三神会合 その5
ルヴァイルが見せる執着ぶりは大変なもので、ミレイユも弱り顔を隠せなかった。
それでも、握られた手はそのままに、とりあえず思いつくまま言葉を捻り出す。
「ゆっくりしたい所だが、神使からは早め早めの行動を、と諌められたばかりなんだ……。一年という限られた時間しかないんだから、と。やる事やってから遊べと言われた」
「だとしても、そこまで急がずとも良いでしょう。一泊する余裕すらない訳でもないでしょうし……!」
「それは、そうだが……」
アヴェリンも口にしていた事だ。
船旅は順調以上のもので、本来掛かる渡航日数よりも、遥かに短い時間で到着出来ていた。
ここで一泊せずとも、時間的に言って、本日は麓の街で宿を取るのは変わらない。
急いで辞去する理由も、またないのだった。
ミレイユが神使の三人――とりわけルチアへ顔を向けると、その彼女からも無言の肯定が返って来る。
それをしかと見つめてから、ミレイユはルヴァイルへ顔を戻した。
「どうやら許可も出た様だ。今日はこちらに逗留しよう」
「っていうか、神が行動すんのに、神使の許しを貰うのかよ。相変わらず、どういう主従関係してんだ?」
「私達にとっては、これが普通で、そういう関係だ」
インギェムの無遠慮な視線も気にせず、ミレイユは憮然と応えた。
実際に、神と神使の関係としては、全く褒められたものでないだろう。
それだけでなく、また不自然な事でもあるのだが、ミレイユが言った通り今更な事ではあった。
神と神使という関係が生まれる以前から、今の状態が続いているので、双方にとって嫌味がない。
そして、周囲にとっては異質でも、本人同士が納得ずくなので、何ら問題もなかった。
「まぁ、いいさ……。今日はゆっくり出来るってんなら、少し語らいでもしようや。今後の予定についても、ちょいと聞いておきたいしな」
「予定か、そうだな……。丁度お前に移動は任せるつもりだったし、無関係じゃないものな」
「ちょっと待てよ。己の了解もなしに、既に組み込まれてんのか?」
インギェムは不機嫌な様子で声を荒らげたが、ミレイユはそれを一顧だにせず頷く。
「お前も最初に協力する、と言ったじゃないか。だったらきちんと全部、付き合え」
「そりゃ言ったが……。まさか、馬車馬代わりにされるとは、誰も思わんだろ」
「ですが、有効な手段ではないですか」
そう言いつつ、いつまでも変わらぬ態勢で握ってくるルヴァイルの手を、ミレイユは乱暴に引き剥がした。
実に惜しまれる表情をしながら、しかし特別抗議する事なく、元の姿勢へと戻る。
「ミレイユは逃げ隠れして、移動しなくてはならないのですから。何処でどういう目があるか分かったものではありませんし、足での移動は限界があるでしょう」
「まぁ、そういう意味じゃ、己の権能は確かに有効だが……。いや待て、お前には神器を渡しておいたろ? それ使えよ」
「勿論、使う。……が、こちらがあくせく働いているのに、お前がのんびりしてるのが気に食わない。お前も働くべきだ」
「何だよ、そりゃ……。完全に八つ当たりじゃねぇか。……じゃあ、ルヴァイルはどうなる?」
インギェムとミレイユの二柱から見つめられ、ルヴァイルは何を言われるか、緊張した面持ちで居住まいを正す。
しかし、ミレイユの口から出たものは、けんもほろろなものだった。
「ルヴァイルに頼める事なんかないからな。役立てる何かがないんだから、大人しくさせておくだけだ」
「お前……、もっとルヴァイルを気遣ってやれよ。他に色々、マシな言い方あっただろ……」
ルヴァイルは打ちひしがれた様子で、背中を椅子の背凭れに預け、完全に脱力していた。
戦闘に加われる訳でもなく、かといって、インギェムの様な支援も出来ない。
それが事実でも、何かあると言って欲しかった、とその姿は物語っている。
「……うん。まぁ、後でフォローを……いや、そうだルヴァイル。お前に相談したい事が……」
「――何ですかっ!」
それまで殆ど死に体だったルヴァイルが、その一言で復活し、前のめりになって目を輝かせた。
身を乗り出し、再びミレイユの手を取って、手の甲を磨くかのように撫で回す。
ミレイユはやはりその手を引っ剥がし、ぞんざいに投げ捨ててから口を開いた。
「全ての神を尋ねるつもりだから、結局は単なる順番の違いでしかないんが……。どれから行くのが良いと思う?」
「面倒事ほど後に回したい、と考えているかどうかで、返答が代わりますよ」
「あぁ……、そうだな。どうにか面倒事を回避する部分も含めて、アドバイス貰えないか?」
「丁寧にお願いするしかないんじゃない?」
そう言って、口を挟んだのは、含み笑いに言ったユミルだ。
既に神同士の正式な歓談は終わった、という認識なので、話に割り込んだ事自体に、文句を言う者はいない。
「ほら、アタシだって基本、いつもそうしてるし」
