迷宮都市の災難 その3
迷宮入口付近は、先程までの活気を完全に失っていた。
探索者同士の殺し合いはご法度だが、喧嘩まで禁止されている訳ではない。
むしろ、血気盛んな獣人族としては、全く珍しいことではなかった。
だから喧嘩程度なら、誰しも簡単に引き起こし、そして呆気なく終息する。
刻印のみならず、『恩寵』まで持つ探索者同士の喧嘩は、大抵の場合すぐに決着が付くからだ。
そして、喧嘩程度で死ぬこともない。
これもまた『恩寵』による治癒が身近にある為、早々死傷沙汰にならないものだった。
そうした事態に慣れているから、遠巻きにして見ていた獣人も、これまで軽い見世物程度にしか思っていなかった。
――しかし、そこにミレイユが登場して一変する。
獣が持つ本能的な恐怖、己の死を最大限回避する――その本能が警鐘を鳴らし、誰も身動き出来ないでいた。
下手に動くと殺される――。
それが事実かはともかく、そう感じてしまう程、圧倒的な雰囲気を発していた。
獣人族ならば、そうした危険を見誤ることはないのだった。
「……いつまでも遊んでるな。行くぞ」
「ハッ、失礼しました……!」
ヨエルは羊人族にあっさり背を向け、腰を深く折って頭を下げる。
レヴィンとロヴィーサも、それに倣って頭を下げた。
次に頭を上げた時には、アイナがミレイユ組の最後尾に混ざっていて、笑顔で親指を立てている。
どうやら、件の怪我人は無事に逃がしてやれたらしい。
そうとなれば、いつまでもこの場に留まる理由もなかった。
羊人族を始めとした探索者達は、未だに何も口を開けず、身体を棒にしたままだ。
ミレイユが視線で周囲を一撫ですると、ざわめきと共に一歩引いた。
更に一歩踏み出せば、その分だけ不自然な空間が出来上がる。
アヴェリンが先導する形で進み出ると、水が引くように入口までの道が作られ、その先を悠々と歩いて行った。
レヴィン達もその最後尾――アイナの後ろに続く形で列を為し、入口の門を潜る。
そうして、すっかり彼らの姿が見えなくなると、誰ともなく息を吐きだし、獣人達は緊迫した雰囲気から開放された。
それまで外側で見守るだけだった探索者の一人が、顎を伝う汗を手の甲で拭いながら呟く。
「……一体、ありゃあ何者なんだ……」
「久々の大物ルーキー登場……?」
「そういう次元じゃないだろ。……大体あいつら、どういう種族だ。雰囲気に当てられたせいかな……? ボンヤリとして、よく思い出せねぇ……」
「あぁ、俺もだ……。何族と言われても……いや、何だろうな。本当にそこに居たのか、疑いたくなる……」
それは彼らだけの感想ではなく、全員の総意だった。
そこに居たはずなのに、居なかった――。
そうした不思議な感覚に陥る。
「こりゃあ、今期こそ……。本気で到達者、出るのかもなぁ……」
全員が溜め息ともつかない息を吐いて頷く。
それもまた、間違いなく全員の総意だった。
※※※
迷宮の中は壁から天井まで石畳で構成されており、かつ広々としていて、大人五人が横並びになっても、まだ余裕がある程だった。
しかし、武器を振り回すとなれば、前衛二人が横並びでは少し怖い。
それも使う獲物次第ではあるだろうが、大人数はむしろ枷となる、絶妙な広さだ。
その通路が、奥深くまで続いている。
ただし、松明が壁に掛かっているわけでもないのに、暗くはない。
奥深くまで見えるほど光量に恵まれていないものの、足元や周辺を見るには不自由しなかった。
だが、明かりがあっても、遠くまでは見通せない。
だから遠くに魔物が潜んでいても、目視で確認まではできなかった。
その部分についても絶妙で、探索者の枷となっている。
攻略の手助けはあっても、構造上の不自由は強いられているのだ。
ヤロヴクトルがより楽しくなる為、そして挑む意欲を高めて挑ませる為、意図して助けと不自由を配置しているのだろう。
「なるほど、ゲーム感覚とはこういうことか……。普通なら松明を持つか、照光タイプの刻印を宿して対応……と言ったところだろうに」
「荷物、あるいは刻印の選択肢が、そのお陰で増やせますね。空いた分を別手段に振り分けられます」
レヴィンの独白めいた台詞に、ロヴィーサが追随する。
しかし、それは感心している感想、というより呆れに近いものだった。
「随分と手厚く迎えてくれるのですね? そうまでしないと、踏破は難しい、という事なのでしょうか?」
「それも間違いじゃないが……」
これに訳知り顔で頷いたのは、ミレイユだった。
両脇にルチアとユミルを置いて、顔だけ振り返って小さく笑う。
「ヤロヴクトルは難易度調整に、病的な程の
「しかし、そうは言っても、誰でも到達できるものではない、と……」
「そこはやはり、力ある者でなければ無理だ。お前にとって耳馴染みはないだろうが、『レベル一桁』でも到達できるようにはなっていない。繰り返し潜り、何年も掛けて己を鍛え、階層到達を更新し、そうして到達できる様に設計されている」
