迷宮探索の苦難 その5
レヴィン達は周期の始まりと共に準備を始め、『速達組』が帰還した報を聞くや否や、ギルドへ出発した。
ユミルが持たせてくれ軍資金は、白金貨百枚という破格の数字で、金貨の十倍価値のあるものだ。
彼女が言った通り、これがあれば半年と言わず一年の間、転送に掛かる費用も困らない。
勿論、その軍資金は食糧を含めた全ての資金でもあるので、転送費のみを考えて与えられたものではないものの、そうだとしても破格の援助に違いなかった。
「まぁ、それだけ迷宮攻略に集中しろ、って意味だと思うが……」
「それこそ、私達に課せられた試練……ですものね?」
ロヴィーサの独白にも近い質問に、レヴィンは律儀に頷く。
「それも、生半可な試練じゃないんだろうな……。ある程度、好きな魔物を作れるんだか、配置できたりするんだろう? 確実に安全と言えるのは、階層主を突破した時の部屋だけかもしれない」
「それ以外は全て、魔物を意識した野営か……」
ヨエルは渋面を浮かべて息を吐く。
「これまではよ、正直……魔物の強さが大した事ねぇってんで、その辺は楽できてた。警戒に値しない敵ってのが、大半だったからな」
「でも、これからは違うんですね……? それをひと月以上も警戒続きで、生き延びなきゃいけないと……」
アイナの顔にも暗いものが浮かぶ。
実際、前回の挑戦で迷宮生活を無事に終えられたのは、襲撃に怯える必要が、それ程なかった点も大きかった。
最初の三日程度はともかく、それ以降は脅威と見做す必要なし、と最低限の見張りだけ置いて就寝したのだ。
今期からはそうした慢心は捨て、見張りの数を増やす必要があるかもしれない。
全体的な睡眠時間が減ることにもなり、パフォーマンスの低下は免れないだろう。
極限状態が続けば、レヴィン達の疲弊は積み重なり、最終階層への到達はより厳しい事にもなるかもしれない。
そこの所を考えると、三十八日前後で強制送還されるのは、ある意味よい塩梅と言えた。
その後のメンテ期間と『速達組』の攻略次第で、約七日も休める。
疲れを取るには十分な時間で、そして長過ぎない時間が身体を衰えさせもしない。
偶然でしかないにせよ、短時間で徹底的に鍛えるメニューとして、よく調整されていた。
「ただ走らされているだけでも、随分厳しいと思ってたものだが……。これからは実践編だな。休む暇もない、なんて泣き言は許されない」
「ゾッとするぜ……。ただ進むだけでも神経すり減らすのに、魔物についても警戒せにゃならんのか……」
「半年後には、アルケスを含む淵魔との全面戦争ですよ。それを乗り越えるには、私達の力では不足だと思われているのでしょう。そして、鍛えるのなら、今しか時間がないのも事実ですから」
ロヴィーサの推測は間違いなかった。
わざわざ準備したのなら、するだけの意味がある、という意味でもある。
神使の三人と並び立てとまで言わなくとも、それに準じる強さは必要だと思われているだろう。
そして、今のレヴィン達に、その準じた強さがないのは明白だった。
「何が出て来るか、薄ら寒いと感じはするが……。今までだって、理不尽に思うことはあっても、そこには全て俺達を後押しする意図があった。今回も、その内の一つと思っておこう」
「そりゃあ間違いないって思うがよ、若……。しかし、あのユミル様が手掛けた迷宮だぜ? 薄ら寒いだけで済むもんかね? どうせロクでもない罠、仕掛けてるに違いないぜ」
「……たとえば?」
「あー……」
ヨエルは今日も青い空を見上げ、ぽかりと浮かぶ雲の一つを眺めながら、考える素振りを見せる。
しかし、その思考時間もごく僅かで、すぐに白旗を上げた。
「少なくとも、俺が考え付く低度のもんじゃねぇのは確かだろうよ。そして、考え付いたとしても、その裏を搔いて来るに違いねぇんだ」
「……それもそうかもな。俺達の浅知恵程度は、ポンと飛び越えて来るだろう」
レヴィンの返答に、ヨエルはいっそ、やけくそ気味の笑みを浮かべた。
そして、アイナも含め、誰の表情にも似たような笑みが浮かんでいる。
一癖も二癖もあるユミルだから、全員の知恵を絞った程度で、どうにかなる相手ではないのだ。
「それより私は、他の方々も協力した、という点が気になるんです。ユミル様とは違いますけど、他の方々もやっぱり一筋縄ではいかないですよね?」
アイナが、今ではすっかり癖となった、両頬を擦る仕草を見せつつ不安な声を漏らした。
ロヴィーサがそれを羨ましそうに見つめながら、やはり同意して首肯する。
「それは間違いないでしょう。ユミル様とは違ったクセの強さを持つ方々ですから……」