「お前がいつ、何かを頼むのに丁寧なお願いをした? 馬鹿も休み休み言え」
アヴェリンは視線を向けぬまま、眉間に皺を寄せながら言うと、ルチアもこれに乗っかって笑った。
「いつものアレが、彼女にとって最大限丁寧な物腰なのでは? つまり、何をするにも小馬鹿にすれば、大抵は正解って意味になるんですけど」
「アンタも言うわね……」
「おいおい、混ぜっ返すな。ルヴァイル達にも話した内容を、これから伝えに行かなきゃならないんだぞ」
そう言って、ミレイユは大きな溜め息をつく。
「今から頭が痛い。何処に行こうと悩みの種だが、接触しない訳にもいかないしな……」
「嫌なら行かなければ良いのでは? 特にモルディなど、行く価値すらないと思いますが」
ルヴァイルが不機嫌そうに言うと、ミレイユは苦笑して首を横に振る。
「お前が嫌いってだけで、蔑ろには出来ないさ。まさかないとは思うが、万が一を考えずにはいられないし、だとすれば『守護』の神器で備えて欲しい。モルディには神使などを始め、身の回りに誰も居ないんだから」
ミレイユが再び息を吐くと、インギェムは不思議そうに眉を顰め、首を傾げた。
「淵魔ってのは、神を喰らうつもりがない筈じゃなかったか?」
「そう思いたいし、私にとっては喰われたところで脅威にはならない。だが実際、より多くの人間や自然、動植物を滅ぼすには有効な手段だ。独り身のモルディは、そういう意味では真っ先に狙われやすい」
「あぁ……、そういう意味か。そうだなぁ、『災禍』と『危難』なんて権能、単に何もかも滅茶苦茶にしたいだけなら、実に有効そうだもんなぁ……」
「貴女が鎮圧しに来るまで――いえ、違いますね。貴女にしか鎮圧できないのだから、陽動の駒として使うのに便利。そう考えている可能性もあります」
ルヴァイルからの見解は、実に有り得そうな話だった。
神を喰らった淵魔が神性を得ても、結局ミレイユには敵わない。
しかし、それは同時に、ミレイユにしか止められない事を意味した。
何か重要な場面で、ミレイユを引き離したい場合には有効な手段と言える。
「じゃあ、やっぱりモルディこそ、面倒臭がらず行かなきゃならねぇな」
「それを言ったら、もうモルディだけの話ではありませんよ。何れの神であれ、喰わせてやる訳にはいかない。ミレイユを戦場から引き離す、その手段を与えてはならないのですから。……非常に、業腹ですが」
「モルディの事は、いい加減許してやれよ……。アイツにゃ、ミレイユしかいないんだ」
「妾にだって、ミレイユしかいません!」
ルヴァイルが激昂してテーブルに手を付くと、そこにインギェムの手が重なる。
そうしてインギェムは、洒落っ気たっぷりに片目を瞑って、小さく首を傾けた。
「おいおい、妬けるじゃねぇか。お前とは随分、長い付き合いだってのにな?」
「それは……勿論、インギェムだって、大事な……」
「だろ? だが、モルディにはそれすら居ない。側仕えの一人すらもな。それってちょっと可哀想だろ? だからその辺、ちょっとは汲んでやれよ」
「……そうですね、嫌ですけど。慮ってやらねばならないでしょう、嫌ですけど」
「二度も言ってやるなよ」
そう言って笑うと、インギェムはぺちり、とルヴァイルの甲を叩いて手を離した。
それから、ミレイユへと顔を向ける。
「モルディも可哀想な神だが……とはいえ、行くのが億劫なのも分かる。だったら、素直にハイカプィから行くのが良いんじゃねぇのか。敵に組みする事もないだろうし、敵の益になるわけでもない」
「そうだな、『平安』と『豊穣』……。最も神らしい権能で、そして淵魔としても利用し辛い神だろう。かつての時代では、神々から一番、当たりの強い神だった……らしいな?」
「まぁ、信仰をガンガン掻っ攫いそうな権能だもんなぁ。やっかみもあったろうし、それを十全に振るわれたら、一人勝ちの可能性もあったと思うぜ。けど、回りの神々が、それを許した筈がねぇんだけど」
「シェアの取り合い、そして小神という弱い立場……。押さえ付けられていたのも、当時からすれば当然と言える。……だから、今では反動で
ミレイユの眉間には、何かを耐える皺が刻まれている。
インギェムはそれに手を振って、明後日の方を向いた。
「そんな所まで知るもんか。己は特に、小神との付き合いは無かった方だからな。けどまぁ、別に問題ないだろ。お前は嫌われる様な真似してないんだから」
「……さて、どうだろうな。つい先日、命を狙われたばかりだが……」
「は? お前を? ――襲ったのか!?」
インギェムは驚愕の余り、表情から余裕が削ぎ落とされている。
ルヴァイルにしても似た様なもので、目を見開いて、ミレイユの顔を凝視していた。
二人の視線を受け止めたミレイユは、気まずそうに目を逸らすと、それからポツリポツリと再び話し始めた。
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