ネリビンの魚竜 その3
威勢の良いことを言ったレヴィンだったが、どうすればナタイヴェルを倒せるのか、その問題は依然として残っていた。
そもそも、戦う為の土台に立つ所から、どうするかといった問題まである。
剣を突き立てろと言われても、最初の一撃までは良いとして、その後が続かないのだ。
巨体が相手だと、剣一本の長さでは急所を貫けないことも多く、そして今回の相手に至っては考えるまでもない。
そして、表面の肉を斬り裂くことに、それ程の意味はないのだ。
突き立てた剣にしがみ付いているだけでは勝てないし、海中に潜られた時点で負けたも同然だ。
幾らでもしがみ付いてやろうとも、酸素がなくなれば死んでしまう。
ナタイヴェルは、海中でただ数分、潜水しているだけで良い。
――いや、とレヴィンは考え直す。
帆船と同程度の巨体なのだ。
攻撃されている事、何かが身体にしがみ付いている事にすら、気付かれない可能性もある。
レヴィンはそこまで僅かな時間で考え終えると、今も後方で大口を開けて迫る、ナタイヴェルを睨んだ。
ミレイユが勝てる、と言ったのだ。
勝てない相手にやれ、とは言わないと。
しかし、レヴィンにはどうやれば勝てるのか、それを明確な形が今の今まで浮かばなかった。
そも、これまで想定すらして来なかった戦場の話だ。
小舟に乗って戦うにしろ、安全綱を身体に巻き付けるにしろ、どうやれば戦闘らしいものになるのかすら浮かばない。
ほとほと参ってミレイユへ顔を向けると、そこには何かを楽しみにする表情が浮かんでいる。
「ミレイユ様、非常に申し上げ難いことなのですが……」
「いや、言いたいことは分かる」
皆まで言わせず、ミレイユは首を横に振った。
「いきなり放り出して、何もかも上手くやれ、とは言わない。特に水上、水中の戦いなどした事ない奴にはな」
「では……?」
何かアドバイスでも貰えるのか、と期待して視線を強める。
レヴィンの後ろでは、ヨエルだけと言わず、ロヴィーサまでも同様の視線を送っていた。
「いっそ一度喰われて、内側から攻撃するというのは――」
その時、船尾に再び、船体を揺るがす衝撃が走る。
ナタイヴェルの突進が入ったのだ。
「――うぐっ!」
「あっ……!?」
身体が一瞬宙に浮き、ロヴィーサが吹き飛ばされそうになった。
レヴィンは咄嗟に手を伸ばしてその腕を掴み、そうして胸の中へ仕舞う様に守る。
アイナは自分で立って居られず、ヨエルに抱き留められ、完全に任せきりだった。
誰もが動揺を隠し切れず、戦慄しながら後方を見やった。
今の一撃で、ナタイヴェルはまた少し距離を離したようだ。
しかし、速度はあちらが上な以上、再び攻撃されるのも時間の問題だろう。
その筈なのに、神と神使らは今も余裕を崩さない。
精神的に負担の大きい魔術制御をしているルチアすら、動揺が見られなかった。
魔術の制御とは、刻印とは比べられない繊細さを必要とする。
それは時として、楽器の演奏にも例えられる程で、一度のミスすら制御の失敗に繋がる危ういものだ。
それをルチアは『送風』と『防護』の魔術、二つを同時に行っている。
改めて人間離れした神業に舌を巻いていると、その彼女から苦言らしきものが放たれた。
「今のは魔物からもツッコミが入りましたよ。もう少し、マシな提案の方が良いみたいですね」
「その様だな」
「――どうでも良いから、やれるっつぅんなら早くやってくれ!」
船長から悲鳴にも似た怒号が上がって、流石にミレイユも素直に頷いた。
二度も衝撃を受けた船尾は、罅こそ入っていないものの、
あと幾らか攻撃を受ければ、流石に只では済まないだろう。
それに船長からすれば、修理で何か月か船が使えないのは、これで定したようなものだ。
泣き言の一つも言いたくなるだろう。
ミレイユは改めてレヴィンへと向き直り、その手に魔術光を灯らせながら言った。
魔術光とは、魔力を制御する時に生じる燐光で、その色から何の魔術を使用するか、凡そ察せられるものだ。
その手を差し向けながら、ミレイユは言った。
「さて、お前達なら勝てると言ったが、流石にそのままで勝てとは言わない。少し仕掛けが必要だ」
「それが、今も制御している魔術……なのですね?」
そうだ、と短く返事するなり、ミレイユはレヴィン達四人へ、魔術を順に施した。
「え、私も……!?」
驚きに目を見張ったのはアイナだ。
彼女は後方支援が主な役割で、直接的に戦闘は出来ない。
船の上か安全な場所に待機して貰い、治癒術を使って貰った方が良いと思っていたのはレヴィンも同じだ。
しかし、ミレイユは驚くアイナに、至極当然といった面持ちで頷く。
