良縁か悪縁か その8

 盛大に騒ぎ立てている彼らを心地よく見る一方、レヴィンはどうしても苦笑を禁じられずにいた。

 淵魔を引き受けたの事実で、そして死ぬと分かった上で、自らを餌に誘導していたのも事実だ。


 だが、それは道半ばで失敗すると理解していたし、忸怩たる思いも感じていた。

 何より絶対的窮地から救い出してくれたのは、ルミとリンだった。

 特にリンが割って入らなかったら、レヴィンは死んでいた可能性すらある。


 感謝を向けられるべきは彼女たちであって、同じかそれ以上の賛辞を向けられなければ、顔向け出来るものではない、と思っていた。

 しかし、そんな彼女らは遠く食堂の隅で、そんな大衆を見ながら酒を呷っている。


 名声に露ほども興味を持っていないかのようだった。

 そして、それは事実でもあるのだろう。

 リンはいつも通りの仏頂面で杯を傾けているが、名声を奪われたからと見せている表情ではない。


 ルミが楽しげに杯を重ねている様を、またかという心境で見ていた。

 そのルミは、馬鹿騒ぎしている様子を見ることこそが楽しいと思っているらしく、自らがどう思われるかなど、全く歓心を持っていなかった。


 今回、レヴィン達が功労者であるのは事実でも、真に賛辞を向けられるべきは彼女らなのだ。

 しかし、二人は敢えてそれを固辞し、むしろ身代わりとするように、その功績をレヴィン達の物にするよう言って来た。


 当然、レヴィン達は断ったが、彼女ら自身が誰の功績が喧伝してしまった。

 稀有な実力を持ちつつ、ギルドでは万年最下級を維持する。

 冒険者などやりつつ、名声にも興味を示さない。


 なぜ冒険者をしているのか、不思議な程だった。

 冒険者が名声を得ようとするのは、単に自己肯定感を求めているからではない。


 自己の実力を世間に誇示する為、求める者も多いものだ。

 そうでない場合なら、良い士官先を求めて名声を求めることもあった。

 初めから冒険者は足掛け、あくまで安定した職業に就きたいと考え、実践演習のつもりで利用する。


 だが、ルミとリンはそのどちらでもなく思えた。

 名声を利用するつもりもなく、単に魔物と戦うのが好き、という風にも見えない。

 淵魔の存在を詳しく理解している節もあり、謎ばかりが浮かび上がる二人組だった。


「奇妙だよな……。不可思議、矛盾……言い方は色々だろうけど、とにかく変だ」


 レヴィンは杯を傾けつつ、隣に座るロヴィーサへ耳打ちしようと顔を近づける。

 しかし、未だ自己嫌悪の真っ最中だった彼女の耳には、その声が届かなかった。


「まったく……っ、私は……自分が許せません。不甲斐ないです……!」


 酒を飲んでいる訳でもないのに、酔っているかのように感情を爆発させていた。

 ロヴィーサにとって、自分が仕え命を掛けて護るべき対象が、その死の間際にあったなど、到底看過できない事態だった。


 レヴィンから命令があって、傍を離れた――それは事実で、仕方ないことだ。

 しかし、それで実は主人を失っていたと考えた時、ロヴィーサは到底平静でいられなかった。


「いや、ロヴィーサ……。もう何度も言っただろう。自分を責めるな。俺が命じたから、傍にいなかったんだから。それに、アイナだって護る必要があった。アイナ一人でどうにか逃げろとか、冒険者を頼れとも言えなかったしな」


「そうだとしても……! 若様が護衛役より先に……など、あってはならない事です!」


 再び感情が昂ぶり出した所で、レヴィンが肩を擦って落ち着かせる。

 しかし、それでは到底収まらず、ロヴィーサは杯を盛大に煽り、喉を鳴らして飲み干した。


 まるでヤケ酒をしているように見えるが、杯の中身は果実汁である。

 ロヴィーサは杯をテーブルへ叩きつけるように置くと、そこでようやくルミ達へ目を向けた。

 ただし、その目は剣呑で、実に据わった目付きだった。


「大体、逃がしたとは何事ですか。淵魔は見敵必殺が基本……! それがたった一体であっても、目を覆う様な惨劇を生みます……! 到底、看過できない事態です!」


「……そうは言っても、あの淵魔が強敵だったのは事実だ。俺達じゃ討滅はおろか、抑え込むことすら出来なかった。それを肩代わりしてくれたんだから……」


 それに、淵魔が逃走行動を取るとは、誰も思わなかった。

 奴らに生存本能などなく、当然、その命を惜しんだりもしない。

 いきなり逃げ出した様に見える行動でも、その先に喰らう命があればこそ、他者からはそう見えるというだけの話だった。


 だがそれは、どこまでも遠くにいる生命を、喰らおうとする事を意味しない。

 あの場、あの時……目に見える範囲では、動物はおろか魔物すら存在していなかった。


「それに、四足の……それも馬の脚を持った相手だ。リンさんは確かに素晴らしい瞬発力を持っていたが、本気で逃げる馬体に追い付けたか……。彼女の実力不足や、怠慢が理由じゃない」


