幕間 その2

「何!? これを大神レジスクラディス、……様が!?」


「何だ、本当に知らないんだな! だったら食ってけ! 絶対、損させねぇよ?」


「うぅむ……。うぅーむ……、そうと言われたら、試してみるのもやぶさかではないが」


「あいよっ、お一つね!」


 店主は気前良く頷くと、釘の様にも見える面妖な道具を使い、器用に球体の食べ物を器に盛っていく。


「器用だな……。実に面白い」


「そうだろうとも! 食べずに出来上がる所だけ、見ていく客だっているぐらいだ。――ほい、お待ち。マッツネーズはいるかい? 青のりは?」


「何だ、それは?」


「マッツネーズがなきゃ、レジス焼きとは言えねぇ。神様考案の調味料よ。黒ソースも同様だな。全部乗せるのが一番と思うが、とはいえマッツネーズはちょいとクセがある。好みがあるから、聞くことにしてるのさ」


「全部乗せが一番なのか?」


「断然、それがオススメだね!」


 店主が断言して頷くので、しばし考えた末に首肯する。


「では、頼もう。食は挑戦だからな」


「お、いいこと言うねぇ!」


 八つ並んだ球体のレジス焼きに、黒いソースが掛かり、その上に網目状の白いソースが重ねられる。

 更に細かく刻まれた青のりが振り掛けられ、見事な色のコントラストが生まれた。


「はいよ! 熱いから気をつけて!」


「おぉ、これは凄いな……。レジス焼きという名前がイマイチ気に食わんが……、どれ……」


 細長く小さな串が付いているので、それで差し込んで持ち上げ、口の中で頬張る。

 鼻を突く香ばしさと、酸味掛かった何とも言えない香りが口内を満たし、ついで中の具が溢れてくる。


「あひっ! あち、あつ、ほっ、ホフホフ!」


「だから言ったろうが! 熱いんだよ!」


 涙目になって口の中でレジス焼きを転がし、次第に冷めたところで咀嚼した。

 すると、こりこりとした弾力のした物が出て来て、粉ものが混ざり合って舌の上で踊る。

 それがソースと混ざり合うと、何とも言えぬ味で満たされた。

 ごくりと飲み込み、感嘆に行きを漏らす。


「美味いな、これは……! タコも良いな、触感が面白い。それにソースもいい。いや、マッツネーズが良いのだろうか?」


「俺の腕が良いんだよ!」


「なるほど、これは一本取られた! すまないな、店主!」


 互いに陽気な笑いを浮かべて、エモスは美味い美味いと、すぐに食べ干す。

 露店のすぐ傍にゴミ箱が用意されていて、空いた容器はそこに捨てるようになっていた。

 そうして、唐突に気付く。


「露店通りだというのに、ゴミが全く落ちてないな……」


 それもそのはず、清掃人と思しき者たちが、ゴミを回収したり、漏れて落ちたゴミを拾ったりしている。

 ゴミをゴミのまま、道に放置すること許していないのだ。


「店主、ここでは清掃人を雇っているのか?」


「いや、俺じゃねぇよ。ここでは普通の職さ。誰が雇っているというなら、領主様ってことになるんじゃねぇかな? 食べ物提供してんのに、その通りが汚かったら、それだけで虫やら何やら大量に湧くだろ?」


「それは……凄いな」


 港町など何処の国にもあるもので、エモスもまた、幾つも経験している。

 しかし、ここまで綺麗好きな町――領主など、これまで見たこともなかった。


大神レジスクラディス様の、お達しだとも聞くな。キレイ好きな方なんだよ。家に帰ったら手を洗えとかな、そういうのあるから。領主様も敬虔な大神信者だし、何代も前からこういうもんだって聞くぜ」


