悪魔の取り引き その3

 レヴィン達が蒸し風呂から上がり、自室へと戻る最中の事だった。

 風呂とロビーは繋がっており、そこを通らねば客室へは帰れない。


 そして、ロビーには休憩できるスペースが用意されていた。

 宿泊客はレヴィン達の他も多くおり、そこでめいめいに旅の疲れを癒している。


 レヴィン達同様、蒸し風呂で火照った身体を休めている者もいれば、単に休息がてら、お茶を楽しんでいる者もいる。


 その中にあって、端の一画で酷く目立つ集団がいた。

 美貌の集団――というのは、幻術で誤魔化しているから違うとして、理由はもっと別にあった。


 まず、一人は完全にのぼせて介抱されている事。

 そして、一人はまるで王様にも似たもてなしを受けている事――。


 ミレイユは大きな葉を利用した団扇で、二人の人物からそよ風を送られているし、冷たい飲み物で喉を潤し、非常にご満悦の様子だ。

 その様子こそが非常に悪目立ちしている原因なものの、レヴィンが注目したいのは、介抱されている人物の方だった。


 ヨエルの悪い予想が的中し、ロヴィーサがのぼせて倒れている。

 長椅子の上で横になり、アイナから熱心な介護を受けていた。


「だ、大丈夫か、ロヴィーサ……!?」


 レヴィンは刺激しないよう、急いで駆け付けつつ、傍に膝を付ける。

 顔は火照っているものの、意識が混濁している様子はない。

 虚ろな瞳を向けつつ、ロヴィーサは力なく笑った。


「ご心配かけて、申し訳りません、若様……。慣れぬもので勝手が分からず……。でも、アイナさんが看てくれたので、もう大丈夫です……」


「実際、それほど酷い状態じゃありません。熱中症対策と同じ感じで対処できますし、治癒術も併用してますので、すぐに良くなりますよ」


「そうか……」


 レヴィンはあからさまにホッと息を吐いて、アイナに頭を下げた。


「ありがとう。ロヴィーサの傍に、アイナが居てくれて助かった」


「いえ、これぐらい当然の事ですから」


 見れば、濡らした厚手の布を、首筋や脇下などに挟み、身体を冷やそうとしていた。

 的確な判断に改めて礼を言うと、レヴィンは次に長椅子へ寝そべり、悠々自適に過ごす者へ目を向ける。


 一人は勿論ミレイユなのだが、その他にもう一人、同じ様に寝そべる者がいた。

 団扇で扇がれてこそいないものの、冷やした飲み物を口にしながら、その様子を面白そうに見ている。

 言うまでもなく、それはユミルだった。


 アイナが看病してくれたから大事に至っていないし、だから同じように寄り添ってくれ、と言うつもりもない。

 しかし、毛ほども気に掛けないその様子には、一言物申したい気持ちになってしまう。


「何よ、アイナが看てくれてるだけで十分でしょ? 瀕死の重傷じゃあるまいし、寝てりゃ治るんだから」


「顔に出てましたかね……?」


「表情には出てなかったわ。でもアンタって、腹の内を隠したりするの、ゼンゼン向いてないから。それとも、隠しているつもりだった? ……ん?」


 良くあるユミルの可愛がりが始まり、レヴィンは最早隠すつもりもなく、大仰に顔を顰めて身体ごと逸らした。

 しかし、逃げたその後頭部に向けて、追い打ちの様に声が掛かる。


「大体さ、そっちの子だって、下手に気を掛けられる方がイヤでしょ。アンタは割と順応性見せてるけど、畏れ多い気持ちはあるみたいだし」


「いや、俺はそんな……」


 大神レジスクラディスを敬愛し、尊崇していた信心は、今も変わらない。

 そして、ミレイユに向ける態度も、それに倣ったものの筈だった。


 順応性という言葉を使ってくれているが、気安い態度になっていたなら問題がある。

 レヴィンは否定の言葉を続けようとしたが、それより前にユミルが笑って遮った。


「ネガティブな感じで伝わっちゃった? 違うのよ、そっちの方が嬉しいし、そう接してくれる方が嬉しいって話よ。立場や状況を踏まえると、畏まった態度も必要だけど、今こうしている間はね、砕けた感じが丁度良いの」


「そう……、なのでしょうか?」


「一応、同じ冒険者仲間がつるんで動いている、っていうていなワケだし? そこで変に王族みたいな扱いされちゃ可笑しいでしょ」


 もっともな言い分だと思うが、それならミレイユの態度は何なのだ、と言いたい気持ちを、レヴィンはグッと堪える。

 今の様子は、従者に働かせ、一人満喫している悪徳貴族そのものに見えた。


 だらけた様子と、蕩けた表情といい、今更冒険者です、と言い張るのは無理がある。

 だが、レヴィンは何も言わない。

 ただし、非難とも取れるその視線は、ユミルへ正確に伝わったようだ。


「まぁ、これはちょっと……例外っていうか、誤算っていうか……」


「おいユミル、何の話だ?」


 珍しくアヴェリンが割って入って、厳しい視線を向けた。

 そうしている間も、団扇でゆるく風を送る手は止めていない。

 ユミルはそれに笑って手を横に振った。


「下らない話よ。そこでぐうたらしている主サマは、到底冒険者には見えないな、って話……」


「別に……、どういう形の冒険者がいても良いだろうが」


「アンタは珍しく好きに使って貰えて満足かもしれないけどさ、立場を繕いたかったら、止めさせておくべきだったわね」


「そういうの、先に言って止めて下さいよ。もう止め時が分からなくなって、困ってるんですから」


 同じく団扇で仰ぎながら、ルチアは困り顔で苦言を呈した。

 声は聞こえている筈なのに、今もミレイユは反論めいた何かを言ったりしない。

 そよ風で前髪が小さく揺れる度、満足気な溜め息をつくだけだ。


「しかし、こんなに蕩けた姿を晒すなんて、初めて見たわね。お湯を張った風呂も、蒸し風呂も、大して差はないとか言っといてそのザマなの? 随分とお気に召したみたいねぇ?」


