良縁か悪縁か その6

 レヴィン達が避難誘導を終え市場へ戻った時、未だ奇跡的に、『銀朱』から欠員は出ていなかった。

 彼らも伊達に、ギルドで最上級のパーティと目されているわけではない。

 その実力は確かで、互いの長所短所を理解した立ち回り、巧みな連携で攻撃を上手く捌いている。


「大口を叩くだけの実力はあるようだな。しかし……」


 レヴィンは口の中で、余人に聞こえない声音で小さく呟く。

 不満があるとすれば、彼らの戦闘スタイル――もっと言えば、刻印の扱い方にあった。

 刻印は個人の長所を伸ばし、あるいは短所を補ってくれる。

 だから複数所持するものなのだが、数が多ければ弱体化を招くものだった。


 刻印は魔術を自動発動させることに意味がある。

 その制御を失敗なく肩代わりしてくれるので重宝するのだが、その為に割くのもまた己の魔力なのだ。


 刻印任せに多くの魔力を消費すると、今度は自己強化する魔力が減少する。

 削られた魔力量と比べてメリットがある魔術なら、刻印を持つ意味は大きい。

 しかし、戦闘における重要な要素として、己の肉体も決して無視できない。


 どれほど強力な武器を持とうとも、振り回す筋力がなければ無意味なのと同じだった。

 そして、魔力を多く残す利点は、敵の攻撃をどれほど受けられるか、という問題にも繋がる。

 魔力の余力が多ければ、それだけ魔力の防護膜が身体を守るものだ。

 致命傷を避けられる機会と、致命傷を軽傷で済ませられる原因にもなる。


 刻印の数だけ、多くの魔術をその身に宿せる恩恵は大きい。

 しかし、刻印ばかりの戦士は脆いものだった。

 豊富な手数と、それを組み合わせた連携で翻弄できていた現状でも、効果が薄いとなれば、今度は欠点ばかりが目立ちだす。

 そして、それが原因で、遂に『銀朱』は決壊しようとしていた。


「ちくしょうッ! なんで通じねぇ!?」


「淵魔に小手先の技術なんて通じないからだ!」


「退け! 邪魔だ、こちらで引き受ける!」


 レヴィンとヨエルが『銀朱』の前に立ち塞がり、薙ぎ飛ばされそうな瞬間を、既の所で防御する。

 見た所、彼らが刻んだ刻印の数は、最低でも五つといったところだ。

 後方支援の仲間は、更にその倍はある。


 淵魔にそれでは敵わない。

 平均で二個、最大でも三個までとするのが常識だ。

 下手に魔術を使うより、力押しの斬撃こそが有効。

 だからこそ、数を絞って討滅士は刻印を所持している。


「未だやられてないってだけで奇跡だ! さっさと逃げろ! 弱い奴、弱った奴から狙われるんだよ! こいつは俺達が外へ誘引する!」


「弱い……弱いだぁ!? この『銀朱の炎』がよ! そんな小馬鹿にされて、はいそうですかといくもんかよ! この俺様が……俺様たちが!!」


 淵魔の特性を理解していない輩には、初見の強い魔物程度にしか思えないだろう。

 活路はある、戦う度に見えて来る、と思えるのは歴戦の冒険者だからこそだ。

 しかし、その歴戦の強者が、淵魔に取り込まれる悪夢を彼らは知らない。


 単に生命力が増幅するだけでなく、刻印まで使ってくる淵魔は悪夢だ。

 街の外へ連れ出すどころではなくなる。

 丁寧に説明すれば納得するだろうか――。


 レヴィンは脳裏で一瞬だけ検討し、どうせ無駄だと判断した。

 第一、淵魔の猛攻を防ぎながらでは、それも難しい。


「いいから、とにかく街中で暴れさせるのは拙い! 家畜を喰われるだけでも拙いんだ! 喰う物のない場所へ移す! そうじゃないと、安心して戦えない!」


「えぇい、クソっ! お前の言い分はともかく、確かに市場を全壊させる訳にもいかねぇか……!」


 淵魔は馬の下半身をもっている。

 その気になれば、幾らでも走り回って暴れ、見るも無惨な光景を作り出せるだろう。

 だから、他の何かに目を向けられず、程々の距離を維持しながら、攻撃を防いで外へ連れ出さなければならなかった。


「今だけは悪態も、減らず口も飲み込んでくれ! 冗談でもなく、この街崩壊の危機が、目の前にあるんだ!」


「……わぁったよ! 俺だってこの街の一員だ。壊滅なんてさせたくねぇ! 誘導すりゃいいんだな!?」


