三神会合 その4
長い沈黙を経て、最初に声を出したのはインギェムだった。
吐き捨てる様に――事実、やり場のない怒りを吐き出しながら言う。
「馬鹿だ、馬鹿だと思ってたが、そこまで馬鹿だったか……。怒りや逆恨みを火種にされて膨れ上がり、自分でも何処までが自分の怒りか、分かってないんじゃないのか」
「そして、だからこそ、無謀とも思えるものに邁進できるのですね。汎ゆる命、己の信徒すら呑み込んで、全てを無に帰すつもりだと……」
二柱の意見に、ミレイユは眉根に皺を刻みながら頷いた。
「どうせ正攻法では敵わず、破れかぶれの特攻めいたもの……。そう考えていたりもしたが、余りに無謀だ。ウチの者からも、私とその神使を敵に回して逃げ回るだけでも、相当な胆力がある、なんて
「実際は、お前の所だけじゃねぇよ。お前の神使ほど脅威と思われてないだろうとも、全ての神とその神使が、アルケスの敵に回ってる。並の神経じゃ、まず百年も逃げ続けられないだろ」
そう、とミレイユは同意して、その指先をインギェムへと向けた。
「そのとおりだ。その時は冗談めかして終わった話だが、実は真理をついていたんじゃないか、と思う様になった」
「アルケスめの精神は、もしかしたら、既に乗っ取られているかもしれないと……?」
「そこまでは分からない。だが、尋常な精神でなくなっているのは確かだろう。私達もこれまで、この時代の自分達に発見されないよう、細心の注意を払って移動して来た。これを百年続けるのは、嫌気が差すどころの問題じゃない」
「あぁ……」
インギェムは、ご愁傷さま、とでも言いたげな視線を向け、それから笑った。
「確かになぁ……。お前たちから逃げ隠れすること考えたら、仮定だと分かってても頭が痛ぇもん。それにお前は『虫食い』対処で世界を飛び回っているわけで、いつだって安心できねぇし……」
「そうだろう? そして、尋常でない精神になっているなら、お前達の身柄すらどうするつもりか、全く予想がつかない」
「そうですね……、それぐらいの心持ちでいなくてはなりませんか。アルケスめの『遷移』があれば、淵魔を送り込む事も、そう難しくはないはず……」
ルヴァイルの指摘に、ミレイユは大いに頷いた。
「正に、そこを危惧している。お前たちは戦闘に向いてないから、むしろ護衛の神殿騎士や、神使を頼りにすると思うが……」
「不意打ちで、一人でも喰われた場合を考えると……」
「一気に形成は逆転する。一体だけ送り込んで来るとも思えないし、インギェムを脅す為なら、包囲可能なだけの大量の淵魔をけしかけて来そうなものだ」
「そこまで予想がついてるんなら、今から護衛の数を増やしておく、ってのは……」
インギェムからの提案には、ルヴァイルの方から否定が上がった。
「それでは、どうして警戒されているのか、勘繰ってくれと言っている様なものです。ここ数百年、大きく変動のなかった護衛を急に増やすのは不自然ですし、入れ知恵した存在を知らせる事になります」
「ミレイユの逆劇を成功させる為にも、そこはいつも通りにしとくべきってか……」
「だから、『守護』の神器を渡したんだ。実際の所、ヤツがどう出て来るかは、私も知らない部分だ。だが、身を守るのに不便はないし、神処を丸ごと包む程度の事は出来る。神殿兵や神使を、無駄に損なう心配もなくなるぞ」
「それは魅力的だな」
そう言って、インギェムは摘んでいた神器を握り込んで、懐に仕舞った。
「相変わらず、アレコレと色々考える奴だよ。まぁ、だからこそ、こっちは安心していられるがね」
「インギェム……、これはミレイユにだけ任せる問題ではありませんよ。事の話が真実なら、これは一年の後、世界が危機に晒される……そういう意味でもあるのですから。我々は、神としてこれに対抗せねばなりません」
「分かってるよ。別に無関心って意味じゃない。ただ、ミレイユが本気で対抗しようって言うんなら、こっちも少しは楽観的になれる」
「なるのは自由だが、しっかり働いて貰うぞ」
ミレイユが半眼になって言うと、インギェムは掌をぷらぷらと振って笑った。
「分かってらぁ。とりあえず、素知らぬ振りして、アイツに利用されてやれば良いんだろ? ――で、何か良いタイミングでミレイユを日本へ強制転移してやる、と……。それから?」
「さて、それからか……」
ミレイユが首を傾げると、インギェムは首をかくりと前に倒した。
「おいおい、頼むぜ……。こりゃあ、楽観的になってる場合じゃないのか?」
「お前はもう少し、尻に火を付けろ。……が、どうせお前は好きに逃げ出せるだろう。ルヴァイルの安全を確保しない限り、動くに動けないだろうが……そこはこっちで上手くやる」
「そうだと嬉しいね。必ず助けてやってくれよ」
「大丈夫だ、約束する」
