良縁か悪縁か その5

 文字通りの人馬一体である淵魔は、その身長も高い。

 不意打ちの時ならまだしも、身構えられてからの攻撃は、いかにも分が悪かった。

 また、実際の馬や人よりその身体は大きく、対峙すればその威圧感も相まって、何倍も巨大に感じる。


 だが、レヴィンも越えた修羅場は、十や二十で足りない。

 一切捕食していない淵魔を討滅する。それが前提であるものの、だがこうした手合とも戦闘経験はあった。


 ――だからこそ、二人だけでは勝てないと分かる。

 レヴィンは心中で歯噛みする思いを、必死に抑え込んで淵魔を睨んだ。


 そして、それはヨエルにしても同様で、二人が別方向から斬り込みつつ、倒し切る想像が出来ないでいる。

 もっと多くの味方がいれば、と思わずにはいられない。

 もしも、領兵と同じ気概と実力ある者が、あと五人いたのなら、この淵魔には勝てた。


 レヴィンとヨエルは、実力ある領兵から見ても頭一つ以上抜けた存在だが、何より領兵とは淵魔との戦闘方法を熟知している。

 引き際も良く弁えており、そして逃げ方も良く理解していた。


 言われずとも、その場で適した行動を取るし、明らかな悪手も打たない。

 勝てないと悟った冒険者が、粟を食って逃げ出す様な、無様な姿は見せないものだ。


 そして、今も傍で腰を抜かして動けないでいる衛兵の様に、逃げることすらままならない者など絶対にいない。

 これを捕食させずに倒し切るのは、相当な難治だった。


「――シィッ!」


 レヴィンは歯の間から鋭い呼気を放ちつつ、カタナを振るう。

 先祖代々、継承されて来た剣術と共に、その武器で多くの淵魔を滅してきた。

 だから、たとえ自分より強いと確信できる淵魔の腕を切断できたとしても、レヴィンにとっては驚きに値しない。

 それが出来る、と確信して振るえるからこそ、この武器を持つに相応しいと継承された。


 切断され、回転しながら落ちていく腕を視界の端で捉えつつ、レヴィンは思わず顔を顰める。

 見た目だけなら筋肉質にも見える腕が地面へ落ち、僅かに跳ねて転がると、次第に溶けて消えていった。


 淵魔の生命力とは、その切断の手応えからもある程度、察っせられる。

 何も捕食していない淵魔は、それこそ泥を切るような感触で、殆ど抵抗がない。

 反して、捕食した淵魔の場合、その数の分だけ強固になる。

 五つ以上の命を捕食した、と判断したのは、つまりそれが理由だった。


「警戒しろ! この分じゃ、まだ隠し種を持ってる!」


 取り込んだ命、その全てが表面上に表れるとは限らない。

 大抵は二つか三つの特徴が表に出て、残りは奥底に秘めている。

 こいつが同じものばかり捕食している――今回は人と馬だけ――なら、表に出ないのは当然だ。


 しかし、レヴィンの勘は違うと告げていた。

 ヨエルもそれに呼応して、大剣を振るう。


「オッラァァ!」


 重く長い武器は、その持ち回りだけでも苦戦するものだ。

 しかしヨエルは、それを小枝を振り回すかのような、軽快な剣捌きを見せる。


 縦へ横へと斬り刻み、淵魔の生命力を削っていく。

 それを可能とするのも、ヨエルが持つ刻印によるものだった。

 ――『激流ラピッドストーム


 物理的制約を払い、幾つもの剣撃を繰り出せる魔術だ。

 この刻印があれば、攻撃の隙を打ち消せられるし、驚くほど軽快に武器を扱える。

 巨大な剣や槍などと、相性の良い刻印と知られていた。


 そうして淵魔の身体から、幾つもの肉塊を削り落とすことに成功したが、レヴィンが与えた傷も同様に、内側から溢れた泥で埋まってしまう。

 切り落とした腕や、その傷が消える度に身体は縮小しているから、致命傷にならずとも傷を与えることに意味はある。

 ――しかし。


