良縁か悪縁か その7

 傍らに立つルミはどこまでも楽しげで、淵魔と対峙しているのを忘れさせる程、気楽なものだった。

 レヴィンは呆然とそれを見つめ、次いでリンへと視線を移す。


 他者と比べられない、隔絶した武威を示した彼女……。

 頼もしいと思うのと同時に恐怖に近い感情が湧く。

 そして何より、一体何者なのか、という疑問が湧き起こった。


「とりあえずね、任せてくれて良いわよ。……にしても、こんな所に淵魔がねぇ? 何でまた……」


 それはレヴィンも考えていたことだ。

 現実的に考えれば、東か西の防備を突破してきた一体、と考えるしかない。

 だが、その一体すら突破させないよう、慎重に、幾重にも対策を講じてあるのが辺境の防備というものだった。


 本当に淵魔が突破されたなら、それは一体だけでは済まされない。

 完全に防衛側が敗北したことを意味する。

 そして、仮にそうであるなら、もっと多くの淵魔が襲撃して来てもおかしくないのだ。


「……助力、有り難く……! 街からも大きく引き剥がせなかったので、不甲斐ない結果を残すだけと思ってました」


「自分の命より、他人の命? そういうトコロ、やっぱりユーカードって感じよね。今の代までそれが続いているのも、やっぱり血筋かなって思うし」


「やはり、父をご存知なのですか……? あるいは、祖父と何か……?」


 ルミはこれに曖昧な頷きを見せたものの、明確な返答はしなかった。


「……ま、そんなトコロよ。ユーカード家の行き過ぎた献身と、神への信仰は良く知られていることだから。……アタシ達の間じゃね」


「献身については、時々揶揄されたりもします。でも、信仰は一般的だと思ってましたが……」


「あぁ、領内ではそれが普通なのかも。けど、これも別に悪い意味で言ってるんじゃないから」


 それはそうだろう、とレヴィンは頷く。

 神の――それも大神への信仰を、強く持つことは美徳とされる。

 実際に、これは領内に限った話でなく、一般的な常識だ。

 しかし、ルミの言い方は、それともまた違うニュアンスを含んでいた。


「何にしても、今は淵魔の方よね。アレぐらいなら、アイツ一人で問題ないと思うけど……」


「あの時会った時も、強そうだ、とは思っていました。しかし、まさかあれ程とは……」


 レヴィン達も決して弱者ではない。

 多くの淵魔を討滅して来たし、喰らった分だけ強くなった淵魔を、仲間たちと挑み勝利したことは数知れなかった。


 領主として、次期ユーカード家当主として、恥ずかしくないだけの実力を身に着けたと自負していた。

 まだ若く、成長の期待も持て、歴代最高の名を与えられたのは、決して身内贔屓からではない。


 ――だが、リンの武威は圧倒的だった。

 今もたった一人で対峙しているが、出会い頭の一撃で身体を両断したのが利いてるらしい。

 淵魔は距離を詰めず、どう攻め込むか迷っているように見えた。


 土へと消えた上半身部分も既に再生されており、その分だけ体積は小さくなっている。

 つまり、それだけ弱体化していることの証明でもあり、攻撃の躊躇は当然といえた。

 しかし、そこからが意外だった。


 淵魔はその場で身を翻し、背を向けて全速力で駈けて行く。

 その余りに意外な行動を、レヴィンは呆気に取られて見送ってしまった。


 何故なら、淵魔に心などない。

 動物ならどれもが持っている生存本能を持たないし、自己保存も考えない。

 命惜しさの逃亡など、まずあり得ない行動だった。


 大きく攻撃を振りかぶる為、一歩身を引くなどはあっても、基本的に喰らいつこうと前進しかしない。

 本能というなら、それのみが本能だ。


 だが、レヴィンは一つの可能性を思い立つ。

 淵魔が急に方向転換するのは、弱い生命を見つけた時だ。