 エモスは思わず、唸って腕を組む。

 人の世に関与せず、とはあるが、手洗いくらいの口出しならば、関与とも言い切れない。


 神の言葉は余りに重い……そう思うのと同時、それぐらいならば、とも思う。

 実際、これは大神を攻撃する材料ともなるが、どの神であろうと、なぁなぁで済ますのが目に見えるようだ。


「それが狙いか。えぇい、姑息な……!」


 小さな――余りに小さな指示ならば、これを違反と糾弾できない。

 それこそが狙いで、実は徐々に口出しさせない口実を、増やしていく狙いかもしれなかった。


「そうはいかんぞ、このエモスが、しかと見抜いたからにはな……!」


 力強く宣言して、拳を握る。


「やはり、足を伸ばしてみるものだ。こうして、新たな気づきが得られた!」


「そいつは良いがよ、姉チャン。いつまでも店の前にいられちゃ邪魔だよ。さっと食べて、さっと去る。それがここの常識だ!」


「むっ……、これは済まない!」


 素直に陳謝して、エモスはその場から退く。

 その時、前方に不可思議な一団を見つけた。

 幻術で姿を隠しているのがその最たるもので、いかにも怪しく思える。


「なんだ……? 犯罪集団か?」


 幻術を使えばそれ即ち犯罪とはならないが、後ろ暗いことがなければ使うものでもない。

 そして、それは神使であるエモスでなければ気付けないほど、実に巧妙な手口で隠されたものだと分かった。


「ますます怪しい……。一体、ナニモノだ……?」


 ここは敬愛すべき、主神の庭ではない。

 だから、それがたとえ犯罪者であろうと、エモスが出る理由などなかった。

 しかし、生来の気質から、悪事は黙って見過ごせない。


「うむ……、確認だけでもせねば……!」


 エモスは一つ決意すると、気配を消してその後を追うことにした。

 彼らは集団となって動いていたが、一様に幻術を被せて姿を隠している、というわけでもない。


 前方四人と後方四人に別れていて、その前方人数のみ隠蔽しているようだ。

 囮のつもりか、はたまた……。


「姿を隠すのは、疚しい事をしているか、疚しい思いがある証拠だろう。如何なる理由でやっている事か、その一端でも掴まぬ限り、このまま去る事は出来ん……!」


 そう思えるのは、平和を愛し、正義を重んじるが為だ。

 領主の手腕は確かで、領政は上手くやっているようだし、見れば治安維持の為と思われる兵の姿も見える。


 何事かあれば駆け付け、また何事がなくとも兵の姿は民の安心と、そして犯罪の抑止としているのだろう。

 それを良く弁えているらしい領主は、税金の投入場所を間違わず、惜しまないらしい。


「そうであるなら、疚しい場面を見た時に鎮圧でもして、後は領兵に預けてしまえば良いだろう」


 改めて決意すると、十分な距離を取って後を追う。

 だがその時、不意に横から掛けられた声で、エモスは動きを止めてしまった。


「ほら姉チャン、元祖レジス焼きだよ! ぜひ食べてって!」


「ぬ……? それは珍妙な……。つい先程、同じ名前の物を食べたばかりだが……」


 エモスが思わず足を止めてしまったのは、その香ばしいソースの焼ける臭いが、鼻先を擽ったからだ。

 元祖、という単語に気を取られて見てみたのだが、到底同じ食べ物とは思えない。

 胡乱げな視線を向けるのは当然と思うのに、店主は大袈裟に否定して憤慨した。


「バカ言っちゃいけねぇよ! レジス焼きと言えば、こっちが本物に決まっとる!」


「しかし、形からして、全く別物なのだが……」


 あちらが球状だったのに対して、こちらは平べったい。

 黒ソースやマッツネーズ、青のりを使っている部分は同じなものの、共通している所とはいえば、それぐらいだ。


「こいつぁ、大神レジスクラディス様が考案された食べ物なんだぞ? それを姉チャン……」


「いや、それは向こうでも同じ事を……」


「あっちが勝手に名乗りやがったのよ! ウチだって前からレジス焼きって名前で商売させて貰ってんだ! だから、元祖って名乗ってるんだろが!」


 店主の憤りは留まる所を知らない。

 しかし、それをエモスにぶつけられても、仕様のないことではあった。


「とにかく、食ってみてくれ! そうすりゃ、どっちが美味いか――どっちが本物か分かるから!」


「うぅむ、それでは……」


 店主の熱意に押され、渋々ながら料金を払う。

 使っているソースが同じなのだから、味もそう変わらないだろうと高を括っていたのだが、食べてみると全く別物だと分かった。


 刻んだ野菜や細長い糸状の食べ物が入っていて、食感からして全く違う。

 そして、やはり文句なしに美味い。

 どちらがより美味かと問われても甲乙つけ難く、エモスには答えられない領域だった。


「うむ、美味い! 悔しいが美味い」


「悔しいってのは何でぇ、え?」


「いや、すまない。失言だった。む……、しかしタコは入っておらんのだな。タコなくして、レジス焼きとは言えぬのでは?」


「馬鹿言っちゃいけねぇ! 勿論あるさ! ただ、そういうのは好みがある。別にトッピングで頼まれれば、一緒に入れる仕組みだ。好みを無視して、強制的に食わせるもんじゃねぇよ!」