「いずれにしても、まず実際の内容を見てみなければ、何とも言えないな」
レヴィン達はギルドに到着すると、規定通りの届け出を出して迷宮へと赴く。
入口では常と違い、困惑した雰囲気が流れており、そして困惑の原因が、広場中央に置かれた立て札だと知れた。
「何だ……?」
近付いて見たくとも、周囲に
肩車でもして誰かに見てもらおうか、と思っていた所で、横合いからホラーツがやって来た。
「あ、兄さんがた。遅いお着きスね!」
「まぁ、焦って炭鉱に行く必要もなくなったからな。今日からまた、深層に挑戦だ」
「あら、そうなんスね。良かったじゃないスか。なぁ、ボッテン?」
「……ブヒ」
いつもながらの無表情で返事する豚獣族を横目で見ながら、レヴィンは立て札の方を指差す。
「あれ、何て書いてるか知ってるか? というか、誰が置いたもんだ?」
「あぁ、迷宮の変化に対する注意文……、警告文? ……とか言えば良いんスかね? それが置いてるんス。……でも普通、こういうのってギルドを通して行われるんスよ。そうじゃないって事は、すんごい急な変更があったか、それとも悪戯か……。どっちかだろうって言ってるスよ」
「因みに、内容は?」
「ルールの変更らしいスよ。下層においてのみ変更で、腕に覚えがない者は引き返せって、ことみたいス。腕に覚えがあっても様子見で、『脱出』必須だとか……」
直前にユミルから言われた内容を思い返せば、その真偽は明らかだ。
正規のルートを通しても良かったのだろうが、他の探索者によりインパクトを残す為、敢えてそうしたのだ。
「その警告文は偽物じゃない。お前に親しい友人がいたら、警告を無視するな、と言ってやってくれ」
「そうは言っても、兄さん……。腕に覚えがある奴にとっては、五十から六十階層はありがたい場所なんスよ。質の良い魔獣の牙やら爪やら皮革やら、武器防具を作る材料として重宝されるんスから。行くなと言う方が無茶だ」
「だったら、死ぬ危険を考えて潜れと忠告してやれ。いつでも逃げ出す準備だけは怠るな、って……」
「兄さん、何か知ってんスか……?」
ホラーツの声が訝しげに低くなる。
レヴィンは首を横に振り、明確に否定した。
実際、レヴィンは何も知らない。
ただ、レヴィン達でも苦戦するであろう敵が、用意されてると知っているだけだ。
そして、多くの探索者はレヴィン達より大幅に実力が低いと知っているので、苦戦は免れないと分かるだけだった。
これまでは狩る側だったとして、これからはそうもいかない。
逃げ惑う市民と変わらぬ扱いになるだろう。
その予想はレヴィンにも自信があった。
「ともかく、普段はない警告があるなら、十分気を付け――」
強く注意を呼びかけようとした、その時だった。
誰かが『脱出』して来たらしく、広場の一角に転移してくる。
そうして姿を見せたパーティは、既に満身創痍の有り様だった。
「おい、ありゃあ……小一時間程前に行ったばかりの奴らじゃねぇスか。ひどい傷だらけだ……」
ホラーツはあくまで、小さな独白を零したに過ぎなかった。
しかし、その言葉に反応する様な台詞が、そのパーティリーダーから放たれた。
「とんでもねぇぞ……!? 魔物の強さが全然、違う! まるで太刀打ちできねぇ!」
「そんなにか……!」
未知との遭遇、未知の魔物情報は、誰もが喉から手が出るほど欲しい。
帰還したばかりのパーティに、探索者達は殺到した。
「どんな感じだった!?」
「実際の環境に、そう変化はねぇ。けど、魔物がヤベェ! 身体の一部に赤い線が入ってる奴は得にだ! そいつらは他と強さが全く違う! 絶対に手を出すな!」
「赤い線……って、何処にだ?」
「それは魔物の種類による……けど、必ず分かり易い場所にある。隠してねぇ……ってより、教えてるんだろ。こいつは特別だ、強い奴だって!」
周囲からはどよめきと共に動揺が走る。
レヴィンも約ひと月、迷宮の下層に籠もっていたものだが、そうした特徴の敵に出会った事はなかった。
そして、ユミルが言った事に照らし合わせると、あまりに明白だ。
それらがレヴィン達の為に、用意された魔物に違いない。
「……けど、救いはある。逃げれば追ってこねぇ。見つけたからって、積極的に襲っても来ねぇ。明らかに他の魔物と行動が違う。行くのは良いが、魔物狩りの奴らは注意して獲物を選べ」
誰も彼にも言葉がなかった。
恐怖に打ち震えているわけではないものの、突然出現した難敵の存在に、顔を顰めているのは確かだった。
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