「お前たちは四人のチームだ。そうして戦う事こそを求められる。そして補助や治癒役は、常に護られる存在とはいえ、護身すら放棄するなど有り得ない。むしろ、共に戦う合間に治癒するぐらいでないといけない」
「それは……、そうです。海で誰かが傷を負ったら、私しか助けられる人がいないんですから……!」
魔術は手元から離れた時点で、その威力や効果が減衰していく。
船の上から治癒術を使うことは、決して不可能でないものの、効果的とは言い難い。
死の淵にあるような傷なら尚の事だ。
助けたい者がいるなら、そのすぐ傍に居なければ助けられない。
「だから、さっきの魔術だ。実を言うと、さっき使ったのは、私が開発した魔術だ」
「えっ……!?」
驚きの声は、傍らのルチアからのものだった。
レヴィンからすると、それは全く驚くに値しない。
魔術の祖は神にある以上、新たに開発出来るのも、また同じ神のみと思うだけだ。
当然と畏敬の気持ちがあるだけなのだが、ルチアもまた、単に驚いていたわけではなかった。
その表情からは驚愕というより、呆れた調子が存分に表されている。
「まさか、例のアレですか? ユミルさんに、散々馬鹿にされたやつですよね?」
「今まさに役に立っただろ」
ミレイユが憮然と言ったのに反し、ルチアはどこまでも素っ気ない。
「三百年越しに、ようやく実ったと? こうした事態まで見越していたなら、確かにお見事ですけどね」
「……あの、所でこれは、どういった魔術なので?」
話が険悪な方向に行きそうだったので、レヴィンはわざと声を掛けて注意を逸らした。
そうして、今も柔らかに包まれている身体に、両手を広げて疑問をぶつける。
すると、憮然としたままのミレイユが、眉を顰めながら言った。
「……『水面歩行』と『水中呼吸』だ」
「凄いじゃないですか……!」
まさに今、うってつけの魔術だと言えた。
海で――水に支配された戦場で、どう戦えば良いのか、といった問題は、これで多くが解決される。
ルチアが非難した理由こそ、レヴィンには分からなかった。
それを見越したからだろう、彼女は釈明めいた説明を始める。
「呆れられた理由は、もっと別にあるんですよ。どちらの魔術も、その昔からありました。単体として見れば、有用だと思うんですよ。でも、それをわざわざ一つの魔術として形成したので、馬鹿にされたんです」
「……別に、それのどこが悪いのか分かりませんが……」
神に求められる効果ではない、などが理由だろうか。
空を飛べる以上、水面を歩行する必要も、水中で呼吸もまた必要ない、という様な……。
しかし、ルチアの答えは、それともまた別のものだった。
「その二つが真逆で、矛盾するから問題なのです。
「え……? この魔術効果、強制的に浮いてしまうんですか?」
「歩行する為には水面が必要である以上、潜れるわけないでしょう。そもそも沈みません」
「なん……」
なんだそれ、と言う言葉は、寸前で喉奥へ押しやった。
だったらどちらか片方は、全く必要ないではないか。
水中で呼吸したいのに浮いてしまうなら意味がなく、水上を歩けるのなら、わざわざ水の中に顔を突っ込んで呼吸する必要がない。
ユミルが馬鹿にした理由が、これで分かった気がした。
レヴィンはつい、残念なものを見る目で、ミレイユを見つめてしまう。
しかし、ミレイユは憤然とした様子で鼻を鳴らす。
「言っておくが、いつまでも使えない魔術のままに、この私がしておくと思うか? きっちり改良済みに決まっている」
「え、でも……」
何やらとんでもない残念臭がして、話を打ち切ろうとした。
どうせ顔の周囲が水に包まれ、強制的に水中呼吸させるとか、そういう残念な類だろう。
「お前、いま凄く失礼なこと考えてるだろう」
「いえ、とんでもない!」
「――何でもいいから、早く行きやがれ! 全員死ぬかどうかの瀬戸際なんだぞ!」
船長から至極真っ当な叫び声を聞かされ、レヴィンは背筋を伸ばした。
ミレイユ達が余裕を崩さないので、その雰囲気に流されてしまったが、確かに今は生きるか死ぬか、常人ならばむしろ死を強く思う場面なのだ。
レヴィンは背後を振り返り、ヨエルたちを視線を交わす。
とにかく、水面に立てる事は間違いないのだ。
地面と同様に戦えるのなら、巨大な魚相手に勝てる見込みはある。
「――よし。行くぞ、皆!」
「おうッ!」
「おい、話は最後まで……!」
レヴィンは船尾の
背後からはヨエル達の続く声が聞こえる。
そして、その内の中に、ミレイユが呼び掛ける声もあった。
しかし、勢い付いて急ぎ離れたレヴィンの耳に、結局届くことはなかった。
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