 特に身体を削られ生命力を失っている場合、それを補おうと行動する。

 目の前の相手を攻撃していると思いきや、唐突に首を横に伸ばす淵魔の姿は、これまで幾度も見て来た。


 それだったのだ、と思ったが――。

 周囲は開けた草原で、見渡す限り何者も存在しない。

 捕食しようと動いたのなら、最低でも目に見える範囲で、その姿を捉えていなければならなかった。


「馬鹿な……! まさか、逃げた……!?」


「あら……」


 ルミからも呆れた声が漏れる。

 リンもまた同様に、目の前で起きたことに理解が追い付いていなかった。

 淵魔という存在を熟知していればいる程、あの行動が理解できず固まるのは仕方がない。

 しかし――。


「逃がす訳には……! ヤツはまた、余所で何かを喰らう!」


 レヴィンは地面に突き立てていたカタナを抜き、覚束ない足取りで走り出す。

 だが、それに待ったを掛けたのはルミだった。

 行く手を封じるように手を伸ばし、リンに向かって檄を飛ばす。


「何やってんの! 早く追って!」


 その声が引き金となって、リンも弾かれるように動き出した。

 しかし、淵魔の下半身は馬のものだ。

 それも単なる馬ではなく、淵魔によって再構成された馬身だ。

 その脚力も並外れている上、それだけでなく、体力もまた底なしと来ている。


 リンも凄まじい勢いで追って、あっという間に見えなくなったが、その速度は互いに差がないように見えた。

 リンも十分、常軌を逸した走りを見せたが、それでも追いつけるかどうか疑問なところだ。


 だが、託す他ないと、レヴィンもまた理解している。

 疲れ切り、体力も覚束ないレヴィン達では、どうあっても、あの淵魔に追い付けない。


「……任せるしかないわね。追い付けたなら、その時は絶対、仕留めてくれるわよ」


「それは、えぇ……。実力を疑う訳ではありませんが……」


「アンタは自分の心配してなさい……って、歩きさえすれば平気なんだっけ」


 ルミは面白おかしそうに笑みを向けた。

 しかし、レヴィンはまたしても不思議に思う。

 レヴィン――というより、ユーカード家が持つ刻印は、特別秘匿されていない。

 確かに、今レヴィンが所持している刻印、その一つは回復効果を持つものだ。


 知ろうと思えば、幾らでも知れる情報ではある。

 しかし、彼女の口振りは知り得たというより、知ってて当然と口にしたように思えた。

 親密さ……とでも言うべきものが、彼女の言葉、その端々から滲んでいる。

 レヴィンには、それがどうしても不思議でならなかった。



 ※※※



 街を突如襲撃した謎の魔物は、レヴィン達の尽力で撃退された。

 形の上では、そういう事になった。

 その正体が淵魔であるとは伏せられ、その上で功労者たるレヴィン達を、冒険者が中心になって騒ぎ立てている。


 現在はいつもの飯屋に集まって、酒盛りを始めていた。

 市場は多くの屋台が損壊し、それに伴い、駄目になってしまった商品もまた多い。


 そちらの修復の手伝いもまた、冒険者の出番ではある。

 だが、それはそれとして、その身を盾にして危機を退けた功労者は労われるべき、という声は抑え込めなかった。


 特に『銀朱の炎』からのアピールは強く、声高な主張は誰もが賛同した。

 こうした戦功ある者は称えられるべきだし、また享受されるべき、とした考えは冒険者にとって強いものだ。


 敵と相対し、その強さを目の当たりにしていた者からすれば、その偉大さもよく理解できる。

 『銀朱の炎』が声高になるのも、ある意味で当然だった。


「奴ぁ、とにかく特殊でよ! 痛みってのを知らねぇみたいだった! 全く怯みもしねぇ! 炎だろうが、氷だろうが……手持ちの魔術じゃ、何一つ苦ともしやがらなかったのさ!」


