反撃、逆転。そして…… その9
「未だに持って信じ難い。お前は……たかが私を攻撃し、蹴落とそうとする動機だけで、世界そのものを危険に冒した。お前が『疎通』の権能を持ってようとも、淵魔をあれほど組織的に運用するのは不可能だ。――『核』と接触しているな」
「だから、どうした! お前さえ消せれば、後はどうでも良い! 真なる神の世が到来するのだ! かつての様に! 何者にも縛られることなく!」
「あぁ、つまりそれが本当の……真なる動機か。――下らない」
睨み付けられたアルケスは、一瞬怯みはしたものの、すぐさま逆行して声を荒らげた。
「下らないだと! 神の尊厳を、悉く蔑ろにしたお前が! 最も新しき神が、我が物顔で世界を支配するなど! 己の程度を知れッ!」
「それでやる事が、生命を冒涜し、人のみならず汎ゆる命を危険に晒し、私を蹴落とすことか。神の尊厳? ……王様気分で思うがまま、好きに振る舞うだけが、神の尊厳か?」
「それこそが神の権限! 神が神の思うまま、好きに振る舞って何が悪い! 汎ゆる命は、神の為にあるものだぞッ!」
「そこからが間違いだな。お前は自分の欲を満たす為、単に思う様その強権を振るいたいが為、全ての命とその生活を蔑ろにした。――お前には、神たる者の資格はない」
その命とは人のみならず、獣や魔物も含まれる。
この世に生きる生命は、全てが世界に根差し、そして営む権利を与えられている。
世界の生態系に組み込まれた命は、全てが平等に生きる権利を持つ。
そうあるべきと、神々が一同、納得した上で定められた。
それを一方的に、最悪の手段で反故した相手に――最初から持ち合わせていなかったとはいえ――遠慮は無用だった。
この時になって、ようやく
神犬もまた起き上がり、その背中を守る様に回って、アクスルを睨みつけた。
椅子代わりとなっていた竜は、視線だけアクスルに向けていたものの、玉座として――あるいは舞台として役割に徹する様だ。
尻尾の一つすら動かさず、退屈そうな目を向けていた。
「おぉ……! 神と、神が相争うなど……!」
しかし、ここで焦ったのは、今まで見守っていた神官などの官吏たちだ。
直前に見せた大爆発が、最悪の事態さえ想像させた。
神同士の戦いとなれば、神殿周辺のみならず、どこまで被害が及ぶかも想像付かない。
逃げ出すべきか、あるいは共に武器を手に取り、立ち上がるべきか――。
レヴィンは背後を振り返り、ユミルとロヴィーサへ目配せした。
主の意を真っ先に察した二人は、武器を抜いて跳躍し、彼の後ろへ付き従う。
「我らこそが戦うべきだ! 被害を最小限にするには、その方が理に適う!」
「応ともよ! 信仰を盾に思う様やられた屈辱、ここで晴らしてやろうぜッ!」
「おや、レヴィン。いいのかな、彼女が巻き添え食らうのに」
そう言ったアルケスが、目を向けた先にはアイナがいた。
皮肉げな笑みを存分に向けたアルケスは、口の端を吊り上げて言う。
「彼女は被害者だ。完全に、徹頭徹尾利用される為だけに、この世界に呼ばれた。憐れだと思うよ。……その彼女を見捨てるって?」
「そうした張本人が、よくも――ッ!」
「そうとも、憐れと思うからさ……。僕は優しいんだ、だから帰してやるつもりでいた。――今からでもねッ!」
アルケスは更に神器を放った。
もしかすると、神器を全ての神殿から奪取して来たのか、と見紛う程の数が宙に舞う。
これには流石の
「お前の権能がどれほど強力でも、一度に可能な無効化には限りがある! これら全ては受け止め切れまいッ!?」
「……そうだったとして?」
「吠え面かいて死んでいけ!」
その掌には魔力が収束し、人間には到底不可能な制御力と共に、大きな力が生まれようとしている。
