隠された神殿 その3
神殿から遠くまで逃げ、精霊の起こす爆発すら、遠く見えなくなってからの事だった。
全力で走らせていた馬の脚も衰え、スピードが落ちたことも理由に、レヴィン達はようやく逃げるのを止めた。
辺りに遮蔽物と言える物は少なく、背丈の半分程の岩が点在しているくらいだ。
何かから逃げたい、隠れたいと思っている者からは、余りに頼りなく思えた。
周囲には草原が広がり、そして、その点在する岩が、唯一の
他には背の低い木が疎らに生える程度で、群生している場所もない。
どこまで逃げようと、この光景は早々変わらないだろう。
それで仕方なく、岩の傍で腰を落ち着かせることになった。
一応背後を振り返り、闇夜の中でさえ精霊の光が見えないことを確認し、馬を労いながら鞍を下りる。
レヴィン達も戦闘を切り抜けたばかりで、その顔には疲れが見えた。
誰ともなく野営の準備を始め、手早く石を集めて焚き火を熾す。
ヨエルは椅子代わりになる岩を調達して来て、それでようやく腰を落ち着けた。
ロヴィーサがいつもの通り湯を沸かして、お茶を淹れる。
全員喉が渇き切っていて、湯が沸く前に、まずぬるま湯で潤す程だった。
そしてその間、誰も口を開こうとしない。
怖いほどの沈黙が続き、全員に改めてお茶が行き渡り、一口啜った後でようやくレヴィンが口を開いた。
「何とか、逃げ切れた……。封印は成功した様に見えなかったが、どうなんだ?」
「はい、それはやっぱり、封印の前に精霊が出て来てしまったので……」
アイナは申し訳なさそうに頭を下げたが、レヴィンはむしろ安堵して手を振った。
「いや、良いんだ。やってしまった罪悪感があったし、徒労であろうと、むしろ安堵した位だ……。だからこそ、思う。俺達は、本当に正しいことをしているんだろうか……」
「気持ちは分かるぜ。俺だって未だに信じたくないがよ……。でも、淵魔がそこにいたんだ」
「僕の言葉にも、信憑性が増したんじゃないかと思う」
そう言って、アクスルはフードの下から疲れた息を吐いた。
「そうなると次の問題は、大神がどこまで把握しているか、だ……」
「……どういう意味です、先生」
「計画の一端を知られたのか、それとも別の理由からか……。それはまだ、知られていない状況じゃないかと思うんだ。しかし、警戒はするだろう。何をするつもりか、何が出来るのか、見定めている最中かもしれない。でも……」
アクスルは一度言葉を切って、フードから覗く目で全員を見渡した。
「誰がやったかまでは、まだ知られていない筈だ。神殿同士で、情報の密なやり取りが行われているかも不明。しかし、この機を逃す訳にはいかない」
「つまり……、これをまだ続けると……?」
「うん、しない訳にはいかないだろう。現在は、数ある神殿の中、たった一つ封印したに過ぎない。……そして、たった一つの封印で解決する問題でもない」
「それは分かりますが……」
レヴィンは唸って眉根を顰め、それからお茶を一口啜る。
「しかし、全ての神殿を封印する……これもまた、現実的とは言えないでしょう?」
「君の意見も分かるよ。しかし、一つだけ終わらせて、他は放置……とはいかないんだ」
「……はい。でも、下手に突付いて、計画を前倒しにさせてしまう危険はありませんか」
「あるかもしれないね」
アクスルは憮然とした態度で頷く。
それからつまらなそうに舌打ちをすると、手元のカップへ口を付けずに視線だけ落とした。
「建立された神殿の数を思えば、一つや二つの封印が痛手じゃないのも事実だろう。けれど、この抵抗が計画を遅らせる原因ともなるかもしれない」
「不穏分子を潰してから……。それから行動を移すだろう、と?」
「そうだろう、という気はするね。だって、そうだろう? 本来なら既に十分、詰みの状況だよ。君たちが出る幕もなく、各地の神殿から淵魔を解き放てば、それで世界を吞み込んでしまえる」
それは間違いのない事実だった。
討滅士がどれだけ頼りになる存在だろうと、時と場所を超えて武器を振るえない。
大陸中央で起こる淵魔の発生と氾濫は、どうあっても止めようがなかった。
「でも、それをしないのは、いっそ偏執的と思える程に慎重だからだ。神が討滅士を扇動していることも然り、淵魔を追いやり敗北の演出していることも然り……」
「そうですね……、現在の段階でも十分なお膳立ては出来てるように見えます。でも、アイナの存在と共に、それを延期させていた……?」
全員の視線がアイナに向いた。
正確には、アイナの鍵に対してのものだ。
しかし、向けられた当人はとにかく肩身が狭いものでしかなく、まるで顔を隠すようにカップを持ち上げた。
「不確定要素を、とにかく嫌っているように見えるね。そして実際、その不安要素が封印という実力行使に打って出た。だから……」
「これを始末するまでは、計画を遂行しない。……しない、かもしれない?」
「僕の予想ではね」
レヴィン達は全員、顔を見合わせる。
誰もが今の内容を吟味し、有り得るかどうか、検討しているように見えた。
しかし実際は、互いの困惑を押し付け合うようなものだった。
何しろ、確証と呼べるものが何一つない。
判断材料として、アクスルの言葉は正鵠を捉えているように思えるが、同時に根拠のない言葉でもあった。
