東方防壁攻防戦 その7

「レヴィン……! 指揮官の責を何と心得る! 全く肝を冷やしたぞ、無茶しおって!」


 エーヴェルトと合流して最初に受けた言葉は、歓迎よりも叱責に近いものだった。

 しかし、その表情は喜悦に満ちていて、良くやったと言外に褒めている。


 それでも部下たちの手前、また軍事的側面を見ても、咎めない訳にはいかない。

 互いにそれが分かっているから、神妙な顔つきをしつつも、口元が笑っていた。


「ハッ、申し訳ありません! 部下共々全員、脱落なく撤退完了しましたこと、ここに報告いたします!」


「うむ、よくやってくれた! ……が、あの爆発はどうなのだ」


 十本もの火炎槍の連鎖爆発は、障壁を粉微塵に吹き飛ばした。

 その衝撃で扉は大穴が空いたものの、瓦礫によって簡易的なバリケードにもなっている。


 直進するのは人間にとっては骨だが、淵魔ならばそれすら呑み込んで突破しようとしてくるだろう。

 今はほんの小康状態に陥っているが、それも僅かな時間稼ぎにしかならないのは明白だった。


「第二障壁を突破されるのは既定路線にしろ、ただでくれてやる訳にはいかないでしょう。扉に群がっていた奴らは一網打尽に出来ましたし、何より壁全体を破壊される前に、小さな穴が出来ました。奴らはそこに出来た穴へと群がる。そう悪い取引ではなかったかと……」


「それは確かだが、その後も問題だぞ。奴らにとっては単に新たな道が出来ただけ。時間稼ぎは分かるが……、むぅ……!」


 第二障壁と周辺の地形は、横から見た砂時計に似ている。

 中心部分が極端に狭く、そしてそこから離れる毎に横への広がりに余裕が出来る。


 一時は雪崩込む数が極端に制限されるので、淵魔の勢いもまた極端に衰えた。

 そこに確かな意味はあった。

 しかし、淵魔の圧倒的数の前には、余りに心許ないと言わざるを得ない。


「お陰で態勢を整える十分な時間と、心構えを取る時間が持てた。しかし、ここからが本番……そして、何としても退けぬ戦いだぞ」


「分かっております、お祖父様。我らユーカードこそが、最後の砦。そして、我らこそが不落要塞! 淵魔を封じ続けた父祖の誇りに賭けて、目にもの見せてやりますよ……!」


「うむ、それでこそよ! お前の父も今は最悪を想定して、領都テルティアで迎え撃つ準備と、怪我人などの即座に収容できる態勢を整えておる筈だ! 壁を通してやるつもりはないが、ここを突破されたからと、そこで終わるユーカードではないわ!」


