良縁か悪縁か その4
明くる日、レヴィンはヨエルと二人で街中をブラついていた。
元より、少し身体を休めようと話していた事だし、報酬の受取りには後一日時間がある。
だから渡りに船だったとも言えるのだが、物珍しいのは最初だけで、見るべき物もなくなると早々に飽きてしまった。
何しろここは、街から街へ繋ぐ中継点として発展し、また宿場町としても栄えてきた経緯がある。
拠点として腰を据え、移動する冒険者や商人にとっては、それなりに旨みのある立地なのだろう。
だから商人の姿も多く見えるし、交易も盛んに行われているようだった。
食料品を買い付けるのに不便がないのは結構な話でも、まだ旅を始めたばかり、不足や破損した必需品もない。
見たことのない果実など、食べ歩きの楽しみはあるものの、幾らか食べれば腹も膨れる。
満たされてしまうと、いよいよ見る物にも興味を失い、早々に参ってしまった。
しかし、女性二人はただ見て、ただ冷やかすだけで十分楽しいらしい。
旅疲れなど感じさせない足取りで進むものだから、レヴィンたち二人は逃げるように別行動を取ったという訳だった。
「今頃、どうせ買わないモン見て楽しんでるのかね……」
「賞金も入るアテがあるから、欲しい物があるなら別に買ってもいいけど……」
「魔術秘具とか、意味あるものならな。もしくは、ちょっとした小物とかでも好きにすりゃいいさ。……でも、あれってそういうんじゃないだろ」
買いたいから選ぶのではなく、選ぶ行程を楽しむ為に見ている。
それが男二人には理解できず、不毛に思えるのみならず、意見を求められても困ってしまう。
だから逃げ出す様に別れた。
「休養目的なんだし、あれで休養できてるなら、文句言わないけど……」
今も何処かにいる、ロヴィーサ達を思って顔を巡らせた時だった。
激しい振動、重い衝撃音と共に、遠方で土煙が上がる。
多くの悲鳴と混乱した様子が、レヴィン達の目からも見えた。
「――何があった!?」
「市場の方だ。今もあの二人がいるかもしれない……!」
何があったにしろ、ロヴィーサ一人なら上手く逃げ切るだろう。
しかし、アイナも一緒となれば、そうもいかない可能性がある。
遠くへ逃げるにしても、あるいは騒動へ対処するにしても、まずは合流が先だった。
「襲撃? まさか昨日の腹いせってことはない……、よな?」
「にしては、規模が大き過ぎるぜ、若。それに、喧嘩売りたいならこっちに来るだろ、普通。女相手に粋がるような小物じゃねぇと思うんだがな……!」
言い合いながらも、二人は市場に向けて走り出す。
常在戦場の心得を植え付けられているので、休養日だとしても武器は手放していない。
しかし、防具は外して軽装なので、本気の戦闘をするなら少々心許ない装備だった。
「まずは、何が起きているのか確認するのが先だ。ロヴィーサの抵抗で、穏当に行くのが無理と悟って馬鹿やったのか。それとも魔物の襲撃か……」
「魔物の? あの壁、見ただろ。そう易々と入り込めるとは思えねぇが……」
「冒険者の多い街だ。もしかしたら、この程度の騒動、日常茶飯事かもしれない。……甘い想定か?」
あり得ない話ではないし、暴力沙汰自体は決して珍しくないだろう。
しかし、住民が逃げ惑う規模ともなると、やはり疑問の方が先に出てくる。
今もパニックになりながら逃げてくる住民と、逆行して走っているとなれば尚更だった。
「混乱が予想以上だ。本当に魔物が入り込んだかもしれない!」
「だとしたら、そりゃギルドの管轄だろうな。下手に手ェ出すと、また横紙破りだとか何とか煩く言ってくるんじゃねぇか?」
昨日の様子を振り返ってみれば、その可能性は非常に高かった。
あるいは最初から全て仕込み、という想定が当たっていたなら、そうはならないかもしれない。
どちらにしても、ギルドが規則を多く定めているなら、こうした事態への対処も、優先的に冒険者が行うものだろう。
「まずは、行ってみてから考える! もっと言えば、ロヴィーサ達の状況次第だ!」
「――だな。相手次第じゃ冒険者サマに任せて、宿にでも引き込もろうぜ」
レヴィンもこれには同意して、未だに騒ぎが治まらない市場へと急ぐ。
既に商品を捨て置いて、多くが投げ出された市場には、代わりに冒険者と衛兵とで溢れていた。
それらが団結して事に当たっていて、述べ三十名を超える大所帯で対抗している。
人数がいても、連携は取れていない。
そもそも役割が違いすぎて、その対応に難が出ているのだ。
しかし、それよりも問題なのは、相手にしている敵だった。
魔物ではない、と一目でレヴィンは理解した。
それと同時に、理解を理性が拒んでいる。
人と馬が合わさり、黒い泥で覆われた不気味な姿は、レヴィン達が淵魔と呼んでいる存在に違いなかった。
「――馬鹿な!? どうしてこんな所にいる!?」
「東から漏れた……? 防衛線が突破されたってのか!?」
「アイナを追って……? ここまで離れても捕捉されていた……? もしくは――」
「あぁ、南からって考えも出来る。でも、あっちだって別に、ヤワな防衛線張ってねぇだろ……!」
では、一体どこから湧き出たものか。
疑念は尽きないが、それは今、問題でなかった。
見ていると、冒険者が淵魔へ果敢に立ち向かうも、なす術なく吹き飛ばされている。
奮戦する彼らも決して弱くないのだろうが、全く相手になっていない。
