迷宮探索の苦難 その7

 六十一階からは原生林のエリアだ。

 ミレイユがヤロヴクトルの声に絡まれ、下層へ向けて大穴を空けたのも、このエリアだった。

 木々の太い幹が連なること、そして生い茂る葉と枝から垂れる蔦が、更に視界の見通しを悪くさせている。


 だが、前回は既に踏破したエリアでもあり、構造も大きな変化は見られない。

 木々の配置に変わった所は見られず、木の根の間に出来た地下通路も健在だ。


 進むだけなら、そう苦戦しそうに思えなかった。

 ――しかし。


「早速、お出ましか……」


 原生林らしく、出て来る魔獣や魔物も、その生態に沿う形をしている。

 前方の頭上、太い木の枝に見えているのは、猿型の魔獣――エンキキだった。


 生え揃った牙に、猛々しく血走った目、そして半分に折り畳んでようやく人と同じ長さになる腕を持つ。

 指の先には鋭い爪が生え揃っており、その腕には分かり易く、赤い線が引かれていた。


「ここでは遭遇率の高い猿型だが……。こちらから襲わない限り、向こうからは来ない、という話じゃなかったか……?」


「だがよ、若……。どうやらそれは、一般探索者に対しては、って事らしいぜ!」


 ヨエルが全てを言い終えるか否か、そのタイミングでエンキキが飛び出して来た。

 枝の張力を利用して反動を付け、凄まじい勢いで突貫してくる。

 しかし、その程度の速度ならば、レヴィンにとって脅威ではない。


「――フッ……!」


 抜刀一閃、伸ばした爪先に合わせてカタナを振るう。

 レヴィンは爪先を紙一重で躱し、通り過ぎざま腕を切断した。

 肩口近くから斬られた腕は、放物線を描いて宙を舞う。


 斬撃の衝撃で態勢を崩したエンキキは、そのまま地面に衝突し――それでも、素早く起き上がろうとする。

 しかし、それより早く、ヨエルの大剣が頭を割った。

 巨大な大剣は大地を噛み、頭部だけと言わず背中まで大きく斬り裂いている。


 完全に絶命したのを確認してから、ヨエルは武器を背中に仕舞って息を吐いた。


「……なんだ、強敵だって言う割に、大した事ぁないな」


「スピードは大したものだと思いましたけれど」


 ロヴィーサの洞察に頷き、今も痙攣を続ける死体を見やる。


「スピードだけでなく、膂力なんかもきっと強かったんだろうぜ。……だが、脅威という程じゃないな」


「前回の挑戦時に戦った魔獣より、間違いなく強いと思いますが……」


「上で騒いでいた奴らにとっては脅威だった、というだけだろう」


「ただ、この強さも上下の幅が大きいだけかもしれない。油断はなしで行こう」


 レヴィンがそう言って締め括ると、全員が頷き探索は再開される。

 この階層はどこまでも続く原生林との戦いだ。

 蒸し暑くもあり、歩くだけでも汗が頬をつたり、体力を削られる。


 しかし、単に蒸し暑いだけなら、まだ上等な部類だ。

 次の七十階層は歩く場所さえ限られる灼熱地帯だと、既にレヴィン達は知っている。

 より酷く、より険しい環境を知っているからこそ、それよりマシな状況を耐えられた。


「ここを抜けるのに、早くても五日掛かる。赤い線の魔物は、どうやら俺達にはお構いなしだ。掛かる緊張で無駄に体力を使わないよう、気をつけろ」


「まぁ、程々に上手くやれ、ってこったな」


「そういう事だ」


 レヴィンはニヒルな笑みを浮かべて、下生えを掻き分けながら進んで行く。

 どの様な階層でも、長く使われていけば踏み跡などが出来そうなものだ。

 しかし、新たな周期と共にリセットされるらしく、そうしたものは見受けられない。


 上層と違い、構造自体に変化はないのに、獣道程度の指針さえ見つけられなかった。

 それが未だ経験の浅いレヴィン達を迷わせる。


「五日じゃ済まない事も、計算に入れておかないといけないな……」



  ※※※



 最初の緊張も今は遠いもので、レヴィン達は順調に歩を進め、階層主の部屋へ到達しようとしていた。

 襲い掛かってくる赤い線レッドラインも、明らかに他と一線を画す強さなのは間違いないが、レヴィン達に対処できない相手ではない。


 今までの敵が鎧袖一触だったのと違い、歯応えある相手だったものの、逃げ帰る醜態を晒す程でもなかった。


 そうして辿り着いた六十九階、前回は既に他のパーティが突破した後だったので、レヴィン達の出る幕はなかった。

 しかし、今回は違う。


 木の幹を並べた壁が立ち塞がり、その中央にはお誂え向きな扉が付いている。

 その周囲はぽっこりと穴が空いたように木々は消え、完全に浮いてしまっていた。


 両開き式の扉に鍵は掛かっていない。

 しかし、既に誰かが挑戦中であるなら、斬ろうが叩こうが、決して開く事はない。


「レヴィンさん、お気を付けて……」


 アイナが恐る恐る掛けてきた声に頷き、ドアノブをゆっくり回す。

 すると難なく開き、中の様子が明らかになった。


