幕間 その1

 大神レジスクラディスを頂点として立つ世界には、その下に六柱の小神がいる。

 しかし、この六柱の間に明確な上下はなく、常に対等な存在とされる。


 全ての神は人の世を見守る義務を持ち、人の手で回避できない難事にとってのみ、関与することが許される、とされた。

 人の信仰によって力を得る神であるから、人の業を超えない限り、その願いを叶えることも少なからずある。


 どういった手段で、どういった基準で叶えるか。

 それは神それぞれの裁量で決められるものの、神は得てして多くを叶えることはしない。

 人の欲を無制限に叶えることは、人の利にならないと、神もまたよく知っているからだ。


 この世界には大陸が六つあり、この大陸一つに一柱の神が神処を設け、その神処を持つ神が大陸の趨勢を見守る。

 ただし、ただ漫然と見守っているだけ、という話でもない。


 神にとって不倶戴天とも言える、淵魔という外敵がいるからだった。

 人の世のみならず、世界すら破壊するこの害悪は、全ての神が等しく対抗し、対処すべく常に目を光らせていた。

 とはいえ、神といえども広い大陸全てを、その目で見ていられる訳ではない。


 だから、己の目となり耳となり、手足となって動く者を欲する。

 それが神使という存在だった。

 その神使は、己の受け持つ大陸の直接的な問題などを探し、また『虫食い』の前兆などを探す役目を持つ。


 竜もまた神の目となる存在だが、これは大神レジスクラディスの配下、という趣が強い。

 中央大陸に竜の棲息地を持つこともあり、一つの大陸に拘らず、全ての大陸を飛んで警邏するような存在でもあった。


 そうしてここに、己の神の指示によって大陸を周遊する、一人の神使がいた。

 焦げ茶色の髪をうなじ部分で一括りにした、平均的な身長と体格をした女性だ。


 彼女は自らを聖戦士と名乗る、一風変わった小剣使いで、何が一風変わっているかと言えば、己を戦士と宣言しているところにある。

 神には聖と呼べる、明確な属性など存在しない。


 仲間内からも、何を以って聖とするのか、と指摘されたことがある。

 神にとり、顔向け出来ない行為をしなければ、それが聖だと言った彼女だが、終ぞ納得されたことはなかった。


 神使とは敬虔な信者から選ばれる者でもあるから、それ即ち聖なる者である、という言い分もある。

 しかし、他ならぬ神から疑義を呈され、肩を落としたものだった。


 神使はその誰もが神を敬愛するものであるし、己の神こそ一番と言って憚らない。

 そうした部分だけは他の神使も意見が一致していて、このエモスもまた、そうした神使の一人だった。



  ※※※



 エモスが仕える神は、『平安』と『豊穣』を権能とする女神で、その御名をハイカプィと言った。

 誰より民を慈しみ、また人種の隔たりなく愛する、真に尊敬するべき神である。


 神の中には人種――というより、己を信奉する種族のみを受け入れ、他は一段下に見る神も存在する。

 だから、公平に愛するハイカプィこそ、神としてあるべき姿と、エモスは常に声を大にして宣言していた。


 エモスはハイカプィが持つ神使三人の内、己が最も信心深いと思っているが、恐らく誰もが同じ意見で譲らないだろう。

 しかし、本日のように率先して別大陸の様子も観察する、己こそが出来る神使の見本だと、心のなかで勝利宣言していた。


 特に――。


「中央大陸は、あの大神レジスクラディスの管轄だ。常に見張っておかねばなるまい……!」


 大神レジスクラディスは神になって、最も日の浅い、新参の神だ。

 エモスもまた神使となって未だ日が浅く、百年と経過していない。

 神童として持て囃され、十を過ぎてもその鋭利さは失われず、十五歳を半年生きた頃、その強い信仰心と共に見初められた。


 数々の修行や神使として生きる業を説かれ、しかし全てを飲み込み、また認められた結果、若くして神に仕える事となった。

 エモスの生涯としての誇りであり、神への奉仕を捧げられると認められたのは、まさしく栄誉だった。


 生きた年齢と関係なく、若くして認められる事はある。

 それはエモスの存在こそが体現していた。

 老齢まで歳を重ねた、敬虔だと主張する信者であろうと、神の目に留まらぬこともある。


 だから、年若い者だけで相手を侮辱することはない。

 歳を重ねるだけで偉く、敬うに値すするかどうかは、全く別の話だ。

 しかし、大神レジスクラディスに対して、エモスは思う所がある。


「なぜ、救いたい気持ちがあろうと、救ってはならぬのか……!」


 大神によって定められた律令である。

 人の世は、人によって治められ、人の手で救われるべき――。


 全てを神の力で救うのは、無論大変なことに違いない。

 だが、ハイカプィはその尊き御心を以って、平和な世界を望んでいる。

 