「いえ……! 若様であっても圧倒されるだけの強者が、みすみす取り逃がすでしょうか。本当の、本気で追い掛けたのか疑問です……!」


 ロヴィーサは視線も鋭くルミとリンを睨み付ける。

 確かにそれは、レヴィンとしても気に掛かる部分ではあった。


 リンは間違いなくレヴィンの上を行く戦士だ。

 そして、ヨエルと二人掛かりであってさえ、敵わないと思わせる武威を見せた。


 強いことが即ち、俊足であることを意味しない。

 だが、加勢に駆け付けたその時、レヴィンの横を通り過ぎた時、目にも留まらない速さに見えたものだった。


 果たして、本当に追い付けなかったのか……?

 短距離だからこそ、出せた速度かもしれない。

 それもまた、有り得る話だ。

 しかし、ロヴィーサの発言から、疑念が芽生えたのも事実だった。


「それに、遠く離れた淵魔を追い掛けたのなら、その時点で他の生命はそのリン以外に、居なかったのではありませんか。何一つ襲わず、逆襲して来るわけでもなく、ただ逃げた、などと……! 常識では考えられません!」


 ロヴィーサの言うことは間違っていない。

 淵魔に生命の何たるかを理解できず、そして己の命にすら無自覚だから、死の間際にあってさえ逃げようとしないものだ。


 そういうものだと認識されていた。

 だから、逃走そのものが青天の霹靂だった。

 そして、だからこそ辺境領の中だけで完結出来ていたのだし、辺境領の外は安全、淵魔は一体たりとも存在しないもの――。


 そういう常識が出来上がっていた。

 だが、今日の事件を切っ掛けに、その前提が崩れたことになる。


「もしも逃げたのが本当なら、淵魔は今も自由に行動してることになってしまいます。何処から現れたものか分からず、その上で、被害について耳に聞こえてきませんでした」


「あれ一体しか出現していないとしても、被害はもっと以前からあって、そして甚大なはずだ。目に付くものを、手あたり次第に襲っているはずだから……」


「そうして、それが事実だったなら……もっと早い段階で、辺境領へ助力を乞う願いが届けられたはずです」


「あの淵魔は一体どこから来て、またどこへ行ったのか……?」


 レヴィンもまた難しい顔をさせて、杯の中を睨み付けた。

 考える程に不条理が浮かび上がり、落ち着かない気分にさせる。


「常識と理屈に合いません。……本当に逃がしたのでしょうか?」


「とはいえ、相手は淵魔だぞ……。到底、操作したり支配したり出来る存在じゃない」


 レヴィンはいよいよ、杯を置いて考え込む。

 彼が遠くへ視線を向けると、リンがつまらなそうに杯を傾けるのが見えていた。

 傷一つなく、疲れさえ感じさせず、どこまでも自然体に見える彼女……。


「もしかすると、逃がしたのではなく、もっと別の何かなのかもしれません」


「別の? どういう意味だ?」


「追い立てることこそが目的で、討滅阻止が目的だった、とかです」


「……有り得るとは思えないが」


 それならそれで、助けることなく見殺しにするだけで、目的は達せられた。

 ロヴィーサの言い様は、助けるべき時に助けられなかった自責と、それをされた嫉妬から来るものの気がする。


 だが、逃がしたことはともかく、いるはずのない淵魔の存在について、納得は難しかった。

 何か隠しているのか、それとも別に何かあるのか――。

 それは彼女らの不可思議性からも、作為があるのではと疑ってしまう。


 その時、リンが杯を置いて立ち上がると、ルミもまた釣られるようにして立ち上がった。

 杯を飲み干してからテーブルに置き、代金も置いて立ち去ろうとしている。

 話を聞くなら今がチャンス、とレヴィンは思った。


「もう帰るみたいだ。丁度いい、少し詳しく訊いてみよう」


「お供します」


 あんなことが遭ってから、ロヴィーサは片時も離れようとしない。

 街中であろうとも突然、淵魔が現れたのだから、どこであろうと油断できない、という彼女の主張は理解できる。


 しかし、食事の時は勿論、用を足す時すら離れないのは困ったものだった。

 レヴィンはヨエルにも声を掛け、席を立つ。


「ちょっと頼むな。アイナのこと見てやってくれ」


「それは良いが……。すぐ帰って来いよ」