「退がれッ!」


 レヴィンが命じ、ヨエルが動くのと入れ替わりに前へ出る。

 淵魔もただ直立して待ってくれたりはしない。

 馬脚で大きく踏み切って、突進しようとしていた。


 ヨエルの乱撃を食らった後でも近付こうとするからには、接近攻撃に余程の自信があるらしい。

 しかし、防御能力に関して、レヴィンも相当な自信を持っていた。


 馬の俊足よりも、なお力強い瞬発力で接近する淵魔に、カタナを構えて待ち構える。

 その左手の甲からは、刻印の発動を報せる燐光が発していた。


 一瞬の速度で肉薄し、そのまま突進チャージアタックでもしようと思ったのか。

 その巨体での突進なら、普通の人間は何も出来ず吹き飛ばされることだろう。

 だが、生憎ここにいるのは普通の人間ではない。


 接触と同時、レヴィンの身体に薄い膜が表れ、硬質な音と共に突進を防いだ。

 まるでガラスの割れるような音が鳴り響き、それが幾重にも重なり鳴り続ける。

 淵魔の突進は、一歩踏み出す毎に硬質な音を立てるのに成功していたが、前に進むことはおろか、レヴィンに一筋の傷すら付けられていなかった。


 そうして動きが止まった所を、ヨエルがすかさず接近して、再び幾つもの連撃を浴びせた。


「ギッィィィィ!!」


 今度の傷は深く、また耳障りな声で悲鳴を上げた。

 前足を持ち上げ、体を逸らしてその身を捻る。

 そのまま踏み潰すように前足が振り降ろされ、しかしそれさえレヴィンの刻印によって弾かれた。

 ずらされ落ちた脚は、ただ地面にひび割れだけを作った。


 ヨエルの攻撃で、また一回り小さくなった淵魔だが、そうなると厄介なのが捕食行動だ。

 戦闘を中断してでも捕食に動く可能性があり、そしてそれは、未だ逃げていない彼らを対象とされる。


 腰が抜けて動けないのは見て分かる。

 しかし、這ってでも逃げる姿は見せて欲しかった。

 レヴィンが舌打ちして顔を顰めた瞬間、外から駆けつける足音と共に、大音量で男の声が響き渡る。


「待たせたな! 我ら『銀朱の炎』が、魔物退治に来たからには、もう安心だぜ!」


 ギルドのある街だ。

 勝てないと悟って逃げた者たちが、応援を呼んでくれることは期待していた。

 実力者が来てくれれば、討滅のチャンスも生まれて来る。

 しかし、思わぬ男達の登場に、レヴィンは更に顔を歪めることしか出来なかった。


「なんでぇ、お前かよ。邪魔だから、さっさと退がれ」


「こっちの台詞だ。お前らじゃ相手にならない。もっと強そうなやつ呼んでこい」


「あぁ……ッ!?」


「昨日の……ルミとかリンって人は? ギルド員なんだろ?」


「昨日? 昨日って何だ? 別にアイツらにゃ会ってねぇよ、俺は」


 妙な所で齟齬があり、話の内容が噛み合わない。

 ギキールの声音からも、嘘を言っているようには聞こえなかった。


 ともあれ、今は何より目の前の淵魔を倒す方が大事だ。

 ギキールに彼女らを頼る意思がないのは分かった。

 ならば、レヴィン達がするべきは、彼らを遠退くよう説得しつつ、淵魔を相手にすることだ。


「面倒事ばかりやってくる……、まったく!」


「あぁ? そりゃ何のことだ? それより、見たことねぇ魔物だな」


「あれは魔物じゃない、淵魔だ」


「ほっほー!」


 男は喜色に満ちた声を上げ、眉の上で手の平を平行にし、わざとらしく覗き見るような格好を取る。


「あれがそうかよ! 見た目だけは……まぁ、立派だなぁ、おい!」


「へへっ、まったくで!」


 男の仲間からも同様の声が上がり、明らかに見くびった空気が蔓延していた。

 緊張感がないのは、ある意味で当然だろう。

 彼らにとって、淵魔とは未知の存在であり、そして侮るべき相手と思っている。


