アキラ達の帰還 その5

「――大体、アキラは胸と尻のデカい女が好きなんだよ! お前ら、どっちも貧相じゃないか」


「はぁ? アキラはそんなトコで女を判断しないよ! アタイはどっちも小さいけど……でも、アキラがそういう目で見たトコ知らないもん!」


「男性なら、むしろ女体に興味持つのは自然だわ。それが普通なのよ。あなたがそういう目で見てないって信じたいだけ。ちなみに、私は安産型って友達に言われてたけど」


「何のアピールよ、それ! 言っとくけど、アキラとアタイはね、同じ部屋で寝泊まりした事もあるんだからね!」


「へぇぇぇえ? それで、手出しの一つでもされたのかい?」


 イルヴィの一言は、スメラータの身体を硬直させた。

 まだ冒険初心者だった頃、アキラとスメラータはお金がなくて同室に泊まった事がある。

 しかし当然、紳士的なアキラは一切、手を出していないし、下品な視線を向けたことすらなかった。


「返事がないってのが、何よりの証拠みたいだねぇ。まぁ、あんたの身体じゃ、欲情しなかったのも仕方ない。やっぱり、男を包み込む肉感ってのがないとね」


「うるっさい! あんたのそれ全部、筋肉じゃん! 肉感なんて笑わせるよ!」


「じゃあやっぱり、私が一番バランス良いんじゃない? アキラ君だって、同じ日本人同士の方が、肉体相性も良いと思ってるわ」


「勝手にアキラの声を代弁してるんじゃないよ。そんなこと、一言だって聞いたことないね!」


 女性陣の言い合いは白熱を増すばかりで、治まる気配がない。

 流石のドメニも及び腰で、肘でアキラの肩を突付いて催促した。


「……おら、さっさと収めろ。おめぇの仕事だろうが。血が流れてからじゃ遅ぇぞ」


「仕方ない、ここは何とか穏便に……」


「止められるのか?」


 ドメニの声を背後に聞きながら、アキラは席を離れる。

 そうして幾らもせずに戻って来た時、その両手にはエールジョッキが並んでいた。


 右手に三杯、左手にも三杯、二つ合わせて土台とし、その上へ更にジョッキが積み上がっている。

 それらをテーブルの上に置くと、アキラは高らかに宣言した。


「飲み比べで勝負! 勝った人と、僕は今日寝る! そして、その責任を取る!」


「乗ったァ!」「乗った!」「乗ったよ!」


『うぉぉぉぉッ!!』


 これには女性陣三人だけでなく、外野まで盛り上がった。

 美女三人が男を一人を取り合う場面を、周囲が見逃す筈もない。

 誰もが注目し、話の内容に聞き入っていたので、これに興奮しない筈がなかった。


 早速、三人が互いを睨みつけながらジョッキを手に取り、喉奥へと流し込んでいく。

 それを見て一緒に飲む者、賭け事を始める者、室内は狂乱の坩堝と化した。

 その時、ドメニがアキラの背後で、気遣わしげに声を掛けた。


「しかし、良いのかよ? 明らかに軽率っつーか、軽薄だかって感じだろうが? お前が嫌う奴だろ。酒の勝負で決めるのは、軽薄じゃねぇってか?」


「だって決められないんだよ! まだ二十にもなってないんだ。恋人はともかく、結婚までは考えられないんだ!」


 アキラは殆ど泣き出す勢いで、溜め込んでいた感情を吐露する。

 それにドメニは不快げに顔を顰め、面倒臭そうに問う。


「はぁ? じゃあ、この勝負は?」


 アキラは一つ頷いて、力強く宣言した。


「そのまま、ウヤムヤにする!」


「お前、最低だからな。言っておくがよ、お前はクソみたいなクズ発言したからな」


「今を逃げ切れたらそれで良い! 後の事は、後で考える!」


「どの口で仲間が大切とかぬかしてやがるんだ、こいつ……」


 ドメニの刺すような呟きは、アキラの耳に届かなかった。