 そして、非戦闘員は領都から脱出し、別の街へと逃げているはずだ。

 最悪の変事において、誰もが一丸となって戦っているのは間違いなかった。


 アヴェリンはそうした二人のやり取りを、微笑ましく見える優しい笑顔で見守っていた。



  ※※※



 第二障壁から最終障壁までの距離は、凡そ三百メートル程。

 そして今は、空いた穴から線を引くようにして、淵魔が五十メートル地点まで突出している所だった。


 先頭が進む程に、壁内に群がる数も増える。

 少しでも頭数を減らしたい所だが、矢を撃つにしろ、魔術を放つにしろ、有効射程にはまだ遠かった。


 しかし、最終障壁の防備は、これまでと比較にならない設備がある。

 矢の備蓄、刻印武器の用意は勿論、投石機まであった。


 特に投石機には莫大な費用が投じられていて、こういう時に備えて用意されたものだ。 

 それだけに、他の壁にまで設置する余裕がない。


 そのうえ要塞としても機能している性質上、水路まで張り巡らされている。

 その水力を利用し、遥かに巨大で莫大な張力を利用した投石機が用意されていた。


 また、用いる砲弾は適当に切り出した岩ではなく、丸く磨き上げられたものだ。

 着弾と同時に転がす想定で、より多くの淵魔を巻き込む為に作られた、真円の砲弾だった。

 これに油を掛け、火球として淵魔の群れに投げ込むのだ。


「投石機、用意ッ!」


 エーヴェルトの掛け声が響く。

 全十機に及ぶ投石機が、方向を微調整して駆け寄る淵魔に狙いを定めた。


「――打てェッ!」


 炎を巻き上げながら、岩球が飛び出す。

 火炎と黒い煙が尾を引いて、次々と着弾しては火炎と衝撃で淵魔を蹂躙していく。

 勢いを活かして転がる岩は、後続から押し寄せる淵魔も巻き込み、更なる被害を増やしていった。


 予想通りの戦果に、エーヴェルトは満足な笑みを浮かべ、そしてすぐさま次弾の準備を命じた。

 高台から見る分には、実に頼もしい光景ではある。


 しかし、淵魔の勢いは、衰えというものを知らない。

 それを見ていたヨエルは思わず、という口調で呟いた。


「焦れてくるな……!」


 肩を怒らせながら、ヨエルは落ち着きなく足を踏み変える。

 接近して来ても、まず遠距離攻撃から始まる訳で、どちらにしてもヨエルの出番はまだ先だ。


 壁上の歩廊にいる手前、そこをよじ登ってきた淵魔を迎え撃つ形になり、実際に剣を振るうのは大分先だった。

 レヴィンは自分にも言い聞かせるよう、ヨエルに声を掛ける。


「落ち着けよ、兵が不安になるだろう。勇み足はお前の悪い癖だ」


「分かってはいるがよ……! 見てるしかないのが歯痒いぜ……!」


「それもまた良く分かるが、それより……援軍はまだか」


 ミレイユは間違いなく手配した筈だ。

 そして、有事の際は貸出すると、神々の協力を取り付けていた筈だった。


 インギェムが自身で『運送屋』に徹すると言っていたぐらいだし、距離を無視できる神の権能ならば、そろそろ来ても良い頃合いだ。

 むしろ、レヴィンは遅すぎるとすら感じている。


「……まさか、ここに来て協力を嫌がってるんじゃないだろうな……」


 時間が経つ毎、焦りが募る程に、嫌な予感が増していく。

 特にハイカプィなどは、半ば脅す様な形で協力を取り付けたのだし、嫌がらせの様に出陣を遅らせるのではないか、などと考えてしまう。


「まだか……!」


 兵には悟られぬよう、小さく零したその時、前方に小さな変化が現れた。

 大扉に空いた穴、そこへ被さるように、球体が出現している。


 最初は点の様に小さかったその黒い球は、次第に大きさを変えて空いた穴を覆う様に巨大化していく。


「あれは……!」


 それは最近、レヴィンも見慣れる様になった、インギェムの『孔』だった。

 実際に使用した時より、遥かな巨大なその『孔』が、次々と淵魔を呑み込んでいく。


 淵魔は小器用に孔を避けよう、などと考えない。

 そもそもとして、隣り合う淵魔が邪魔になって、避けるスペースすらなかった。


 だから、壁を崩して出来た入口に殺到した淵魔は、悉くインギェムの権能に飲み込まれていく。

 それを見たエーヴェルトもまた、顎髭をゴリゴリと撫でて闊達に笑った。


「これは良い……! あれが何かは知らぬが、淵魔の勢いが目に見えて失せた! 白兵戦も視野に入れられる!」


「あれはインギェム神の権能です、お祖父様! 大神レジスクラディス様は各神々も、召集なさっておいでなのです!」


 そして、淵魔が送られる先は、ヤロヴクトルの屠殺場だ。