「本当なら、お前らも遠くへ逃げて欲しいんだが……」


「出来るか、そんなこと!」


 彼にも冒険者としての矜持がある。

 危機を目の前にして、だから逃げます、と言えない気持ちも良く分かった。

 これ以上の説得は無理だ、とレヴィンはヨエルとアイコンタクトを取って、彼らを背後に庇いながらジリジリと下がる。


 淵魔も黙って見ている訳もなく、その前足や腕を振るい、幾度も攻撃を仕掛けて来た。

 それをレヴィンの刻印で防ぎ、ヨエルが攻撃して意識を逸らさせ、時に腕部や脚先を斬り落として反撃する。


 後方からは『銀朱』の魔術による援護射撃があり、あわやという場面で上手く体勢を崩させた場面もあった。

 しかし、傷にはなっていない。

 あるいは僅かな傷しか付けられず、その傷も一瞬で塞がってしまう。


 そうして、城門まで辿り着いた時には、既に全員が疲労困憊の状態だった。

 唯一の救いは、城門方面へ連れ出すと悟った住民が率先して逃げ出し、全て非難済みだと分かったことぐらいだ。

 本来は引っ切り無しに人の往来のある入口は、今では衛兵の姿すら見えず閑散としている。


「――ぐぁッ!」


 その時、淵魔の横振りの一撃を受け止め、レヴィンは大きく吹き飛ぶ。

 刻印には決まって使用回数があり、再び刻印に魔力が溜まるまでは使えない。

 また十分な魔力がある時でなければ、補充されない仕組みだ。 

 刻んだ者の体調をおもんばかるもの、安全措置としての仕組みであることから、戦闘中の回復はまず絶望的だった。


 そうして、今――。

 誰もが既に使い切っているか、あるいは切れる直前で、その顔には苦渋が満ちていた。

 だが、当初の目的は、とりあえず果たした。

 『銀朱』のリーダーも額に汗しながら、切羽詰まった声で荒らげる。


「外に出たな! それでどうする!? もっと離れた方がいいか!」


「あぁ、もっとだ。この街が見えなくなるまでは遠退きたい。それに……、出来るならナントカ樹林を越えて東の辺境領まで……」


「馬鹿言うな! たったこの距離動かすだけで、この有り様だぞ! とても保たねぇ!」


「最初から付き合えとは言ってないだろ。――逃げろ。俺達を盾にして、大きく回って街へ逃げ込め。その間にこっちも、更に距離を離しておく」


 互いに視線は合わせていない。

 何よりレヴィンは彼らの盾として前に立っている。余所見しながら戦える相手でない以上、そんな余裕は端からなかった。

 だが、呻くような声音から、彼がどういう表情しているかは分かる。


「何でだよ……。何でそこまでする? お前、ここの街とは縁もゆかりも無い奴だろ? どうして、そこまで身体張れんだよ!?」


「それは、俺が討滅士だからだ」


 レヴィンの後方で息が詰まる音がする。

 リーダーは強く口を引き絞って、それから謝罪の言葉を口にした。


「……すまねぇっ! 俺ぁ、とんでもない誤解を……! お前らみたいのがいるなんて、これっぽっちも……!」


「いいさ。これは俺の使命だから出来ることだ。誰にでもやれるとは言えない。こいつは街から可能な限り引き離す。――だが、倒しきれる自信もない」


「そう……かよっ!」


 ここまでの防戦を、目の前で一番に見て来たのは、この男だ。

 反撃するところも、良い一撃を加えたところも見ていた。

 それでも、この淵魔が未だ多く戦力を残しているのは理解できている。


「上手いことやるつもりだが、どうにもならなかったその時は……、再びそちらへ攻め込んで来るかもしれない」


「つまり、そいつぁ……」


「あぁ、より強力になって帰って来るだろう。その時の為に、防備を厚く、襲撃に備えろ。援軍を呼べ。少しでも長く、引き付けると約束するから」


「すまねぇ……! 本当にすまねぇ……ッ!」


 男は涙すら流して、謝罪に謝罪を重ねた。

 生きて帰るつもりはない、と理解できたからだ。

 その身を犠牲にしても勝てない、時間稼ぎしかできないと理解しつつ、レヴィンはそれを受け止め実行しようとしている。


 その紛うことなき献身は、男に同じことは出来ないと理解させてしまった。

