迷宮都市の災難 その2
待ったかいあって、ミレイユはレヴィンに視線を向けると、面倒そうに解説を続けた。
「……まぁ、分かりそうなものだろう? 一度突破した障害は、基本的に復活しないからだ。だから、休憩所として使える。誰が突破しようと、後続の者はその恩恵に預かれるしな」
「それはまた、有り難い……と、思って良いのか困ってしまいますね」
突破する探索者が一番大変で、先頭争いしている者にとっては、難しい判断でもあるだろう。
実力者しか、より下層へと進めないのは当然だが、実力伯仲のチームなど、幾らかあるものだ。
先頭を走ることが、常に有利とは限らない。
そして先頭を走る者は、常に激戦を制する必要がある訳で、そうとなれば常に先頭でいられるものでもないだろう。
その匙加減や、出し抜く機会を何処にするか、そうした心理戦も必要になりそうなものだった。
「しかし、基本的に……というのは?」
「完全に安全とは言えないが、ボス部屋の前は敢えて野営できる十分なスペースが用意されている。魔物の襲撃を警戒しない訳にはいかないから、交代で見張りは必要だが、中に入ってしまえばその心配はない。後は一応、階層同士を繋ぐ階段だな。寝て休める訳じゃないし、スペース的にも狭いんだが、魔物は進入して来ない」
「それは絶対そうなんですか? 勢い余って乗り込んだりは?」
「見えない壁みたいなものがあるから、魔物は絶対入り込めない。それにボス部屋は常に安心かと言えば、別にそうでもない」
「どうしてでしょう?」
「四十二日周期で、ダンジョンの構成が変わるからだ。当然、障害も全て最初からやり直しだ。踏破成功者が少ない理由が、これで少しは分かったか?」
「そうかぁ、ローグライク式かぁ……」
アイナが妙に納得した素振りで頷き、またも不思議な単語を口にするアイナに、レヴィンは怪訝に話し掛ける。
「どういう意味だ? 何か知ってるのか?」
「いえ、入る度に構造が変わるタイプのダンジョンを、そう言うんですよ。これはそれともちょっと違うので、厳密には違うんでしょうけど……。でも、構造が変わるんですから……」
「う、うん……? まぁ……アイナには分かる、アイナなりの分かり方があるんだな……。……しかし、そうなると単に強いだけじゃ踏破は無理ですね。ただ広いだけでなく、魔物だって出現するんでしょうし、しかも迷わす為の構造? 記録しながら進まないと行けないな……」
「こりゃあ、思っていたより厄介そうだぜ……?」
男二人が唸って首を下げた。
楽なものと最初考えていた訳でなかったろうが、予想以上の難事だと悟り、暗澹たる気持ちを垂れ流している。
そこへユミルが、からからと笑って、男二人の肩を叩いた。
「だから、恩寵なんてモノを与えて、探索のサポートしてるんじゃない。ピンチと思えば『脱出』の恩寵で逃げ出せるし、再挑戦も踏破したパーティのお溢れに預かれる。一番手は一番キツいけど、願いが叶うと思えば、……まぁ順当よね」
「いやあの……、俺達はその恩寵を禁止されたんですが……」
「じゃあその分、頑張りなさいよ」
ではやはり、どうあっても苦戦は免れないのだ、と肩を落とした。
その時、迷宮入口付近が光り、何事かと目を向ける。
転移屋が見せる光とそっくりなそれは、即座に人型へ姿を変えると、次に探索者達を形作った。
「おい、どけ! どいてくれ! 道を開けろ! 怪我人なんだ! 誰か助けてくれ!」
「おぉ、やられたか。無茶するから、そうなんだよ。怪我する前に帰って来いよ」
「分かってる! 分かってるよ、そんなことは! 誰でも良いから、助けてくれ!」
それは猿の獣人だった。
ここに住まう者は耳や尻尾が生えているぐらいで、獣の成分としては少ないぐらいだが、出て来た探索者は違う。
むしろ獣としての成分の方が多く、獣が二足歩行しているかのようで、倒れ伏した仲間もまた、豚の獣型だった。
そして、猿の探索者は気絶した仲間を引き摺る様に背負って、瞳に涙を浮かべて訴えている。
その彼もまた身体中から血を流し、皮鎧の上からでも分かる打撲痕が痛々しかった。
「助けて、ってもなぁ……。先に金だろ?」
「今は……、今はねぇんだ! けど、きっと返すから!」
「そんな言葉ひとつで貸してやる程、お人好しはいねぇ」
「何だよ、それ! 返すって言ってるだろ!」
「お前は引き際を間違えたんだ。せっかく『脱出』の恩寵持っといて、どうしてそうなるかね? お前の判断が招いた事態だ。お前が悪いし、お前の責任だ。吠えてんじゃねぇよ」
これが仮に五十層……あるいは十層程度であろうと、恩寵がなければ彼もまた、生きて帰って来られなかったろう。
瞬時に帰還する手段を持っていたのに、重傷者を出すまで引き際を見極められなかった。
その上、回復薬すら切らしている。
安全を考えるのなら、彼はもっと早くに引き返すべきだったのだ。
悔やむ瞬間というのは、その失敗を経験した時が多い。
だが『恩恵』は、そうした失敗を取り返せる手段でもある。
その使い所を見極められなかった時点で、周囲が言う通り、失敗を嘲られて当然とも言えた。
「あの……、レヴィンさん」