 木々の壁の中は広い部屋になっており、戦闘するのに十分な広さを持っている。

 天井にある鉱石が部屋を照らしている為、暗闇に困ることもなかった。


 そして、中央には一体の戦士が黙って立っている。

 全身板金仕立ての鎧を身に着け、頭もすっぽりと兜を被っている上、バイザーが下ろされているので、男か女かも分からなかった。

 鎧も肉体の曲線を隠してしまうタイプで、だから余計に性別が分からない。


「あれが、今回の階層主か……」


 レヴィンも未だ階層主に対して詳しくない。

 あくまで聞いた話に過ぎないが、多くは魔物か魔獣と対決するものであり、人型というのは珍しい筈だった。


 しかし、毎回何かしら変更が加えられるのだから、時にはこうした変わり種もあるのだろう。

 そう納得して、レヴィンは足を踏み入れる。


「あれは……」


 進んで行くと、嫌でも気が付く。

 階層主の後ろには扉があり、そしてその先には地下へ続く階段がある筈だ。

 無視して進むことは出来なず、階層主を倒すまで、決して開くことはないものだ。


 しかし、その扉付近に奇妙なものがあった。

 迷宮の入口にも置いてあった立て札で、それには赤字でシンプルに書いてある。


「なになに……? 『去るもの追わず。逃げる限りにおいて、扉は開かれる』……。これってどういう意味だ?」


「基本的に、階層主の部屋には、入ったら出られないから、でしょうか? 次の挑戦者は、今のパーティが全滅するか離脱するまで、部屋の外で待つしかないと聞きますよ」


「でも、今回は逃がしてくれる訳か。これってつまり……」


「逃げる手段を……というか、『離脱』して逃げ出る手段を持たない、私達に向けたメッセージですかね?」


 そう考えるのが、最も自然という気がした。

 今期から導入された赤い線レッドラインにしろ、明らかにレヴィン達のレベルに合わせた作りだ。


 そして、制作を手伝ったユミル達の意図は、レヴィン達の強化にあるのだから、勝てなければ死ね、という話にならないのだろう。

 そこには一粒だけ優しさが見て取れるが、逃げ出して良い、という部分に引っ掛かりは覚える。


「……つまりこれ、一筋縄で行きません、って言ってる様なものだろう? 探索者なら恩寵構成を変えて再戦出来ても、俺達は自分達の体一つで齧り付くしかないんだから」


「まぁ、そういうこったろうなぁ……。この部屋の周囲に木がなかったのも、外で休憩できるスペースを確保する為か? 野営の設営にも、実にお誂え向きな広さがあったもんなぁ……」


「何から何までご配慮いただいて、実に痛み入りますね」


 ロヴィーサが皮肉を飛ばして、鎧戦士を睨む。


「……でも、部屋に入ったというのに、攻撃して来ませんね。臨戦態勢すら取ろうとしません」


「先手は譲るって? 実に有り難いね」


 レヴィンが揶揄する様に言って、カタナをゆっくりと鞘から抜き放った。

 そうして距離を詰めようとした時、最後尾のアイナから待ったが掛かる。


「先に支援理術を掛けてしまいます。戦闘に入る前に、出来る準備は済ませてしまいましょう」


「そうだな、頼めるか」


 レヴィンの頷きと共に、アイナは次々と補助理術を掛けていく。

 筋力向上、硬質化、敏捷上昇、反射神経向上……。

 出来うる限りの支援を全員に施すと、アイナは疲れを滲ませる息を吐いた。

 それから、鎧戦士に目を向けたまま、レヴィンに話し掛ける。


「十分、気を付けて下さい。私は後方で回復に専念しますが、適宜、補助の掛け直しもします。手が回らない時は、ご自分で水薬を使うのもお忘れなく」


「分かってるさ。それより、奴だ……」


「何かあるかい、若」


「見ていて気付かないのか。アイツの戦闘スタイルが見えて来ない」


 相手は戦士の鎧を身に纏い、ともすれば騎士の様にも見える。

 しかし、その手には剣や槍は勿論、盾すら持っていない。


 本当に鎧一つの姿なのだ。

 これが貴族の屋敷や、王城の廊下にあるなら違和感はないだろう。

 しかし、戦う敵としては異様という他ない。


「あぁ、言われてみりゃ……。しかし、迷宮の敵だろ。何でもありじゃねぇのか?」


「ヨエルさん、下手な考えは危険です。あたしのゲーム勘が怪しいと言っています。倒したと思っても、油断せずにトドメを刺して下さい」


「おう。まぁ、ここに来て油断なんてあり得ねぇよ。上手くやるさ」


 ヨエルは安心させる様に笑い掛け、自身も背中の大剣を抜き放つ。

 ロヴィーサも腰から短剣を抜いて、油断なく両手で構えた。


 中心にレヴィン、右側にヨエルが、左側にロヴィーサとなり横一列に並ぶ。

 そうしてレヴィンが一歩踏み出すと、瞬間的に加速し、その後を二人が追う。

 こうして、階層主との戦いが始まった。

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