アキラ達の帰還 その6
翌日、昼過ぎになってようやく目覚めた三人だが、宿屋の一室は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
スメラータたち三人は、まるでゾンビの様に動きが鈍く、そして口からは呻き声しか出てこない。
「あ、あたまが……」
「きぶんが、さいあくよ……」
「み、みず……」
三人の醜態は、アキラが作り出した様なものだ。
だから、三人の介護は彼が責任を持って、甲斐甲斐しくこなしていた。
それぞれの汗を拭い、口元に水を運んでやり、必要に応じて求められるまま、給仕の様に働く。
その日は結局、丸一日復調することなく、ベッドの上で苦悶に顔を歪ませて終わる事になった。
そして、更に翌日――。
ようやく体調は回復したが、三人の顔色はまだ悪い。
昨日は殆ど何も口にしていないので、体力の低下も激しく、とにかく腹に何か入れようという事になった。
アキラ達は三人を連れ、一昨日とは別の食堂へと足を運ぶ。
「とにかく、消化に良いものを頼もう。前にほら……、コーンを粥状に煮込んだ料理とかあったろう? それとかどうだろう?」
「……何だって構わないよ。とりあえず、今はそんなモンでもないと、胃が受け付けそうにない……」
「そだね……。お腹が空いてグーグー言ってるけど、下手に食べると、また吐き出しそうだよ……」
「今はそのワード、お願いだから口にしないで。喉元から、何かがせり上がって来るから……」
三人の動きは緩慢で、いつもの覇気が消えていた。
朝食の席は賑やかで、これから仕事へ赴く者、朝の漁から帰って来た者とで溢れている。
そこへ、一昨日の騒動を知る男が、一人近付いて来ると、下卑な顔付きを隠さず言った。
「いや、お盛んだねぇ。昨日は一日、宿から出て来なかったんだと? 結局、三人全部頂いちまったって事かい?」
「……うるさいね、失せな」
いつもなら、一睨みで退散させられるイルヴィの眼力も、今は通用しない。
下品な笑みを浮かべては、更に調子付いて口を出す。
「おぉ、何ともお疲れのご様子で……! いや、羨ましいねぇ、兄ちゃん。乾く暇なかったろ?」
「悪いけど、今はそういう冗談、笑ってやれる状況じゃないんだよね」
アキラもまた、軽く流そうとしたが、男はその態度が気に食わなかった。
だが、何しろ男からすれば、面白い状況ではない。
美味しい思いをする者は、そうでない者から嫌みを言われて当然と思っている。
金持ちは金を持っているからこそ、貧乏人から陰口を叩かれる。
そこに必要な努力や、流した汗の量など気にせず、持つ者は持たぬ者からやっかみを受けるのだ。
だから、アキラの様な男は、正面からやっかみを言われようものなら、笑ってやり過ごさなければならない――。
実際の是非はともかく、男の論理ではそうなっていた。
そしてそれは、この男特有の論理でもなく、持たざる者の総意だから、間に入って止める者もいない。
アキラが強く言わないものだから、更に調子付いて、他のテーブルからも好奇の視線が向けられていた。
しかし、余裕がないのはイルヴィ達も同様だった。
今度は本気で、三者が同時に殺気を飛ばすと、途端に男は及び腰になる。
一級冒険者を飛び越える実力を持つ、その彼女達から放たれる殺気だ。
旗色が変わったと見て顔を青くさせると、足を一歩後ろに下げて、身体を翻す。
脱兎のごとく駆け出し、テーブルの間を縫って走って行った。
ケッ、と唾を吐く真似をして、イルヴィ達は食事を再開した。
しかし、二日酔い――三日酔いが抜け切らない、彼女達の動きは重い。
それでも二口、三口とスプーンを運んでいく内に、体調も少しずつ元に戻ってきた。
そうとなれば、何かと口喧しいスメラータが黙っていない。
「それでさぁ……、次の冒険どうする?」
「どうする、って……。それ、今すぐ考えること? ともかく、体調が回復しないと、どこへ行くもないんだし……」
「ちょっとした雑談みたいなモンじゃん。それに、目標があるとやる気ってのが違うよ。病は気からって言うしさ」
「スメラータのそれは、病でも何でもないけどね……」
アキラが控えめに嗜めるが、スメラータの積極性は消えたりしなかった。
むしろ、口に出した事で、更に熱を帯びたようだ。
「やる気があれば、大抵なんとかなるんだよ。それに、冒険程やる気を出してくれるモノなんてないじゃん……!」
「いや、それはどうだろう。諸説あると思うけど……」
「何でアキラはそうなのさ! もっと冒険心を胸に滾らせて……」
更に熱を帯び始めた、その時だった。
窓から差し込む光が人型に遮られ、そしてスメラータの声すら遮って、突然、声が割って入る。
「そこの男に用がある」
それは女性だった。
テーブルに座る三人の美女と並んでも、全く遜色ない程の美女である。
金髪の豊かな毛量を背中まで伸ばし、鋭い目つきが特徴の女性だった。
しかし、鋭いのは目つきだけではない。
その者が放つ気配まで鋭く、強者の気配を感じさせる。
武器もなく、防具さえ身に付けていないのに、全身が武器と思わせる威圧感があった。
アキラは何とはなしに彼女を見上げると、弾かれたように立ち上がり、腰を曲げて頭を下げた。
「お、おはようございます、師匠!」
「……うむ。お前はもう少し、威厳というものを見せろ。職業柄、舐められて得するものなどなかろう」
「はっ……、汗顔の至りです。申し訳なく……!」
頭を下げたアキラからは、多くの動揺が伝わって来ていた。
それもその筈、この場にアヴェリンがいる事は、そもそも異常だ。
