ネリビンの魚竜 その4
「ハァッ……!」
カタナを抜刀一閃、レヴィンは空中から急襲する形で、ナタイヴェルへと斬りかかった。
敵は牙の並ぶ大口を開けて接近中で、巨体のどこでも斬れば当たる様な状態だ。
レヴィンは目と目の間、鼻腔辺り目掛けて振り抜き、そのまま後方へ流れる。
硬い感触と共に手応えがあり、深々と斬り裂いた感触を
ナタイヴェルには確かな手傷を与えた筈だが、何しろ巨大な相手だ。
その程度では細い線に過ぎず、傷らしい傷とも言えなかった。
「ちぃ……ッ!」
舌打ちしている間にも、ヨエルとロヴィーサが次々と降って来る。
ヨエルの巨大な大剣は、巨体相手に深い傷を与えるのに一役買いそうだが、結局はレヴィンと変わらぬ有様だった。
ロヴィーサにしても同様で、両手に持った短剣を振り回し、幾つもの裂傷を作り出したのだが、出血さえろくに起きていない。
相手が前進する速度に合わせた攻撃だったので、自らが振るうより簡単に傷を付けられたとはいえ、出来た事と言えば、その程度の事だった。
「くそっ……、分かってた事だが……!」
歯軋りする思いでレヴィンが水の上に着水すると、ヨエル達も次々と降り立つ。
揺れる海面の上なので、地面と同じような感覚ではない。
しかし、その足は沈む事もなく、そして確実に『水面歩行』の魔術が効いているのだと実感した。
「それは良いが……!」
「置いてかれちまう、走れッ!」
「は、はい……!?」
ヨエルの号令と、アイナの着水は同時だった。
彼女は面食らいながらも頷き、踵を返すのと同時にレヴィン達も走り出す。
帆船と、それを追うナタイヴェルの速度は異常に早い。
馬を全速で走らせるよりも、なお速い程だった。
しかし、その速度ならば、レヴィン達でも追い付けない絶望的な差ではない。
「走るのは良いですけど、これは……ッ!」
珍しく、ロヴィーサから弱音らしきものが漏れた。
それもその筈、海面は平らに見えて緩やかに動いている。
また、今はナタイヴェルを追い掛けている手前、海面を掻き分けて進むその後ろは、他と比べて揺れが激しい。
水面歩行の練習すらしていないレヴィン達にとって、感触すら初めての体験で、弱音が出るのも致し方なしと言えた。
「下手に距離があるから拙いんです!」
「何……?」
「よく見て下さい!」
アイナが指差したのは、ナタイヴェルのすぐ後ろだった。
水を掻き分け進む性質上、正面や側面は波が激しい。
しかし、そのすぐ背面はむしろ穏やかだ。
そこから少し離れると、両側面から合流した水流によって、後方の水面は大きく揺れる。
今レヴィン達の位置取りが、まさにその場所だった。
半端に離れているからこそ拙い、といった旨の趣旨は、それで合点がいく。
「なるほど、アイツの機嫌次第だが……より近くの方が良いのは、間違いないな!」
「よっしゃ、急ぐぜ! どうせ近付かねぇと、何にも出来ねぇ!」
ヨエルの号令に全員が頷き返し、速度を上げた。
しかし、波打つ足場を走って移動するのは容易でない。
ただの移動だけで悪戦苦闘が続き、ヤキモキした気持ちが募る。
いつまでも接近出来ずにいれば、船は攻撃を受けるだろう。
既に二度の攻撃を許しているのだから、これ以上損傷を増やすのは、いかなる意味でも危うかった。
「皆、頑張れ! もう少しだ!」
「全くよ……! 港町まで走り通しで助かったぜ!」
「それって皮肉ですか?」
「違ぇよ、ロヴィーサ! あれがなかったら、今の状況はもっと苦戦してたった話だ!」
「皆さん案外、余裕ありますね!?」
巨大な敵を追い掛けながら、戯言の一つでも飛び出す心の余裕に、アイナは感嘆とも呆れとも付かない声を上げた。
走る事に付いて――魔力の制御について、誰より優秀だったアイナだが、戦闘については誰より劣る。
回復要員として重要な役目があるものの、戦闘自体、未だ不得手だ。
それが彼女の不安を圧迫している。
「気構えなんてやつはな、最初から出来てるもんだぜ! 討滅士っていうのは、そういうもんだからな!」
「しかし、この魔術の効果時間はどれ程なのでしょうか? 突然、効果が切れて海に落ちるのを想像したくないのですが……」
ロヴィーサからの疑問に、レヴィンは今更ながらに思い至る。
支援系魔術の多くには、その効果時間や回数が定められているものだ。
レヴィンの持つ『年輪』は、一定回数が尽きるまで発動し続ける。
『追い風の祝福』については、刻印が保持する回復量が尽きるまで発動し続けた。
だから、時間制限について余り考えがなかったのだ。
しかし、刻印でもない以上、そこに込められた魔力量から推し量る事すら出来ない。
唐突に足元がグラついた錯覚を感じ、レヴィンの顔色が悪くなる。
