確かで、粗暴なのも確かだが、しかし単なる乱暴者でもない。その根底には種族として持つ、力への自負と渇望がある。だが、北東大陸では更に荒んだ暴力性を持っていたのには、別の理由があった」
「え、何でしょう……?」
「不毛の大地が食糧の自給を、著しく下げていたからだ。腹が減れば苛立つ、考えも浅く暴力的になる……そういうものだろう?」
「あぁ……、つまり……」
察しの付いたレヴィンの顔に、ミレイユはそう、と頷いて見せる。
「全ての原因は食糧不足……そして、そうさせる不毛の大地こそが原因だった。だから、この地にハイカプィを配し、庇護するよう命じた」
「そうそう、食糧に不足しなくなった彼らは、それできちんと丸くなってねぇ……。闘争ばかりで家屋を何度も建て替えてたものだから、自然と建築能力も高くなっていたみたいで。廃材を活用して、別の物に流用するのも上手いのよ」
ユミルがどこか面白がる様に言うと、ミレイユは周囲の芸術作品に、手を広げて指し示す。
「これらを作ったのは、その鬼族だ。豊かな生活と、そこから生じた余暇は、細まかな彫刻や装飾を生む力となった。どれだけ得意なのかは、見て分かるだろう?」
「……ですね。素晴らしい作品ばかりです」
その中の一つ、一際立派な絵画に目を向け、レヴィンは大いに頷いた。
壁一面に描かれた絵画は、左から右へ目を移す事に時間が経過する様に描かれている。
様々な場所で、神が大地と人を癒やして来たのだと、分かる仕様になっていた。
平和な世にあって、これほど恵み溢れる神ならば、信仰の対象として大いに敬われるのも頷ける。
その遵奉と思慕が、宮殿の規模にも表れていると思えば、どれだけ豪奢だとしても不思議と思うことはない。
廊下には金細工の神像や、それを称える見事な装飾などもあり、
大神もまた、大いに敬われていると誰もが認めるところだろうが、質素を旨とするミレイユだから、多くは控えめに抑えられている。
その部分を思えば、ハイカプィとは自らの喧伝を、抑えたりしない性格らしい。
宮殿の入口ロビーで、レヴィン組はその威容を存分に味わっていると、遠くから足音が聞こえた。
「……ようやく、お出ましか」
アヴェリンが呟く様に言うと、神官服と思しき、上等な布を纏った美しい女性の使者が姿を現した。
その布にも多くの綺羅びやかな刺繍がされ、身分の高さを伺わせる。
頭には縦に長い帽子を被り、それがまた単なる高官でないことを誇示しているかのようだった。
アヴェリンは不機嫌顔を隠そうともせず、使者を一瞥するなり口を開く。
「
「これは失礼を……。何分、急なご来臨でございましたから。多くの部分で手が足りず、この様な形になってしまったこと、深くお詫び申し上げます」
事実、余りに急な来訪は相手の予定も考えてないと見做され、無礼と捉えられても仕方がない。
敬意に欠けるのはお互い様で、使者はそれを言外に非難しているのだ。
「ともあれ、やんごとなき
「うむ、そうしろ」
アヴェリンが代表して応えている間にも、ミレイユは何の反応も見せない。
ただ、使者の一挙手一投足に目を光らせ、つぶさに観察しているだけだった。
使者が歩き出すと、その注目は壁に掛けられた絵画、あるいは彫刻などに移る。
天井画もあり、湾曲した場所に掛かれていても、平面に見えるよう計算されて描かれていた。
彫刻なども見て分かる通り、芸術の分野において、高い技術がある国なのだ。
それもこれも、不作とは無縁の、豊かな生産力が背景にあるからなのかもしれない。
長い廊下を渡り、やはり総大理石製の豪奢な階段を上がって、なおも歩いた。
途中途中に衛兵が立っていて、その度に実直な敬礼を見せて来る。
兜のせいで、実際に角が生えているか見る事は出来ないものの、代わりに兜には見慣れない角の意匠がなされていた。
ユーカード領では見られない形なので、やはり国が違えば些細な所から常識も違う、とレヴィンは再認識した。
また長い廊下を進み、鉤形になった先を曲がると、大きな門扉に行き当たった。
装飾も他と違う華美さがあり、扉の左右で違う柄の彫刻が刻まれている。
左扉には数々の動物、右扉には木々と花だ。
それらが見事な立体感を以って、見事に描き出されていた。
大扉の左右には、衛兵が二人ずつ立っている。