 冒険者にとっても、初見の相手は油断せず、情報収集から始めるものと思っていたが、格下と油断している相手ではそうもならないらしい。


「まぁ、お前らは隅で大人しくしてろや! 動けねぇ奴らでも救助してろ!」


 止める間もなく、『銀朱の炎』が一丸となって突っ込んで行く。

 彼らの実力は頼りないが、言っていることは正しい。

 今の内に淵魔の餌となり得る者は逃がしてしまった方が良いだろう。


 レヴィンはヨエルへと目配せすると、動けない衛兵や冒険者たちを急いで担ぎ上げた。

 礼を受け取りながら戦闘区域から逃がし、それを遠くから様子を窺っていた冒険者たちに託す。


「いいか、こんな所にいないで、さっさと逃げろ。あいつは喰らう。何でも喰らう。生き物なら何でもだ」


「う、お……おう」


「だから、逃げてない奴らいるなら、教えて逃がせ。できれば、鶏や馬なんかも連れて逃がして欲しいが……」


 高望みと分かっていても、レヴィンは口にせずいられなかった。

 家の庭で鶏を飼っている家は珍しくなく、その全てを回収するのは現実的に不可能だ。

 それでも、せめてと思って退避し損ねた者たちを頼みながら、もう一つ頼み事を口にした。


「ギルドに行って、腕の立つのをダース単位で寄越してくれ」


「あれでも足りないか? あいつら、『銀朱』だろ?」


「全く足りない。餌を放り投げたようなものだ。あいつらより強い奴が、もっと必要なんだよ」


「……っても、あいつらがウチのギルドで一番強い……」


「嘘だろ……」


 レヴィンは暗澹たる気持ちを、嘆くままに吐露した。

 彼らの実力の程は、レヴィンもまたよく理解していて、刻印を使ったとしても覆せない差があると見ている。


 刻印は使用する相手次第で、その実力差を覆し得るポテンシャルを持つが、それも覆せる実力あってこそだ。

 彼らの実力では、何を用いたところで無理と察していた。


 時間稼ぎまでが限界で、更に言うなら一撃浴びせるだけで限界だろう。

 悪態つきたくなる気持ちを抑えながら、レヴィンは肩を揺さぶりながら頼む。


「あいつらがいたろう。『麗しの』とかいう、ルミとリンが」


「うるわし……? ルミ……あぁ、『穀潰しの』か。あいつら連れて来たって仕方ないだろ。大体、定宿なんて持ってねぇ奴らだ。いつも気付けば街にいないし、そして気付けば戻って来てる。呼べと言われてもな……」


「くそっ……!」


 握っていた肩を放り出して、レヴィンはヨエルに目配せする。

 最早、頼りになる援軍はなく、そして荷物を抱えての孤軍奮闘が決定した。


「淵魔は必ず、この場で討滅しなければならない」


「鉄則だな。あれが仮に、この街全ての住人を呑み込んだと考えてみろ。背筋が凍るだけじゃ済まねぇぞ。……冗談でもなく、世界の終わりだ」


 淵魔は喰らった分だけ力を増し、そして際限なく力を増すという。

 街の住人、家畜その他を喰らってしまえば、止める手段はきっとない。

 一度、その生命力が臨界点を超えると、それを削るよりも多くの命が捕食されていくことになるだろう。


「『銀朱』の奴らにも下がらせよう。東か南か……、近い方に救援を呼ぶ方が、まだ勝率はある」


「俺達が囮になって、街の外へ連れ出せるか試してみるのは?」


「それもあり……いや、それしかないか」


 街の住人を喰われるよりマシと思うべきだ。

 そして、来た道を戻りながら引き続けられれば、東から来る領兵の援護を受けられるかもしれない。

 だがそもそも、淵魔を引き付けて逃げつつ、いつ来るともしれない援軍を待てるか、という問題もあった。


 だが、最早それしかないのだと、レヴィンは既に覚悟を決めていた。

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