「私が権能頼りの、他には取り柄のない神と思われていたとはな。それ一つで神の行動を縛り、いう事を聞かせてると思っていたなら、大きな思い違いだぞ」
「思ってないさ。お前は強力で、強大な神だ。だからこそ、格下をしっかり下に見る!」
アルケスは魔力の奔流に怯む事なく、神器を突き出しながら叫んだ。
実際に神がその力を振るうより、遥かに力が弱いとはいえ、数は脅威だ。
アルケスがばら撒いた神器は、正しくその力を発揮して、
神器から放たれる効果は、その内容までは分からない。
もしかすると、傷を癒したり支援するタイプの物も混ざっている可能性はあった。
しかし、全ての効果を確認する術がない以上、一律で全て無効化するしかなく、それが負担になっていた。
「だが、いずれにしろ、お前が突き出す神器は無視すべきじゃないな」
空いている左手を差し出し、空中でその手を握った。
すると、アルケスの神器は一瞬の抵抗を見せたあと、完全に無力化されて砕け散る。
だが同時に、周囲の神器は変わりなく効果を発揮し続けていて、遂に周囲を覆う膜に罅が入った。
「ヒヒッ!」
醜悪に顔を歪め、アルケスが卑屈な笑みを浮かべた。
「お前は見る必要もない格下なら、それこそ無視さえするんだろう!? お前の驕り、今こそ打ち砕くぞ!」
アルケスが見る方向には、今も無表情のまま神器を突き刺しているアイナがいた。
鍵の形をした開錠の神器は、その膜のひび割れた箇所に突き直すと、ゆっくりと時計回りに回転させる。
がちゃり、と無機質な音を立つと膜の全体へ、あっという間に広がると音を立てて砕け散った。
「な、に……!?」
さしもの
一度に無効化できる上限は、確かに存在する。
そして、その負担が最高潮に達した時、アイナの『鍵』はその綻びに見事刺さった、という事らしい。
「無効化から逃れたその効果で、無理やりこじ開けたのか……!」
「だから言ったろ! 眼中にない相手に、お前は足元掬われるのさ!」
アルケスが会心の笑みを浮かべるのと同時、
それは
「これ、拙いわよ――ッ!」
ユミルが焦った声を上げると、
手の平を向け、その手を握り締めると、神使三人を拘束していた権能を無力化させる。
その直後、レヴィンが気炎を上げて、アルケスへと斬り掛かった。
「ォォォォッ、アルケス!」
「君も一足先に行き給えよ。仲が良いんだ。どうせなら、そっちの方が良いだろう?」
アルケスが腕を動かすと、魔術の壁が作り出され、レヴィンは『孔』へと押し込まれようとする。
しかし、不自然な動きで、それより早く『孔』へと入ったのはアイナの方だった。
「なに……!? 何故!? くそっ、『鍵』が……!」
アルケスはそれまで勝利を確信した余裕の態度だったが、打って変わって焦った声を出す。
取り戻そうとして腕を伸ばすものの、それより早く動き出したのはロヴィーサとヨエルだ。
「若様ッ!」
最早アルケスなど眼中になく、二人はレヴィンを助け出そうと、手を伸ばして跳躍する。
それがアイナとアルケスの間を断ち切る事になり、それで押し出される形となったヨエルは、レヴィンとアイナともども『孔』の中へ吸い込まれた。
そして、三人が目の前で消えるのを見たロヴィーサは、アルケスの肩を蹴り付け、その反動を利用し自ら『孔』の中へと消えてしまった。
「――ぐっ! くそっ! 余計な邪魔を!」
悪態ついて睨み付けても、既に相手はいなかった。
振るうべき力の矛先を失い、アルケスは次に
『孔』の標的は明らかに
しかし、その抵抗も長くは続かず、アルケスが憎悪に塗れた顔を向けた途端、遂に根負けしたように『孔』へ身体を引き摺られ始めた。
「この……『孔』は! まさかインギェムまで、裏切ったのか……!?」