槍と盾を持ち、しかもそれが儀礼用ではなく、付与がされた実戦用だと分かった。
一抹の不安を拭い切れず、レヴィンはユミルへそっと囁く。
「何か物々しい感じは最初からありましたけど、これって本当に大丈夫なんですか……?」
「大丈夫って、何が?」
「ですから、殴り込みに来たとか、そういう物騒なものじゃないんですよね? 協力を取り付けに来ただけ……、そうなんですよね?」
レヴィンが不安も大きく小声で話すと、ユミルは至極あっさりと首肯する。
「勿論、そうよ。あっちにその気がなければ、何事もなく終わる会談だわ」
「何の気もなければ、こういう雰囲気になるとは思えませんが……」
それは例えば、戦の準備をしている時と良く似ている。
妙に落ち着かなく、それと同時に高揚感もあるものだ。
負けられない、勝って凱旋する――その気持ちが周囲に伝播すると、こうした空気が出来上がる。
ユミルは元より、アヴェリンも気付いていない筈がないだろうに、それについて何一つ洩らそうとしない。
危険はないと思っての事か、あるいはこれが、他の神処で歓迎される時の常識だからか……。
巨大な門扉は内開きで、左右の衛兵から一人ずつ進み出て、押し開いてくれた。
その間も、残った方の衛兵は油断なく、ミレイユ達を気にしている。
神を直接目にするのは不敬、と分かっているから、露骨に視線を向ける事はない。
正面だけを見て、一瞬たりとも目を向けようとしないが、痛いほどにその視線を感じていた。
重々しい音が鳴り響き、大扉が開く。
完全に開け放たれると、部屋の様子が良く分かった。
玉座の間には、ひしめくほど多くの鬼族が控えていて、ミレイユ達の来臨を知るや否や、一斉に顔を向けた。
視線そのものは、やはりミレイユを見てはいない。
神の許しなく直視するのは許されざることだ。
だから、それより遠くへ焦点を当て、最低限の敬意は忘れていなかった。
しかし、その視線には明らかな圧力がある。
ビリビリと、肌を突き刺す様な敵意だった。
額にはうっすら汗を掻き、顔色も青く褪めた。
ロヴィーサにそうさせるだけの実力者が、この玉座の間に集まっている、ということだ。
彼女ほど鋭くないレヴィンでさえ、やはり落ち着かない気持ちが強まり、動悸も激しくなっている。
しかし、ミレイユはそれを気にも留めず受け流し、悠々と思える足取りで歩き始めた。
ビロードの赤絨毯が中央から真っ直ぐ伸び、それが玉座へと繋がっている。
一つ踏めば深く沈み、ゆったりと反発する絨毯は、ともすれば歩き方を忘れさせる程だ。
それ程までに、ここまで優れた絨毯を、レヴィンは知らない。
歩く先には五段ある小さな壇上に玉座が置かれ、そこに一人の女性が座っていた。
それこそが女神ハイカプィであるのは明らかで、更に玉座の傍には三人の鬼族がいる。
これが神使であるのは、その立ち位置からもまた明らかだった。
ミレイユ達は全ての敵意を、全く意に介さず進む。
そして、ミレイユ達が進む限り、レヴィン達もまたその後を追わねばならない。
一歩進み、鬼族が並ぶ間を縫って行く度、彼らの首もまた動く。
レヴィン達――というより、ミレイユの動きを一つも見逃さない、という気概に溢れているかのようだった。
ミレイユが玉座の手前、五歩の位置で立ち止まると、レヴィン達は神使とは違う立場を明確にする為、更に五歩離れた位置で停止する。
玉座の間は、不気味な沈黙で支配された。
玉座に座る女神は脚を組み、肘掛けを突いて握り拳を頬骨辺りに当てている。
そのせいで姿勢が若干斜めになっているものの、その姿が実に自然体で、一つの彫刻の様に美しい。
身体は女性的な起伏に富み、薄手のドレスがそれを強調している。
そのドレスの裾には深めのスリットが入っていて、その脚線美を惜しむことなく晒していた。
大地を彷彿とさせる淡い蜂蜜色の髪に、知性を感じさせるオレンジ色の瞳が玉の様に光る。
頭には黄金を主体とした、見事な装飾の宝冠を乗せ、壇上からミレイユを見下ろしていた。
それをミレイユが、平坦な視線でじっと見返す。
双方に言葉はない。
ただ緊張感を増す沈黙が、玉座の間に重力を伴って降りていた。
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