そして、その中にはアイナを庇って退がらせようとする、ロヴィーサの姿もあった。
「まずは、無事だった二人を喜ぼう。だが……」
「あぁ、ヤツぁ既に最低二つは
出現したばかりの淵魔は、他の生物と類似した点を持つだけの、形容し難い形状をしている。
それは多くの場合、四足歩行の獣めいた姿だが、常に一定でもなかった。
人間の手足を短くして、無理やり四足にしている姿の時もあり、かと思えば魚類に手足を生えさせた場合もある。
その姿形に統一性がない代わり、喰らった獲物の形を模倣する。
だから、人と馬の姿を併せ持つからには、最低でも二つの命を喰らったことを意味した。
そして、淵魔はたった一つ喰らっただけで、大きく力を増すのだ。
「ロヴィーサ! こちらで受け持つ! 後ろに退がれ!」
「若様! お二人だけでは無理です! 私も一緒に……!」
「狙いは明らかだろうが! アイナを護れ!」
ヨエルから鋭く激が飛ぶと、ロヴィーサは悔しげな顔をさせながら頷く。
それは謝罪のようでも、不甲斐なさを恥じるようでもある。人と建物を盾にして、二人は宿方面へと走り去って行った。
「さて、二人じゃ無理と言われたが、こっちには冒険者だって……」
言っている間にも、その手で振り払われ、馬脚の後ろ蹴りで吹き飛び、衛兵諸共あっさりとやられていく。
それで命を落とす程ひ弱ではないが、相手になっていないという意味では全く同じだった。
そして、淵魔の最も嫌な所は、あぁした相手にもならない者こそ喰らって、更に力を高める所だ。
弱者は戦場に立つことすら許されない。
それが辺境領で課せられる常識だった。
淵魔は衛兵の一人に顔を向けると、顔のない頭部を大きく開いて捕食しようとする。
「――ヨエル、やれッ!」
淵魔までの距離は、まだ遠い。
一足飛びに一太刀加えるには難しい距離だった。
だが、ヨエルにも刻印があり、それは遠距離攻撃も得意としたものだ。
「ウォォオオオオオッ!」
ヨエルが左手の刻印を輝かせながら、怒号を放つ。
彼の声は明らかな指向性を持って淵魔へと直撃し、その場に留まり淵魔の動きを妨害した。
ヨエルが使った刻印は『
声を増幅し、またその声を自在に操る魔術でもある。
音速で目標に直撃させられるのも利点の一つで、この声は拡散させること無く目標へ届けられた。
時に伝達などにも用いられ、東端の異常を逸早く知れたのも、この刻印に寄るものだ。
いま上げた声は淵魔の耳朶を大音響で揺さぶっているはずで、本来なら通り過ぎる音が、そのまま滞留し音の波で攻撃している。
その音量は、人間に使えばごく簡単に鼓膜を破れるほどだ。
今も音に苦しんでいる淵魔だが、それを見ている冒険者などは、何をされているか意味不明だろう。
一切、外へ拡散させない音は、それだけで暴力なのだ。
ただ、欠点を挙げるとすれば、その継続時間の短さだった。
今まで苦しみ藻掻いていた淵魔も、既に体勢を取り戻そうとしている。
しかし、その短い時間がレヴィン達を淵魔の傍まで連れて来てくれた。
「――ハァアッ!」
レヴィンが駆け抜け、カタナを振り切った時には、淵魔の首が断ち切られていた。
人間ならば致命傷だが、淵魔は人間や――そもそもの生物とは根本からして違う。
血や肉を持つ存在ではないので、致命傷に見える一撃だろうと、それだけで死んではくれなかった。
「不意打ちが成功したのは儲けものだった。でも、……これは、駄目だ」
「まぁ、だろうなとは思った」
一つ二つの命を喰らっただけなら、レヴィン達だけでも対処できる自信があった。
しかし、淵魔は喰らった命の数だけ強化される。
急所というものが存在しないし、心臓の様に重要な臓器を持たないので、その生命が尽きるまで攻撃し続けなければならない。
一つか二つの命を取り込んでいた状態なら、今の一撃で殆ど片が付いていた。
しかし、レヴィンはその手応えから、目で見える特徴以上に命を喰らっていると気付いてしまった。
「死力を尽くして、それで五分。ここから何か喰われた時点で負け確定だ……」
「そこらにゴマンとあるぜ、その喰らえる者共がよ……!」
果たしてどこまで食らいつけるか、それが勝負の分かれ目だった。
そして、どうあっても、ここで淵魔は倒さなければならない。
傷を受けた淵魔は、その命を補おうと乱食する習性がある。
より強い生命になろうという本能があるので、それを脅かす刺激を与えた結果、そうした行動を取るのだと見られていた。
「勝てないと悟った奴から、さっさと逃げろ! アイツは弱いと見定めた奴から優先して喰らう! それぞれフォローして、安全に逃がせ!」
淵魔は既にレヴィン達を見ていない。
斬られた頭は地中へ溶けるように消えていったが、代わりの頭部が既に生えていた。
薙ぎ倒し、今は不格好ながら武器を構える冒険者たちへ、その顔を向けてる。
そこへ再びレヴィンが斬り掛かり、その傷を更に抉る大上段の一撃を、ヨエルが繰り出した。
「ギィィィィィ!!」
鏡に爪を突き立てたような、耳障りな悲鳴だった。
一人の冒険者に向けていた顔は、それでレヴィン達に向く。
引き裂かれた傷は、振り向く動作と共に泥で埋まってすぐに消えた。
淵魔が本格的にレヴィン達を敵と見定め、標的を新たにする。
レヴィンの額から汗が流れ、鋭い呼気と共に駆け出した。
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