「ハッ! 随分と慕われていたのに、顛末とはこんなものだ! お前にとっては、ちょっと酷だったか!? でも、いいだろう? お前にはもう、関係のないことだ!」
「く……、これ以上の……抵抗は、無理か……!」
その言葉を皮切りに、最後まで抵抗していた力が崩れた。
それまでの反発と連動するかのように、凄まじい速度で『孔』へと呑み込まれていく。
しかし、その寸前、ただ見守るだけだった竜が顔を上げ、そのアギトを大きく開いた。
「……待ってろ、すぐに戻る」
赤竜は怪訝な表情をさせつつ動きを止めると、不意に視線を上空に向ける。
「その様だね」
納得した声を出すと、アルケスへ攻撃しようと開けていた口も閉じてしまった。
神使の三人は、そんな赤竜に憤慨した様子で睨み付けたが、事は既にどうしようもない状態にまで来ている。
今は何にもまして、
最早アルケスなど見向きもしない。
自ら『孔』の中へ飛び込み、
その孔へ飛び込む直前、ユミルだけが赤竜の視線の先を見て、あからさまな苦渋の表情を浮かべた。
だが、それを指摘できる何者もおらず、三人はただ『孔』の中へと消えていった。
「まぁ、神使ならば、そうするだろうと予想はついた。アイツさえ追い落とせば、お前達は自ら率先して飛び込む。しかし、鍵が――!」
アルケスは憎々しく『孔』を睨み、唾を吐き捨てる。
するとその直後、役目は果たしたと認識したかのように、勝手に『孔』が閉じてしまう。
「ケチが付いた! 何もかも上手く行くとは思ってなかったが、あの鍵はアイナを落とす前に取り戻しておくべきだったのに!」
アルケスの憤慨は、そう簡単に収まらない。
しかし、宥める者も、挑発する者も傍にはおらず、その下では信徒同士が争う場面だけ広がるばかりだ。
ただ同時に、『孔』が完全に閉じ切るまで安心できないと、アルケスは考えていた。
いかなる存在でも吸い込まれ、閉じた孔から出て来られないと知っていても、
「インギェム、まさか狙ってやったんじゃないだろうな……? だとしたら、ルヴァイルの命は淵魔の餌としてやる必要があるが……」
異界へと通じる『孔』は、この世界から完全に締め出す事を可能とする。
だから厄介な敵を悉く落とし、帰って来られないよう、しっかりと封をするところまでが二柱の仕事だった。
ルヴァイルとインギェムの権能ならば、奴らを追い落とす事、そしてこの時間に帰還できないよう施すのも可能だ。
それでも、相手が
完全に孔が閉じてから更に十秒、しっかりと何事もなく、何事も起きないことを確認する。
そうして初めて、アルケスは腕を振り回して喝采を上げた。
「だが、勝ちだ! ざまぁみよ、
後に残るのは、アルケスの哄笑だけだった。
空中に浮かび、背中を仰け反らせて笑う神を、信徒たちは茫然と見つめる事しか出来ない。
縋るべき神を失う、その恐るべき瞬間の生き証人とされてしまった。
今はもう、洗脳され、暴れ出す信徒は完全に無力化されている。
必要な措置とはいえ、やった事といえばそれだけで、そして神が窮地にあって何一つ救えなかった。
その罪を、否応もなく自覚してしまう。
茫然とした信徒たちは、声の一つすら漏らせない。
ただ狂乱したように笑い続けるアルケスを、力なく見つめる事しかできなかった。
そうして、とうとう東の稜線が明るみ始めた。
日が上がり、世を照らす。
一つの終わりと、新たな始まり。
それは
しかし今、白い光を背にして笑うのは、それを追い落とした邪神だけだ。
それは混迷の始まりを示している様に見えて、信徒たちの口からようやく音が漏れる。
それは全てに悲観する、哀しみの嗚咽に違いなかった。
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