 謝罪を幾度も繰り返しながら、淵魔とレヴィンを直線上に起きつつ後退していく。


「悪い、本当にすまねぇ! だが、街の方は上手くやる! 絶対に上手くやってみせる!」


「あぁ、頼むぞ……」


 離れていく『銀朱』を追おうとしてか、淵魔の頭部もそちらを睨み、前足を蹴り上げて進もうとする。


「させる、か――ッ!?」


 刻印なしに受け止めるには、その一撃は余りに重かった。

 身体が浮き上がり、レヴィンは大きく吹き飛ばされる。

 起き上がろうといた瞬間、アバラに鋭い衝撃を受け、それと同時に吐血した。

 折れた骨が肺に刺さったのかもしれない。


「――若っ!」


 ヨエルはレヴィンの護衛だ。

 しかし、同時に防御の妙というものは、レヴィンの方が数段上手だった。

 身を挺して護ることに抵抗はないが、そもそもの刻印も相まって、まず傷を受けない。


 攻撃の連携にしても、レヴィンが受けてヨエルが攻撃、という動きを確立させている為、初動が遅れた。

 助け起こすものの、レヴィンの顔には脂汗が浮いて青白い。


「大丈夫だ、この程度……っ。動いていれば、そのうち……グッ、良くなる……!」


「だが! いいからまずは、後ろに控えててくれ!」


 ヨエルが叫ぶようにして言って、大剣を構える。

 しかし、前提としてヨエルは防御が下手だった。

 性格的に攻撃が向いており、技術的にも向上しない。

 だからこそ、ヨエルの長所を活かす形で今の戦闘スタイルが出来上がったと言える。


 攻撃を上手くいなして衝撃を逃がす、そうした防御技術がそもそも疎かだった。

 淵魔の一撃を剣の腹で受け、踏ん張ることも出来ず、もんどり打って倒れる。

 すぐ横を吹き飛んで行ったヨエルを気にかけつつ、レヴィンはカタナを構えて前へ動いた。


 一歩動くだけでも激痛に違いない。

 しかし、レヴィンは淵魔を決して逃さない、その決意を前に立ち塞がる。

 攻撃を真横に躱し、次なる攻撃に晒され、それをからがら躱すのが精一杯だった。

 しかし、決して諦めはしなかった。


 荒い息が漏れ、脂汗が顎から落ちる。

 淵魔の攻撃は激しさを増すばかりで、息つく暇もない。

 だが、レヴィンが宣言した通り、動けば動くほど、その俊敏性を取り戻していた。


 躱すことに注力したレヴィンは、一つ動く毎、機敏になっていくかのようだ。

 脂汗は引き、顔には端正な願力が戻った。

 ――しかし。

 それでも、淵魔を倒せるかと言われたら、話は別だった。


 不屈の精神は、だからと敵わぬ淵魔すら倒せることを意味しない。

 吹き飛ばされたヨエルが復帰し、二人掛かりで抑えつつ、樹林へ誘導しようと懸命でも、二人の健闘はどこまでも不利だった。


 そして、遂に――。


「ぐぁッ?!」

「ご……ふっ!」


 防戦虚しく二人は弾き飛ばされ、地面を転がる。

 それでもレヴィンは、震える身体を片手でアバラを庇いながら、カタナを地面に突き刺して立ち上がろうとした。

 ヨエルもまた、大剣を杖代わりにして憤怒に似た表情で立ち上がろうとしている。


 既に体力も底を突き、戦う力が残されていないとしても、少しでも遠くに引き離す――。

 その思いを決して諦めようとしていない。

 眼光は鋭くなるばかりで、弱音めいた色一つ見えなかった。


 そこに、唐突な突風が吹き荒れ、レヴィン達の横顔を掠めていく。

 それが駆け寄り、駆け抜けて行った誰かだと理解したのは、淵魔が吹き飛ばされた後だった。


 凄まじい衝撃音が鳴り響き、それが打撃音だと理解したのは、その光景を脳が理解してからだ。

 金髪の流れと、横から掬い上げる腕の動き、振り抜かれたメイスが一筋の光として映る。

 吹き飛ばされた淵魔の身体は空中で二分され、落ちた上半身が土の上で溶けた。

 何が、と思う暇もなもなかった。


 ただ圧倒的な力で吹き飛ばされたのだ、とそれからゆるりと理解した。

 呆然としてその後ろ姿を眺めていると、横から軽やかな声が聞こえる。


「オトコ、見せるじゃないのよ。ちょっと感動しちゃったわ」

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