「そうですよね、汎ゆる願いが叶うのですから、それぐらいの苦労は当然ですか……」
しかも、四十二日周期で迷宮構造が変化する。
それまでの地図は役に立たず、十階層毎にある障害も復活だ。
悠長に攻略していては、いつまで経っても最下層には辿り着けない。
「一種の
「そう、なのでしょうか? いえ、誰しもが高い志を持てるのは分かります。しかし、ここに来る者は全員、野心を持っているのでは?」
「外から来る者はそうでも、ここで生まれた者は、決してそうじゃない。家業にしている者の方が多い位だ」
「家業……」
親子代々、迷宮に挑戦するのは、決して不思議ではない。
しかし、最下層を目指すニュアンスでもなかった以上、程々で止めることを生業にしている、という事になる。
それがレヴィンには、如何にも不思議だった。
「そう不思議がる事でもないぞ。何しろ、ここでは全ての生産物を、迷宮に頼っている。水薬などに使う錬金素材しかり、武具に使う鉱石素材、魔物素材しかりだ。食材にしてもそう、野菜や果実すら、ここでは栽培ではなく、採取するものだ」
「野菜すら……!?」
「四十二日周期で復活するからな。畑を耕し、育てる手間暇よりも、取って来た方が早いし楽だ。連作障害やら、肥料を使ってどうこうの問題もない。肉ならそれこそ、魔獣肉で良いからな」
「それは……確かに、この街一つで完結している、という話も頷けます」
「畑を管理したり、家畜を放牧して世話する農家は必要ない。その代わり、迷宮から調達する者が別に必要となる。そういう意味で、最下層を目指さない人材は、確かに必要なのさ」
レヴィンは深く感じ入って頷く。
冒険者の街にも、彼らを受け入れる為の宿、料理店、鍛冶屋などがあった。
この街にも当然それらはあって、迷宮に入らないのは、そういう者達だとばかり思っていた。
しかし、全ての生産物を迷宮頼りにしているなら、むしろ街と探索者存続の為、彼らの力は必要不可欠だった。
「少し面白い変わり種としては、『速達組』が挙げられる」
「速達……? 何か届けるんですか?」
「そう、探索者を届けるのさ。さっき入口で、転移させていた者がいたろう。その内の三割程度は、その『速達組』だ」
「……他とは、何か違うんですか?」
レヴィンの質問に、ミレイユは明らかに面白がって答える。
「毎周期、迷宮の構造は変わるわけだ。しかし、五十層まではパターンがある。確か……百二十程だったかな。それら全てを暗記していて、いち早く五十層まで到達するのが彼らの仕事だ。マーキングして帰って、転移屋として探索者を送る。そういう生業だな」
「百二十……」
レヴィンが唖然としたのを見て、まさしく期待通りの反応だったミレイユは、笑みを深くして続けた。
「そういう奴らは、五十層までは速いが、それ以降は潜らない。転移だけで十分な稼ぎになるからな」
「確かに……それなら、下層を目指す者にとっても、有り難い話なのでしょうね」
「速い奴は三日で帰って来る。自分で行くより、遥かに短縮となるのだから、利用しない手はない。体力も温存しておけるし、本格攻略の前に、英気を養う時間だって作っておけるな」
レヴィンはヨエルと顔を見合わせ、無言のまま感嘆の息を吐いた。
国が違えば、文化も違う。
常識が違えば、仕事の役割も違うのだと思ったが、ここまで違うと唖然としてしまう気持ちが強かった。
実際、最深部を目指す者からすると、五十層まで要らぬ労力を負わずに済むので、メリットしかない。
転移に掛かる金は掛かるだろうが、深部に到達できる者は、それだけ貴重な素材を持って帰れるわけで、必要経費と割り切れるだろう。
何より、三日で五十層まで到達できない者にとっては、それだけで有り余る恩恵となるのだ。
彼らの生業は歓迎されこそすれ、非難されたりしないだろう。
「しかし、取り合いになったりしないのですか? つまり、場所取りの競争というか……。先に五十層に辿り着いたからと言って、マーキングを一つしか置けない、という事はないのでしょうし……」
「そこは別に困らない……というか、現状でも『速達組』に限らず、転送組は足りていない。五十層程度に到達できる実力者はそれなりに多いのだが、日に何百人も利用者がいるし、六十層より先の転移は共有したがらない。そこからは実力者、自力で行き来できる者達の世界だ」
「それに、四十層や三十層にも需要はあるしな」
「つまりそれが、先程仰った、採取の……」
そういうことだ、とミレイユは頷く。
「四十層は確か、武具に適した鉱石類が採れるんだったかな……。この街じゃ、自分で素材を持ち込んで作って貰うのが基本だ。だから、そちらも常に需要がある。五十九階のボス階層だけが価値ある転送先、という訳じゃないからな」
「そして、転移を使えたり、脱出を即座に可能なのは、その『恩寵』あってのもの、という訳ですか……」
ミレイユはこれにも頷き、続いて答えた。
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