 ヨエルはロヴィーサと違って、そこまで神経質になっていない。

 いつもの態度、いつもの調子で杯を掲げ、それに応じてから隣に座るアイナにも、頷き見せてからテーブルを離れた。


 店内は非常に混み合っていて、また盛り上がりも尋常でなく、人波を掻き分けて進むのも容易ではない。

 店から出るのにも苦労してしまい、道に出て左右へ顔を向けた時には、既にそれらしい人影すら見えなくなっていた。


「見失ったか……。仕方ない、戻るか……」


 嘆息混じりにそう言うと、ロヴィーサは口元に人差し指を立てて、店の脇へと顎を動かす。

 それで壁に背を付けながら脇道の傍に立ち、そっと顔を覗かせると、そこにはルミとリンが暗闇の中で向き合っている所だった。


 何事かを話し合っていて、その口調は固い。

 互いに緊張感を感じさせる、不穏なものに感じられた。


「失敗だったわね」


「……あぁ、認める。存外やるものだった」


 どうやら、淵魔について話しているらしい。


「手が足りなかったな。あるいは、お前がもう少し上手くやれば、どうにでも出来たのではないか?」


「そう簡単ではないでしょう。あっちにも味方がいたし」


「……張り付いて、離れなかったか」


「上手く分断……、話は簡単だった」


 レヴィンの表情に緊張が走る。

 ――これは違う。

 淵魔について話しているのではない。

 アイナ……もしくはレヴィン達について話していることだ。


「強制的に捕らえるのも、一つの手だが……」


「でも、ユーカードを敵に回すのも面白くないでしょ。いざとなれば、を考えたらそうも言えないけど……今すぐじゃなくても良い」


「では、泳がすか。実際に、アイナとやらが異世界人であると、まだ確定していない。何をするつもりかで、目的も見えるだろう」


 真の狙いはアイナ、それがハッキリした。

 何故という理由はある。

 人攫い、人身売買、そうした陳腐な動機であるとは思えない。


 だが、ともかく二人の狙いは分かった。

 分かったからには、即座に離脱した方が良さそうだった。

 レヴィンはロヴィーサへ顔を向け、店へ入れとジェスチャーする。

 音を立てないよう、細心の注意を払いながら足を戻し、店内へと逃げるように入って行った。



  ※※※



「……行ったわね」


「聞いてたか?」


「えぇ、しっかりと


 ルミとリンは互いに顔を見合わせながら、その目は確かに外へ向いていた。

 これまでの会話の何もかも、レヴィン達へわざと聞かせる茶番に過ぎない。

 付いてこなければ、また明日にでも接触するつもりだったし、そうでなくとも機会は幾らでもあった。


 張った網にわざわざ掛かりに来てくれたから、あぁした会話を敢えて聞かせた、という訳だった。


「領内に引き籠もってる連中が、どうして外に出てきたか、これでハッキリするでしょう。行き先の候補は多くない。その目的もね」


「淵魔はどうする」


「そこが問題よね」


 ルミは頭が痛い、と溜め息をつきながら額に手を当てる。


「見つけて、こっちで処理したいけど……」


「報告は? こんなことで、その御心を乱す真似はしたくないが……」


「それこそ、よねぇ……。漏れた淵魔はあれ一体、そうであることを祈るわ。こっちで処理するしかないでしょう」


「彼らを狙っていただろう。彼らを張っていれば良いのではないか?」


「……そうね。幸い、報奨金の受け取りがあるから、まだ町に滞在してるでしょ。その狙いも含め、調査は続行。報告にあった中では、アイナが一番怪しいわ。――異世界人は放置できない。何しでかすか、分かったものじゃないもの」


 ルミは溜息を一つ零し、顔を顰めて店内に今もいるだろう、アイナを思う。


「あの子も利用されているだけだけどね……」


「駒として便利に使われている。そうと知らずに、か……」


「その駒がフェイクの場合もあるから、油断ならないのよね。用意された駒全て、意味があるとは限らない」


「いずれにしろ、見極めて……排除する。それが最も、御心に叶う」


 互いに頷き合い、身体を翻す。

 二人は足音を暗闇に響かせながら、路地の奥へと消えて行った。

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