そこへロヴィーサが声を小さく上げて、レヴィンを見つめる。
「でも、やはりそこは若様が言った通り、計画を前倒しにする刺激としかならない可能性があります。これからも手を出し続けるか、あるいは控えるか、慎重に考えて頂く必要があると思います」
「因みに、ロヴィーサ。……お前は?」
「私は……」
ロヴィーサは考える素振りで視線を下げ、それからお茶を一口含んでから答えた。
「控えたい気持ちが強いです。今までの信仰を簡単には捨てられませんし、何より恐ろしいことに片足踏み込んだ気がして……」
「それはそうだろうね」
アクスルがその言葉へ被せるように、憐憫を感じさせる声音で同意した。
「誰だってそうだろう。幼い頃から……いや、もっと前の先祖代々から、受け継いで来た信仰だ。それが血肉に刷り込まれてしまっている。……そして、そうした人間を作り出すことが、一つの目的だったと思うべきだ」
「目的……?」
「そうとも。わざわざ神が信奉を求めた理由は、真相に気づいた者も、そうやって思い留まると期待したからじゃないか。そして、強弁する者には大いに反発し、排斥してくれると踏んだからだろう。――謂わば、自動的な防衛装置だ」
アクスルは確信を持って口にし、更に問い詰めるように言葉を続ける。
「今の君は大神からすると、まさしく思う壺の状態だろう。心を一つにした仲間でさえ、意見が割れる。それぐらいなら可愛いもので、仲間割れともなれば、労せずして勝手に瓦解してくれるんだから。――君は、その信仰心を利用されている、と自覚するべきだ」
「……そう、なのかもしれません。でも、納得できないんです。どうしても理解できない」
「分かるよ……。信仰とはそういうものだ。疑うことなく、ただあるものを信じるべきなんだろう。しかし――」
「違います」
宥めようと言葉を重ねるアクスルに、ロヴィーサは強い視線を向けて否定した。
「先生の言葉に、理があるように見えるのは認めます。でも、そこじゃないんです。納得できないのは、どうしてレジスクラディス様は、そこまでして人間を滅ぼしたいんですか?」
「ふむ……」
「それは……、そうだな。用意周到、狡猾で、抜け目がない……。どれもその通りかもしれない。神殿には淵魔がいたし、神官も喰われていた。状況証拠としては十分だ」
レヴィンもアクスルに追随する様な台詞を放つ。
しかし、その瞳はロヴィーサを映していて、またそこに浮かんだ色は同意を示していた。
「先生の言う通り……そういう気がするんだが、動機は何だとなると、さっぱり分からない。神は人間を慈しんでいるから、『魔の付くもの』を与えたんじゃなかったのか?」
「
アイナが素朴な疑問を向けて来て、あぁ、と短く返事したレヴィンが解説する。
「魔術、魔術刻印、魔族……。これら全て、大陸の外から伝来したものだ。取り分け、魔族が主導しそれを伝導した。敬われているのは、そうした理由も含まれる」
「だが、それだけじゃなく、魔獣や魔物も大陸の外からやって来た、とされる。大陸の西海岸から、ほんの少しだけ見える島にね。だから、そこは魔の島とも呼ばれているんだよ」
「神の島とも呼ばれる筈ですけどね」
ロヴィーサから鋭く指摘があって、アクスルは肩を竦めた。
剣呑めいた空気が張り詰めた時、そこへまた、素朴な疑問を投げかけたのがアイナだった。
「目に見える先に島があって、誰も詳しく知らないんですか? 確認しに行ってない、ってことはないですよね?」
「潮の流れが問題で、目で見える範囲以上に近寄れないのさ。だから、実際に見えているのが島なのか、本当は大陸の一部に過ぎない半島なのか、それすら知らないんだよ」
へぇ、と曖昧に頷いて、アイナはそれから小首を傾げる。
「でも、魔族が島から来たのなら、それを直接聞けば……」
「いや、話が逸れているよ。そこは今、全然重要じゃない」
「す、すみませんっ……! あたしったら……!」
「いいさ」
アクスルは朗らかに言い、フードの下から忍び笑いを漏らした。
「好奇心旺盛なのは結構だよ。それに空気も少し、刺々しくなっていたしね。丁度良い気分転換にもなった」
「そうですね……」
ロヴィーサも同意して、アイナへ感謝めいた視線を送る。
それで尚更アイナは小さくなってしまい、それを笑ったレヴィンが話を戻した。
「神の動機……それは確かに分からない。慎重で狡猾……そう見えるが、胡乱とも思う。本当に人間を滅ぼしたいのか? 淵魔を使うまでもなく、火の雨を降らせるとか――そう! 竜を使って全てを焼き払うだとか、そうした手段は取れるんじゃないか?」
「……けれども、そうはしなかった。出来ない理由があるのか、淵魔を使うことに意味があるのか……。それは神にしか分からぬことだよ。そして、淵魔は実際、神殿にいたんだ」
結局、そういう話になる。
神が人を滅ぼす理由にしろ、その手段が淵魔であるにしろ、この場でその疑問に応えられる者はいない。
疑念があろうと、いる筈のない淵魔が神殿から出現した。
――それこそ、目前で起きた事実だった。
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