「お前ら総掛かりでもか!」


「そぉとも! なら、剣が効くか? ――そうじゃない。斬り落としても直ぐまた生えてくる! 手の打ちようがないってのを、初めて実感したぜ!」


 テーブルに片足を乗り上げて、酒杯片手に意気揚々と語るのはギキールだ。

 面白可笑しく当時のことを飾り立て、語るサマはとても形になっている。


 こうした催しは初めてではなく、またこうした語りは得意なのだろう。

 観衆もまた心得たもので、上手く合いの手を入れて話を盛り上げていた。


「それでどうしたぁ!?」


「おぉよ、そこからよ! そこに現れたのが、レヴィン達よ! 奴らァ一歩も引かなかった! だが敵は強大だ、とても敵わねぇ! 勝てる見込みってのが持てなかった!」


 おぉぉ、と観衆は悲嘆に暮れた声を上げた。

 そこへすかさず、ギキールが声を差し込む。


「ならば已む無し! 俺達が街ン中でやられたらどうなる!? 次はどいつが、奴にやられる? そんなの分からねぇ! だが、被害甚大ってのは火を見るより明らかだった!」


「それで外か!」


「そうともよ! 上手く引き付けながら戦ってよ、こちとらも防戦一方よ。攻撃の隙を見つけて、嫌がらせするのが精々ってなもんだ!」


 ギキールはそこで一度声を止めると、喉を鳴らして杯を飲み干す。

 盛大に熱い息を吐き出して、据わった目付きで観衆を睥睨した。


「誰かが貧乏くじ引かなきゃいけねぇ状況だった! 敵は遠慮ってモンを知らねぇからな、謂わば死に役だ! それを誰が言うでもなく、名乗り上げたのがレヴィンだった!」


『オオォォッ!』


 ギキールが杯を掲げるようにレヴィンへ向けると、大きな歓声が部屋を満たした。

 手を叩く音や口笛を吹き鳴らす音まで飛んで、誰もがその勇気を称えている。


 レヴィンが気恥ずかしい顔をさせながら、持ってる杯を小さく掲げると、またも盛大な歓声と口笛が飛ぶ。

 それを抑えるようにギキールが手を振り上げると、観衆はざわめきを残しながら鎮静した。


「街から引き離す分だけ、安全が保障される! そして、その時間を使って、俺達は危険を報せ、防備を固める役を与えられた。そういう分担を、レヴィンの方から提案された! 俺ァ自分を恥じたぜ! それが必要とは分かる! 同時に……情ねぇ話だが、安心したのも事実だったのさ!」


「誰だって同じだ! そういうもんだろ!」


「そうかもしれねぇな! けどよ、俺ぁいつから安全を先に置くようになった? 名声を求めて冒険者になったんじゃなかったか? いざって時、命張るのが冒険者じゃなかったか!?」


 ギキールは慚愧ざんきに堪えない、と言わんばかりの表情で歯を食いしばった。

 それからキッと顔を上げ、観衆へと問い掛けるように言い放つ。


「命を張らなくて良いって分かった時、そう思っちまったのさ! デカい態度取ってよ、俺ぁ強いってアピールしてよ! 危ないと分かれば逃げ出す! これじゃあ口だけと言われても仕方ねぇ!」


「おいおい、どうした! らしくねぇぞ!」


「そう思える程に鮮烈だった! 命を捨て値で払えって意味じゃねぇ! 蔑ろにしろでもねぇ、粗末に扱えって意味でもねぇ! ここしかない、って場面で使ってこその命だろ!」


 観衆からは盛大な賛意と共に杯が掲げられる。

 酔った上で気が大きくなっているだけかもしれないが、誰の顔にも笑顔と気概に満ちていた。


「戦いに身を置くなら、常に考えておかなきゃならねぇ! 危険と隣合わせだからこそ、粗末にせず命を張れ! 俺ぁ、それをレヴィンから教えて貰った!」


「ォォォオオッ!」


「杯を掲げろ! レヴィンに礼言え! 乾杯だぁぁ!!」


『オオオオオッ!』


 そうして、建物全体が震える程の歓声が沸き起こった。

 誰も彼もが杯を掲げ、そしてレヴィン達へ敬意と謝意を顕にする。

 歓声と馬鹿騒ぎ、それが止めどなく溢れて、誰の顔にも笑顔が浮いていた。


 辺境領でも良く見た笑顔――。

 窮地から逃れたことで、たがが緩んで感情を爆発させる者の顔だった。

 レヴィンもまた、その笑顔を見て自らも笑む。相好を崩し、手に持った杯を勢いよく飲み干した。

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