 今もあの迷宮に雪崩込んでは、次々と淵魔を殺すだけの罠群で、始末されている事だろう。


「何たる光栄か……! 神々のご加護を賜るとなれば、より一層、気を引き締めなければならん! ――不甲斐ない真似は見せられまいぞ!」


 背後を振り返り、エーヴェルトは兵たちを鼓舞する。

 大神レジスクラディスだけでなく、他の神まで支援してくれるとなれば、これに猛らない筈がない。

 兵たちは武器を掲げ、声を張り上げ、神々を称賛する。


『おぉ、神々よ! 神々よ!』


「あぁ神々よ、ご照覧あれ! 我らの戦、淵魔の討滅、しかと果たしてご覧に入れましょうぞ!」


 エーヴェルトが兵の士気を更に高めたその時、最終障壁の前に、また『孔』が現れた。

 今度は大扉前の時とは違って、かなり小さい。

 しかし、それはあくまで前方と比較した場合の話であって、大人五人が横に広がってもなお余裕のあるサイズだった。


「あれは……?」


 エーヴェルトは疑問の声を零したが、それが何か、既にレヴィンは見当が付いていた。

 待ちに待った援軍が、ようやくやって来たのだ。


「あれが援軍です。遠く異国の地から、援軍が駆け付けてくれたのです!」


「おぉ……!」


 見れば、孔から出たのは先ず三人。

 レヴィンにも見覚えのある、ハイカプィの神処で見た三人だ。


 鬼族の三人が大胆不敵に姿を現し、その後に部下と思しき軍団が隊列を整え前進してきた。

 三人が進み、その歩調に合わせて軍団も前に出る。

 突出していた僅か数百の淵魔に対し、鬼族の軍団は千を超え、しかもまだ数を増やしていた。


「一体、どれだけおるのだ……?」


 これに答えられる者はいない。

 アヴェリンでさえ知らぬ事らしく、横顔を窺っても返事はなかった。

 しかし、いずれにしても、レヴィン達もただ高みの見物をしている訳にはいかない。


「援軍を前に、我らだけで高みの見物を決め込む訳にはいきません! 手勢を連れて、共闘するべきかと!」


「そうだな! ではレヴィン、兵を分け与えるから、精兵を連れて共闘せよ! それから――」


 エーヴェルトがレヴィンに、そしてヨエルとロヴィーサに指示を出そうとしたその横で、また新たな孔が現れた。

 ぎょっとして身構えるエーヴェルトに対し、レヴィンはただ何が出て来るか見据える。


 そうして姿を現したのは、何とインギェム神だった。

 レヴィンは慌てて膝を付こうとしたが、それより前に止められる。


「い、インギェム様! これは失礼を――!」


「あぁ、いいから。今は一々、礼儀とか言ってられねぇよ。簡潔に要件だけ話す」


「は、ハハッ!」


 レヴィンが畏まって礼だけしたが、流石に他の兵まで直立不動でいられなかった。

 誰か一人が膝を付くと、他の兵も波打つように、次々と膝を折っていく。

 後にはレヴィン組とエーヴェルト、アヴェリンだけが立ったままで、他は平伏という構図が出来上がる。


「ここに『孔』を置いておく。なんつったか……お前んトコの領都に繋がってる。怪我人の収容やら、放置できない死体やら、そういうのこっちに突っ込め。既に話は通して来た」


 ――では、遅れて来たのは、その為だったのだ。


「ご寛恕、ありがたがく!」


「淵魔に何一つ喰わせたくねぇのは、己らも同じ気持ちだ。けど、現実的にここで収容するには限度があるだろ? 色々手回ししてる内に、随分時間食っちまった。待たせてすまねぇな」


「すまないなどと……! 慈悲深き配慮に感謝いたします!」


 レヴィンが腰を深く曲げて最敬礼のお辞儀をすると、ヨエルやロヴィーサ、エーヴェルトなど、立っている者も軒並み最敬礼で頭を下げた。

 インギェムは面倒くさそうに手を振って、新たに出現させた孔へ潜っていく。


「敬意の発露は分かるけどよ、あれこれ指示出す時には面倒くせぇよ。なぁ、アヴェリン?」


「それを私に言われてもな……」


「まぁ、そりゃそうか。時間食ったのは、その儀礼部分なところも多かったんだよ。戦時中はどうにかする法でもありゃいいんだが……。今度ミレイユに言ってみるか」


 そう言って笑い、身体の半分以上、孔の中へと埋め込むと、顔だけ出してニヒルに笑った。


「まぁ、後方支援は任せておけよ。戦えない神なりの矜持ってやつさ。精々くたばるなよ、戦勝の酒はきっと旨いぜ?」


「ハハッ! 最高の美酒を味わう前に死ぬなど有り得ぬこと! 是非とも堪能したく存じます!」


 頭を下げたままレヴィンが言うと、最後にひらひらと振った手が、孔の中へと消えていった。

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