「おい、嘘だろ……。効果時間なんてものがあるのか……!?」
「神の使う魔術ですから、常人と比較して莫大だとは思います。ですが、無制限とも思えないのです」
「あるんだったら、注意してくれても良さそうなもんだろうが!?」
ヨエルも堪り兼ねて、語気も荒く言葉を吐き出す。
そこにアイナが申し訳なさそうに言った。
「いえ、船から飛び降りた時、何か仰ってましたよ。それが何かまでは、聞き取れませんでしたけど……」
「おい、まさか……!」
ヨエルの顔色がそれで変わる。
しかし、それは今更知りようもなく、目の前に集中すべきだった。
「どちらにしても、短期決着は変わらない。船が沈むか、それより先に俺達が沈むかだ! まずは全力で追い付く!」
「オウッ……!」
ヨエルが腹に力を入れて頷くと、次の一歩が激しく跳ねた。
波を掻き分け高く跳躍すると、ナタイヴェルのすぐ背後へと降り立った。
全く揺れないわけでないものの、それまでと変わって随分走り易い。
そのまま次なる跳躍で、ナタイヴェルの背中へ張り付き、大上段から一撃を見舞った。
「オォォォラァッ!」
大剣は背ビレを斬り裂き、そこから生えていた棘も斬り落とした。
ナタイヴェルは身震いする動きと共に、尾ひれを激しく振り乱し、それまで出ていた速度に翳りが出た。
「いいぞ、ヨエル!」
レヴィンも追い付き、背ビレの根本近くを斬り付けた。
しかし――。
ギィィン、と固い金属音と共に弾かれてしまう。
その手応えと無傷のナタイヴェルに、思わずレヴィンは自分の目を疑った。
「何だ、これは!? 魚竜って言うのは、単に大きさを竜に例えたからじゃなかったのか!?」
「竜の鱗は鉄より固いなんて、有名な話だがよ……」
「つまりは、そういう事か……!」
単に巨大な魚だからではない。
それ以外に、魚鱗もまた鉄の様に固いことから、付けられた通称に違いなかった。
「このまま背ビレだけ攻撃したって、然したる意味はないだろう。さっきみたいに鱗のない箇所か、あとは……眼球か!」
ナタイヴェルは大口を開けている間だけ、上半身が露出する。
その中で効果的な攻撃箇所となれば、眼球以外にない。
海面から露出している部位は鱗に覆われており、他に適切と思える場所がなかった。
しかし、眼球さえ海面に隠れ、常に露出していない状況が、事を厄介にしていた。
「奴だって馬鹿じゃない。攻撃するほど、海中に沈もうとする! 船まで距離が縮まって、顔を出すまで待つか……!?」
「そもそも、攻撃の時、必ず顔を出すとも限らねぇぜ!」
「そうです。そうしたつもりがあるかはともかく、海中からの突進で、船底に穴は空けられます! 出すかどうかも分からない顔を、待っている訳には参りません!」
ヨエル、ロヴィーサの意見は真っ当で、また無視も出来ないものだった。
悠長に待っていて、それで船が沈められては堪らない。
とはいえ、しかし――。
「海中の敵をどうやって攻撃する!? 背ビレを斬ったところで、奴は倒せない!」
「若様、どうか冷静に! まずは攻撃箇所を、よく見極めましょう!」
レヴィン達にとって、ナタイヴェルは初見の敵だ。
それに類する形の敵と、戦った事すらなかった。
海中で生きる魔物のどこが弱点で、また最初に攻撃するべき点なども知らない。
知識もまた、一つの武器だ。
レヴィン達が淵魔に対して特別成果を上げられるのも、先達が苦労してその特殊性などを解明したお陰だった。
こういうタイプの敵は、まず腕を斬り落とせ、機動力を削げ、など教えられたものだ。
しかし、魚型魔物など陸地には存在しないので、類する魔物から推測する事も出来なかった。
そこへ必死に追い掛けていたアイナから、上擦った声で提言がある。
「まず、
「魚の捌き方なんて知らねぇよ! 大体、ぜいごって何処だよ!?」
ヨエルが半ば半狂乱になって叫んだ。
アイナはそれでも必死に言葉を選んで説明する。
「尾ひれの所ですよ! 付け根辺りにゴリゴリした鱗の帯があるんです! 固い部分なんですが――」
「じゃあ、駄目じゃねぇか!」
「違うんです、その周辺はむしろ柔らかいんです! 魚の推進力に関わる部分です。そこを攻撃すれば、船は逃げ切れるかもしれません!」
「それは良いな! 良いんだが……!」
レヴィンは目の前で海を切って進むナタイヴェルを睨みつつ、意気込んで頷く。
ただし、相手は魚でなく、魔物という点は無視できない。
それに何より問題は、尾びれは海中にあるという点だ。
海上にいる限り、どうあっても攻撃できない。
「どうやって、海中の敵を斬るんだ!?」
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