「分かってる。アイナならそう言うと思ってた」
心優しい彼女のことだ。
怪我人がいて、助けを求めている者を無視できない。
レヴィンは一応、ミレイユとユミルへ順に顔を向ける。
二人は何も言わなかったし、止める様なこともしない。
ならば、それが答えだろうと、ヨエルとロヴィーサを引き連れ駆け出した。
遠巻きに見つめている獣人達の間を練り歩き、崩れ落ちる猿の元へと赴く。
もう誰からも手助けされないと悟り、彼はどこか別の方へと移動しようとしていた所だった。
背中に覆い被さる意識不明の仲間へと語り掛け、必死に励ましながら立ち上がろうとしていた。
彼はまだ諦めていない。
完全に息を引き取るまで、誰にだろうと頭を下げよう、とする覚悟が見えた。
「おい、そのままで良いから動くな」
「……え?」
ヨエルが彼の身体を支え、アイナを近くへ誘導してやる。
レヴィンとロヴィーサは、もしも邪魔が入った場合の備えとして近くで見張り、そしてアイナは、導かれるまま背中の豚獣人に手を当てた。
「おい、本当か? 助けてくれるのか……?」
「えぇ、すぐに」
アイナが断言して、体内のマナを掌に集中する。
正しく制御されたマナは魔力となり、癒やしの力となって表れた。
「これは……『恩寵』じゃ、ない?」
「こちらにも色々ありまして……。黙っていて下さると助かります」
「あ、あぁ……勿論だ!」
アイナの治癒術は確かなもので、既に蒼白だった顔が、みるみる内に健康的な赤みを取り戻していく。
怪我人の呼吸は既にか細いものになっていたが、それもすぐに安定した。
未だ目を覚ましていないが、傷は完璧に治癒され、一命を取り留めたことは、誰の目にも明らかだった。
「あ、ありがとう……! 助かった! 礼を言う! 本当に、本当に……!」
猿の探索者は、涙ながらに礼を言った。
背中に預けた仲間を大事そうに抱え直し、何度も頭を下げる。
「必ず礼はする! すぐには……難しいが、でも絶対にこの恩は返すから!」
「いえ、良いんです。ご無事で良かったですね。もう少し遅かったら、私でも無理だったかもしれません」
「だったら、尚のこと礼を言わねぇと……! 目を覚まして、体調を取り戻したらすぐ一緒に、礼を言いに行くよ。どこに泊まってるんだ? あぁ、いやその前に自己紹介を……」
助けられたからには、その礼を恩を返したい、という心根は純粋なものだ。
それを無下にするのも憚られる。
しかし、アイナ達はここに宿を取ってないし、ユミルの言が確かなら、長居することもない筈なのだ。
どう返答するのが正解なのか、困ってしまってアイナはレヴィンへ助けを求める。
だが、それより前に、アイナへ食って掛かろうとする者がいた。
接近に気付いていたヨエルが、アイナを庇う位置に立ち、睨みを利かせながら問い質す。
「何の用だよ? 俺らはもう行く。邪魔したな」
「そういう訳にはいかねぇのよ。勝手に治癒なんてされたらよ、俺等の商売のメンツが立たなくなる。秩序も相場も崩れるし、誰も得することなんてねぇ。分かるだろうが?」
それは入口付近で治癒を売っている探索者で、短毛の癖っ毛からは巻き角が見えている。
見た目からして、羊人族の若者と思われた。
そして彼一人ではなく、その後ろには同業と思われる者が複数人いる。
「それは分かるが、後で金払うって言ってたろ? 俺達はそれで納得してる。それに、死人を出すよりマシだろうが」
「そうはいかねぇ。今日来たばかりの新人が、秩序を乱して許されると思うのか? こういう事には、しっかり取り決めがあってやってんだ。嫌がらせで治癒しなかったんじゃねぇんだよ」
「へぇ……? 俺らが新人だって、分かるってのかよ」
「分からないと思うのか? こっちは毎日、入口で辻治癒やってんだ。知らねぇ顔なら、すぐ分かるんだ、馬鹿が」
自信に満ちた返答は、嘘を言っていないと分かる。
仮に彼が分からなくとも、後ろの同業の何れかが分かるだろう。
そして、実際ヨエル達は先程、初めてこの街にやって来たのだ。
しかし、ヨエルは敢えて挑発して煽って見せる。
「何だよ、最下層を目指さない脱落組か。よく、そんなマネして恥ずかしくねぇな? 脱落してんなら、もっとそれらしく隅っこで暮らしてろよ」
「ンだと、てめぇ……!?」
ヨエルは挑発しつつも、後ろ手でアイナにサインを送り、この場から逃がそうとしていた。
彼女もそれ気付いていて、猿と豚の獣人を連れ、徐々に離れていく。
レヴィンとロヴィーサがその間に立つと、アイナ達の姿はすっかり見えなくなってしまった。
そして、それに気付いた時には、もう遅い。
「おい、待て。あいつら、どこ行った……!?」
「知った事かよ。これはもう、お前と俺の喧嘩なんだぜ? ナシ付けようってんなら、まず俺を倒せよ」
ヨエルが剣呑な気配を発し、羊人族の相手のみならず、後ろの全員まで息を呑んだ。
一触即発の雰囲気が流れ、今にも衝突する気配が流れた時、後ろから余りにも静謐な声が聞こえる。
振り返って見てみると、そこにはやはり、ミレイユが佇んでいた。
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