「……あぁ、気に入った」


 ミレイユは目を閉じたまま、やはり満足そうに相好を崩して笑った。


「熱い湯の張った風呂だと、どうにもな……。が、よく熱した蒸し風呂に入っている時は元より、何より出た後が快感だ」


「それは結構なコトね」


「……うん。少し、ここで逗留するか。一日で済ませるのは勿体ない」


「それ、本気で言ってる?」


 ユミルは胡乱な眼差しで、咎めるように言った。

 しかし、ミレイユは気にした様子もない。


「いいじゃないか。長い船旅の後なんだ。……ほら、地面が揺れている気がする、とか言ってた奴もいるだろう。体調を万全に整えるのも、旅には必要なことだぞ」


「あからさまに取って付けた様な理由、言うじゃない」


「いやいや、ロヴィーサも心配だ。寝てれば治るとはいえ、無理する必要はない。一日と言わず、少し様子を見ておくのはどうだろう。疲れというのは、自分が思っている以上に蓄積しているものだぞ」


「尤もらしいこと言ってるけど、結局それって全部、ただアンタが残りたいってだけなんでしょ?」


 ユミルは突き刺す様な視線で指摘する。

 しかし、ミレイユは顔を向けていないだけでなく、目すら瞑っていた。

 だからという訳でもないだろうが、ユミルの言葉は丸きり無視された。


「レヴィン、ロヴィーサのことが心配だよな?」


「それは……、勿論です。ただ、アイナが良く看てくれていたみたいですし、それに……」


「心配なんだろ? 少しゆっくり休ませたいよな? 船旅では身体を動かす事こそ余りなかったかもしれないが、慣れない環境はそれだけで、知らぬ内に疲れを溜め込む原因に……」


「懐柔しようとするんじゃないの」


 ユミルは遂に手を出して、ミレイユの頭を軽く叩いた。

 アヴェリンがギロリと睨み付けたが、口に出して罵倒したりはしない。

 腹に据え兼ねているのは、その気配から察せられたが、問題にする気はないようだ。


「それに、時間的猶予のコト、忘れてるワケじゃないでしょうね?」


「時間的余裕なら、それこそ沢山あるじゃないか。一年なんて多すぎて持て余す位だ」


「そうと断定出来ないから、余裕を持って行動しましょう、って話をしてるんだけど? というか、これ言い出したのアンタじゃない」


 これにミレイユはあからさまに顔を顰め、ユミルに背中を見せて塞ぎ込む。

 そうして身体を長椅子の上で丸めると、唐突に腹を抱えて苦しみ出した。


「あ、痛い! 腹が痛い! これちょっとアレだ、暫く安静にしてないと治らないかも……!」


「……ルチア、治してやって」


「やめろ、馬鹿! そういうんじゃないんだよ!」


「馬鹿を言うなって、こっちの方こそ言いたいんだけど。お腹を壊して寝込む神? 笑い話にもならないわ」


 大体、とユミルは尚も手を緩めず指弾する。


「そういうやり方、オミカゲサマにそっくりよ。アンタが毛嫌いしていた、あのやり方そのものじゃないの。それに、熱心な信者がその醜態を見てるのよ。何とも思わないワケ?」


「後で強く殴って記憶を飛ばす」


「アンタが言うとシャレにならないから、本当にやめなさい」


 本気か冗談かも分からない発言に、レヴィンはびくりと肩を跳ね上げた。

 ユミルはげんなりとした息を吐いて、アヴェリンから扇を奪い取ると、自分に向けてパタパタと風を送る。


「まったく、嘆かわしいコト……。オミカゲサマの緩い空気が伝染したのかしら」


「ねぇ、ユミルさん。この場でミレイさんを説き伏せるのって難しそうですよ。とりあえず、譲歩案を出してみては?」


 ルチアがそう提案しても、ユミルの渋面は崩れない。


「どういう理由であれ、長居する意味はないでしょう。それに下手すると、英雄に祭り上げたい船長が、レヴィン達を探しているのかもしれないのよ?」


「あぁ……。港で見た熱気を思えば、あの場に居た全員が総出で探し出そうとしても、不思議ではありませんか」


「そういうコト。一日だけなら誤魔化せても、日数を重ねる毎にリスクばかりが増す。、その前提を崩すワケにいかないんだから、夜にでも抜け出してしまっても良いくらいよ」


「それもまた、一理ありますね」


 ルチアはユミルの意見に同意し、そして味方するつもりだと分かった。

 殆ど状況に取り残されている状態のレヴィンは、結局どうするつもりなのか、固唾を飲んで見守った。

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