 勿論それは、女三人の一気飲みを周囲で囃し立てるから、ではない。

 アキラは意図して心で耳を塞ぎ、現実から逃避している。


 テーブルには次々と空になったジョッキが置かれた。

 イルヴィは杯を飲み干すなり逆さにして、空になった証拠を周囲にアピールまでしている。


 こうした状況に慣れていて、観客を味方にする術を身に着けているのだ。

 そうしたパフォーアンスが済んだ所へ、彼女の元に新たなジョッキが提供される。


 まだ、戦いは始まったばかりだ。

 他の二人もまた、ギラつく目を爛々と輝かせ、睨み付けては戦意を漲らせていた。


 目が既に据わっているのは、酔いのせいばかりではない。

 しかし、周りが挑発じみた声援を送るせいもあり、三人のペースは非常に早かった。

 アキラは彼女らがウワバミだと知っているが、彼とてこれ程のハイペースで、酒を飲んだ場面など見たことがない。


「イルヴィ、あんた……最初の方にさ、一気飲みとかしてたでしょ。あの一杯が、今になって効いて来たんじゃないの?」


「ハッ……! あの程度、あたしにとっちゃ何でもないね。丁度良いハンデさ!」


「余裕を見せていられるのも、今の内よ。後で泣きを入れられても、私は承諾しませんからね」


 この中で最も冷静そうに見える七生も、その瞳には勝利への渇望が見えていた。

 彼女にも彼女なりに焦りがある。

 アキラとの出会いは誰より早く、そして誰より早く恋心を抱いたのは確かだ。


 しかし、神宮事変の折、アキラは異世界で過ごしていたのだと、後に知った。

 あの混乱した戦場でアキラが一瞬、姿を失ったのは事実だが、その間にまさか一年も時間が経過していたなど、予想だにしない事だったのだ。


 それだけでなく、知らない所で親密な関係を築いた女性が出来ていたなど、想像の埒外でもある。

 そのせいもあり、付き合いの長さはスメラータとイルヴィの二人に、大きく引き離されてしまった。


 しかし、互いの距離まで離れたとは思っていない。

 クラスメイトから始まった出会いが、これから親しくなる時間を横取りされた様に感じている。


 本来ならば、順当に親密さを増し、順当に御由緒家同士付き合いを増やし、そして順当に婚約する――。

 七生の中の人生プランでは、その様に決まっていた。


 しかし、スメラータにしろ、イルヴィにしろ、言い分はある。

 そして、それは最早、水掛け論にしかならないとも自覚していた。


 誰が最初に出会ったか、誰が最も付き合いが長いか、誰が最もアキラを想っているか――。

 それらを言い合った所で、誰も納得したり、譲ったりしない。


「――絶対に、勝つ!」


 誰ともなしに声を上げ、額を突き合わせる様にして睨みを利かす。

 提供されるジョッキを手に取ると、三人は喉を鳴らしてエールを喉奥へ押し込んだ。



  ※※※



 それから、三時間が経った頃――。

 完全に酔いどれになった三人が、最初の覇気はどこへやら、前後不覚の状態でジョッキを掴んでいた。


 最早、当初の元気など欠片もない。

 視線は定まらず、呂律も怪しい。


 立ち上がる力すらなく、身体は小刻みに震えていた。

 ただ座っている事さえ、彼女らにとっては重労働なのだ。


「も……っ、こうしゃん、すりゅえ……ないの?」


「あー……、んだ? きぃこ……っ、ないねぇ……」


「う……、ぅ……ぉ。ヵ……かつ……」


 口元へジョッキを運ぶことも、既に見られなくなった。

 現時点で勝敗を判定しても良いのだが、飲み干した杯の数は全員同じだ。


 より多く杯を干した者が勝ちなので、どれだけ残っているかは問題にならない。

 飲み干さなければ、九割飲もうと一杯分とはカウントされないのだ。