現在は神となったミレイユが、
その補助として傍にいる筈の人物が、アキラの目の前に現れる筈がない。
――筈がない、とアキラは思っていた。
しかし、事実として、アヴェリンは目の前にいる。
「な、何か御用でしょうか?」
「無論、用があってここまで来た。お前の醜態や痴態など、私は興味がない」
「ハッ……! それでは、何の……」
「まず、座らせろ。それで良いか?」
確認しても、返事を待ちはしなかった。
そのまま空いているテーブルから椅子を持ち出して腰を下ろし、注文もせず腕を組む。
アキラもずっと頭を下げたままでいられず、とりあえず席に座り直した。
一同の間に、気まずい空気が流れる。
彼女らはアヴェリンと初対面ではないが、名前を知っている程度の間柄だ。
そして、アキラの師匠という所まで知っていて、また自分達より遥かに上位の実力を持つとも知っていた。
妙な緊張感まで漂い、互いに何を口にするか、探り合っているようでもあった。
そこへ最初に頼んでいたコーン粥と飲み物が届き、店員がそれぞれの前に乱雑に置いては去って行く。
アヴェリンは顎を小さく上下させ、腕を組んだまま告げた。
「構わん、食いながら聞け」
「……っていうか、何で居るのか言ってないじゃん……」
「こ、こら、スメラータ……!」
アキラが注意しても、スメラータはそっぽを向いて、コーン粥を口元に運ぶだけだ。
彼女は――彼女に限らず、イルヴィもまた、アヴェリンが気に食わない。
気に食わないというより、好いた男が自分以外の女に敬意を示す、それ事態がいけ好かないのだ。
師匠と弟子の間柄を知っていても、アヴェリンとアキラの間には、それとは別種の絆がある。
それを敏感に感じ取るから、仲良くする気など、最初からなかった。
大体、アキラは既に独り立ちして、独自の道を歩んでいる最中だ。
師弟という間柄とはいえ、そこに口出しされるような雰囲気を察したからこそ、今のような態度になっている。
しかし、そうした態度を向けられても、アヴェリンは全く気にした様子がなかった。
子犬が尻尾を逆立て、威嚇しているようにしか感じていない。
だから、その態度はどこまでも余裕がある。
「食事中に邪魔すれば、誰であろうと気が立つものだ。時間を考えるべきだったな……」
「い、いえ……! 師匠が気にする程の事では……!」
「気にしろってのよ……」
「スメラータ、やめないか……! すみません、いつもはこんな調子じゃないんですが……!」
「構わん。……が、長引けば、要らぬ諍いが生まれそうだ。手短に終わらせ、とっとと帰ってやる」
申し訳ありません、とアキラが頭を下げると、アヴェリンは腕を解いて詳しく話し始める。
この間、イルヴィとスメラータは構わずスプーンを口に運び、七生は手を止めてしっかり話を聞く構えになっていた。
七生はミレイユと非常に近しい側近と知っているので、御子神への敬意をおろそかにしたりない。
他二人とは、そこから明確に違っていた。
「新大陸についてだ。お前達も既に足を運んだ事からも、現地の様子について、幾らか分かっているだろう」
「……と、言われると困ってしまいますが……。何となくは……」
「知っておくべきは、マナがない事だ。お前達の様な内向術士にとって、それほど大きな問題にはならないが、刻印の使用や外向魔術士は、あちらで魔力の回復は見込めない。枯渇する様な使い方をしてしまえば、死にこそしないが、身動きすら出来ない強い倦怠感は覚悟しなくてはならない」
アキラにも覚えのある事だ。
日本ではマナが自然発生しないもの、とされていた。
マナどころか、魔術やその類形はフィクションだとされているのだが、実際には秘匿されているだけで存在する。
それは何より、七生の方が詳しいだろう。
そして、アキラは魔力制御に目覚めたばかりの頃、マナを補充する為、わざわざミレイユの助けを借りる必要があった。
彼女が所持する『箱庭』と呼ばれる空間には、マナが詰まっているので、戦闘の後にはわざわざそちらで寝かせて貰った事もある程だ。
「えぇと、つまり……。新大陸に渡った魔術士が、あちらで昏倒する事件が多発している……とかですか?」
「そういう事例は報告されているが、そちらが主題ではない。マナを持たない土地に、マナ持ちが現れる様になった。現場では明確な格差を認識した奴らが、あちらを劣った種族と決め込み、横柄な振る舞いを見せる様になっている」
「あぁ……、確かにそういうの居たよ。あたしらが黙らせてやったが。力で粋がる野暮なヤツはさ、より強いヤツに、その現実を教えられるのさ」
イルヴィがつまらなそうに言って、スプーンを口元に運ぶ。
アヴェリンもそれに頷いて、話を続けた。
「お前達の様に、道理を弁えている奴は良い。そういう者ばかりを選定して、送り出す者を絞れば良かったとすら思う」
「じゃあ、そうすりゃ良かったじゃん。神の御名の下にでもさ」
「
「そりゃまた、寛大な神もいたもんだ」
「イルヴィ、御失礼でしょう。オミカゲ様もまた、そうあるべきとされていました。日本に君臨すれども、その背を支えるに留め、統治してはおりません。御子神様もまた、同じご気質であられる、という事でしょう」
これまでの神々と、その気質を知ってるからこそ、イルヴィの感想はごく自然と言える。
しかし、七生のフォローは、アヴェリンを大いに満足させた。
彼女は誇りある態度を存分に見せて、話を続けた。
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