 人の世に戦争が起きたとて、これを鎮める為、神や神使が動くことはない。

 それもまた人の治めた歴史であり、人の営みの末に起きることであるからだ。

 これに関して、エモスも間違いとは思わない。


 しかし、悲惨な世を変えられるのも、また神ではないか。

 人の手では時間が掛かり過ぎても、神ならば別だ。

 その際に生まれる犠牲も、解決するまでの時間に比例して大きくなる。


「……ならば、神や神使が介入した方が、余程人利に適う、というものではないか」


 エモスは常々、そう考えている。

 なぜ、その道理が許されないのか。

 神々の負担が、日々多くなる……そう、考える故だろうか。


「有り得ない話でもないな……。大神レジスクラディスの気勢は、神々の間では良く知られた話だ」


 曰く、面倒臭がり屋で枯れた感性の持ち主――。

 いつだったか、インギェム神から直接聞いた話だ。

 それが大神レジスクラディスの根底にある、その本質であるらしい。


「ならば尚の事、大神たるに相応しい神が、他にいるということではないか……ッ!」


 だが、多くは――敬愛すべきハイカプィでさえ、大神たるはレジスクラディスと認めている。

 それがエモスには、ひどく憤ろしい。


「なぜ、大神足るかを認められるのか……! それは一つしか有り得ない!」


 ――力だ。

 大神レジスクラディスは、他の小神とは隔絶した力を持っている。

 その力故に、誰もかれも……神でさえ、逆らうことが出来ないのだ。


「相応しい者を退けるには力が要る。そして、その力を持つが故に退けられず、レジスクラディスは大神という大役を享受しているのだ……!」


 人を教え導くのは神の役目であり、またそうであるべきだ。

 それを大神は、怠惰故に禁じた。


 他の神が率先して行えば、大神もまた傍観してばかりでいられないからだ。

 義務と呼べるまで当たり前になってしまえば、投げ出す事こそ悪となる。


「そうなる前に、そうなる芽を先んじて潰した……。そういう事に違いあるまい!」


 それが事実かどうかは関係なかった。

 エモスの中では、それが真実ということになっている。

 だから、空いた時間を利用して、今も中央大陸に乗り込んでいた。


 実際にその腕を振るって統治していないのは、他の大陸同様、ここも同じだった。

 しかし、その気質や風習など、細々とした部分に特徴は表れ出るものだ。


 横暴な神がいる大陸は、やはり横暴な人間が多くなり、優しい気質の住人が多ければ、優しい神のいる土地ということになる。

 ここ湾港都市ストワカは、中央大陸北方に位置する、他の大陸と貿易する玄関の様な場所だ。


 他に国から多く船がやって来るから、中央大陸の人間ばかりがいる訳ではない。

 むしろ、外国の玄関口としての機能を持つから、現地人の方が少ないくらいだった。


 それでもやはり、神の気質というのは、住まう場所にこそ現れるものだ。

 エモスは人混みを掻き分け進み、つぶさに観察しながら考える。


「港町だけあって活気があるのは当然……。しかして、こうした場所は、海の男が多いからこそ、粗暴な行動が多くなるものなのだが……」


 露店では呼び込みも活気で、各国の様々な商品が取り扱われる。

 物珍しい商品などもあって、足を止めて見入る人も多いようだ。

 民芸品を扱う店などもあり、この国の者にとっては、ここでしか見られない商品も多々あった。


「うぅむ……。もっと喧嘩だ、盗みだと、騒がしくて然るべきなのだが……」


 しかし、そうした事件は、未だ起こっていない。

 活気があればこそ、活気に隠れて悪事を行おうとする者は多いものだ。


「たまたま、運が良いだけか……。そうとも、常に引っ切り無しでもあるまいし……」


 人の流れに逆らわず歩いていると、次第に露店の様子が変わってくる。

 ここは食品を取り扱っている区画で、料理を扱う店も多くあった。

 露天販売も同様に活気があり、その場で焼いて食べる物、海から揚がった新鮮な食材を、盛り付けて提供する店など様々だ。


 中には奇妙な鉄板を用いて、丸い穴へ次々と何かを垂らし、焼いてはひっくり返すパフォーマンスをさせては完成させている露店がある。

 香ばしい香りが鼻腔を擽り、腹の虫を大いに泣かせた。


「食欲を唆るな……。うぅむ、ここで一つ何か腹に入れておくのも良しか。――おい店主、一つくれ」


「あいよっ! ウチのは今日の朝、仕入れた新鮮なタコ使ってるから、美味さ間違いなしだよ!」


「ほぅ、タコを……。臭いにつられて食おうと思ったが、タコなんぞ使ってるのか?」


「バカ言っちゃいけねぇよ! アンタ初めてだね? これは大神レジスクラディス様考案の、レジス焼きってんだよ! 美味さも有り難さも、他とは違うってもんさね!」


 威勢の良いその言葉を聞いて、エモスは思わず度肝を抜かれた。

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