 周囲の熱も、ジョッキが動かなくなって冷め始めている。

 そこへ、常識的なペースで酒を飲んでいたドメニが、控えめな声音でアキラに声をかけた。


「なぁ、アキラ……。これ、どうすんだ? もう勝敗つかねぇだろ」


「目論見通り、引き分けって事で処理しよう」


「まぁ……、お前がそれで良いって言うんなら、別に良いけどよ……。女どもはどうすんだよ? 自力で部屋まで行けるのか?」


「まあ、無理だろうね……」


 イルヴィは杯へ手を伸ばそうとしているが、空を切るばかりで掴めていない。

 焦点が合わず、何処にあるのか、もう見えていないのだ。


 スメラータは口を半開きんして上を向き、完全に動きが止まっているし、七生は何処を見ているか不明な視点で、ブツブツと何かを呟いていた。

 未だに戦意を失っていないイルヴィを、勝者と見る者もいたが、定めてあったルールがルールだ。


 この勝負に、勝者は無い。

 そう考えるしかなかった。


「言っとくけどよ、俺は手伝わねぇからな。おめぇが一人で何とかしろ」


「分かってるよ、何とかするさ」


 アキラとしては勝負無効、引き分けで終わったので、まさに狙い通りと言ったところだ。

 いずれ誰か一人を決めるのは避けられないにしろ、今はまだ決められない。


 チームが険悪なムードになるのは、最早お家芸みたいな所があり、胃の痛い空間が出来上がるのに慣れてしまったのも悪かった。

 ドメニに指摘されるまで、アキラは深刻さを何処かへ置き忘れてしまっていた。


「とにかく、後はこちらで何とかするよ。自分が割と酷い対応をしてるって、自覚もあるからね……」


 そう言うと、アキラは周囲に無効試合を告げて、終了とした。

 賭け事をしていた男たちは嘆き、胴元へ殺到するのが見えた。

 悲鳴と助けを呼ぶ声が聞こえたものの、そちらに気を掛ける暇はない。


「ほら、皆。飲み比べはお終いだ。自力で立てる人いる?」


「あ……、んぁ? あきらぁぁぁ……、アタイ……んぶぶぶ……」


 ゾンビの様に手を伸ばしたかと思うと、そのまま眠りに落ちてしまった。

 他の二人も似たようなもので、スメラータが落ちたのを見るなり、それがスイッチとなったかのように、次々と気絶していく。


「あら、全員ダメか……。仕方ない、順に運ぶか。店主さん、ちょっと向かいの宿屋、部屋が空いてるか聞いてくれる?」


「おぉ、構わんとも」


 店主は満面の笑みを浮かべ、快く引き受けた。

 今日のこの騒ぎだけで、ひと月分の食材と酒類、在庫の全てが捌けたのだ。

 最低でも三日は営業出来なくなったのだが、それだけを一晩で稼いだという意味でもある。


 店主は追加でずっしりと重い銀貨袋を受け取った事で、更に機嫌を良くした。

 チップがあれば、誰しも本気で仕事をするものだ。

 向かいの宿屋が無理ならば、近くの宿屋に空きがないかまで、確認を取ってくれるだろう。


 果たして宿屋は空きがあり、短い距離を往復するだけで済むことになった。

 しかし、いざ運び始めて、他人に任せた失敗をアキラは悟る。


 そこにはキングサイズのベッドが一つ切りで、他に寝具は一つもなかった。

 店主はアキラ達の関係をしっかり、正確に誤解しており、他にベッドは必要ないと判断したようだ。


「やられた……」


 アキラ達は三人をベッドに寝かせると、一人床で寝た。

 野宿が珍しくない冒険者にとって、雨風を凌げる屋根と壁があるだけで、眠るには十分ではある。


 アキラは自分にそう言い聞かせると、マントを掻き抱いて小さくなり、眠気に任せて瞼を閉じた。

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