「そう言われてみると、そうかも……」


 エモスも最初はタコを食材にしていると聞いて、難色を示した。

 何事も挑戦だとして食べてみたが、どうしても食べたくない者もいるだろう。

 そして、あのレジス焼きは、タコが無くても美味しく食べられるように思えた。


「だろうが? そういう懐の大きさを持つ料理なんだ。だから、レジスの名前を持つに相応しい、ってなもんだ!」


「うぅむ……」


 一理ありそうに思えて、やはり無理やはりな論法ではないか、と首を傾げる。

 しかし、美味さに関して文句はなく、あっという間に平らげてしまった。

 やはり店舗隣設置されているゴミ箱に容器を投げ入れ、満腹になった腹を擦る。


「うむ、濃い味付けの物ばかり食べて、喉が渇いた。こうなると飲み物が欲しいところで……」


 満足気に口の端に付いたソースを指で舐め取っている時、唐突に気づいた。

 自分は怪しい人物を追っているのではなかったか――。


 義憤と正義を元に行動していた筈が、食という欲に負けて犯罪者を逃がしてしまった。

 しかし、こうなった全ての原因は、大神レジスクラディスにある。


「美味なる食で、わたしの気力を削ごうとは……! おのれ、許せん! 他から視察に来る者達を見越し、こうした罠を設置していたに違いない!」


 食には時として、国の威信に関わる重要なものだ。

 漁港で新鮮な魚は手に入っても、同じく野菜が手に入るかは、しっかりとした流通が構築できているかに寄る。


 調味料も含め、それらが豊かかどうか、そこから国力が窺えることは多い。

 それをこれまで、エモスは実体験として如実に感じ取っていた。


「全ては、真実から目を背ける為……!」


 エモスは確信を以って拳を握る。

 そして、背けさせたい真実は、きっと何処かに隠されている筈だ。

 それを探さなければならない。


「今となっては、先の怪しい集団を追うのは難しいしな……」


 只でさえ、人の多い場所なのだ。

 またもう一度、同じ集団を見つけ出すのは至難の業だ。


「仕方ない、今日のところは宿を取るか……。うぅむ、潮風は肌がべとつく、髪も酷いものだな……。風呂に入りたい……」


 外の世界では、中々望めないことだ。

 無い物ねだりと分かっていても、つい望みを口にしてしまう。


 しかし翌日、エモスは二つの驚きを目にする事になる。

 一つは、宿に風呂はなくとも、しっかり公衆浴場が整備されていたこと。


 もう一つは、昨日の犯罪集団を、再度捕捉出来たことだ。

 しかも、詳しく観察するにつけて、それが単なる犯罪者ではない、とも分かってきた。


 そう、彼らは犯罪者でなく、ある意味でよく見知った存在だったのだ。

 その彼らは何を思ってか歩行かちで移動し、その上ここから船で移動するのかは分からない。

 全く意味不明で合理的でないのだが、何か狙いあればこそ、そうした事をしているのだろう。


「だが……ほぅ、なるほど……。船で移動か……」


 エモスは直接的に手を出せない。

 彼ら――というより、彼らの主には特に、直接的間接的にかかわらず、手を出してはならない律令があった。


「しかし、これが不幸な事故なら……? 船が魔物に襲われたり、海難に遭うなど珍しいことではない。むしろ、至って普通のことだ」


 エモスの口に笑みが張り付く。


「そうとも、事故だ。事故なら仕方がない。ここで遭遇したのも、正義を為せ、という御心に違いあるまい!」


 エモスの中では、既にそれが正しいという事になっている。

 そして決まったならば、突っ走るのがエモスという神使だった。

 不吉な笑みを浮かべつつ、彼らを常に見張れる手段を講じる。


「同じ船に乗るのは悪手……かといって、別の船で追うのも現実的ではあるまい。常に気取られず、後を追うには……」


 エモスは辺りを見回し、広い湾港を調べては首を振る。

 早々、その様な都合の良い手段など転がっていない。


 そうと考え、今日も燦々さんさんと降り注ぐ陽光から逃れようと、店の日陰へ移動する。

 青い空と白い雲が、店と店の間に出来た、細長い空間から見えた。


「――空か」

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