ミレイユが自信を持って断言すると、ルヴァイルは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「私はさしずめ、囚われの姫というわけですか。助け出してくれる王子役は、期待しても良いのでしょうか?」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ」
ミレイユの態度は
「――それより、気を付けてくれ。この時代の私に、時間転移した自分が居るなど、気取られてはならない。それについても、協力して欲しい」
「まぁ、それくらい当然……っておい、ルヴァイル。拗ねるんなよ、いつもの事だろ?」
「別に……。拗ねてなんておりません。協力しますとも。世界の危機だと言うのなら、私情を挟む事など致しません」
そう言ったルヴァイルの身体の向きは、ミレイユに対し完全に横を向いていた。
このまま頬を膨らませそうな勢いで、幾ら親しいインギェムでも、これには苦笑を見せる。
「滅茶苦茶、私情挟みまくりじゃないか。……まぁ、いいさ。その内、勝手に機嫌治すだろ。――で、お前はこの一年、どうやり過ごすんだ?」
「まず、他の神々にも、同じ様に接触するつもりだ。それだけの神器も用意してある」
「おやまぁ、二つでも奮発したと思ったのに、更に三つも出て来るのかい。随分、用意周到な事で……」
インギェムが揶揄する様に笑えば、ミレイユも皮肉げな笑みを浮かべながら言う。
「周到にもなるだろうさ。神の一柱さえ、淵魔に喰わせてやる訳にはいかないんだ。残り三柱分、しっかりと用意したからには、事が始まる前に配り終えておきたい」
「その上で、口裏合わせもしようってか……。それにしても、三つもねぇ……?」
「何か問題か?」
「いや、随分沢山用意した……というか、用意できたもんだと感心した訳さ。普通、やらんだろ、そんな事。一体、日本でどれだけ時間を過ごして来たのやら……」
インギェムが呆れを存分に発揮して、溜め息をついたのには理由がある。
神器は神を構成する力、願力を元にした、神そのものと言って良い神力を元に作られるものだ。
だから、作った分だけ、自身は弱体化する。
それに忌避感を持たない神など居ないし、神々同士の対立がない現代においても、やはり好まれない傾向にあった。
それを一つどころではない数を用意して来たのだから、神力が回復するのを待って、五つを作成させたという事になる。
神器の効果は、込めた神気と完全に比例するので、強力な物ほど作成間隔を空けるものだ。
それが世界の常識なのだが、当然、オミカゲ様はその常識には当て嵌まらない、規格外の存在だった。
「別に、それほど長く滞在してない。神器にしても、日産合計……七日程で作らせたからな」
「七日!? お前たちの分も含めてか!?」
「いや、私達の分はない。……というか、そうじゃないか。神々の守護ばかり考えていて、自分達の分まで考慮に入れてなかった……。くそ、もっとせしめれば良かったか……」
ミレイユが悔しげに口を歪めると、インギェムは完全に異物を見る目で、うっへりと声を零した。
「恐ろしいこと口にする奴だな……。それ完全に、搾取、強奪しか頭にない、
「そう言われたらそうだな……。五つで十分と考えておくべきか。アイツも随分、渋い顔してたしな」
「そりゃ、するだろ……。しない訳がない。己だったら、五つ寄越せと言われた瞬間、喧嘩売られてんのかと思うぞ」
実際、それが普通の感性というものだろう。
五つ欲しいと言う方も大概だが、それで要求に応える方も、また大概なのだ。
「まぁ、ともあれ……。これから、そいつを渡しに行くのかい。そいつは実際、武闘派の神々には一緒の戦線に立って貰うに、嬉しい援助だろうしな」
「そのぐらいしないと、余りに説得が難しいだろう。手土産の一つもなく、自身の安全の保障もなく、共に戦線に立ってくれる奴なんて、モルディしかいないだろうし……」
「そうだろうなぁ……。まぁ、頑張れ。一筋で行かない奴ばかりで、流石の己も同情するよ」
ミレイユも深々と溜め息をついて、頭頂部を乱暴に掻き乱す。
苛立ちも含まれるその仕草には、他の神々を知る者からは憐憫の眼差しが送られていた。
「そういう訳だから、もう行く」
「――えぇ、これから!? すぐ!?」
席を立とうとしたミレイユに、ルヴァイルは驚愕の表情で振り返る。
中腰のままで止まっていたミレイユは、何事もなかったかの様に動きを再開し、手を付きながら立ち上がってしまう。
しかし、そこへテーブルに身を乗り出しながら――実際、腹ばいになって手を伸ばしながら、ルヴァイルはそれを引き止める。
それまで淑女前としていた彼女からは、考えられない行動だった。
「早すぎませんか!? まだ来たばかりではないですか……!」
テーブルに付いたミレイユの手を握り、梃子でも離さない、と主張しながら迫ってくる。
ルヴァイルの執念が垣間見える、見る人が見れば恐ろしい光景だった。
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